沢田泰司
沢田 泰司 | |
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出生名 | 沢田 泰司(さわだ たいじ) |
別名 |
TAIJI 沢田大司 |
生誕 | 1966年7月12日 |
出身地 | 日本, 千葉県市川市 |
死没 |
2011年7月17日(45歳没) 北マリアナ諸島, サイパン島 |
ジャンル |
ハードロック ヘヴィメタル |
職業 |
ギタリスト ベーシスト 作曲家 アレンジャー |
担当楽器 |
ベースギター ギター |
共同作業者 |
X LOUDNESS 旧D.T.R(Dirty Trash Road) 新D.T.R(Death to Rive) Kings Cloud Nine 音風 THE KILLING RED ADDICTION TAIJI with HEAVEN'S TSP |
公式サイト | TAIJI Official Twitter |
沢田 泰司(さわだ たいじ、1966年7月12日 - 2011年7月17日)は、千葉県市川市出身のミュージシャン。血液型はA型。通称はTAIJI。X(現・X JAPAN)を経てLOUDNESSやD.T.Rなどで活動した。
概要
元X〜LOUDNESS〜D.T.R〜Cloud Nine〜THE KILLING RED ADDICTION、TAIJI with HEAVEN'S、TSP のベーシスト・ギタリスト・アレンジャー・作曲家。
「呪文降臨〜マジカル・フォース」などを唄うSister MAYOは実妹である。
ベースのみならずギターもプレイし、X在籍時からアコースティックギターによる楽曲も数多く残している。活動の詳細は後述する。
芸名については「Ray」(ディメンシア)、「TAIJI」(X、Cloud Nine)、「沢田泰司」(LOUDNESS加入以降)、「沢田大司(読みは本名と同じ)」。D.T.Rの2ndアルバムの製作中に自身の長女、長男の姓名判断を依頼したところ『まずは貴方が改名なさい』と言われたため[要出典]「泰司」を「大司」と改めた。晩年は基本的にX時代の「TAIJI」または本名である「沢田泰司」を使用していた。
結婚歴があり、Xメジャーデビュー時に結婚。前述の長女と長男をもうけたが、後に離婚した。
ファンクラブは「ガソリン・カウボーイ」。元々は沢田の個人ファンクラブだったが、後にD.T.Rのファンクラブとしても活動し始めた。現在は解散。
来歴
- 1966年7月12日、千葉県市川市に生まれる。兄と妹が一人ずつおり、妹は前述の通り歌手のSister MAYOとして活動している。2歳の時、親が経営する工場の機械に手を突っ込み、右手中指の第一関節から上を切断した。
- 1974年、小学2年生でアコースティックギターをプレイし始め、3ヶ月後のクラス会で初ステージ。曲は「禁じられた遊び」(正確には映画「禁じられた遊び」のテーマソング「愛のロマンス」)」だった。
- 1978年-、中学生になると家庭の事情(両親が離婚し母親が再婚した)から非行に走る。本人曰く「中学3年までにケンカ、バイク、シンナー、女の類は全部やった」とのこと。初めて買ったレコードはジョン・デンバーの『スウイート・サレンダー』と自称していたが、実際は西城秀樹の『薔薇の鎖』であるとのこと。
- 1982年、千葉明徳高等学校に進学して、エレクトリックギターを始めロックにのめり込むようになる。同時にバンドも組み、アイアン・メイデンやレインボー、ディープ・パープル、キッス、モーターヘッド、LOUDNESS、子供ばんどなどのコピーにいそしむ。プロのミュージシャンになるため僅か一年で中退。この時、「トラッシュ」というバンドを結成(当時はギタリスト)。沢田の作ったオリジナル曲でコンテストを勝ち抜いた。またベスト・ギタリスト賞も受賞。
- 1985年、友人のバンド「ディメンシア」でベースをプレイしたことがきっかけで、ベーシストへ転向。ディメンシア時代はRayという名を名乗っていた。その後、ディメンシア脱退後は「プローラー」に加入するも、リーダーのセイブン (Vo)と反りが合わずライブを一度も行うことなく脱退。また家も勘当され、一時期渋谷のラブホテルで住み込みのアルバイトをして暮らしていた。Xのメジャーデビュー後、両親をライブに招待し、和解した。
