菊地直哉
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名前 | ||||||
愛称 | キク | |||||
カタカナ | キクチ ナオヤ | |||||
ラテン文字 | KIKUCHI Naoya | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
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生年月日 | 1984年11月24日(39歳) | |||||
出身地 | 静岡県静岡市清水区 | |||||
身長 | 181cm | |||||
体重 | 77kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム |
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ポジション | MF, DF | |||||
背番号 | 36 | |||||
利き足 | 右 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
2003-2005 2005 2006-2007 2008-2009 2009-2010 2011- |
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34 (1) 15 (1) 45 (4) 20 (0) 45 (0) () | ||||
代表歴2 | ||||||
2010- |
![]() | 1 (0) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。2010年12月15日現在。 2. 2009年12月21日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
菊地直哉(きくち なおや、1984年(昭和59年)11月24日 - )は、静岡県清水市(現:静岡市清水区)出身のプロサッカー選手。Jリーグ・アルビレックス新潟所属。登録ポジションはMFだが、守備的なポジションならどこでもこなせる守備のユーティリティープレイヤー。
来歴
小学1年生からサッカーを始める。各年代の日本代表を経験し、世界大会での活躍はヨーロッパのクラブでも評価された。清水商業高校ではサッカー部に所属。高校卒業時は、オランダのエールディヴィジに所属するフェイエノールトの練習に参加し加入目前までいったが、条件が折り合わず加入することはなかった。
2003年(平成15年)、Jリーグ・ジュビロ磐田に入団。プロ1年目からトップチームでの公式戦に出場し活躍したが、2005年(平成17年)は出場時間が減少したため、出場機会を求めてアルビレックス新潟へレンタル移籍。新潟ではシーズン途中の加入ながらもセンターバックのレギュラーに定着し、中心選手として公式戦17試合に出場、1得点を記録する活躍を見せた。
2006年(平成18年)は前年の新潟での活躍が認められる形で磐田に復帰。磐田復帰後はレギュラーとして公式戦の出場時間を伸ばして行ったが、2007年(平成19年)6月に静岡県青少年環境整備条例違反の疑いで逮捕(起訴猶予処分)され、磐田を即解雇された。日本サッカー協会からは、2007年(平成19年)7月5日より1年間の国内選手登録停止の処分を受けた。
選手登録停止処分中の2007年(平成19年)9月、プレー機会を求め渡独。2008年(平成20年)1月27日、ドイツ・ブンデスリーガ2部(当時)のFCカールツァイス・イェーナと契約し、20試合に出場した。イエーナがブンデスリーガ3部へ降格した2009年(平成21年)もチームに残り、6月までに公式戦18試合に出場した。
国内選手登録停止処分が解けた2009年(平成21年)8月、イエーナからJ2・大分トリニータへ完全移籍。国内リーグでは2年ぶりのプレーとなった。賛否両論のある大分サポーターとは話し合いの場が設けられ、その年度内はコールをしないことに両者が落ち着いた。物議を醸した加入ながら、移籍後すぐに大分の中心選手に定着した。12月21日にはアジアカップ最終予選・イエメン代表戦に向けた若手が中心のA代表に初招集された。
大分には2010年(平成22年)まで在籍し、この年の“大分トリニータ後援会”が投票で選ぶMVPに選出された。また、同年12月18日の練習後に行われた移籍挨拶には、急な開催にもかかわらず約300名ものサポーターが集まり、菊地の移籍を惜しんだ。
2011年(平成23年)より、アルビレックス新潟へ完全移籍。2005年(平成17年)以来6年ぶりの新潟復帰となったが、初スタメン出場を果たしたJ1リーグ第8節・セレッソ大阪戦で負傷退場。病院で検査を行った結果、全治2か月の左ひざ内側側副じん帯損傷と診断された[1]。復帰後はチーム状況に応じてセンターバックとボランチのポジションに起用されている。2012年はチームの副将を務める。
