駄科駅
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駄科駅 | |
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駅舎(2009年10月) | |
だしな Dashina | |
◄時又 (1.8 km) (1.4 km) 毛賀► | |
所在地 | 長野県飯田市駄科下平867[1] |
所属事業者 | 東海旅客鉄道(JR東海) |
所属路線 | ■飯田線 |
キロ程 | 121.1 km(豊橋起点) |
電報略号 | タナ[1] |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線[1] |
乗車人員 -統計年度- |
151人/日(降車客含まず) -2018年- |
開業年月日 | 1927年(昭和2年)4月8日[1] |
備考 |
駅員無配置駅[1] 標高:411m[1] |
駄科駅(だしなえき)は、長野県飯田市駄科下平にある、東海旅客鉄道(JR東海)飯田線の駅である[1]。
歴史
[編集]- 1927年(昭和2年)
- 1943年(昭和18年)8月1日:伊那電気鉄道線が飯田線の一部として国有化、鉄道省(後の日本国有鉄道)の駅となる[2]。
- 1971年(昭和46年)12月1日:貨物・荷物扱い廃止(旅客駅化)[3]。
- 1984年(昭和59年)2月24日:飯田線CTC化に伴い、無人駅化[4][5]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、東海旅客鉄道の駅となる[6]。
- 1989年(平成元年)9月19日:交換設備使用停止、後に撤去。
- 1998年(平成10年)5月23日:放火により駅舎全焼[7]。後に犯人は市内在住の高校生と判明、逮捕[8]。
- 1999年(平成11年)2月1日:待合所竣工[1]。
駅構造
[編集]単式ホーム1面1線を有する地上駅[1]。飯田駅管理の無人駅で駅舎は1998年の放火で全焼した。待合所がある[1]。1989年まで相対式ホーム2面2線であったが棒線化された。
利用状況
[編集]1日平均乗車人員は以下の通り。
乗車人員推移 | |
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年度 | 1日平均人数 |
2003 | 197 |
2004 | 190 |
2005 | 198 |
2006 | 194 |
2007 | 190 |
2008 | 189 |
2009 | 160 |
2010 | 154 |
2011 | 144 |
2012 | 160 |
2013 | 139 |
2014 | 149 |
2015 | 150 |
2016 | 151 |
2017 | 157 |
2018 | 151 |
駅周辺
[編集]- 鵞流峡
- 駄科郵便局
- キラヤ竜丘店
- 旭松食品本店、天竜第一工場[1]
- 輝山会記念病院[1]
- 国道151号
- 長野県道237号米川飯田線
- 長野県道247号米川駄科停車場線
隣の駅
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m 信濃毎日新聞社出版部『長野県鉄道全駅 増補改訂版』信濃毎日新聞社、2011年7月24日、219頁。ISBN 9784784071647。
- ^ a b c 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 03号、15頁
- ^ a b 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』 II(初版)、JTB、1998年10月1日、104頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ “「通報」●飯田線船町駅ほか13駅の駅員無配置について(旅客局)”. 鉄道公報 (日本国有鉄道総裁室文書課): p. 1. (1984年2月23日)
- ^ “飯田線 全線CTCへ切替え”. 交通新聞 (交通協力会): p. 1. (1984年2月28日)
- ^ 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 03号、17頁
- ^ 1998年5月24日 信濃毎日新聞 第一社会面
- ^ 1998年5月26日 信濃毎日新聞 第一社会面