日産・レパード
レパード (LEOPARD) は、1980年から1999年まで製造・販売された日産自動車の高級パーソナルカーである。本項では便宜上1980年 - 1986年まで生産されていた兄弟車のレパードTR-X、1992年 - 1996年まで生産されていたレパードJ.フェリーについても述べる。
概要
レパードが発売された経緯には、レパードが取扱販売される以前の日産店(広告上の"ブルーバード販売会社")の主力車種のブルーバードの上級グレードとして、610型ブルーバードUの後期型から、直列6気筒エンジンを搭載した上級グレードの「2000GT(愛称・サメブル)」シリーズが設定され、810型ブルーバードにも、直列6気筒エンジンを搭載した上級グレードの「2000 G6」シリーズが設定されていたが、1979年11月に発売された910型ブルーバードには、直列6気筒エンジンを搭載した上級グレードを設定せずに、本来のブルーバードの車種クラスに準じた4気筒エンジン搭載車に統一された事で、日産店での取扱車種のラインナップ上、ブルーバードの上級グレードの後継車種としての位置付けと、スカイライン、ローレルに続く上級車ラインアップの一角を担うべく、1980年10月に日産の新規車種としてレパードが発売された。
また、1999年のモデル消滅までの19年間、商品企画の変転が大きく、初代は910型ブルーバードベースの上級2ドア/4ドアハードトップ、2代目はR31型スカイラインをベースにし、トヨタ・ソアラを強く意識した高級2ドアクーペのみ、3・4代目はセドリック / グロリアベースの高級4ドアセダンのみという変遷であった。
そして、レパードそのものの一貫したコンセプトを持ち続ける事が出来ずに確固たるブランド力を構築出来なかったが、その後の同社のインフィニティ・Q、M、G(それぞれ日本国内のシーマ、フーガ、スカイライン)をはじめとした高級パーソナルカーにその経験は生かされており、この3車が精神的後継モデルという位置づけにあると言えよう。
歴史
初代 F30型系(1980年 - 1986年)
日産・レパード 日産・レパードTR-X 初代・F30型系 | |
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レパードTR-X ターボZGX 4ドア 後期型(1982年9月 - 1986年2月) 前部 | |
レパードTR-X ターボSGX 2ドア 後期型(1982年9月 - 1986年2月) 前部 | |
後部 | |
概要 | |
販売期間 | 1980年10月 - 1986年 |
設計統括 | 桜井眞一郎 |
デザイン | 内野輝夫 |
ボディ | |
乗車定員 | 5人 |
ボディタイプ |
2ドアハードトップ 4ドアハードトップ |
駆動方式 | FR |
パワートレイン | |
エンジン |
VG30ET型 2.960L V6 SOHCターボ L28E型 直6 SOHC 2.753L L20E型 1.998L 直6 SOHC L20ET型 1.998L 直6 SOHCターボ Z18型 1.770L 直4 SOHC |
変速機 |
4速 / 3速AT 5速MT |
前 |
前:マクファーソンストラット 後:セミトレーリングアーム |
後 |
前:マクファーソンストラット 後:セミトレーリングアーム |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,625mm |
全長 | 4,630mm |
全幅 | 1,690mm |
全高 | 1,355mm |
車両重量 | 1,300kg |
その他 | |
データモデル |
4ドアハードトップ 280X・SF-L 5速MT(前期型) |
ベース車 | 日産・マキシマ |
当時、東京都杉並区荻窪にあった旧・プリンス自動車工業の開発拠点において車両開発された。910型ブルーバードをベースに、ホイールベースを延長したロングノーズの直列6気筒L24Eを搭載した北米向け車種の「G910型 マキシマ」をベースとしている。610型ブルーバードUの「2000GT」シリーズや810型ブルーバードの「2000 G6」シリーズに設定されていた直列6気筒エンジン搭載の上級グレードの後継車種である事から、ブルーバードをメインに取り扱う日産店の取扱車種として発売された。CM出演は加山雄三。キャッチコピーは前期が「パワーエリート」後期が「鋭く挑む、華麗なる豹」。
ボディタイプは4ドア(ピラード)ハードトップと2ドアハードトップだった。これに加え、日産・チェリー店取扱車種の姉妹車として「日産・レパードTR-X(トライエックス)」も設定された。レパードの異型ヘッドライトに対し、TR-Xは規格型の角型4灯ヘッドライトを装着する。