エピソード
- チームメートからの愛称の1つに、髪が逆立ちやすいことを理由に付いた「ウニ」というものがある。
- アルビレックス新潟に期限付き移籍中の2005年(平成17年)第26節川崎フロンターレ戦において、ゴールキーパーの野澤洋輔がレッドカードにより一発退場した時、既に交代枠を使い切っていたため、一度だけゴールキーパーをつとめた。
- 大分トリニータ在籍時代から、ホームスタジアムに「菊地直哉シート」を設置している。これは新潟移籍後も継続している。
所属クラブ
- ユース経歴
- プロ経歴
- 2003年 - 2007年6月
ジュビロ磐田
- 2008年 - 2009年6月
FCカールツァイス・イェーナ
- 2009年8月 - 2010年
大分トリニータ
- 2011年 - 現 在
アルビレックス新潟
個人成績
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国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2000 | 清水商高 | - | - | - | 1 | 1 | 1 | 1 | |||
2003 | 磐田 | 27 | J1 | 7 | 0 | 2 | 0 | 3 | 0 | 12 | 0 |
2004 | 18 | 1 | 5 | 0 | 5 | 0 | 28 | 1 | |||
2005 | 9 | 0 | 1 | 1 | - | 10 | 1 | ||||
新潟 | 36 | 15 | 1 | - | 2 | 0 | 17 | 1 | |||
2006 | 磐田 | 8 | 32 | 3 | 8 | 0 | 3 | 0 | 43 | 3 | |
2007 | 13 | 1 | 4 | 0 | - | 17 | 1 | ||||
ドイツ | リーグ戦 | リーグ杯 | DFBポカール | 期間通算 | |||||||
2007-08 | イェーナ | 29 | ブンデス2部 | 3 | 0 | - | 1 | 0 | 4 | 0 | |
2008-09 | 27 | ブンデス3部 | 17 | 0 | - | 1 | 0 | 18 | 0 | ||
日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2009 | 大分 | 36 | J1 | 10 | 0 | - | 2 | 0 | 12 | 0 | |
2010 | J2 | 35 | 0 | - | 1 | 0 | 36 | 0 | |||
2011 | 新潟 | J1 | 23 | 0 | 3 | 1 | 2 | 0 | 28 | 1 | |
2012 | |||||||||||
通算 | 日本 | J1 | 127 | 6 | 23 | 2 | 17 | 0 | 167 | 8 | |
日本 | J2 | 35 | 0 | - | 1 | 0 | 36 | 0 | |||
日本 | 他 | - | - | 1 | 1 | 1 | 1 | ||||
ドイツ | ブンデス2部 | 3 | 0 | - | 1 | 0 | 4 | 0 | |||
ドイツ | ブンデス3部 | 17 | 0 | - | 1 | 0 | 18 | 0 | |||
総通算 | 182 | 6 | 23 | 2 | 21 | 1 | 226 | 9 |
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国際大会個人成績 | ||||
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年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | |||
2004 | 磐田 | 27 | 2 | 0 |
2005 | 4 | 0 | ||
通算 | AFC | 6 | 0 |
- 強化指定選手としての公式戦出場はなし
経歴
- Jリーグ初出場: 2003年8月16日 J1 2nd第1節 vs浦和レッドダイヤモンズ (埼玉スタジアム2002)
- Jリーグ初得点: 2004年9月26日 J1 2nd第7節 vsヴィッセル神戸 (神戸ウイングスタジアム)
代表歴
- U-16〜U-20 日本代表
- アテネオリンピック 日本代表
- AFCアジアカップ2011予選 日本代表
出場大会
- 2000年(平成12年) U-17アジアユース
- 2001年(平成13年) U-17世界選手権
- 2002年(平成14年) U-20アジアユース 準優勝
- 2003年(平成15年) ワールドユース
- 2004年(平成16年) アテネオリンピック
出典
- ^ 菊地 直哉選手の負傷について アルビレックス新潟公式サイト 2011年5月4日配信。