- 1986年、いくつかのバンドを渡り歩いた後にXへと正式加入。当時沢田はXの音楽性が自分に合わず加入するつもりはなかったが、YOSHIKIの熱心な誘いを受けるうちに「この人となら音楽以外の何かでもできそうだ」と感じ、沢田の推薦するギタリストと交代させることを条件にXに加入することになったと語っている[1]。その後一度脱退しているが、また戻ってきている。この時のXは、インディーズの頃からメンバーに課せられる出費が大きく、とてもアルバイトでは追い付かなくなり、身の回りの物を売り払ってまで費用を用意していた。ひどい時は電気を止められ、食べる物を買うお金さえなく、コンビニエンスストアでパンを盗んで飢えをしのいでいたという。
- 1989年、Xメジャーデビュー。
- 1990年に山羊智詞&赤羽楽団に参加。
- 1991年頃からスタジオミュージシャンとしての契約になる。
- 1992年1月31日、X脱退(実質的には解雇)。ラストステージは1月7日の東京ドーム3days。Xからの公式な発表では音楽性とファッションの違いとされていたが、沢田自身は自伝の中で「自分がバンド内での収入格差に文句を言ったのとYOSHIKIのドラムプレイに対して平気でダメ出しをする様になり、彼との間に軋轢が生じたからではないか」と述べている。また、YOSHIKIは自伝「佳樹」の中で「TAIJIのベースはXに必要だったが、TAIJIが自分との約束をいとも簡単に破ったこと」を原因として挙げている。
- 1992年4月頃、親交のあったLOUDNESSに前任ベーシスト山下昌良の推薦で加入。芸名をTAIJIから本名の沢田泰司に改める。
- 1993年11月、LOUDNESS脱退。この年LOUDNESSは契約上のトラブルで解散状態になっていた。その後リーダーの樋口宗孝よりLOUDNESS再始動の呼びかけがあったものの、解散状態であった時期にLOUDNESSの活動を諦め、ソロアルバムの制作(後のD.T.R)を決めていたためにタイミング的に再集結を辞退し、脱退せざるを得なかった。再始動を呼び掛けたリーダーの樋口自身もその直後に脱退。以後高崎以外のオリジナルメンバーを全て失ったLOUDNESSは2000年のオリジナルメンバー復活まで『高崎晃プロジェクト』に近い形で活動を行うことになる。
- 1994年7月、自身がリーダーを務めるDirty Trash Roadを結成。バンドと同名のアルバム「Dirty Trash Road」とそのアレンジ違いの「Dirty Trash Road〜Acoustic」を二枚同時発売する。
- 1995年、芸名を本名から沢田大司に改名、またバンド名の略称であったD.T.Rを正式な名称とした。D.T.Rの2ndアルバム「Daring Tribal Roar」をリリース。またNIGHT HAWKSの青木秀一の呼びかけで聖飢魔IIのSgt.Luke篁III世参謀(現:CANTAのルーク篁)、44MAGNUM〜ZIGGYの宮脇“JOE”知史らと共にKingsを結成。アルバムをリリースする。
- 1996年頃、D.T.R事実上の活動休止。ほぼ同時期に経済的な理由で妻とは離婚。以降約2年に渡って放浪生活を送る。この頃は倉庫などに寝泊りしており、喧嘩で前歯を折られるなどの被害に遭う。
- 1998年5月、HIDEの葬儀に出席し、久々に旧友たちと再会を果たす。その後、彼らの支援によって活動を再開する。この頃に芸名を本名の沢田泰司に再び戻す。やがてCloud Nineを結成するも、Cloud Nineでは出来ないアコースティックな音楽も志向しているという理由で間もなく脱退した。(しかし、メンバーとは良好な関係を続けていた。)その後音風を結成してギターとベース・ギターを兼任で在籍。音風には、ボーカリストとして実妹のMASAYOも在籍。
- 2005年、バイク事故を起こし足の靭帯を切断するほどの大怪我を負う。手術費用工面のため、自身のベースをインターネットオークションに出品。
- 2006年、1月8日にMASAYOの脱退が音風公式サイトで発表された。また、同年7月30日より再びD.T.Rの活動を再開、個人としては初となるオフィシャルサイトがオープン。そして、シルバーアクセサリーブランド「DTROCKERS」を立ち上げる。