初代(F30型)は、さまざまな「世界初」や「業界初」(燃費計やフェンダーミラーワイパー)を携えて登場した。スタイリングは、リアウインドウに使われたベンドグラスやCピラーとリアフェンダーを面一としない手法(キャビン後端の幅を狭め、Cピラーの後ろを絞り、ボディー全長にわたるショルダーラインを際立たせる)を特徴とし、国産他車に先駆けるものであった。車体幅が5ナンバーサイズのため、前後の絞りは小さく細長い。
スタイリングの先進性に比して、発売当時のエンジンは日産・L型エンジンで6気筒・2000ccと2800ccのL20EとL28Eと日産・Z型エンジンの4気筒・1800ccのZ18というラインナップであった。
ソアラが当初より最大出力170psの2800ccDOHCエンジンを搭載したグレードがあり、最終的に190psまで登場した。これは発売当時の日本の乗用車エンジンでトップクラスの性能を持っており、ブランドイメージを高めていた。それに対して、L20EとL28Eの最大出力は130psと145ps、Z18の方は最大出力が105psであり、同クラス車のソアラより、パフォーマンス面で劣っていた。エンジンの性能は最大出力だけで決まるわけではないが、カタログ値で見た場合、L型はソアラのエンジンより見劣りするという印象を払拭することが出来ず、廉価版として採用したZ18は、かえってF30型のエンジンはソアラのエンジンよりパフォーマンスが劣るという印象を強調させてしまい、結果ブランドイメージを大きく損ねてしまった。
1984年に発売されたフェアレディZ 300ZXと共通のVG30ET型エンジン(JISグロス最大出力230馬力)によってソアラに勝るとも劣らないエンジンとなったが、ブランドイメージを上げるには至らなかった。
- 1980年10月 - 初代F30型登場。エンジンは4気筒1800cc(Z18型)・6気筒2000cc(L20E型)・6気筒2800cc(L28E型)の3種類。
- 1981年7月 - 2000ターボ車(L20ET型)を追加。グレードはGX/SGX/ZGX。
- 1982年9月 - マイナーチェンジ。ラジエーターグリル/テールライトを変更し、AT車はオーバードライブ付の4速に変更。L20ET型を搭載する最上級グレード「ターボZGXスーパーエディション」が追加された。既存モデルは車種の見直しとグレード名変更が行われ、F→GX.CF→SGX.SF→ZGXに変更すると同時に3ナンバー車の2800cc(L28E型)エンジン搭載車は廃止された。
- 1984年6月 - 2年ぶりに3ナンバー車の復活となった230馬力を発揮する3000cc・V6ターボ(VG30ET型)「300ターボグランドエディション」追加。60扁平タイヤ&メッシュタイプのアルミホイールを装着。
2代目 F31型系(1986年 - 1992年)
日産・レパード 2代目・F31型系 | |
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アルティマ 前期型(1986年2月 - 1988年8月) 前部 | |
後部 | |
インテリア | |
概要 | |
販売期間 | 1986年2月 - 1992年 |
設計統括 | 伊藤修令(発売時は山羽和夫) |
デザイン | 園勲夫 |
ボディ | |
乗車定員 | 5人 |
ボディタイプ | 2ドアクーペ |
駆動方式 | FR |
パワートレイン | |
エンジン |
(前期型) VG30DE型 2.960L V6 DOHC VG20ET型 1.998L V6 SOHCターボ VG20E型 1.998L V6 SOHC (後期型) VG30DET型 2.960L V6 DOHCターボ VG30DE型 VG20DET型 1.998L V6 DOHCターボ VG20E型 1.998L V6 SOHC |
変速機 |
(前期型)4速AT / 5速MT (後期型)4速AT |
前 |
前:マクファーソンストラット 後:セミトレーリングアーム |
後 |
前:マクファーソンストラット 後:セミトレーリングアーム |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,615mm |
全長 | 4,680mm |
全幅 | 1,690mm |
全高 | 1,370mm |
車両重量 | 1,460kg |
その他 | |
データモデル |
アルティマ 4速AT (前期型) |
前述の通り、ブルーバードにV型6気筒エンジン搭載車の「マキシマ」が登場した事や、競合車種のトヨタ・ソアラを強く意識した結果、初代F30型にチェリー店の取扱車種として存在していた姉妹車のレパードTR-Xの車名が廃止され、新型となったF31型からは日産店とチェリー店が共にレパードに車名を統一して2ドアクーペのみのラインナップとなった。また、同時期のスカイライン(R31型)と基本設計を共用し、開発コストを抑えた。
