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サリドマイド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
サリドマイド
臨床データ
胎児危険度分類
  • AU: X
投与経路 経口
ATCコード
法的地位
  • 一般: ℞ (処方箋のみ)
薬物動態データ
タンパク結合 55% and 66% for the (+)-R and (-)-S enantiomers, respectively
消失半減期 mean ranges from approximately 5 to 7 hours following a single dose; not altered with multiple doses
識別子
CAS登録番号
PubChem
CID
DrugBank
KEGG
CompTox
Dashboard

(EPA)
ECHA InfoCard 100.000.029 ウィキデータを編集
化学的および物理的データ
化学式 C13H10N2O4
分子量258.23 g/mol g·mol−1
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サリドマイド英語: thalidomide)は、非バルビツール酸系の化合物で、催眠作用と免疫系の増強・調節作用や腫瘍細胞の自滅誘導作用・増殖抑制作用などを持ち、抗多発性骨髄腫薬、ハンセン病の2型らい反応治療薬としても知られ、現在でも妊婦や妊娠前以外には活用される[1]

最初は1957年旧西ドイツで睡眠薬として発売された。翌年、日本でも当初は安全で依存性のない画期的な睡眠薬との触れ込みで販売された。世界では1957年にコンテルガン、日本では睡眠薬イソミン(1958年発売)や胃腸薬プロバンM(1960年発売)として販売されたが、妊婦が服用した場合に新生児がサリドマイド胎芽症を罹患する世界規模の薬害サリドマイド禍が起きた。ドイツでの販売停止後も日本では当初国や製薬会社は因果関係をすぐには認めず、1962年9月に至って該当商品の販売を停止した。1965年にサリドマイドがらい性結節性紅斑に一時抑制効果が確かめられた[2]

サリドマイド事件から40年後の1998年にアメリカ食品医薬品局 (FDA) は、ハンセン病に対する医師の処方薬としての使用を承認した[2]。1999年に多発性骨髄腫(骨髄がん)の臨床試験が実施されて日本は2008年サレドカプセルの商品名で再承認され、使用時は「サリドマイド製剤安全管理手順」遵守で処方する[3][4]

概要

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西ドイツグリュネンタール社が開発し、1957年に発売した。

胎児の催奇形性メカニズムは、2010年半田宏東京工業大学)と小椋利彦東北大学)らがサリドマイドがプロテアーゼのE3ユビキチンリガーゼを構成するセレブロン英語版と結合して働きを阻害することを発見し、解明された[5][6][7]。手足の形成を促す増殖因子FGF8や転写因子SALL4PLZFなどが分解されることにより、胎児に奇形を引き起こすと考えられている[5][8][9]

薬害サリドマイド禍を受け、1960年代には各国で販売が中止されたが、その後の研究により催奇形性や薬理作用、光学異性体による活性の違いなど各方面での理解が進み、現在では抗悪性腫瘍薬[10][11]や免疫調整薬[12]として再承認され、後継薬の開発も進んでいる。

化学的性質

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サリドマイドは一般名で、化合物名は3'-(N-フタルイミド)グルタルイミドである。水に溶けにくい針状結晶。無水フタル酸とアミノグルタルイミドの縮合反応により合成できる。分子中に1個の不斉炭素を持ち、R体とS体の鏡像異性体が存在する(R体はCAS番号[2614-06-4]、S体はCAS番号[841-67-8])。

thalidomide(サリドマイド)は、「.alpha.-(N-Phthalimido)glutarimide[13]に拠る。大日本製薬は、N-フタリル・グルタミン酸イミドと表記していた[14]。「N-Phthalyl Glutamic Acid Imide (K17)」[15]に拠る。

効能又は効果

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日本におけるサリドマイド製剤の効能・効果は、サレドカプセル添付文書によれば以下のとおりである。

抗悪性腫瘍薬としては、セレブロンの基質特異性を狂わせる結果、B細胞や T細胞の分化に必須の転写因子Ikaros/IKZF1、Aioros/IKZF3などのユビキチン化を引き起こし、これらの選択的分解の誘導により特にB細胞由来の腫瘍である多発性骨髄腫に対して高い効果を発揮することが明らかとなっている[10][11]