- 2007年6月13日、HOLIDAY SHINJUKUにて開催された元COLORのMARRYの追悼GIG「6.14 Memorial LIVE TOKYO」にゲスト出演。RAPESの新谷の呼びかけによるものであることをブログで明かしている。ステージで「何故ここに来たかと言うとMARRYは友達だから。MARRYの事が好きだから」とMCをした。
- 2007年10月、Cloud Nineより、ベーシストのMARUが脱退したため、Cloud Nineに期間限定で電撃復帰。期間限定とはいつまでなのかは詳しいリリースがなく、定かではなかった。その後、D.T.Rについての更新も途絶えた。
- 2008年7月公開の映画「attitude」で音楽監督を務める。自身のブログでは大仁田厚へ楽曲提供を行うことも発表された。
- 2008年9月、持病のてんかん・脳梗塞が悪化、左足大腿骨頭壊死による人工股関節が外れ緊急手術。歩行困難となり、12月2日に転倒事故で胸と喉を強打し入院したことが自身のブログで(スタッフによって)明らかにされた。
- 2009年7月、80年代に「東のX、西のCOLOR」として一世を風靡した、元COLORのボーカリストダイナマイト・トミーらとともにバンド「The Killing Red Addiction(TKRA)」を結成。ロサンゼルスのWhisky A GoGoという、ロックバンドの聖地的なライブハウスでお披露目ライブを開催した。
- 2009年11月、2007年以降活動が停滞していたD.T.R(Dirty Trash Road、以下旧D.T.R)の解散を発表。理由は沢田によると「スタッフのD.T.R収益の横領による精神的ダメージ」であるとしている。この件について沢田によれば「D.T.R関連の一切の利益がスタッフにのみ渡っており、メンバーには一円も還元されていない」という。また、メンバー間の音楽的な相違が見られたことも関係していると語られた。同時に、沢田と黒田により同名のバンド「D.T.R」(以下新D.T.R)の結成が発表された。新D.T.Rは「Death to Rive」の略と説明されている。旧D.T.Rのメンバーは沢田と黒田を除き、現時点では不参加。それ以外のメンバーとスタッフを公募していた。
- 2010年1月、自身のバンドであるTAIJI with HEAVEN'Sを本格始動。TAIJI with HEAVEN'S名義でファーストミニアルバムをリリース。
- 2010年4月、クラウド・ナインのShu、TAIJI with HEAVENSのDAI、CRAZY QUARTER MILEのHINAとともに3バンドの合体プロジェクト「TS PROJECT(TSP)」を始動。ボーカルは10月にDAIからC.O.R.Eの丸木“TAZZ”忠大に変更。TSPは活動開始以降精力的にライブ活動を行なっていた。
- 2010年7月、8月14,15日に日産スタジアムで開催される「X JAPAN WORLD TOUR Live in YOKOHAMA 超強行突破 七転八起 〜世界に向かって〜」に緊急参戦が決定したとメディアで報道された。報道通り沢田は14日15日の両日に当時と同じTAIJI名義にてXを演奏し、1992年の東京ドーム3days,「破滅に向かって」以来約18年ぶりに旧友であるX JAPANのメンバーと共演。ライヴ後のインタビューでYOSHIKIは「またTAIJIに来てもらう事もあるかも」という発言をしていたが、2011年7月17日に沢田が他界してしまった為、これが最後の共演となった。
- 2011年2月、TSPの初音源『Rest In Peace』をWe Rock誌の付録として発表。
- 2011年7月11日、成田からサイパン島に向かう航空機内で乗務員に暴行、窓や座席をたたいたり蹴ったりしたとして逮捕された。拘束中にベッドのシーツで首を吊って自殺を図り、病院の集中治療室で治療を受けていたが、意識不明になっていることが同月15日に報じられ[2]、同月16日に脳死状態に陥った事から、婚約者と家族が現地入りし対面した後、家族の同意を得て人工呼吸器など延命機器が外され、同月17日に死亡した。45歳没[3][4]。なお、7月17日に放送予定であったTBS系『クイズ☆タレント名鑑』は出演シーンをカットされて放送された[5]。沢田の死について、X JAPANのメンバー5人(PATA、ToshI、SUGIZO、YOSHIKI、HEATH)[6]、LOUDNESSから3人(高崎晃、二井原実、山下昌良)[7][8]、TSP(SHU、TAZZ、HINA)から3人[9]、D.T.Rから5人(竹内光雄、藤本泰司、黒田朋幸、高橋ロジャー和久、清水賢治)[10][11][12][13][14]それぞれ沢田と共に活動したバンドメンバーらが追悼のコメントを発表した。
