悪魔が来りて笛を吹く

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。エヴァンズの秘書 (会話 | 投稿記録) による 2016年1月30日 (土) 23:53個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (「注釈」と「出典」の節を設け、従来の「脚注」(=出典)から説明・補足を「注釈」に移行・修正。映画1979年版の「製作の経緯」は製作の経緯ではない、東映の「注釈」に移行。他。)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

金田一耕助 > 悪魔が来りて笛を吹く
悪魔が来りて笛を吹く
著者 横溝正史
発行日 1973年2月20日
ジャンル 小説
日本の旗 日本
言語 日本語
ページ数 472
コード ISBN 4041304040
ISBN 978-4041304044(文庫本)
ウィキポータル 文学
[ ウィキデータ項目を編集 ]
テンプレートを表示

悪魔が来りて笛を吹く』(あくまがきたりてふえをふく)は、横溝正史の長編推理小説。「金田一耕助シリーズ」の一つ。

本作を原作とした映画2本、テレビドラマ4本、舞台が1作品、現在(2014年3月)までに制作されている。

ストーリー

昭和22年(1947年9月28日金田一耕助の元を訪れたのは、この春、世間をにぎわした天銀堂事件の容疑を受け失踪し、4月14日、信州霧ヶ峰でその遺体が発見された椿英輔・元子爵の娘、美禰子(みねこ)だった。

「父はこれ以上の屈辱、不名誉に耐えていくことは出来ないのだ。由緒ある椿の家名も、これが暴露されると、泥沼のなかへ落ちてしまう。ああ、悪魔が来りて笛を吹く。」

父が残した遺書を持参した美禰子は、母・子(あきこ、以下「秋子」[注 1])が父らしい人物を目撃したと怯えていることから、父が本当に生きているのかどうか、明晩、砂占いを行うことになったことを説明した後、金田一耕助にその砂占いへの同席を依頼する。

麻布六本木の椿家に出向いた金田一は家族とともに砂占いに同席するが、途中で停電が発生。その回復後に、家の中に椿子爵作曲になる異様な音階を持つ曲「悪魔が来りて笛を吹く」のフルート演奏が響く。これはレコードプレーヤーによる仕掛けだったが、その間に砂占いに出た火焔太鼓のような模様に、家族の一部の者は深刻な表情を見せる。美禰子はその絵が死んだ子爵の手帳に「悪魔の紋章」の名で描かれていたことを告げる。そしてその夜、椿子爵と思しき男が子爵のフルートを持って屋敷に出現。翌朝、椿邸に居候している玉虫公丸・元伯爵が何者かによって殺されているのが発見される。砂占いの所には、前夜と同じ悪魔の紋章が血で描かれていた。警察は庭から子爵のフルートケースを発見、その中には天銀堂事件で奪われた宝石が一つ入っていた。金田一は等々力警部から子爵を告発したのがタイプ打ちの匿名の手紙で、子爵の事情に詳しいものであったことを知る。子爵は天銀堂事件の後、宝石の換金について書生の三島に相談したとあり、三島はそれを認めた。家人の聞き取りを進めるうち、秋子の兄で、焼け出されて同居している新宮利彦が酒を飲んで乱入、背中にある「悪魔の紋章」そっくりの痣を見せる。

金田一たちは子爵についてより詳しい調査の必要を感じる。子爵を告発した手紙には、彼が事件前後に姿を消していたこと、帰ってくると宝石の換金について書生の三島と相談したという経緯が記されていた。警部は、子爵が長くその行き先を警察に言わなかったが追い詰められてそれを告げ、確認が取れたことで解放されたと説明した。さらに例の遺書が書かれたのが天銀堂事件容疑の逮捕前であったこと、子爵の自殺はその事件以外に理由があることがわかった。金田一は事件前後の子爵の行動には隠された意味があると判断し、若い出川刑事と共に西に向かった。まず、子爵が宿泊した神戸の旅館に入り、子爵がここに宿泊している間に深刻な事実を発見したと判断した。女将の話で、近くに玉虫伯爵の別荘跡があり、戦前には玉虫家の家族が何度も訪れ秋子もよく見かけたこと、また、手伝いに上がっていた娘・おこまがそこの誰かの種で妊娠し、植木屋と結婚させられて小夜と言う娘を産んだことを聞き取る。

