エイドゥル・グジョンセン

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エイドゥル・グズヨンセン Football pictogram.svg
Eidur Gudjohnsen 10mar2007.jpg
FCバルセロナでのエイドゥル ・グズヨンセン (2007年)
名前
本名 エイドゥル・スマーリ・グズヨンセン
愛称 グッディ
ラテン文字 Eidur Smári Gudjohnsen
アイスランド語 Eiður Smári Guðjohnsen
基本情報
国籍 アイスランドの旗 アイスランド
生年月日 (1978-09-15) 1978年9月15日(38歳)
出身地 Reykjavik Flag.png レイキャヴィーク
身長 185cm
体重 88.98kg
選手情報
在籍チーム インドの旗 FCプネー・シティ
ポジション FW / MF
背番号 22
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1994 アイスランドの旗 ヴァルル 17 (7)
1995-1997 オランダの旗 PSV 13 (3)
1998 アイスランドの旗 KRレイキャヴィーク 6 (0)
1998-2000 イングランドの旗 ボルトン・ワンダラーズ 59 (19)
2000-2006 イングランドの旗 チェルシー 186 (54)
2006-2009 スペインの旗 バルセロナ 72 (10)
2009-2010 モナコの旗 モナコ 9 (0)
2010 イングランドの旗 トッテナム・ホットスパー (loan) 11 (1)
2010-2011 イングランドの旗 ストーク・シティ 4 (0)
2011 イングランドの旗 フラム (loan) 10 (0)
2011-2012 ギリシャの旗 AEKアテネ 10 (1)
2012-2013 ベルギーの旗 サークル・ブルッヘ 13 (6)
2013-2014 ベルギーの旗 クラブ・ブルッヘ 45 (5)
2014-2015 イングランドの旗 ボルトン・ワンダラーズ 20 (5)
2015 中華人民共和国の旗 石家荘永昌 14 (1)
2016 ノルウェーの旗 モルデ 7 (1)
2016- インドの旗 プネー・シティ
代表歴2
1992-1994 アイスランドの旗 アイスランド U-17 27 (6)
1994 アイスランドの旗 アイスランド U-19 9 (2)
1994-1998 アイスランドの旗 アイスランド U-21 11 (5)
1996- アイスランドの旗 アイスランド 88 (26)
1. 国内リーグ戦に限る。2016年5月8日現在。
2. 2016年6月8日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

エイドゥル・スマーリ・グズヨンセンEidur Smári Gudjohnsen, Eiður Smári Guðjohnsen, 1978年9月15日 - )は、アイスランドレイキャヴィーク出身のサッカー選手アイスランド代表インド・スーパーリーグFCプネー・シティ所属。ポジションはフォワードミッドフィールダー

プレミアリーグボルトン・ワンダラーズFCで頭角を現し、その後チェルシーFC、スペインのFCバルセロナといったビッグクラブでプレーした。代表では、監督がオラフル・ヨハネソン英語版になるまでキャプテンを務めた。グズヨンセンは、プロキャリアを通してクラブや代表など全試合で160ゴールを記録した。オランダ、イングランド、スペイン、そしてUEFAチャンピオンズリーグでタイトルを獲得したことから、偉大なアイスランド人サッカー選手の一人だと考えられている。

父親のアルノール・グズヨンセン英語版は、元サッカー選手でアイスランド代表でもプレーした。

来歴[編集]

初期[編集]

1995年、17歳の時にヴァルル・レイキャヴィークでプロデビューし、翌年には代表入りを果たした。1996年4月24日アウェーのタリンで行われたエストニア戦で代表デビューすると、この試合では父のアルノール・グジョンセン英語版と交代で後半ピッチに入った。

後に、父と息子両方共この試合で一緒にプレー出来なかったことを悔しがった。アイスランドサッカー協会エガート・マグヌソン英語版会長(のちのウェストハム・ユナイテッドFC会長)とロギ・オラフソン英語版監督は、この歴史的な瞬間をホームで迎えたかったため、敢えて同時に起用しなかった。この2ヶ月後の1998 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選グループリーグのマケドニア代表戦でチャンスが訪れた。[1]