開発主管は、ローレル(C32型)、スカイラインR31・R32型の開発主管を務めた旧・プリンス自動車出身の伊藤修令が担当した。また、当時の組織変更(主管は複数車種を掛け持ちせず1車種1主管制へ変更)の影響で発表の2ヶ月ほど前に山羽和夫に変更。そのため、記者発表や雑誌には開発主管の山羽和夫が開発担当責任者として対応している。その後、マイナーチェンジに向けての開発も山羽和夫のもと進められた。
エンジンは3リッター4カムのVG30DEを頂点に全てV6ユニットを搭載。前期型がVG30DE型(V6-3000DOHC、185ps)、VG20ET型(V6-2000SOHC ジェットターボ 空冷インタークーラー付き、155ps)、VG20E型(V6-2000SOHC、115ps)の3機種。マイナーチェンジ後の後期型はVG30DE型は200psとなったほか、VG20ET型に替わりVG20DET型(V6-2000DOHCセラミックターボ 水冷インタークーラー付き、210ps)、また3000ccエンジン搭載車にもターボモデルが加わり、シーマ(FPY31型系)に搭載されたVG30DET型(V6-3000DOHCセラミックターボ、255ps)が新たに搭載された。前期型VG20E型搭載車のみMT車が設定された。
頂点のVG30DEは、いたずらにパワーを求めずインテリジェンスなフィーリングを重視した185馬力のユニット。サスペンション形状はフロントがストラット、リヤがセミトレーリングアームであった。アルティマには、超音波で路面状況を把握し減衰力を変化させるスーパーソニックサスペンションを搭載している。
なお、後期型に搭載されたVG30DET(V6-3000DOHCセラミックターボ、255ps)は、初搭載の車種が初代Y31型シーマであったために、世間一般にはシーマ用のエンジンと解説されるが、当時、マイナーチェンジに合せて開発を進めていた開発主管の山羽和夫をはじめとするレパード開発チームがライバルトヨタ・ソアラ(230ps)に対抗する為に開発していたハイパワーエンジンである。初代Y31型シーマは、当初、3リッターノンターボで開発が進められていたが、発売後に想定されるライバル車種をトヨタ・クラウンだけではなく当時人気絶頂のトヨタ・ソアラも視野に入れる事となり、開発途中でターボエンジンの搭載が決定された。この時点で、Y31型シーマの開発が終盤に向けて進行していた為、シーマ用にエンジンを新規開発するだけの時間がなく、レパードの開発チームが開発していたVG30DETを新型車種の初代Y31型シーマに譲った形になった。
ここでややこしいのが、レパードの販売が始まったのは1986年だが、VG30DETのレパードが販売されたのは1988年8月のマイナーチェンジからなのに対して、シーマが1988年1月から販売された時点でVG30DETを搭載したモデルも一緒に販売された。このため、発表順からVG30DETはシーマ用ユニットと当時から言われるようになる要因となった。エンジンの存在はシーマのブランドイメージを大きく高め大ヒットに結びついたが、レパードのほうは発表順では2番手となり、ブランドイメージを高める効果は限定的なものとなった。
エクステリアは先代のイタリア的近未来スタイルに対し、ソアラ(初代)やBMW 3.0CSをリスペクトしたようなクラシカルなデザインへと変わり、細部の仕上げにも相応の注意が払われている。特にリアピラーからホイルハウスにかけて数字の6を描くようなバランスの取れたデザイン”エアフロー・フォルム”が特徴。コンセプトは”アダルトインテリジェンス”。派手さは無いが知的で大人のためのプライベートクーペを表現。外板の塗装も高品質仕上げ[注釈 1]が施されていた。
インテリアは、世間では”絶壁”と評されてきたがデザインコンセプトは航空機のコックピット感覚をもとに高級車としての風格を考慮し、売りであるエレクトロニクスメーター類、オーディオなどを融合しデザインされた。助手側も運転席と対等に包み込むようなデザインでグローブボックスを充実し、物をダッシュ上に乗せるのではなく収納するというパッセンジャーに対する配慮も考慮したインパネデザインであった。また高いダッシュボードはフロントガラスへの映り込みを抑えるソフトな材質を用いられている。
グレード名の由来としてVG30DE搭載車のアルティマは「究極」ULTIMATE(英語)からとった造語。最上級グレード。 2リッターのVG20ET搭載車のXS-Ⅱ、XSの意味は、「X」は未知にチャレンジするという意味、「S」はスポーツ、「Ⅱ」は上級車の意味を指す。 2リッターNAのVG20E搭載車のXJ-Ⅱ、XJの意味は、「X」は上記に準じており「J」はジュエリー(宝石)のもつ高級感を指している。