翌日、金田一は子爵の行動をさらに追跡し、玉虫伯爵の別荘跡で子爵の手になる「悪魔ここに誕生す」という落書きを発見する。出川の方はおこまに関する情報を追い、その父・植辰が空襲で死んだことを知る。彼はなぜか「金づる」を持ち、植木屋をやめて仕事を転々としたあげくの死であった。それを聞いた女将から、彼の最後の妾はおたまと言い、おこまと他の妾に産ませた子・治雄だけが彼の生きた身寄りであることを聞き取る。出川はおたまの居場所を探るが、最近の仕事場を出奔したばかり。そこに先日、淡路の尼、妙海が来たことを聞き出す。金田一たちはその尼がおこまであり、子爵は彼女に会いに行ったと判断、翌日淡路に向かう。だが、妙海は前夜に殺されていた。彼らは住職から、小夜の父が新宮であることと小夜が自殺したこと、おこまが彼の死を予想したことを聞く。淡路から帰った2人は新宮が殺されたことを聞かされる。

金田一は単身東京に戻った。彼はそこで新宮が家族がみんな家を出た間に絞め殺されたことを聞き、しかも家族が家を出た用が全て新宮の企みであったことを見抜く。新宮は妹の秋子から金をせびるために家族を追い出したのだ。

金田一はこの事件と天銀堂事件の犯人について考え、モンタージュ写真で引っかかったくらい天銀堂事件の犯人と子爵は似ていたはず、今回の犯人は天銀堂事件の犯人を手下にしていたと判断。そして、天銀堂事件の犯人は惨殺死体で発見された。同日、金田一が磯川警部に調査依頼した返事があり、書生の三島は正体不明の別人であることが判明する。さらに、出川刑事の調査報告もあり、小夜子は自殺時に妊娠していたこととその相手は治雄であるらしいこと、その治雄が三島であることまでが判明した。

等々力警部と金田一は大雨の中、椿邸に向かった。そこでは秋子の気まぐれで鎌倉に引っ越す準備中。しかも、その最中に秋子が「悪魔の紋章」を見て逃げ出すように家を出たという。全員で後を追うが、鎌倉に着いたとき、秋子は主治医の目賀博士が調合した持病の薬を飲んで死んでいた。翌日、金田一は残った全員の前でトリックを解明する。その上で犯人を指摘しようとしたところ、当の三島は自ら名乗り出る。彼は新宮が妹の秋子を犯して産ませた子であり、その背には父と同じ痣があった。彼はそうとは知らずやはり新宮の子である小夜を愛し、小夜はそれを知って自殺。彼は全ての恨みを晴らすべく子爵を脅して家に入り込み、そして彼や小夜の運命をつくった者たちに復讐したのだ。

彼は最後に「悪魔が来りて笛を吹く」を演奏して見せた。その曲は、戦争で右中指と薬指を欠いた彼でも演奏できるように作曲されていたのだ。彼はそれを演奏し終わると同時に、笛に仕込んだ毒で死んだ。