参加作品
- Live!(1985年7月/DEMENTIA)
- Skull Thrash Zone(1987年2月/オムニバス)
- Vanishing Vision(1988年4月/X)
- The Innergates(1989年/個人参加)
- BLUE BLOOD(1989年4月/X)
- Jealousy(1991年7月/X)
- LOUDNESS(1992年6月/LOUDNESS)
- Once And For All(1994年/LOUDNESS)
- Dirty Trashroad(1994年7月/D.T.R)
- Dirty Trashroad Acoustic(1994年7月/D.T.R)
- Daring Tribal Roar(1995年5月/D.T.R)
- Kings(1995年11月/Kings - 青木秀一、Sgt.ルーク篁III世参謀、宮脇“JOE”知史とのプロジェクト)
- Drive To Revolution(1996年8月/D.T.R)
- Cozy Powell Forever(1998年9月/トリビュート)
- 1st Demonstration(2001年2月/Cloud Nine)
- 音風(2004年/音風)
- Wisdom/Lucifer(2007年8月/D.T.R)
- HarD'N'HeavY RELIGION 2(We ROCK Vol.3 付録オムニバス)(2008年3月/Cloud Nine)
- Attitude Original Sound Track(2008年7月/オリジナルサウンドトラック)
- Taiji with Heaven's (2010年2月/Taiji with Heaven's)
プレイスタイル
ベーシストとして
- キャリアのほとんどのバンドがいわゆる「ヘヴィメタル」や「ハードロック」と呼ばれるような音楽であるが、ベースプレイにおいては固定観念に縛られない幅広いアプローチを得意とする。また沢田はバンドの支えであるベースが乱れていてはバンド自体が成り立たないということで、自分は誰よりも練習していたと語っている。
- テクニックとしては、ピックで弾くピック弾き、人差し指と中指の2本で弾くアポヤンド奏法(ツーフィンガー・ピッキングとも。ただし、人差し指と中指を用いる一般的なやり方ではなく、沢田は人差し指と薬指の2本を使うという変則的なスタイル。これは幼少時に負った怪我が原因だとロッキンf上で本人が語っている)、右手の親指で弦を叩くように弾くスラップ奏法(チョッパー)が中心。ベースソロには速弾き、ライトハンドまたは両手タッピング(ボスハンド奏法)、スラップをふんだんに使ったテクニカルなソロを展開している。
- 楽器としては最も一般的な4弦エレキベースを中心に、5弦ベースやフレットレスベース、更にはベースとギターのダブルネックも使う。
- 彼のプレイスタイルをLOUDNESSの樋口宗孝は、即興で叩いたドラミングに合わせて沢田が弾いたベースフレーズを絶賛したり、また、樋口がLOUDNESSを脱退した直後にも沢田に「泰司とはフリーでもいいからすぐに音を出したい」と声を掛けたりしていたそうで、滅多にミュージシャンを褒めないことで有名な樋口にとってもかなりお気に入りのベーシストであるらしい。また、ふとしたことから沢田とステージに立つ機会があったセッションドラマーのそうる透にも「光っているベーシストに今まで何人も会ったけど、泰司は僕の探しているドラゴンボールの1つのようなベーシストだ」と絶賛されている。またソロアルバムのレコーディングでベースを弾いているHIDEも「結構ね、影響されてるベーシストってTAIJIだったりするんですよね。あの人はもともとギタリストだったから、かゆいところに手が届くフレーズを弾いたりするんですよ。それにすごい影響されてるかな?」とコメントを残している。