サリドマイドやその誘導体であるレナリドミド、ポマリドミドは、免疫系細胞の分化・生存に重要な因子の発現変化を介して免疫系への調節作用を有することから、免疫調整薬 (Immunomodulatory drug/IMiD) と総称される[12]

光学異性体と薬理作用の関係

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市販のサリドマイドは等量のR体とS体が混ざったラセミ体として合成される。現在の技術ではR体とS体の光学分割による分離、および一方のみを選択的に合成する不斉合成も可能である。

1979年に、R体が催眠作用のみを持ち、S体が催奇性だけを現すという報告がなされたが[17]、1994年の報告は、R体のみを投与しても比較的速やかに(半減期566分)動物体内でラセミ化すると報告している[18][19]

サレドカプセルは、ラセミ体のまま製品化されている[20]。したがって、サレドカプセル添付文書の警告欄では、「本剤の胎児への暴露を避けるため」、「サリドマイド製剤安全管理手順」が定めてあることを明記している。医療関係者、患者やその家族などすべての関係者が手順を遵守することを求めている[注 1]

妊婦への副作用

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コンテルガン

1957年(昭和32)10月にグリュネンタール社(西ドイツ、当時)が商品名「コンテルガン」 (ドイツ語: contergan)として発売し、のちに世界各国で代理店別あるいは単剤・合剤ごとに異なった商品名で販売された。販売国数は40か国以上とされ確実には20か国ほどである。

日本では催眠鎮静剤「イソミン」(単剤)として1958年1月に発売され、1960年8月に胃腸薬「プロバンM」(合剤)として追加発売された。

発売当初に催奇形性は考慮されず、世界各国で多くの妊婦が服用した。

日本もイソミン(睡眠薬)とプロバンM(胃腸薬)ともに、妊婦の「つわり」に多く使用された。

薬害サリドマイド禍

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妊娠中にサリドマイドを服用した母親が産んだ新生児

疫学調査(レンツ警告)[21][注 2]から先天異常「サリドマイド胎芽症」や胎児死亡といった催奇性と因果関係があると報告された。日本は1962年(昭和37年)9月に販売を停止して回収した。すでにレンツ警告から約10か月が経過しながら、全国規模の調査はなかった。被害胎児は生存した形で生まれても支肢の畸形・発達不全・欠損、耳介欠損、難聴を含む聴覚障害、臓器の障害・発達不全等が見られた。

各国の被害と対応

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西ドイツ

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西ドイツの生存被害者は、3049人とされる[21]

2013年以降、年間最大1千万円を超える年金が支給される。二次障害への追加補償がなされている。医療は専門とする機関が設けられた。[22]

  • 1961年
    • 6月22日 - ヴィドキント・レンツドイツ語版博士は、息子と姪がともにフォコメリア(アザラシ肢症)を患う青年弁護士から相談を受ける[24]
    • 11月9日 - レンツ博士は本格的な調査開始、助手としてナップ博士同行[25]
    • 11月15日 - レンツ博士はグリュネンタール社へ電話で「コンテルガンに催奇形性の疑い有り、直ちに全製品を回収すべき」と警告[26][27]
    • 11月18日 - レンツ博士は小児科学会地方会で報告。ほかの演者の発表に対する討論会の際に短い論評として発表。コンテルガンを名指していない[28][29]
    • 11月20日 - レンツはグリュネンタール社を訪問。午後からハンブルク州政府の保健省[注 3]代表も加わり、三者会談が行われる[30][31]
    • 11月24日 - ノルトライン=ヴェストファーレン州内務省(デュッセルドルフ[注 4]で三者会談[32][33]
    • 11月25日 - UPI通信は、ノルトライン=ヴェストファーレン州内務省がコンテルガンの使用を禁止した、と誤報[34][35]
    • 11月26日 - 西ドイツの新聞に特ダネ掲載。「薬剤による奇形:世界的に流通している薬に疑惑あり」[34][36]
      • 同日 - グリュネンタール社はコンテルガンの販売中止(回収)を決定[37]
    • 11月30日 - 専門家委員会が開かれる(デュッセルドルフ)[38]