登場人物

主要人物
  • 金田一耕助(きんだいち こうすけ) - 私立探偵
  • 等々力大志(とどろき だいし) - 警視庁警部
  • 出川(でがわ) - 警視庁刑事
椿家
  • 椿英輔(つばき ひですけ) - 椿家当主、元子爵。フルート奏者。約半年前に43歳で自殺。色は浅黒く額が広く、髪をきれいに左で分けている。鼻が高く、眉がけわしい。女性的印象を受ける人物。
  • 椿秋子(つばき あきこ) - 英輔の妻、40歳。大きな娘を持っているとは思えないほど若く見える、市松人形のような美しい女。
  • 椿美禰子(つばき みねこ) - 英輔の娘、依頼人、19歳。母と異なりいかつい顔の不美人。
  • お種(おたね) - 椿家女中
  • 三島東太郎(みしま とうたろう) - 椿家書生、英輔の旧友の息子。笑顔のいい愛嬌ある青年。
  • 信乃(しの) - 秋子の乳母、芸術的な醜さの老婆。
  • 目賀重亮(めが じゅうすけ) - 秋子の主治医。52,3歳。平家蟹のような顔で脂ぎった精力的人物。ひどいがに股。
新宮家
  • 新宮利彦(しんぐう としひこ) - 秋子の兄、元子爵。背のひょろ高い、神経質で人見知りする陰弁慶
  • 新宮華子(しんぐう はなこ) - 利彦の妻。落ち着いた中年婦人だが、人生にうみ疲れた雰囲気を持つ。
  • 新宮一彦(しんぐう かずひこ) - 利彦の息子、美禰子の従兄。やや暗い影があるものの父親に似ず上品な青年。
玉虫家
  • 玉虫公丸(たまむし きみまる) - 秋子、利彦の伯父。元伯爵で元貴族院議員。
  • 菊江(きくえ) - 公丸の小間使いで、。23,4歳位でスタイルのいい美しい女。
河村家
  • 河村辰五郎(かわむら たつごろう) - 植木職人で通称「植辰」。空襲で死亡。
  • 河村駒子(かわむら こまこ) - 辰五郎の娘で通称「おこま」、結婚後の姓名は堀井駒子。その後出家して・妙海になっている。
  • 河村治雄(かわむら はるお) - 辰五郎の養子。現在「三島東太郎」と名乗り椿家の書生になっている。
  • 堀井小夜(ほりい さよ) - 駒子の娘で通称「小夜子」「お小夜」。戦時中に自殺。
その他
  • 飯尾豊三郎(いいお とよさぶろう) - 天銀堂事件の最有力容疑者。

概要

探偵小説雑誌『宝石』において、昭和26年11月から昭和28年11月まで連載された。

大戦後の混乱の時期、『黒猫亭事件』と『夜歩く』の事件の間頃に起きた事件を扱った、貴族没落、インモラルな性描写を濃厚に示す作品である。帝銀事件斜陽などの要素を取り込み横溝が得意とした田舎の因習とはまた異なった陰惨さや本格推理小説の定番「密室殺人」を扱い、他作品とは異なった雰囲気をかもし出し作者の人気作品のひとつとなっている。

本作は、1954年に「第7回探偵作家クラブ賞」候補にノミネートされる[注 2]。作者は本作を「金田一もの自選ベスト10」の6位に推している[注 3]

天銀堂事件

これは、宝石店「天銀堂」で「保健所から伝染病予防のために来た」と称する男が、店員全員に毒薬を飲ませて殺し、宝石を奪った事件で、実在の事件である帝銀事件をそのままに借用している。また、帝銀事件はモンタージュ写真を捜査のために用いたことでも知られ、この点もこの作品に取り入れられている。

横溝正史による解説

横溝正史が雑誌『宝石』の求めに応じて本作の第1稿を起したのは昭和26年9月のことで、完結篇を書きあげたのは2年後の昭和28年の同じ9月のことだった。「時日も20日前後のことで、稿を起した日も、書き上げた日も、ともに、秋雨のしとど降る日であったと憶えている」と振り返っている。

この小説が完結するまでまる2年と1か月を要したのは、『宝石』に合併号が出たり横溝が病気休載したことからで、このため連載回数は計21回とかなり長いものとなった。連載終了と同時に城昌幸編集長からは単行本化の慫慂をうけたというが、連載の長さと雑誌の都合で1回の枚数が違ってきたりしたため、テンポに狂いがありそうな気がした横溝はひとまず保留していた。

しかし、一度書きあげたものに手を加えるのは容易でないことと、読みなおしてテンポにそれほど狂いがなかったので、ごく僅少の手を加えるのみで昭和29年3月に単行本化することにした。横溝は「こんなことならもっと早く出版してもよかったのにと、いまさらながら苦笑ものである」と述懐している。

横溝によると、本作のテーマの胚種が頭に芽生え始めたのは昭和23年に岡山の疎開地から帰って間もないころのことだそうで、このとき『宝石』誌上で『落陽殺人事件』の題名で予告を行っている。が、うまくまとまらず、連載は開始されなかった。「担当者武田武彦君には大きな迷惑をかけてしまった」と振り返っている。その後もあたため続けていたこのテーマが結実しはじめたのは、昭和26年夏のことだった。