- X在籍時には、ライトハンドタッピングやスラップ奏法(チョッパー)によるベースソロを導入したり、アルペジオによって独特の演出を施したりしている。
- また、「Jealousy」レコーディングで、LAに渡ったことも一つの転機を生んでおり、渡米(レコーディング)前は「ビリー・シーンかマノウォーかTAIJIかと言わせる」とテクニカルの追求を思わせる発言をしていたが、「Jealousy」では「Desperate Angel」に代表されるような曲全体のノリやウネリを重視したベースプレイに重点が置かれ、帰国後ロッキンfを始め様々なインタビューにおいて「グルーヴ」という単語を連発している。また、「Jealousy」のバンドスコア中においても、好きなベーシスト、ベーシストに勧める楽曲、共に今まで余り言及しなかったダフ・マッケイガンの名を挙げている。
- LOUDNESS在籍時には、ギターとのユニゾンプレイによる重厚なアンサンブルを作り出すことに徹底している。高崎晃との高速リフにおけるユニゾンはもちろん、「ジャック・オフ・ビブラート」と呼ばれるテクニックまで揃える。そして各所で盛り込まれる流麗なフレーズや、山下昌良時代のLOUDNESSには見られなかったスラップ奏法によるベースソロをフィーチャーしている。
- D.T.R在籍時には、あえて音数を少なくして贅肉を削ぎ落とすことで、アンサンブルの中でより存在感の際だつラインが増える。またベースソロと呼べるような場面も少なくなっており、派手さはないもののどっしりとした貫禄すら感じさせるスタイルになっている。
- Cloud Nine在籍時には、ベースのチューニングを極端に下げた超低音を繰り出すサウンドで、音数を減らしてうねりを出しつつも、要所要所で高速ユニゾンやスラップ奏法も取り入れるなど、エクストリーム・ヘヴィ・ミュージックの固定観念にとらわれないオリジナリティ溢れるスタイルだった。
- 音風では、他にベーシストが在籍していたこともあって沢田本人がベースをプレイする機会は少なかった。が、ライヴでは沢田がベースソロをやるための時間が設けられており、時にはエフェクターを多用したテクニカルなベースソロを披露した。
ギタリストとして
- X〜D.T.R在籍時には、ベーシストでありながら同時にアコースティックギターをプレイする機会も多かった。アマチュア時代には元々ギタリストとしてスタートしていることもあって、その技術力は高い。特徴としては、ピッキングする際の右手の位置を、ギターのブリッジに近い所へ固定して弦をはじくというもので、これによって通常よりも輪郭のはっきりとした、アタック感の強い音を出している。
- X在籍時の楽曲「VOICELESS SCREAMING」(JEALOUSY収録)はギターを沢田自らがプレイしているが、その楽曲はギター担当のHIDEが「難しくて弾けない」と言っている。
- LOUDNESS加入時にギターの腕を披露する機会が有り、その実力に高崎晃をも唸らせたという。またHIDEはソロデビュー曲「Eyes Love You」のギターソロのタッピングは「TAIJIに教えてもらった」と語っている。
- 音風では、アコースティックギターのみならずエレクトリックギターもプレイしている。
作風
- バンドサウンドにおける作風は、X在籍時はベーシックなハードロックに、起伏のあるドラマチックな展開を持たせて仕上げているものが多い。特に前期3枚のアルバムにおけるアレンジメントは、ギタリストであるHIDEと沢田との共同作業で行われていることもあって、実に幅が広く緻密で、Xというバンドの持つ音楽的中核を担うものとなっている。
- D.T.R在籍時は、よりラフで隙間の多い'70年代的なバンドサウンドを標榜しつつ、演奏力やアレンジでは同時代的のものを聴かせるという、ある意味でモダンな作風だった。特にギタリストである藤本泰司とのコンビネーションによって生み出される楽曲はまさに、国籍・年代不明のものであった。
- アコースティックサウンドにおける作風は、X〜D.T.Rの頃まで、展開が多く曲時間も長い、いわゆる大作と呼べるものが多い。一方でギター1本でやる短編的なインストゥルメンタルナンバーや、弾き語り的な作風の曲もある。