日本

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日本の認定被害者(生存者)は309人[39](1981年5月最終確定)。ほかに生存被害者の可能性がある[40]

製薬会社が資金提供して「いしずえ」という当事者団体を作り、2025年現在、年間最大30万円の助成金を患者に出し、患者はこれを医療・ヘルパー・マッサージ費に使えるが、これは法的義務によるものでなく、製薬会社がいつまで続けるかは不明である[22]

被害者は日常生活の動作でさえ不自由な肢体を無理に使って行わなければならないため、無理な姿勢による軟骨のすり減り、神経系の過剰な負担等によって通常の人ならば加齢の結果として現れる腰痛などの障害が遥かに早く生じる傾向にあり、それによる痛みやますます生活上の困難に直面しており、近年この問題が2次障害として浮かんで来ている[41]

1974年、国・製薬会社と患者の間で和解が成立、そのときの確認書では「現時点で予測しえない新たな障害が生じたときは当事者が誠実に協議し解決する」としている。前述のような二次障害が確認書のいう新たな障害にあたるかについて、国は「疼痛や関節可動域の制限などの症状があることは把握しているものの、これまで当事者間で『現時点で予測しえない新たな障害』について認められたものはない」、ある製薬会社は「二次障害ともいうべき様々な障害があり、費用負担も増していることは認識しており、連携や支援を継続していく。ただし、二次障害が『新たな障害』にあたるかは、法的・医学的な判断が必要なため単独では判断しかねる」としている。[22]

  • 1958年
    • 1月20日 - 大日本製薬(現在の住友ファーマ)、鎮静・催眠剤「イソミン」の商品名で販売開始[42]。鎮静・催眠剤イソミン(単剤):25mg錠(1錠中サリドマイド25mg含有)、10%散(1g中サリドマイド0.1gを含有する10倍散)[14][注 5]
  • 1960年
    • 8月22日 - 大日本製薬(株)、胃腸薬「プロバンM」を販売開始。胃腸薬「プロバンM」(合剤):抗コリン性鎮痙薬の臭化プロパンテリン英語版7.5mg+サリドマイド6mg含有製剤[42]
  • 1961年
    • 12月4日 - グリュネンタール社から、コンテルガン回収の連絡が大日本製薬(株)に届く[43]
    • 12月6日 - 大日本製薬(株)・厚生省で協議の結果、販売中止せず(販売継続)[44]
  • 1962年
    • 1月12日 - 大日本製薬(株)、学術課長を西ドイツに派遣[45][注 6]
    • 1月30日 - 同課長、レンツ博士と面談せず帰国[48]
    • 2月6日 - 同課長、「レンツ博士の警告には科学的根拠がない」と厚生省に報告[49]
    • 5月17日 - 大日本製薬(株)、製品の出荷停止[注 7]。朝日新聞夕刊のスクープ記事「自主的に出荷中止/イソミンとプロバンM」[50]が、日本におけるサリドマイド事件の第一報とされている[51]
    • 5月18日 - 朝日新聞は朝刊記事「イソミン問題の背景」に「悪影響の実例、日本ではない」と記し、日本国内のサリドマイド被害者の存在を否定[52]
    • 5月25日 - 厚生省通達「サリドマイド製剤について」、「国内ではまだ患者についての報告が一件もない」[53][54][55]
    • 5月29日 - 大日本製薬(株)、新聞各紙に鎮静・催眠剤「イソミンについて」謹告を掲載。「妊娠初期三ヶ月の御婦人は、この間のみ服用をさけられた方が望ましい」[56][57]。結局この時点で、販売中止の決定はなされなかった。それまでに出荷された製品は回収されることなく、店頭でも販売され続けた[58]
    • 7月21日 - 梶井正博士の論文、イギリスの医学雑誌『The Lncet』(ランセット)[59]に掲載、日本国内のサリドマイド被害者について英文にて初めて公表。
    • 8月28日 - 読売新聞スクープ記事「日本にも睡眠薬の脅威」、梶井論文が国内のマスコミで初めて紹介される[注 8]
    • 9月13日 - 大日本製薬(株)、サリドマイド製剤の販売中止(および回収)決定[60]
    • 同年末までに被害者がイソミンとプロバンMの製造許可に対し法務局人権侵害[61]を訴えるが、法務省人権擁護局は「侵害の事実なし」と結論。
  • 1963年
    • 5月 - 厚生省の製薬課長、西ドイツでレンツ博士と面会[62][注 9]
    • 6月17日 - 大日本製薬(株)を被告として最初の損害賠償請求訴訟が名古屋地裁にて提訴される[注 10]
  • 1974年
    • 10月13日 - 原告・被告双方の間で和解確認書に調印(63家族[63])。
    • 10月26日 - 東京地方裁判所にて和解成立。11月20日までに、全国8地裁(東京を含む)全てで順次和解が成立。国と製薬会社は障害との因果関係を認め、障害の程度に応じ一人当たり最大4千万円の賠償金を支払うこととした。