しかし、この試合の1ヶ月後のU-18アイルランド代表戦で足首を負傷したため、このチャンスを逃してしまった。診断未確定腱炎になってしまったため復帰は困難なものとなった。

クラブレベルでは、エールディヴィジPSVアイントホーフェンに2年間在籍した。非常に期待されていたが、同時期に若く有望なブラジル人のロナウドがいた。代表戦での怪我とロナウドの存在があったため、最終的にPSVはグズヨンセンを放出した。母国アイスランドのKRレイキャヴィークにしばらく在籍した後、1998年にボルトン・ワンダラーズFCへ移籍していった。

クラブ[編集]

ボルトン[編集]

グズヨンセンは、スコティッシュ・プレミアリーグセルティックFCとのプレシーズン・フレンドリーマッチ前に古参DFジミー・フィリップス英語版からボルトンサポーターに紹介された。アイルランドで行われた夏のプレシーズンツアーでのプレーぶりにコリン・トッド英語版監督は感銘を受け契約を結んだ。しかし、加入当初はオーバーウェイトと不調だったため、元のレベルに戻るには時間を要した。1998年9月のバーミンガム・シティFC戦で途中出場し、短時間プレーした。これは、グズヨンセンが再起への道を一歩踏み出すことを意味した。

1999年初期、トッド監督はグズヨンセンをフルタイムで起用することに決めた。そのために、アルナー・グンラウグソン英語版レスター・シティFCへ、ネイサン・ブレイク英語版ブラックバーン・ローヴァーズFCへと売却、前線の数を減らしフレッシュさせた。グズヨンセンはチームに戻ってくると、カウンティ・グラウンド (スウィンドン)英語版で行われたスウィンドン・タウンFC戦で得点し3-3と引き分けた。次の試合では、ホームのリーボック・スタジアムバーンズリーFCを迎えると再びゴールを挙げた。最終的にシーズンで5得点を記録した。1999年のワトフォードFCとのプレイオフ決勝戦でプレーしたものの、ニック・ライト英語版アラン・スマート英語版にゴールを決められ0-2で敗退した。

翌1999-2000シーズンは、ディーン・ホールズワース, ボー・ハンセン英語版, ボブ・テイラー (サッカー選手)英語版と数人の選手とコンビを組み、7試合を除き全試合先発出場した。このシーズンはリーグ戦で21得点を記録すると、FAカップリーグカップ両方で準決勝進出に貢献した。特にFAカップ準々決勝のチャールトン・アスレティックFC戦では、唯一となるゴールを決めた。

グズヨンセンは、プレイオフ準決勝第1戦のイプスウィッチ・タウンFC戦で負傷したため次戦に出場することが出来なかった。第2戦目は、バリー・ナイト英語版主審から12枚のイエローカードと、マイク・ウィスロウ英語版ロビー・エリオット英語版に退場が下され敗退した。この試合は、相手選手のジム・マギルトン英語版ポール・ウォーハルスト英語版への蹴り行為にカードが出されないなど論争となった。[2]グズヨンセン自身は残留することを望んでいたが、チームが昇格を逃したことにより、グズヨンセンの将来について憶測を呼んだ。

チェルシー[編集]

ボルトンが財政難のため、翌シーズンにジャンルカ・ヴィアリ率いるチェルシーFCと移籍金400万ポンドで契約をした(ヴィアリは同年9月に解任され、クラウディオ・ラニエリが新たに就任)。グジョンセンはジャンフランコ・ゾラジミー・フロイド・ハッセルバインクらと共にプレー。2001-02シーズンは、バッセルバインクとコンビを組むと全大会で自身は23得点記録、ハッセルバインクは27得点と驚異的な攻撃陣を形成した。

2003年初めに、5ヶ月の間にカジノで40万ポンドを失いギャンブル依存症であることを告白した。[3]