- 音風では、キーボードをふんだんにフィーチャーし、なおかつ女性ヴォーカルであることもあって、非常に聴きやすいキャッチーな作風となっている。ジャンル分けするとすれば元気の良いロックンロールや沢田お得意のアコースティックギターによるバラードということになるだろう。幾多の困難を乗り越えた末にたどり着いたバンドということもあり、全く力みも見られず、自然体で音楽を作り出していることがよく伝わって来るものとなっている。特にアコースティックギターによる楽曲は、沢田自身が放浪生活を送っていた頃に生み出されたアイディアが基になっているものもあり、これまで以上に沢田の内面をストレートに表現している。
使用機材
使用ベース・ギター
ブランド | モデル | |
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キラー | KB-CRIMINAL "クリミナル" | X時代から現在に至るまで七色に光るフェニックスが特徴の沢田が愛用しているベース。「ブレイスホール」と呼ばれる7つのダクトが通っており、これによって高音と中音のミックスがよくなるという。なお、シグネイチャーモデルには当初は本人仕様の証として出荷前に沢田本人が手にとった上でヘッド裏にサインを記していたが、1995年からインレタ塗装による印刷となっている。ピックアップはセイモア・ダンカンがマウントされている。 |
キラー | KB-CRIMINAL twinJB "クリミナルベース・ツインJB" | D.T.R時代からのメインベース。クリミナルの2号機で特徴としてはジャズベース用のシングルのリアピックアップが2つ搭載され、ハムバッカーとなっておりボリュームノブをプルするとリアピックアップがタップされシングルコイルになる。当初はセイモア・ダンカンをマウントされていたが、2006年にはEMGを搭載、リアは1シングルになった。スラップがやり易いようにピックガードを取り付けたり、指弾きがやり易いようにフィンガーレストを取り付けている。 |
キラー | KB-CRIMINAL camouflage "クリミナル・カムフラージュ" | LOUDNESS時代に一時期使用していたベース。クリミナルの迷彩バージョン。最初はフレッテッドであったが、後にフレットレスに改造してある。 |
キラー | KB-CRIMINAL Pro "クリミナル・プロ" | 音風時代にきたクリミナルのマイナーチェンジバージョンで2010年現在のメインベース。主な違いはこれまでのクリミナルはパッシブ・タイプのピックアップだが、ベース本体にプリ・アンプを内蔵させており、アクティブ・タイプのピックアップになっている。カラーリングはフェニックスとD.T.Rの再開に伴って沢田の元へ届けられた3トーンサンバーストカラーがある。ピックアップについては最初セイモア・ダンカンとディマジオだったが沢田のCLOUD NINE復帰時にはレース・センサーにチェンジ。現在はEMGになっている。 |
キラー | KB-DESPERADO "デスペラード" | X時代中期とクラウド・ナインにおいて使われていたベース。ギブソンのレスポールと同じ構造らしい。D.T.R時にはレコーディングにも使用されていた。歪んだ荒々しいサウンドが特徴。 |
キラー | KB-IMPULSS proto type "インパルス・プロトタイプ" | 沢田がキラーギターズのベースを使い始めたころに使われていたベース。カラーはパープルで当初の頃に使用されていたインパルスとは若干形状が異なる。 |
キラー | KB-IMPULSS "インパルス" | X時代初期〜中期に愛用していたベース。2タイプあり、24フレット(パープル)と26フレット(レッド)がある。ミディアムスケールでテクニカルなプレイをサポートしている。なお、26フレットの方は「ROSE OF PAIN」中盤のライトハンドをするために通常のモデルでは困難と判断した沢田がキラーに作らせている。 |
キラー | KB-IMPULSS Black Rose "インパルス・ブラックローズ" | X時代初期に愛用されていたベース。こちらはショートスケールとなっている。通常スケールが短くなると音の質が落ちると言われているが、それでも沢田がこのベースを使用しつづけたのは弾きやすかったからだとされている。 |