アメリカ合衆国

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  • 1960年
    • 8月1日 - 薬理学者ケルシー博士、FDAで勤務開始(医務担当官として)[64]
    • 9月8日 - アメリカ合衆国メレル社、FDAにサリドマイド製剤の承認申請を提出[65]

ケルシー博士は、当初、安全性を示す動物実験が不十分であると判断したため「追加データを求め、承認を保留」した[66]。その後、ケルシーは、多発神経炎に関するフローレンスの新しい論文[67]を読んで、催奇形性に注目するようになる[68]。その結果、「サリドマイドは成人に神経障害を引き起こすのだから、胎児にはより影響が出やすいということではないのか」[69]と考えた。

  • 1962年
    • 8月3日、アメリカ合衆国メレル社、FDAへの承認申請取り下げ[70]
    • 8月4日、ケネディ大統領、ケルシー博士に大統領勲章を授与すること決定(同月8日授与式)[71]

アメリカ合衆国のサリドマイド被害者(治験などによる)の数は、資料ごとに異なっている[72][66][70]

その他の国における被害

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  • イギリス - 被害者456人 二次障害に伴う費用が補償される。被害者をサポートする財団「サリドマイドトラスト」が設けられ、被害者の実情調査や臨床研究、相談にあたっている。2010年代には生活負担軽減のための費用を支援する大きな追加補償がなされた。[22]
  • カナダ - 被害者115人
  • スウェーデン - 被害者107人
  • 中華民国(台湾) - 被害者38人。台湾の被害者は、すべて大日本製薬のイソミンとプロバンMによる。大日本製薬が1億8350万円の損害賠償金を支払うことで、和解が成立した。

被害者数

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全世界の被害者数には、以下のような説がある。

全世界の被害者は約3900人、30%が死産だとされているので、総数はおよそ5800人とされている[要出典]

「いしずえ」公式Webサイト

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公益財団法人「いしずえ」(サリドマイド福祉センター)の公式Webサイトでは、「全世界で3900例と報告され、30%の死産があったので総数は5800と推定されています」[73]と記載している。

レンツ文献

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「いしずえ」公式Webサイトが出典としているレンツ文献 (Lenz 1988) [21]の中に、「30%の死産」や「総数は5800と推定」といった数値は見当たらない。

これに対して、レンツ文献の前記の箇所を翻訳(引用)して「3900例が生存している。死亡率は40%程度と算出されることから、全世界の発生は5850症例と考えられる」と示した書籍[74]がある。

レンツ文献では、別途、死亡率〈約40%〉と読み取れる表や、国別の生存被害者数を掲載している。それらによると、生存被害者の小計(19か国分)は、4165症例になる[75]

法改正

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サリドマイド事件は、1962年にアメリカ合衆国連邦法の食品・医薬品・化粧品法の改正につながり[76]、医薬品の承認において「適切で十分に制御された2回の試験」にて有効性を示すことが必要となった[77]。これを受けて、日本でも1967年に同様に改正される[76]

また、サリドマイドでは安全性の試験について捏造や虚偽があったため、アメリカ合衆国で1978年に、臨床試験における安全性の信頼性を確保するための基準としてGood Laboratory Practiceが制定された[78]