先代と違いエンジンなどが理由でブランドイメージを大きく損なうことはなかったものの、既に知名度を確立していたソアラの陰に隠れてしまったことなどから販売当初は苦戦を強いられたが、ドラマ『あぶない刑事』で使用されたのを機に一躍有名となり[注釈 2]、販売台数こそ大きく伸びなかったものの歴代モデルにおいて最もブランドイメージを確立することに成功した。
また、ハイパワーエンジンを搭載した後輪駆動であることもあり、2016年現在も中古車市場で高い人気を誇っており、同型を専門に扱うショップも存在する。
- 1986年2月 - F31型にモデルチェンジ。ラインナップはアルティマ(VG30DE)、XS-II・XS(VG20ET)、XJ-II・XJ(VG20E)。
- 1987年6月 - アルティマ、XS-IIに「グランドセレクション」追加。ハイテクウールシート、カラーテレビ、および光通信ステアリングスイッチ、AVシステム(アルティマグランドセレクションに標準装備、XS-IIグランドセレクションにオプション)を装備。
- 1987年10月 - 東京モーターショーにて「アルティマX」を参考出品。これはアルティマをベースとしたオープンカーで、専門誌では状況次第で市販化されるとの憶測があったが発売に至らなかった。
- 1988年8月 - マイナーチェンジ。VG30DET型の追加、VG30DE型の出力向上、シングルカムターボのVG20ET型に替わりツインカムターボのVG20DET型に変更。VG20E以外のエンジンはプレミアムガソリン指定。ラインアップは、アルティマ V30 ツインカム ターボ(VG30DET)、アルティマ V30 ツインカム(VG30DE)、XS V20 ツインカム ターボ(VG20DET)、XJ V20E(VG20E)。メッキ部品を減らし、丸みのあるデザインとなった。アルミホイールのデザインも一見すると前期と同一だが、リム部をはじめとして全体的にやや彫りの深いデザインに変更されている。同時期の日産車に共通のダッシュボードも、大幅に形状が変更された。前期型で人気の装備だった、全面ブルー液晶の「グラフィカル・デジタルメーター」は廃止され、アナログのホワイトメーターとなった。AVシステム、サンルーフ、本革シートがアルティマ V30 ツインカム ターボに標準装備、その他のグレードにオプション設定された。中折れ機構を持つ「パートナーコンフォタブルシート」は、全グレードに拡大採用された。また、アルティマ専用装備であった「スーパーソニックサスペンション」は、アルティマ V30 ツインカム ターボ、アルティマ V30 ツインカムだけでなく、XS V20 ツインカム ターボにまで拡大採用された。
- 意外と知られていないが後期の人気色”ダークブルーツートン”4G4のダークブルー色は、R31スカイラインGTS-Rの専用色”ブルーイッシュブラック”BG8である。
- 1989年 - アメリカ合衆国では、F31型をベースにしたインフィニティ・M30が発売され、これにはコンバーチブルの設定もあった。また、F31型をベースに、系列会社のオーテックジャパンがイタリアのカロッツェリアであるザガートと合作した「オーテック・ザガート・ステルビオ」も開発され、少数台数が発売された。
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後期型(1988年8月 - 1992年6月)
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インフィニティM30クーペ
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インフィニティM30コンバーチブル(前部)
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インフィニティM30コンバーチブル(後部)
3代目 JY32型系(1992年 - 1996年)
日産・レパードJ.フェリー 3代目・JY32型系 | |
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レパードJ.フェリー 前部 | |
レパードJ.フェリー 後部 | |
インフィニティJ30(北米仕様) 前部 | |
概要 | |
販売期間 | 日本:1992年6月 - 1996年 |
デザイン | トム・センプル(NDI=現NDA所属) |
ボディ | |
乗車定員 | 5人 |
ボディタイプ | 4ドアセダン |
駆動方式 | FR |
パワートレイン | |
エンジン |
VH41DE型 4.130L V8 DOHC VG30DE型 2.960L V6 DOHC |
変速機 | 4速AT |
前 |
前:マクファーソンストラット 後:マルチリンク |
後 |