キラー | KB-VULTURE FRETLESS "ヴォルチャー" | Dir en greyのToshiyaモデルとして有名だが、キラーのラインナップに加えられたのは1995年。当時はまだまだ調整中でレコーディングやライブには未使用だった。 |
キラー | Killer W-NECK "ヴォルチャーウィング" | D.T.Rの「APOCAL YPSE」という曲で使用されるギターとベースが一体化したモデル。特注のため市販はされてない。 |
フェンダー | ジャズベース | 「Jealousy」のレコーディングの際にアメリカで手に入れた71年製のベース。時価。 |
フェンダー | ジャズベース フレットレス | 元は有名なミュージシャンが弾いていたらしい。 |
ミュージックマン | スティングレイ | 同じく「Jealousy」のレコーディングで手に入れたベース。LOUDNESSのレコーディングでも使用し、X時代のライブではデスペラードやクリミナルが登場するまでライブで使っていたこともある。 |
フェルナンデス | ワーロック | インディーズ時代に使用していたもの。沢田がディメンシアに加入したとき、友人から譲り受けたものらしい。沢田後任のHEATHも同メーカーのワーロックを使用しているが、沢田は"FERNANDES"名義の市販モデルでHEATHは"Burny"名義のオリジナルモデルである。 |
オベーション | Ovation | 沢田お気に入りのエレアコ。 |
キラー | KG-YOKE | ドロップDチューニング用にエクストラ・ロングスケールとなっている。かつて沢田泰司オフィシャルサイトで流れていたギターサウンドは全てこの音で録音されている。 |
キラー | Killer Proto Type | 音風のライブで使用されたギター。外見はテレキャスターに似ている。 |
使用アンプ
- X 「Jelousy」時
- Ampeg SVT(ベースアンプ)
- Ampeg SVT-II(ベースアンプ)
- Roland DEP-5(マルチ・エフェクター)
- ROCKTRON 300A(コンプレッサー)
- KORG DT-1 TUNER(チューナー)
- EX-Pro WIRELESS(ワイヤレス・システム)
- Ampeg 810E SP(キャビネット)
- D.T.R 渋谷公会堂デビューライブ時
- ASHLY(パワー・アンプ)
- ROCKTRON RT1190(ラックインターフェイス)
- ROCKTRON PATCHMATE(プログラマルブル・スゥイッチャー)
- PEARCE BC-1×2(プリアンプ)
- FURMAN PL-PLUS J(安定化電源/照明)
- PEAVEY MARK VIII×3(ベースアンプ)
- EBS(ベースアンプ)
- PEAVY CABINET(キャビネット)
- EBS CABINET(キャビネット)
- Roland JC-120(ギターアンプ)
- audio-technica AT-MA50(ステレオ・ミキシング・アンプリファイヤー)
- ART Multiverb ALPHA SE(マルチエフェクター)
- BOSS TU-12(チューナー)
- CRYBABY(ベース・ワウペダル)
- IBaneZ VL-10(ボリュームペダル)
- BOSS FS-5L(フットスイッチ)
- moog(ベース・シンセサイザー)
趣味
- プライベートでは実に多趣味でその1つである料理は相当な腕前。沢田は小学生の頃から、「レストラン泰司」という名前で週末になると数種類の料理を用意して友人に振る舞ったり、ミュージシャンになってからでもレコーディング期間中は自ら料理を作ってバンドのメンバーやスタッフにご馳走したりしていた。最終的にはかなりの技術を身に付けたようで、「しまいには懐石料理まで作れるようになり、その時ばかりはさすがに音楽をやめて、料理人になろうかとまで考えた」とは本人の言葉。無名時代、YOSHIKIと一緒に暮らしていた頃も沢田が料理を作っていたらしい。
- 中学生の頃から釣りにも凝っており、ある時父親が「ウナギなら一尾500円で買う」と言うので、本気になって一晩で10尾を釣り上げたことがある。他にも様々な種類の雑技に優れていたが、最後までやりたいと思ったのが音楽だったという(自伝「伝説のバンドXの生と死」から)。