再評価

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1965年にイスラエル医師ハンセン病患者へ鎮痛剤としてサリドマイドを投与し、ハンセン病患者に多発する難治性の皮膚炎(らい性結節性紅斑)に劇的に効くことが確かめられた[79]

1998年にアメリカ食品医薬品局 (FDA) がハンセン病の急性症状として、らい性結節性紅斑(2型らい反応あるいはENL)の一時抑制薬として、同時に副作用防止の登録制の管理システムの下で承認した[2][80]。ハンセン病の患者が多いブラジルでも、再びらい性結節性紅斑 (ENL) 一時抑制薬としてサリドマイドが認可された[注 11]薬のパッケージには「妊婦の使用を禁止するマーク」(ピクトグラム)がついているが、これが中絶薬と誤解され、誤って服用した妊婦から奇形児が生まれるという悲劇が起きている。これはブラジルの貧困層の識字率が低いことが背景にある[要出典]

1989年にがん患者の体力消耗や食欲不振の原因である、腫瘍壊死因子α (TNF-α) の阻害作用[82]が発見された。1994年にサリドマイドは血管新生阻害作用があることがわかった。奇形を発生させる原因の可能性がある一方、がん組織への毛細血管の成長を阻害する仮説から着目され、抗がん作用について、1999年に多発性骨髄腫(骨髄がん)に対する臨床試験で効果が認められた[83]

サリドマイドが奇形を引き起こすのは、胎児の手足の末端の血管新生が阻害されて十分に成長しないためであると考えられている。この仮説に着目して、抗がん剤としての利用が試みられている。がん細胞は急速に分裂増殖時に、通常行われない新たに血管を引いてきて栄養を補給しようとする血管新生作用をサリドマイドで妨げることで、がん細胞の増殖を抑えようという発想であった。実際のがん患者すなわち骨髄腫瘍では、血管新生作用の阻害は不明で、疫学的には有用と判断され多発性骨髄腫の治療[注 12]では併用薬として標準治療になっているが、作用機序は完全に解明されていない[88]

2005年1月21日、厚生労働省薬事・食品衛生審議会は、藤本製薬による申請を受けて、サリドマイドを希少疾病用医薬品に指定した[89]。藤本製薬は2005年8月から、サリドマイドを多発性骨髄腫の治療薬として、治験を開始すると明らかにした。同社は2006年6月30日に治験を終え、8月8日、厚生労働省に製造販売の承認申請を行った。

申請を受けて厚生労働省は安全管理方策について「サリドマイド被害の再発防止のための安全管理に関する検討会」および医薬品等安全対策部会で検討し、2008年9月18日に以下の条件でサリドマイド製造販売の再承認する[90]

  • 承認を申請した藤本製薬が、患者・医師・薬剤師を登録し、処方量や服用量を管理する。
  • 妊娠の可能性のある患者には、処方の前に妊娠の有無を検査する。(男女とも、一定期間は避妊を徹底する。)
  • 飲み残さず、不要になったら返却する。

など。
2008年10月3日、厚生労働省「薬事・食品衛生審議会 薬事分科会」は、「藤本製薬によるサリドマイド製剤の治療薬としての製造販売承認を可として差し支えない」と厚生労働大臣へ答申した[91]。2008年10月16日、厚生労働省は、多発性骨髄腫の健康保険適応の治療薬としてサリドマイドの製造販売を承認した。藤本製薬が発売する同薬は安全管理のためとして、サレドカプセル100は1錠の薬価が6570円で、同様の安全管理を行うイギリスの10倍程度となった。[要出典]

薬害防止への観点から、日本での使用では「サリドマイド製剤安全管理手順」(Thalidomide Education and Risk Management System: 頭字語=TERMS)の遵守が求められている[3]。日本は医師の指示がない個人輸入を禁じている[93]

研究事例

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その他サリドマイドは、さまざまな疾患への効果が期待されている。