夏のことで、硝子戸を開けっぱなしにして横溝が物思いにふけっていると、夜毎フルートの音が聞こえてくる。家人に聞くと、「隣家の植村さん[注 4]の御令息泰一君が練習していらっしゃるのだ」ということだった。横溝はこのときの様子を、「隣家といってもテニス・コートひとつへだてているのだから、相当はなれているのだが、そして、それだけ離れて聞いているのでいっそう身にしみてよかったのだが」とし、「私はこのフルートの音に魅了されたのである」と語っている。

このフルートの音と『落陽殺人事件』のテーマを結び付けることを思い立ち、本作の第1弾とした横溝は、息子に命じて植村泰一氏の練習しているフランツ・ドップラーの『ハンガリー田園幻想曲』のレコードを買ってこさせ、何度か聞いた上に泰一氏にも聞いてもらった。また息子の友人でフルート作曲に興味を持っている笹森健英氏にも来てもらって、両者からいろいろとフルートの知識を受けた[注 5]

このとき横溝は笹森氏に『悪魔が来りて笛を吹く』の曲を作曲してもらって、適当なところへ譜面を挿入するつもりだった。ところが横溝いわく「付け焼刃の悲しさには、フルートについてとんでもない錯誤を演じてしまい、しかも雑誌連載中そこを訂正すると、いっぺんにトリックが暴露する恐れがあるので、結局、譜面を挿入することは見合わせなければならなくなった」という。その後その部分は単行本化にあたって訂正されたが、結局譜面挿入は諦めている[3]

横溝が「フルートについてとんでもない錯誤を演じてしまい」と語っているのは、右手と左手を間違って書いてしまったことである。横溝は最後に楽譜を付けようと作曲を頼んだところ、笹森氏に「右手の指2本ないんじゃ作曲しようがない」と言われたといい、「途中でそう言われたんでガッカリしちゃってね、途中から左でしたって書くわけにもいかないもんね」とこの失敗を笑っている。本作は華族階級の「斜陽」を描いているが、横溝には「トリックと同時にこういう斜陽の世界を書きたい」との思いがあったという。ちょうど太宰治の名前が出たころで、『落陽殺人事件』との当初の題名で「落陽」としたのも、「斜陽じゃ太宰の翻案みたいだから」という理由によった。執筆については「ぼくは歌舞伎のファンですから、歌舞伎でよく、世界って言いますね。今度は斜陽書いてみようかとか、今度農村書いてみようとか。」と本作取り組みのきっかけについて語っている[4]

映画

1954年版

悪魔が来りて笛を吹く』は1954年4月27日に公開された。東映、監督は松田定次、主演は片岡千恵蔵

1979年版

悪魔が来りて笛を吹く
監督 斎藤光正
脚本 野上龍雄
原作 横溝正史
製作 角川春樹
橋本新一(プロデューサー)
出演者 西田敏行
夏八木勲
仲谷昇
音楽 山本邦山
今井裕
主題歌 榎本るみ「旅行く者よ」
撮影 伊佐山巌
編集 田中修
製作会社 東映東京
配給 東映
公開 日本の旗 1979年1月20日
上映時間 136分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
興行収入 7.3億円(配給収入[5]
テンプレートを表示

悪魔が来りて笛を吹く』は1979年1月20日に公開された。東映[注 6]、監督は斎藤光正、音楽は山本邦山今井裕。主演は西田敏行

キャスト

テレビドラマ

1977年版

横溝正史シリーズI・悪魔が来りて笛を吹く』は、TBS系列1977年6月25日から7月23日まで毎週土曜日22:00 - 22:55に放送された。全5回。

毎日放送製作。

キャスト

1992年版

名探偵・金田一耕助シリーズ・悪魔が来りて笛を吹く』は、TBS系列1992年4月9日の木曜日21:00 - 22:54に放送された。

本作では、東太郎は美禰子の兄となっており、椿家の一員である。

キャスト

1996年版

横溝正史シリーズ・悪魔が来りて笛を吹く』は、フジテレビ系列2時間ドラマ金曜エンタテイメント」(毎週金曜日21:00 - 22:52)で1996年10月25日に放送された。