前:マクファーソンストラット 後:マルチリンク |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,760mm |
全長 | 4,880mm |
全幅 | 1,770mm |
全高 | 1,390mm |
車両重量 | 1,650kg |
その他 | |
データモデル | タイプX(前期型) |
ベースとなったスカイラインがR32型へ世代交代する中でレパードの開発は中止となったが、日産店のラインアップに穴が開くことに対する販社の抵抗も大きく、次期レパードは「インフィニティ・J30」の国内投入で継続されることが決まった(当初、J30は日本導入の予定は無かった)。この結果、4ドアセダンのみの設定となり、車名もレパードJ.フェリー(LEOPARD J.FERIE)へと改称され、車の性格が変わったことをアピールした。
フェラーリやマセラティにも収められているイタリア、ポルトローナ・フラウ製(表皮のみ)の本革シートをオプションで用意する。このシートの価格は約80万円もしており[注釈 3]、普通の本革シート(オーストリアのシュミットフェルトバッハ製。初代マツダ・センティアも採用していた)も約50万円など、セドリック/グロリアと比べても、よりパーソナルな高級車としての印象が強く、またこれまでのモデルと較べてもスポーツ性が大幅に抑えられ、完全なラグジュアリー志向になっている。
エンジンは、シーマ用のV型8気筒 DOHC 4130cc VH41DE型(270ps)と先代F31型にも設定されたVG30DE型(200ps)の2種類で、それぞれに電子制御の4速フルオートマチックミッションが組み合わされる。VH41DEモデルのみSuper HICASが装備される。シーマ・セドリック/グロリアとは異なり、ターボ仕様は設定されておらず、北米向けインフィニティ・J30にはV6のみであった。
同時期のY32型セドリック/グロリアのVG30DE型搭載車に関しては、国内ユーザーの声を反映した5速ATが組み合わされているが、J.フェリーではインフィニティ・J30からの大きな変更は見送られ、4速ATのみとされた。
エクステリアデザインは北米専売車種のアルティマを含む同時期のブルーバードセダン(U13型・SSS/EEXシリーズ)同様、カリフォルニアデザインセンター(NDI)の意見を大幅に取り入れた、リアエンドの下がった、いわゆる「尻下がり」「垂れ尻」の特徴あるプロポーションとなった。
日本車としては初めて、助手席エアバッグを全車に標準装備した(レスオプションも選択可)車でもある。
雑誌NAVIや、一部好事家での評価は高かったが、企画の段階から北米での販売を意識したデザインは、当時のユーザー層に受け入れられる事なく、日本国内での総販売台数は約7,300台に終わった。
4代目 JY33型系(1996年 - 1999年)
日産・レパード 4代目・ JY33型系 | |
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前部 | |
後部 | |
計器類 | |
概要 | |
販売期間 | 1996年3月 - 1999年6月(生産終了) |
ボディ | |
乗車定員 | 5人 |
ボディタイプ | 4ドアハードトップ |
駆動方式 |
FR 4WD(RB25DETのみ) |
パワートレイン | |
エンジン |
(前期型) VQ30DET型 2.987L V6 DOHCターボ VQ30DE型 2.987L V6 DOHC VG30E型 2.960L V6 SOHC (後期型) VQ30DET型 2.987L V6 DOHCターボ VQ30DD型 2.987L V6 DOHC(NEO-Di) VQ25DE型 2.495L V6 DOHC VG20E型 1.998L V6 SOHC RB25DET型 2.495L 直6 DOHCターボ(4WD車専用) |
変速機 | 4速AT |
前 |
前:マクファーソンストラット 後:マルチリンク |
後 |
前:マクファーソンストラット 後:マルチリンク |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,800mm |
全長 | 4,895mm |
全幅 | 1,765mm |
全高 | 1,425mm |
車両重量 | 1,600kg |
車名をレパードに再改称。開発時期がバブル経済の絶頂期と重なり、贅沢な設計のなされたJY32型からは一転、メーカーの経営不振といった逆風の中で開発されたJY33型レパードは、Y33型セドリック/グロリアの主要コンポーネントの大部分が流用され、事実上これらの兄弟車種となった。