著名な患者

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荒井貴
父・荒井良の著書2冊[95][96]のほか、テレビでも紹介された。
吉森こずえ
国際年の1つ「国際障害者年」の1981年[97]に「NHK特集[98]で紹介、書籍化された[99][注 13]
白井のり子
2006年3月まで熊本市役所に勤務[103]。その後は講演会等で活躍。ドキュメント映画『典子は、今』が制作された[106][107]
増山ゆかり
医薬品新販売制度の円滑施行に関する検討会構成員。全国薬害被害者団体連絡協議会に所属し[108]、講演会等で活躍[注 14]
海外の人材
トーマス・クヴァストホフ
ドイツバリトン歌手。身長134cm
マット・フレイザー英語版
イギリスのミュージシャン、俳優。
アルヴィン・ロウ英語版
カナダのラジオキャスター。
トニー・メレンデス英語版
ニカラグア出身のギタリスト。腕が無く、足だけで演奏する。

参考文献

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本文の脚注に使用。主な執筆者、編者の順。

  • 栢森良二『サリドマイド 復活した「悪魔の薬」』PHPエディターズ・グループ、2021年。ISBN 978-4909417749 
  • 川俣修壽『サリドマイド事件全史』緑風出版、2010年。ISBN 978-4846110031 
  • ヘニング・シェストレーム、ロベルト・ニルソン、Robert Nilsson 著、松居弘道 訳『裁かれる医薬産業 : サリドマイド』岩波書店、1973年、108-109頁。doi:10.11501/12137826国立国会図書館書誌ID:00001178487 
  • 本間徳子 訳『神と悪魔の薬サリドマイド』日経BP社、2001年。ISBN 978-4822242626国立国会図書館書誌ID:000003658284 
    • 原書 Stephens, Trent ; Rock Brynner. (2001) Dark Remedy the Impact of Thalidomide and Its Revival as a Vital Medicine. Perseus Publ (Cambridge, Mass).
  • 浜六郎、別府宏圀、坂口啓子 編『くすりのチェックは命のチェック : 第1回医薬ビジランスセミナー報告集』日本評論社、1999年、36-42頁。ISBN 978-4535981690NDLJP:13858545国立国会図書館書誌ID:000002832621 
  • 藤木英雄、木田盈四郎 編『薬品公害と裁判 : サリドマイド事件の記録から』東京大学出版会〈UP選書〉、1974年。NDLJP:12006706国立国会図書館書誌ID:000001142192 
  • モートン・ミンツ『治療の悪夢(下)— 薬をめぐる闘い』東京大学出版会〈UP選書〉、1968年。 [110][111]

脚注

[編集]

注釈

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  1. ^ 「サレドカプセル25・50・100添付文書」2021年2月。「改訂」 にて[いつ?]確認。
  2. ^ 1961年11月。「レンツ警告」はあくまでも疫学調査であり、メカニズムまで解明できたわけではない。
  3. ^ ハンブルク州(特別州)は、レンツの所属するハンブルク大学(医学部)が所在する。
  4. ^ グリュネンタール社、本社:アーヘン)は、ノルトライン=ヴェストファーレン州(州都:デュッセルドルフ)にある。
  5. ^ 同社独自の製法で開発し特許を取得。ただし、当時の日本では、世界基準としての物質特許そのものが認められておらず、製法特許を主張したことになる。大日本製薬(株)は、イソミンを発売した後になって、物質特許を有するグリュネンタール社との間で、特許に関するライセンス交渉を開始した。
  6. ^ 厚生省の製薬課長が西ドイツでレンツ博士に会ったのは、翌年1963年5月のことである。しかしながら、以下の2文献では「(レンツ警告後、直ちに)厚生省から担当官を西ドイツへ調査のため派遣した」としている[46][47]
  7. ^ この時の処置は、あくまでも出荷停止であり販売中止ではない。
  8. ^ 8月26日:北海道の小児科学会地方会で発表、8月27日:読売記者の訪問、8月28日:スクープ記事掲載
  9. ^ すでに日本でもサリドマイド製剤の販売は中止(1962年9月)され、回収作業も一段落したと思われる頃の話である。しかも、訪問時間は、通訳を交えてわずか30分程度だった。
  10. ^ その後、京都、東京が続き、全国で8地裁となった(東京、岐阜、名古屋、京都、大阪、岡山、広島、福岡の8地裁)。
  11. ^ ブラジルでは貧困層でのハンセン病の罹患が多く[81]、無料でサリドマイドが配られている(日本では新たな患者は年間数名程度)。
  12. ^ 厚生労働省関係学会医薬品等適正使用推進事業(平成15・16年度)「多発性骨髄腫に対するサリドマイドの適正使用ガイドライン」[84][85]と治療[86]と看護の実際[87]
  13. ^ 吉森は自動車の運転など、社会参加[100]の実践が報道された[101][102]
  14. ^ 60年が経過した頃の増山ゆかりの活動はNHK EテレのETV特集で放映された[109]

