矢吹町
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やぶきまち ![]() 矢吹町 | |
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国 |
![]() |
地方 | 東北地方 |
都道府県 | 福島県 |
郡 | 西白河郡 |
市町村コード | 07466-7 |
法人番号 | 1000020074667 |
面積 |
60.40km2 |
総人口 |
16,939人 [編集] (推計人口、2024年5月1日) |
人口密度 | 280人/km2 |
隣接自治体 |
白河市、中島村、泉崎村、 天栄村、鏡石町、玉川村、 石川町 |
町の木 | 赤松 |
町の花 | 春蘭 |
矢吹町役場 | |
町長 | 蛭田泰昭 |
所在地 |
〒969-0236 福島県西白河郡矢吹町一本木101 ![]() |
外部リンク | 矢吹町 |
ウィキプロジェクト |
日本三大開拓地の一地区である。
地理
隣接している自治体
地名の由来
- 康平年間(1058年 - 1065年)八幡太郎義家が後三年の役に勝利し帰陣の折、この地に八幡の社を建立し、矢柄をもって屋根を葺いた事から由来すると記され、古記録には「屋葺」と称された。この矢吹神社から、後に矢吹村となった。
- この事から、「矢葺姓・矢吹姓」の発祥の地とも言われる。
- 陸奥石川氏の二代、石川有光の弟である源之丞が矢吹を名乗り、拠点の城を築き、奥州仕置にて主家の石川氏に伴いこの地を離れるまでの約五百年間を治めた。
- 貞治六年(1367年)、将軍足利義詮の発した感状の中に、「行方野(ゆきかたの)」という記述がある。その昔、行方野と呼ばれた荒れ野が、矢吹ヶ原と呼ばれるようになったのは、明治中期に岩瀬御料地に岩瀬御猟場が開設されてからのことで、その中心にあった矢吹村から命名されたと言われています。(矢吹町勢要覧より引用)
歴史
- 古くは、奥州街道と水戸街道の追分地点であり、現在にも続く交通の要点である。(矢吹宿・中畑新田宿・大和久宿・中畑宿を含む)
- 太平洋戦争末期、矢吹ヶ原陸軍飛行場があり、多くの青年が飛び立ち若い命を落とした。またアメリカ軍による飛行場と周辺への爆撃もあった。出征戦死者名が町内の竹駒稲荷神社の社の側面に残されている。
- 天栄村の羽鳥ダム建設の際には日本中から工夫が集まり、町内は大変賑わい映画館なども存在した。
年表
- 1887年(明治20年)7月16日 - 矢吹駅が開業。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 西白河郡 矢吹村・中畑村・三神村が誕生。
- 1902年(明治35年)12月26日 - 矢吹村が、矢吹町に。(明治36年12月1日町制施行)
- 1951年(昭和26年)4月1日 - 西白河郡三神村の一部を矢吹町へ編入。
- 1955年(昭和30年)3月31日 - 矢吹町・中畑村・三神村と岩瀬郡広戸村柿の内・高林村の各一部が合併し、現在の矢吹町誕生。
- 1973年(昭和48年)11月26日 - 矢吹インターチェンジが供用開始。
- 2001年(平成13年)3月27日 - あぶくま高原道路の矢吹IC-玉川IC間が開通。
行政区域変遷
- 変遷の年表
矢吹町町域の変遷(年表) | ||
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年 | 月日 | 現矢吹町町域に関連する行政区域変遷 |
1889年(明治22年) | 4月1日 | 町村制施行により、以下の村がそれぞれ発足。[1][2] |
1902年(明治35年) | 12月1日 | 矢吹村は町制施行し矢吹町になる。 |
1953年(昭和28年) |
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1954年(昭和29年) | 矢吹町の一部(中畑新田の一部)は中畑村に編入。 | |
1955年(昭和30年) | 3月31日 | 矢吹町・中畑村・三神村と広戸村の一部(柿之内・高林の各一部)が合併し矢吹町が発足。 |
- 変遷表
矢吹町町域の変遷表(※細かな境界の変遷は省略) | ||||||||
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1868年 以前 |
明治元年 - 明治22年 | 明治22年 4月1日 |
明治22年 - 昭和64年 | 平成元年 - 現在 | 現在 | |||
白河郡 (西白河郡) |
矢吹村 | 明治9年 矢吹村 |
矢吹村 | 明治36年12月1日 町制 |
昭和30年3月31日 矢吹町 |
矢吹町 | 矢吹町 | |
矢吹新田村 | ||||||||
中畑新田村 | ||||||||
大和久村 | ||||||||
三城目村 | 明治9年 三城目村 |
三神村 | 三神村 | |||||