ボディは4ドアハードトップのみ。ドアアウターパネルおよびインストゥルパネルの形状はY33型系セドリック/グロリアと共通。エンジンは前期型がVQ30DET(V6-3000DOHCターボ、270ps)、VQ30DE(V6-3000DOHC、220ps)、VG30E(V6-3000SOHC、160ps)の3機種。マイナーチェンジ後の後期型でVQ30DEとVG30Eは廃止され、代わりに直噴式のVQ30DD(V6-3000DOHC、230ps)と、VQ25DE(V6-2500DOHC、190ps)、F31型にも設定されていたVG20E(V6-2000SOHC、125ps)、4WD車専用としてRB25DET(直6-2500DOHCターボ、235ps)が追加された。
グレード構成もグランツーリスモやブロアムといった区別こそ存在しないが、内容的にはセドリック/グロリアとほぼ同じような構成となり、登場当初は後席関係の装備を充実させたトップグレードのXV-Gを筆頭に、以下XV、XR、XJと続いた。
足回りはセドリック/グロリアのグランツーリスモと同じ仕様とされ、XV-GとXVには電動SUPER HICAS仕様も用意された。電動SUPER HICAS仕様の型式はJHBY33となり、"B"が追加される。
日産自動車初の直噴エンジンVQ30DDを搭載したモデルである。総販売台数は、前期型が約10,000台、後期型が約2,000台であった。
- 1996年3月 - JY33型にモデルチェンジ。ラインナップはXV-G/XV(VQ30DET)、XR(VQ30DE)、XJ(VG30E)。
- 1996年7月 - VG30EのXJをベースにした特別仕様車XJ-Sが登場。
- 1996年8月 - サイドエアバッグがオプション設定に追加される。
- 1997年1月 - XJをベースにVG20Eエンジンを搭載したXJ-Limitedが登場。
- 1997年10月 - セドリック/グロリアに合わせてマイナーチェンジ。
- ラインアップはXV-G/XV(VQ30DET)、XR(VQ30DD)、XJ(VQ25DE/VG20E)、XJ-four(RB25DET)。
- 新開発の直噴式エンジンVQ30DD型のXRを追加。(発売は同年12月から)RB25DET型を搭載した4WD車のXJ-fourを追加。XV/XR/XJにスポーツバージョンのグランスポーツを追加。VQ25DE型の追加、VQ30DE、VG30E型の廃止。
- マルチAVシステムの画面が6インチ4:3ブラウン管から7インチワイド液晶となる(両方ともタッチパネル式)。
- ステアリング・アルミホイールのデザイン変更。
- 運転席キーオフ後作動パワーウインドウ、照明付バニティミラーなどの装備が追加される。
- 1999年6月 - Y34型セドリック/グロリアに統合する形で、JY33型生産終了。
車名の由来
「leopard」とは、英語で「豹」(ひょう)の意味。
尚、初代に設定されていた「TR-X(トライエックス)」とはTechnologyの「T」、Romanの「R」、そして「未知(の走り)」を意味する「X」をつなぎ合わせたもの[1][注釈 4]で、3代目のサブネーム「J.FERRIE(ジェイフェリー)」とは、フランス語で「祝日」を意味する「Jours fériés(ジュール・フェリエ)」を英語風に発音した造語で、欧米人の人名のような響きを持たせることを意図して命名された。
販売チャネル
- 初代レパード - 日産店(ブルーバード販売会社)
- 初代レパードTR-X - チェリー店(パルサー販売会社)
- 2代目レパード - 日産店(ブルーバード販売会社)、チェリー店(パルサー販売会社)
- 3代目レパードJ.フェリー - 日産店(ブルーバード販売会社)
- 4代目レパード - 日産店(ブルーバード販売会社)、サニー店(サニー販売会社)
出典
注釈
- ^ 外板の表面に微細なヘアライン状のスクラッチ加工が施されたレーザーミラー鋼板が用いられており(この鋼板を用いることで、塗装後のボディの表面が美しく、滑らかに仕上がるというメリットがあった)、また、ホワイト等のソリッドカラーを除き、4層コート(多層ベーク)塗装が用いられていた。
- ^ その影響もあってか、前期型「ゴールド・シルバー」ツートン(スペック表の画像参照)に人気が集中している。
- ^ 因みに国産車でこのメーカーのシートを採用しているのは前にも後にも同車が唯一である。
- ^ のちに、Y33型シーマでグレード名としても使用された(字体はそのままだが、発音は「ティーアールエックス」)。
関連項目
外部リンク
- 日産・レパード(日産自動車 1997年10月 - 1999年6月)
- レパード カタログ (Carview)
- レパード 初代・F30型系(GAZOO名車館)
- レパードTR-X 初代・F30型系(GAZOO名車館)
- レパード 2代目・F31型系(GAZOO名車館)
- レパードJ.フェリー 3代目・JY32型系(GAZOO名車館)
- レパード 4代目・JY33型系(GAZOO名車館)