出典

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  1. ^ 村崎充邦、日本睡眠学会編集「睡眠学の歴史と現況」『睡眠学』朝倉書店、2009年2月、649-651頁。ISBN 978-4254300901 
  2. ^ a b c 石井則久「サリドマイドのらい性結節性紅斑に対する保険適用に向けて」『日本ハンセン病学会雑誌』第79巻第3号、2010年、275-279頁、doi:10.5025/hansen.79.275 
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    • 1)正式文書名(サブタイトルを含む)
    • 2)報告年月(例:1964年3月など)および報告者名
    • 3)資料保管場所(資料は実在するかどうか)
    • 4)サリドマイド裁判で証拠資料として採用された事実はあるか。もしあれば、それは、甲・乙などの第何号証に該当するか(『サリドマイド裁判』第1編に記載されているかどうか)。

    〈回答〉

    • ご照会の件について、以下のとおり回答します(【 】内は国立国会図書館請求記号、インターネット最終アクセス日は2023年1月17日です)。
    • お問合わせの森山報告936症例ですが、ご質問の事項については確認することができませんでした。(以下略)
    • 国立国会図書館(National Diet Library) (1110001) 、管理番号:13886400。”
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関連項目

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関連資料

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発行順。

  • 平沢正夫『あざらしっ子 : 薬禍はこうしてあなたを襲う』(〈三一新書〉、1965年)
  • 増山元三郎 編『サリドマイド : 科学者の証言』(東京大学出版会、1971年)
  • 全国サリドマイド訴訟統一原告団・サリドマイド訴訟弁護団 編『サリドマイド裁判 第三編』(サリドマイド裁判記録刊行委員会、1976年)
  • 高野哲夫『戦後薬害問題の研究』(文理閣、1981年)ISBN 978-4892590474
  • 宮本真左彦『サリドマイド禍の人びと : 重い歳月のなかから』(〈ちくまぶっくす〉、1981年)ISBN 4-480-05037-X
  • 厚生省五十年史編集委員会『厚生省五十年史』(厚生問題研究会、1988年)ISBN 978-4805804476
  • 浜六郎『薬害はなぜなくならないか : 薬の安全のために』(日本評論社、1996年)ISBN 4-535-98137-X
  • 富家孝『厚生省薬害史 : 行政の歪みが見えてくる! 厚生省薬事関連訴訟の軌跡』(〈三一新書〉、1997年)ISBN 978-4380970238
  • 片平洌彦『ノーモア薬害 : 薬害の歴史に学び、その根絶を』増補改訂版 (桐書房、1997年)ISBN 4-87647-390-0
  • 全国薬害被害者団体協議会 編『薬害が消される! 教科書に乗らない6つの真実』(さいろ社、2000年)ISBN 978-4916052117
  • 鳩飼きい子『不思議の薬 : サリドマイドの話』(潮出版社、2001年)ISBN 978-4267016097
  • 津田敏秀『市民のための疫学入門 : 医学ニュースから環境裁判まで』(緑風出版、2003年)ISBN 978-4846103118
  • 御代川貴久夫『科学技術報道史 : メディアは科学事件をどのように報道したか』(東京電機大学出版局、2013年)ISBN 978-4501628208
  • 医薬品医療機器レギュラトリーサイエンス財団『日本の薬害事件 : 薬事規制と社会的要因からの考察』(薬事日報社、2013年)ISBN 978-4840812498
  • 山本明正『サリドマイド事件 : 世界最大の薬害/日本の場合はどうだったのか』(Akimasa Net、2021年)ISBN 979-8752252303

外部リンク

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ウィキニュースに関連記事があります。サリドマイドの治療実験開始