エピソード
- 子どもの頃からスポーツ万能で、サッカーや野球、卓球など様々なスポーツに熱中していた。中でも野球はリトルリーグ時代に千葉県大会優勝(小学6年生時)、卓球では市川市大会2位(中学3年生時)という成績を収めている。サッカーは小、中学校とつづけたが坊主になるのが嫌でやめる。
- Xのメンバーの衣装を製作していたのも沢田である。浅草橋の問屋街へ出掛けては使えそうな小物やアーティスティックな物を買って来て、オリジナルの衣装を作り上げていた。
- LOUDNESSに加入した当時、沢田を快く思わないLOUDNESSファンがステージに立った沢田にブーイングを発したことがある。沢田自身に対する不信感だけでなく、Xから流れてきた沢田ファンの場の空気を無視した「TAIJIコール」も反感を買う元であった。しかし、沢田のプレイが認められるようになると多くのLOUDNESSファンにも支持されるようになり、LOUDNESSとしての人気が一番盛り上がる時期となった。LOUDNESSはそれまで比較的男性ファンが多く、女性ファンはそれに比べると少なかったが、沢田が加入したことによりライヴに女性のファンも多く獲得した。
- X脱退後から順風満帆とは言い難くなっていたが、特にD.T.Rの活動休止前後からは沢田の人生は坂道を転げ落ちていくように墜ちていく一方になっていった。仕事もプライベートも上手くいかず、精神的にもすさみ、荒れた生活を送るようになった。妻からも離婚を突きつけられ、家を出た沢田は上野でホームレスとして生活するまでになったが、実際には印税が振り込まれる銀行口座を所有していたことで最低限の生活は維持されていた[15]。その後、ずっと疎遠であった実母から援助を受け安アパートで新たな生活を始めるが、自殺未遂を図るなど精神的に不安定な状態が続いていた。
- その後も酒の飲み過ぎで肝臓を壊したり、精神的な病にかかり入院するなど不安定な状態が続く。その後しばらくは精神的な不安定さはほとんど見られなかったようだが、今度はバイク事故を起こし、一生松葉杖を使い続ける覚悟をしなければならない様な大怪我を負い、心身ともに満身創痍の状態に陥る。だが、やっと立った状態で演奏出来るまでに回復し、体に負担を掛けないようにマイペースで音楽活動を続けていた。
- 1998年のHIDEの訃報の際には自身の生活もままならない中で葬儀に駆けつけた。その際、ケンカで折られた歯をYOSHIKIに見られ、後日YOSHIKIから200万円ほどの金を渡されたとのこと[16]。
脚注
- ^ 1992年、雑誌「Fool's Mate」でのインタビューより。
- ^ X JAPAN元メンバーが訴追=サイパンで拘束、自殺図り重体 時事ドットコム 2011年7月15日観覧
- ^ 元XのTAIJI、勾留先サイパンで死亡 サンケイスポーツ 2011年7月18日閲覧
- ^ “元Xの沢田泰司容疑者が死亡 サイパンで自殺”. 産経新聞. (2011年7月17日) 2011年7月17日閲覧。
- ^ TBS番組、TAIJI出演部分カットで放送 デイリースポーツ 2011年7月17日閲覧
- ^ X JAPANメンバーから、悲しみのコメント BARKS 2011年7月18日観覧
- ^ TAIJI 高崎晃公式HP MESSAGE 2011年7月17日観覧
- ^ LOUDNESS公式HP INFOMATIONより 2011年7月18日観覧
- ^ メンバーより、追悼コメントです TSPオフィシャルブログ 2011年7月19日観覧
- ^ 竹内光雄公式サイト・トップページ[1]尚、竹内は意識不明の報道の直後ブログで沢田を兄弟と呼び早期回復の願いも記していた。
- ^ Taiji Fujimoto公式ブログ「退かぬ、媚びぬ、省みぬ!Flying Vivid」7月21日付[2]
- ^ tomo(黒田朋幸)のブログ-7月17日付[3]
- ^ 高橋ロジャー和久「The Diary Of ROGER 」7月21日付[4]
- ^ Keyboardist 清水賢治のブログ-7月25日付[5]
- ^ 関西テレビ放送「プロインタビュアー 吉田豪の元○○な人々」2010年8月放送
- ^ 「伝説のバンド「X」の生と死―宇宙を翔ける友へ」徳間書店 (2000/04)に記載