2002-03シーズンのリーズ・ユナイテッドAFC戦のオーバーヘッドキックや、2003-04シーズンのホームスタンフォード・ブリッジでのフラムFC戦、2004-05シーズンのプレミアリーグ・ゴール・オブ・ザ・シーズン10位に選ばれた2005年のサウサンプトンFC戦、そして、プロになってから初めてハットトリックを決めた2004年10月のブラックバーン・ローヴァーズFC戦など、グズヨンセンは、ドリブルと巧みなコントロールから非常に正確なシュートで何度も顕著なゴールを決めた。また、チェルシーに来てから60ものアシストを量産した。新たに就任したジョゼ・モウリーニョ監督は、グジョンセンのタッチとビジョンのスキルに注目し、中盤の役割を任せるようになった。また、戦況に応じてセントラルMF, 左右のWG, 守備的MF, そしてストライカーとユーティリティ・プレイヤーとして起用されるようになった。

2003年、チェルシーのオーナーにロマン・アブラモヴィッチがやって来るとアドリアン・ムトゥ, エルナン・クレスポ, ディディエ・ドログバといった高価で知名度の高いビッグネームを次々と獲得したことにより出場機会が減少するかに思われていた。これにもかかわらず、2003-04, 2004-05シーズンとレギュラーとしてプレーし2004-05シーズンには、リーグ戦で12ゴールを挙げタイトル獲得に大きく貢献した。また、同シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ決勝トーナメント1回戦FCバルセロナ相手にゴールを決め4-2の勝利に貢献した。

しかし、翌シーズンになるとクラブは更にアンドレイ・シェフチェンコミヒャエル・バラックサロモン・カルーなどの大型補強を行い出場時間が大幅に減少。2006-07シーズンは移籍の噂が飛び交った。とりわけ、マンチェスター・ユナイテッドFCレアル・マドリードへの移籍が濃厚と言われていたが、2006年6月14日にバルセロナへ3年+1年契約で加入したことが発表された。チェルシーでは計263試合に出場。これは、外国人の最多出場記録4位だった。("海外選手"だとジャンフランコ・ゾラに次ぐ第2位)[4]

バルセロナ[編集]

バルセロナでプレーするグズヨンセン

故郷スウェーデンの古巣ヘルシンボリIFで、キャリアを終えることを決めていたヘンリク・ラーションの後釜としてFCバルセロナへ移籍金1170万ユーロの4年契約で加入した。[4][5]グズヨンセンは、アイスランド人史上初バルサでプレーする選手となった。

2006年8月26日の開幕戦のセルタ・デ・ビーゴ相手に、リュドヴィク・ジュリと交代でリーグデビューをした。試合残り3分のところでファースト・シュートを放つと、相手DFのアンヘル・ロペスがブロックしたが、ボールがグズヨンセンの目の前に戻ってきたところをボレーでゴールを決めた。これが決勝ゴールとなり、3-2の勝利に貢献。上々のスタートを切った。UEFAチャンピオンズリーグでは古巣のチェルシーFC相手に決めると、グループリーグ最終戦のヴェルダー・ブレーメン戦、勝利しないと敗退が決定する大事な試合でゴールを挙げ、見事2-0の勝利に貢献。11月中旬のリーグRCDマジョルカ戦では2ゴールを記録した。また、アメリカのロサンゼルス・メモリアル・コロシアムで行われたメキシコリーグ王者CDグアダラハラとの親善試合では、10万人の前で素晴らしいゴールを決めて名声を得た。12月のFIFAクラブワールドカップ準決勝クラブ・アメリカ戦で1ゴールを決め4-0で勝利した。

2007年3月6日のUEFAチャンピオンズリーグ2nd Leg。アンフィールドで行われたリヴァプールFC相手に唯一ゴールを決め1-0で勝利したが、アウェーゴールのため敗退した。移籍初年度は全大会で12ゴールを記録するも3人の巨星であるロナウジーニョサミュエル・エトオ、そしてリオネル・メッシはさらに多くのゴールを決めていた。しかし、CLではたった3ゴールだったが、クラブ内得点王になった。