家族構成がやや異なっており、利彦と秋子はいとこ同士。公丸は利彦の父親になっており、名字は「玉虫」ではなく「新宮」である。目賀・一彦・信乃は登場しない。

キャスト
※『18人の金田一耕助』では新宮華子役を津山登志子としているが、恐らく樋口しげりの誤り。

2007年版

金田一耕助シリーズ・悪魔が来りて笛を吹く』は、フジテレビ系列2時間ドラマ金曜プレステージ」(毎週金曜日21:00 - 22:52)で2007年1月5日に放送された。視聴率14.4パーセント。

利彦と秋子との性描写のシーンは描かれておらず(事実の説明はある)、秋子は殺されていない。また、家族構成がやや異なっており、玉虫公丸は利彦と秋子の父親になっており、利彦や一彦の名字は「新宮」ではなく「玉虫」である。華子と信乃は登場しない。

原作で河村駒子は金田一が淡路島に到着した時既に殺害されているが、本作では金田一到着の翌日に殺害されている。

キャスト

舞台

劇団ヘロヘロQカムパニー 悪魔が来りて笛を吹く (2010年8月8日 - 8月14日、 前進座劇場
ほぼ原作通りに舞台化されているが、タイプライターのトリック、ウィルヘルム・マイステルで金田一がヒントを得た件(くだり)は存在しない。
ラストに一彦が「悪魔が来りて笛を吹く」を演奏するオリジナルの展開を見せる。
キャスト

脚注

注釈

  1. ^ 」は火偏に禾だが、一部の日本語環境で表示できないため、「秋」の字で代用する。
  2. ^ このときは受賞作なしであった[1]
  3. ^ 正しくは、田中潤司が選んだベスト5(1.『獄門島』、2.『本陣殺人事件』、3.『犬神家の一族』、4.『悪魔の手毬唄』、5.『八つ墓村』)を「妥当なもの」とした上で、次にくるものとして本作を挙げている[2]
  4. ^ 植村泰二。元ピー・シー・エル映画製作所社長。
  5. ^ 植村泰一は、その後東京芸術大学に進んでNHK交響楽団在籍のプロ奏者として活躍。1979年の本作映画化の際には招かれて山本邦山作曲のオリジナル主題曲を演奏している。
  6. ^ 角川春樹の手腕を見込んだ岡田茂東映社長の要請で[6]、角川は本作以降、『白昼の死角』(1979年)『魔界転生』(1981年)など、角川春樹事務所を離れ、単独で東映映画のプロデューサーを務めた[6][7]

出典

  1. ^ 1954年 第7回 日本推理作家協会賞 日本推理作家協会公式サイト参照。
  2. ^ 真説 金田一耕助』(横溝正史著・角川文庫、1979年)参照。
  3. ^ 『悪魔が来りて笛を吹く』あとがき(昭和29年3月)参照。
  4. ^ 『歌手が来りて推理小説を語る』(『音楽の友』、昭和49年1月、大橋国一らとの対談)参照。
  5. ^ 中川右介「資料編 角川映画作品データ 1976-1993」『角川映画 1976‐1986 日本を変えた10年』角川マガジンズ、2014年、281頁。ISBN 4-047-31905-8 
  6. ^ a b 「岡田茂をめぐる七人の証言 角川春樹『最後の頼みの綱という心強い存在』」『キネマ旬報2011年平成23年)7月上旬号 63-64、キネマ旬報社、2011年。 
  7. ^ 『映画界のドン 岡田茂の活動屋人生』文化通信社、2012年、109、142、249-250頁頁。ISBN 978-4-636-88519-4 岡田茂『悔いなきわが映画人生:東映と、共に歩んだ50年』財界研究所、2001年、182-183頁。ISBN 4-87932-016-1 “角川春樹氏、思い出語る「ひとつの時代終わった」…岡田茂氏死去(archive)”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2011年5月10日). http://archive.is/9Divz 2015年11月2日閲覧。 

関連項目

外部リンク