三城目新田村 | ||||||||
須乗村 | 明治9年 須乗村 | |||||||
須乗新田村 | ||||||||
神田村 | ||||||||
堤村 | ||||||||
中野目村 | ||||||||
明岡村 | 明治19年 明新村 | |||||||
明岡新田村 | ||||||||
中畑村 | 中畑村 | 中畑村 | ||||||
大畑村 | ||||||||
松倉村 | ||||||||
岩瀬郡 | 柿之内村の一部 | 広戸村 の一部 |
広戸村の一部 | |||||
高林村の一部 |
統計データ
現在の町勢
- 総人口 - 18,735人(2005年)
- 世帯数 - 5,766世帯(2005年)
- 年少(15歳未満)人口率 - 14.1%(2005年)
- 高齢(65歳以上)人口率 - 22.1%(2005年)
- 昼間人口 - 18,918人(2005年)
- 労働力人口 - 10,226人(2000年)
- 第1次産業就業者数 - 1,413人(2000年)
- 第2次産業就業者数 - 3,968人(2000年)
- 第3次産業就業者数 - 4,345人(2000年)
- 農業産出額 - 5,280百万円(2004年)
- 製造品出荷額等 - 53,967百万円(2004年)
- 商業年間商品販売額 - 24,672百万円(2003年)
人口
矢吹町(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
行政
歴代町長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 |
初代 | 野木忠房 | 1955年(昭和30年)4月30日 | 1963年(昭和38年)3月31日 |
2代 | 大木代吉 | 1963年(昭和38年)4月30日 | 1971年(昭和46年)4月29日 |
3代 | 仲西藤次 | 1971年(昭和46年)4月30日 | 1982年(昭和57年)8月30日 |
4代 | 市島政秋 | 1982年(昭和57年)10月17日 | 1986年(昭和61年)10月16日 |
5代 | 白坂武男 | 1986年(昭和61年)10月17日 | 1994年(平成6年)10月16日 |
6代 | 三村博昭 | 1994年(平成6年)10月17日 | 1998年(平成10年)10月16日 |
7代 | 幕田耕郎 | 1998年(平成10年)10月17日 | 2003年(平成15年)12月15日 |
8代 | 野崎吉郎 | 2004年(平成16年)1月11日 | 現職 |
経済
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姉妹都市・提携都市
地域
教育
高等学校
中学校
小学校
- 矢吹町立矢吹小学校
- 矢吹町立善郷小学校
- 矢吹町立中畑小学校
- 矢吹町立三神小学校
学校教育以外の施設
交通
空港
鉄道
※ 東北新幹線の新白河駅まで東北本線で18分程、新幹線乗換えし東京まで1時間30分程度* 東日本旅客鉄道(JR東日本)
路線バス
- 大信地域自主運行バス(矢吹駅~白河市大信地域)
道路
出身有名人
- 中畑清(横浜DeNAベイスターズ監督・名誉町民)
- 中畑清杯争奪ソフトボール大会・中畑清杯争奪女子ソフトボール大会:氏の名前を冠したイベント。
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
- あゆり温泉(アルカリ性単純温泉)と、温水プール施設
- あゆり公園(大池公園)町内外から散策者が訪れる憩いの場。
- 町内外に多数の古墳・遺跡・遺構を擁する。
- 鬼穴古墳群・弘法山古墳群・谷中古墳群・下荒具古墳群 など。
- 滝八幡三十三観音磨崖仏群・水戸街道常夜燈・寺内阿弥陀堂供養塔・明新供養塔(石川坂路氏)など。
- 袖ケ城跡(石川矢吹氏)・国神城跡・観音山館跡(石川中畠氏)・三城目城跡など。
矢吹町には、ここ近年、年間3万人もの外国人観光客が訪れている。そのほとんどは、福島空港から来日した韓国人ゴルフ客である。[3]
矢吹町内の主な商業施設
矢吹町内の大手外食チェーン店
地域医療
宿泊施設
- ホテルニュー日活
- 矢吹ステーションホテル
インターネット・ブロードバンド環境
矢吹町のブロードバンド環境は主に町を中心(光回線同様)に拡大しつつある。
中畑地区は中島村と回線共有しているエリアがあり、現状はADSL回線に限定されている。
未整備でISDN回線だった三神地区も、地域住民と町による徹底した働きかけにより説明会が開かれ、後に一定数の仮申込み件数を満たすことが出来た為、2008年9月1日より光回線が建物内への引込み線工事が始まり、Bフレッツ利用可能状態となった。
三神地区の玉川村境界付近ではイーモバイルの通信エリア内となっている。
関連項目
参考文献
- 総務省統計局『統計で見る市区町村のすがた2007』2007年