グズヨンセンは、移籍初年度としてそれなりに上手くやっていたが、フランク・ライカールト監督やファンの期待通りの活躍とはいかなかった。翌2007年夏は、プレミアリーグへの復帰が濃厚だったが、しかし、クラブは具体的な措置を取らなかった。秋には怪我の影響もありベンチで過ごす日々が続いた。グジョンセンはポジション争いに戻る意思を見せていたものの、クラブはティエリ・アンリを獲得し、若手FWのボージャン・クルキッチジョバニ・ドス・サントスをファーストチームに加えたため、レギュラー争いは熾烈なものとなった。

10月23日のUEFAチャンピオンズリーグ, グラスゴー・レンジャーズFC戦でセントラルMFとしてシーズン初出場すると、11月13日のコパ・デル・レイ, CDアルコヤーノ戦では、89分にPKを決め3-0の勝利に貢献した。2007年2月20日のバレンシアCF戦で、今シーズン最初のリーグ戦ゴールを記録し3-0で勝利。1997-98シーズン以来となるエスタディオ・デ・メスタージャでの勝利となった。グズヨンセンはCL出場50試合を達成した。このシーズンは、4季ぶりの無冠に終わりトラブルシーズンとなったが、グジョンセンは全大会で36試合に出場, うち18試合をスタメンでプレーし、ライカールト政権で一定の出場数を得たとはいえ、90分フル出場は僅か4試合だった。シーズン最終戦では、降格が決定したレアル・ムルシア相手に得点こそは出来なかったものの、中盤でのプレーは賞賛を集め、ベストパフォーマンスを披露した。

ジョゼップ・グアルディオラが新たに監督に就任すると大勢の選手を放出する計画が考えられ、多くの人たちは、グズヨンセンもこれがバルサとしての最後の試合と思われ、プレミアリーグの幾つかのクラブから関心を寄せられ、特にウェストハム・ユナイテッドFCポーツマスFCが具体的なオファーを検討していた。[6]

7月の終わりに、ハイバーニアンFCとのプレシーズンマッチで2ゴールを決めるなど好調をアピール。グズヨンセンはグアルディオラ監督と自身の将来について語り、信頼され戦力として見られていることを明かし、翌シーズンもバルサに留まる可能性が高まった。[7]また、グアルディオラ監督は、グズヨンセンのフィジカルの強さと高いテクニックを買い、2列目から飛び出してのゴールを求めて残留させた。[8][9]9月21日のスポルティング・デ・ヒホン相手に6-1と勝利した試合で、71分にセイドゥ・ケイタと交代で出場し今シーズン初出場をした。この試合は得点こそなかったが、リオネル・メッシが得点した最後の2ゴール両方に関わり良いプレーを見せた。3日後9月24日のレアル・ベティス戦で再び70分にケイタと交代出場すると、この9分後に決勝ゴールを決め3-2で勝利した。さらに、9月27日のRCDエスパニョール戦では初スタメンに選ばれたが得点は挙げられず、ケイタと途中交代でベンチに下がった。このように2008-09シーズンのグズヨンセンは、セビージャFCから新たに加入したセイドゥ・ケイタと出場機会を巡ってしのぎを削った。また、バルサに来てから通算出場100試合を達成した。CL決勝の地スタディオ・オリンピコでは、ディフェンディングチャンピオンのマンチェスター・ユナイテッドFCを破り、アイスランド人として初めてトロフィーを獲得した。

モナコ[編集]

前年度はスペイン史上初の3冠達成のメンバーだったが、重要な局面に入ると徐々に出場機会は減少し、[10]翌シーズンになるとUEFAスーパーカップスペインスーパーカップの2つのスーパーカップで出場機会は訪れなかった。[9]2009年夏にグアルディオラ監督は、グズヨンセンが計画の一部ではないことを明かした。その後、プレミアリーグへの復帰が濃厚とされていたが、リーグ・アンASモナコに2年契約で移籍した。2010年の冬にトッテナム・ホットスパーFCへ貸し出された。

トッテナム[編集]

2010年1月28日にウェストハム・ユナイテッドFCでメディカルチェックを受けていたが、トッテナムの監督ハリー・レドナップは、グジョンセンを誘うことに見事に成功し、トッテナムにレンタル移籍することとなった。[11]この行動を聞いた時にウェストハムの新たな共同経営者であるデヴィッド・サリバン英語版は激怒し、[12]チェルシーFCで共にプレーしたことのあるジャンフランコ・ゾラ監督は失望を隠せなかった。[11]この時すでにジャーメイン・デフォー, ピーター・クラウチ, ロビー・キーン, ロマン・パヴリュチェンコと4人のストライカーがいたが、2月3日のダゲナム・アンド・レッドブリッジFCとの親善試合で2ゴールを決め順調なスタートを切った。[13]2010年2月10日には、アウェーのウルヴァーハンプトン・ワンダラーズFC戦で0-1と敗戦した試合で、ストライカーとしてデフォーと共に移籍後初出場を果たした。2010年3月20日のストーク・シティFC戦で移籍後初ゴールを決めると、ニコ・クラニチャールのゴールの起点となり勝利へ導いた。[14]

ストーク[編集]

グズヨンセンは、2010年8月31日にストーク・シティFCと1年契約を結んだ。9月18日のウェストハム戦で移籍後初出場をし1-1で引き分けた。グズヨンセンは、モナコでプレシーズンのトレーニングに参加していなかったため、ストークでのキャリアは、試合に出られるために激しいトレーニングをすることから始まった。また、リザーブチームで練習試合をこなし、リーズ・ユナイテッドFCのリザーブチームとの試合では2ゴールを決め2-1で勝利した。ストークでは、5試合出場したが全て途中出場だったため、1月の移籍市場最終日にフラムFCへレンタルで出された。

ストークでのプレーは失敗に終わり2010-11シーズン終わりに放出された。

フラム[編集]

2011年1月31日に、グズヨンセンはシーズンの終わりまでの契約でレンタル加入した。[15]2011年2月5日のアストン・ヴィラFCと2-2と引き分けた試合で後半出場した。

アテネ[編集]

英国のウェストハム・ユナイテッドFCスウォンジー・シティFCからの関心にもかかわらず[16]、2011年7月19日に契約期間2年の年俸120万ユーロ(移籍金0)でAEKアテネへ移籍した。[17][18]左サイド, 攻撃的MF, そしてストライカーとプレー出来る万能なグズヨンセンは、クラブのキー・ターゲットだった。 アテネ国際空港に到着した際には、1000人以上ものAEKアテネファンに迎えられ[19]、サポーターの歓迎ぶりに心を打たれたグズヨンセンは、入団会見で"色々な国でプレーしたが、これほどまでに歓迎されたことは今までなかった。AEKに移籍を決定したのは100%正しかったと確信した。何かを約束をするのは好きじゃないが、クラブ史に名を残せるようなプレーがしたい。"と語った[20][21]。また、グズヨンセンは最近AEKと契約を結んだ同国人CBのエルファル・フレイル・ヘルガソン英語版と共にプレーすることとなった。2011年9月21日にアウェーのシュコダ・クサンティFC戦で75分から途中出場し、移籍後初ゴールを決め4-3で勝利を飾った。

2011年10月15日にオリンピアコスFCとのダービーで、グズヨンセンは44分に相手GKのフランコ・コスタンソと衝突し、右脚の脛骨と腓骨を骨折した。このためシーズンの残りは欠場することが決定した[22][23]。しかし、予想より早くチームに復帰。4月22日のリーグ戦最終節ドクサ・ドラマFC英語版戦に出場し、1-1と引き分けた。AEKのユニフォームを着た最後の試合は、ライバルのパナシナイコスFCとのプレーオフ最終戦だった。

2012年7月にグズヨンセンは、クラブが財政難に陥っていることから、20万ユーロ(約1900万円)の示談金で契約解除をし1年で退団した。[18]

サークル・ブルッヘ[編集]

2012年10月2日、ジュピラー・プロ・リーグサークル・ブルッヘに加入した[24]

クラブ・ブルッヘ[編集]

2013年1月13日、サークル・ブルッヘのライバルであるクラブ・ブルッヘに移籍した[25]

ボルトン復帰[編集]

2014年12月5日、ボルトン・ワンダラーズFCに14年半ぶりに復帰した[26]

石家荘永昌[編集]

ボルトンとの契約は2014-15シーズン限りで終了し、フリーの状態となっていた。2015年7月3日、中国の石家荘永昌に移籍[27]

モルデ[編集]

2016年2月12日、ノルウェー1部リーグ、エリテセリエンモルデFKに2年契約で移籍[28]

プネー・シティ[編集]

2016年8月3日、契約半ばにモルデを退団、フリーとなっていたが同年8月24日、インド・スーパーリーグFCプネー・シティに移籍することが決定した[29]

代表[編集]

グズヨンセンは、1992年14歳の時にU-17でデビューし、1994年までの間に26試合7得点を記録した。U-19では9試合に出場すると、年内にはU-21に選ばれた。ここでは、4年間の間に12試合5得点を記録した。

グズヨンセンは、1996年にアイスランド代表としてA代表デビューをすると、60試合以上に出場し、最多得点となる24得点を叩き出した。2007年10月13日にホームでのラトビア代表戦で2-4と敗北したが、この試合で2ゴールを挙げ、リカルズル・ヨーンソン英語版が保持していた得点記録17を抜いた。

1996年4月24日エストニアタリンで行われたエストニア代表戦に17歳のグジョンセンは、34歳の父アルノール・グジョンセン英語版と交代で出場するという歴史が作られた。その後、試合はアイスランドが3-0で勝利した。この親子による記録は現在も続いている。

父と交代で出場したこの試合が2人が最も近づいた試合だった。しかし、これ以降親子は一緒にプレーすることはなかった。父アルノールが2001年に引退した際に"息子と共にプレーすることが出来なかったのがキャリアで最大の後悔だった"と語った。[30]

FIFAワールドカップに縁は無く、2014 FIFAワールドカップ予選ではプレーオフに進出し、本大会出場に前進、しかしクロアチア代表に敗れ、直後に代表引退を表明した[31]

2015年3月にアイスランド代表に復帰し、3月28日のEURO 2016予選カザフスタン戦では5年半ぶりのゴールを挙げた。

2016年、EURO 2016に出場し、主要国際大会にデビューする[32]

プレースタイル[編集]

空中戦に強く、両足を自在に操る。戦況に応じてFW、MFのポジションをこなすユーティリティ性の高い選手。また、アシスト能力も高くプレミア随一と謳われていた。[33]

タイトル[編集]

クラブ[編集]

PSVアイントホーフェン

チェルシーFC

FCバルセロナ

個人成績[編集]

クラブでの出場記録[編集]

クラブ成績 リーグ カップ リーグ杯 国際大会 通算
シーズン クラブ リーグ 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
ICE リーグ カップ リーグ杯 国際大会 通算
1994 ヴァルル ウルヴァルステイルト 17 7 0 0 17 7
オランダ リーグ KNVB杯 リーグ杯 ヨーロッパ 通算
1995–96 PSV エール 13 3 0 0 13 3
1996–97 0 0 0 0 0 0
ICE リーグ カップ リーグ杯 国際大会 通算
1998 KRレイキャヴィーク ウルヴァルステイルト 6 0 0 0 0 0 0 0 6 0
イングランド リーグ FAカップ FLカップ ヨーロッパ 通算
1998–99 ボルトン チャンピオンシップ 17 5 0 0 1 0 18 5
1999–2000 42 14 5 4 8 3 55 21
2000–01 チェルシー プレミア 30 10 3 3 1 0 2 0 36 13
2001–02 32 14 7 3 5 3 3 3 47 23
2002–03 35 10 5 0 2 0 2 0 44 10
2003–04 26 6 4 2 1 2 10 3 41 13
2004–05 37 12 3 1 6 1 11 2 57 16
2005–06 26 2 3 1 1 0 6 0 36 3
スペイン リーグ 国王杯 リーグ杯 ヨーロッパ 通算
2006–07 バルセロナ プリメーラ 25 5 6 3 9 4 40 12
2007–08 23 2 5 1 - 8 0 36 3
2008–09 24 3 4 1 - 5 0 33 4
フランス リーグ フランス杯 リーグ杯 ヨーロッパ 通算
2009–10 モナコ リーグ・アン 9 0 2 0 0 11 0
イングランド リーグ FAカップ FLカップ ヨーロッパ 通算
2009–10 トッテナム プレミア 11 1 3 1 0 0 14 2
2010–11 ストーク・シティ プレミア 4 0 0 0 1 0 5 0
2010–11 フラム プレミア 10 0 0 0 0 0 10 0
ギリシャ リーグ カップ リーグ杯 ヨーロッパ 通算
2011–12 AEKアテネ スーパー 5 1 0 0 4 0 9 1
通算 アイスランド 36 10 0 0 0 0 0 0 36 10
オランダ 13 3 0 0 0 0 0 0 13 3
イングランド 270 74 33 15 26 9 34 8 363 106
スペイン 72 10 15 5 0 0 22 4 109 19
フランス 9 0 2 0 0 0 0 0 11 0
ギリシャ 5 1 0 0 0 0 4 0 9 1
総通算 405 98 50 20 26 9 60 12 541 139

代表での成績[編集]

出典[34]
チーム 出場 得点
アイスランドの旗 アイスランド 1996 1 0
1997 0 0
1998 0 0
1999 3 1
2000 5 0
2001 7 2
2002 4 3
2003 7 3
2004 7 4
2005 5 3
2006 5 1
2007 5 2
2008 6 3
2009 6 2
2010 2 0
2011 4 0
2012 1 0
2013 10 0
2014 0 0
2015 3 1
2016 7 1
合計 88 26


代表での得点[編集]

スコア欄はアイスランドの得点を左側に記している

脚注[編集]

  1. ^ A Pillar of Strength on a Team in Transition
  2. ^ Six charged after play-off brawl
  3. ^ Gudjohnsen in casino woe
  4. ^ a b グズヨンセンがバルサへ
  5. ^ Gudjohnsen completes Barça move
  6. ^ グジョンセン獲得にウェストハムも名乗り?
  7. ^ グズヨンセン「8月12日にはトップコンディションに」
  8. ^ グズヨンセン「監督は僕を信頼してくれている」
  9. ^ a b グジョンセン、モナコへ
  10. ^ グズヨンセン、カンプ・ノウに未練
  11. ^ a b Tottenham complete Eidur Gudjohnsen loan capture
  12. ^ It’s a Gud deal for Redknapp
  13. ^ Eidur Gudjohnsen shows he's still ice-cool in front of goal after scoring with first touch in Tottenham shirt
  14. ^ Stoke 1–2 Tottenham
  15. ^ Eidur down for Cottage
  16. ^ Eidur Gudjohnsen to sign two-year deal with AEK Athens - report
  17. ^ Gudjohnsen signs 2 year deal with AEK
  18. ^ a b “バルサやチェルシーで活躍したFWグズヨンセン、AEKアテネを1年で退団”. スカパーJSAT. (2012年7月25日). http://soccer.skyperfectv.co.jp/international/1906 2012年9月1日閲覧。 
  19. ^ Gudjohnsen greeted by AEK fans
  20. ^ Guðjohnsen interview
  21. ^ グズヨンセンがAEKへ移籍
  22. ^ Gudjohnsen to miss season
  23. ^ AEKのグズヨンセン、骨折で今季絶望
  24. ^ Former Chelsea striker Eidur Gudjohnsen to join Cercle Brugge in Belgium
  25. ^ Eidur Gudjohnsen voor 1,5 jaar naar Club
  26. ^ ボルトン、グズヨンセンとの契約を正式発表
  27. ^ グズヨンセン、中国移籍が決定
  28. ^ 37歳グズヨンセン、新天地はノルウェー!
  29. ^ 37歳グズヨンセンの新天地はインド…自身10か国目の移籍に!
  30. ^ Arnor feels good as son shines
  31. ^ あと一歩のところで夢破れる・・・35歳グズヨンセンが見せた涙と告白
  32. ^ アイスランドの英雄グジョンセン、37歳で主要国際大会デビュー
  33. ^ 7 エイドゥル・グジョンセン
  34. ^ Guðjohnsen, Eiður”. National-Football-Teams.com. 2016年11月2日閲覧。

外部リンク[編集]