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岩木山竜太

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岩木山竜太
場所入りする岩木山
基礎情報
四股名 岩木山 竜太
本名 對馬 竜太
愛称 ツシマ
生年月日 (1976-03-02) 1976年3月2日(48歳)
出身 青森県中津軽郡岩木町
(現在の青森県弘前市
身長 184cm
体重 171kg
得意技 押し、左差し、寄り
成績
現在の番付 引退
最高位小結
生涯戦歴 407勝365敗78休(62場所)
幕内戦歴 293勝318敗34休(43場所)
優勝 十両優勝2回
三段目優勝1回
敢闘賞1回、技能賞1回
データ
初土俵 2000年7月場所
入幕 2002年11月場所
引退 2010年9月場所
引退後 年寄関ノ戸
趣味 音楽鑑賞
備考
金星1個(朝青龍
2010年9月26日現在

岩木山 竜太(いわきやま りゅうた、1976年3月2日 - )は、青森県中津軽郡岩木町(現弘前市)出身で境川部屋(入門時は中立部屋)所属の元大相撲力士。本名は對馬竜太(つしま りゅうた)、愛称はツシマ。身長184cm、体重171kg、血液型はO型、趣味は音楽鑑賞と競馬研究。最高位は東小結2005年3月場所)。現在は、年寄関ノ戸

来歴

弘前実業高校青森大学と相撲部に所属。高見盛は弘前実高相撲部の後輩である。大学卒業後、同じ設立母体の青森山田高校の職員兼相撲部コーチとなって、アマチュア相撲で鳴らしたが、同じくアマチュア相撲を取っていた友人の死をきっかけとしてプロ入りを決意し、中立部屋に入門した[1]

2000年7月場所に幕下付出初土俵、幕下60枚目格付出最後の適用者である。怪我で一時は三段目に陥落したが、2001年3月場所に三段目優勝すると幕下中位に定着。2002年3月場所に十両に昇進し、4場所で同年11月場所に新入幕する。2003年4月には青森大学大学院(環境科学研究科環境教育学専攻)に入学し、史上初の現役大学院生力士となる(後に休学)。

2004年9月場所で横綱朝青龍に勝ち、初の金星を獲得する。しかし2006年11月場所以降、翌1月場所、3月場所、5月場所と負け越して7月場所では十両に陥落。主に首に怪我を負って得意のぶちかましができない状況で、年齢もあってか馬力に陰りが見られるようになった。以後も2度十両陥落した。

2007年12月に年下の一般女性との婚約を発表する。

魁皇には、2010年3月場所終了時点で11戦全敗と苦手である。逆に、垣添には、稽古場では勝てないものの2009年5月場所終了時点で16戦全勝であったが、2009年11月場所で初黒星を喫した。

2010年4月、小脳脳梗塞で夏場所を休場。同年7月の名古屋場所も回復できずに全休し、秋場所での幕下陥落が濃厚となり、既に年寄名跡関ノ戸」を取得していることから、そのまま引退する方向になると師匠の境川親方が語った[2]。しかし、2010年7月場所では大相撲野球賭博問題の影響で多数の謹慎力士が出たため、同じ全休でも区別するという形で9月場所は十両に残留することになった。この9月場所も全休し、同場所千秋楽に引退を表明して年寄関ノ戸襲名した。今後は境川部屋付きの親方として後進の指導に当たる。

取り口

体格を生かした馬力相撲で、広い額でのぶちかましから出足鋭く攻めた。突き押しや左四つ・もろ差しからの寄りを見せた。小手投げも強かった。このように攻撃面は強力だったが、守りは脆かった。腰高で上体が硬いのが主要因であった。また、脇が甘く簡単に相手十分の四つに組まれることも多かった。

主な成績

通算成績

  • 生涯成績:407勝365敗78休(62場所)
  • 幕内成績:293勝318敗34休
  • 幕内在位:43場所
  • 三役在位:2場所
    • 小結2場所

三賞・金星

  • 三賞:2回
    • 技能賞:1回(2003年9月場所)
    • 敢闘賞:1回(2002年11月場所)
  • 金星:1個
    • 朝青龍1個

各段優勝

  • 十両優勝:2回(2002年5月場所、2007年7月場所)
  • 三段目優勝:1回(2001年3月場所)

場所別成績

                                               
岩木山竜太


一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
2000年
(平成12年)
x x x 幕下付出60枚目
4–3 
東幕下51枚目
0–2–5 
東三段目26枚目
5–0–2 
2001年
(平成13年)
東三段目2枚目
0–0–7 
東三段目62枚目
7–0 
東幕下38枚目
6–1 
西幕下16枚目
3–4 
東幕下26枚目
6–1 
東幕下10枚目
5–2 
2002年
(平成14年)
東幕下3枚目
6–1 
東十両11枚目
8–7 
東十両9枚目
11–4 
西十両3枚目
9–6 
東十両筆頭
10–5 
西前頭11枚目
10–5
2003年
(平成15年)
西前頭5枚目
7–8 
東前頭6枚目
6–5–4[3] 
西前頭9枚目
7–8 
東前頭10枚目
8–7 
東前頭5枚目
11–4
西小結1
6–9 
2004年
(平成16年)
東前頭2枚目
6–9 
西前頭5枚目
7–8 
西前頭6枚目
10–5 
西前頭筆頭
7–8 
東前頭2枚目
7–8
東前頭3枚目
9–6 
2005年
(平成17年)
東前頭筆頭
8–7 
東小結1
4–11 
西前頭4枚目
5–10 
西前頭8枚目
9–3–3[4] 
東前頭4枚目
7–8 
西前頭4枚目
7–8 
2006年
(平成18年)
東前頭5枚目
8–7 
西前頭3枚目
4–11 
東前頭9枚目
7–8 
西前頭10枚目
9–6 
西前頭5枚目
10–5 
西前頭筆頭
2–13 
2007年
(平成19年)
東前頭10枚目
7–8 
東前頭11枚目
5–10 
西前頭15枚目
6–9 
東十両筆頭
12–3 
東前頭10枚目
4–11 
東十両筆頭
11–4 
2008年
(平成20年)
東前頭13枚目
9–6 
東前頭9枚目
7–8 
東前頭11枚目
8–7 
西前頭9枚目
8–7 
東前頭7枚目
1–2–12[5] 
東十両2枚目
11–4 
2009年
(平成21年)
東前頭11枚目
8–7 
東前頭10枚目
8–7 
東前頭8枚目
9–6 
東前頭3枚目
5–10 
東前頭8枚目
8–7 
西前頭4枚目
2–13 
2010年
(平成22年)
東前頭14枚目
9–6 
東前頭8枚目
8–7 
東前頭5枚目
休場[6]
0–0–15
東十両2枚目
休場[7]
0–0–15
西十両14枚目
引退
0–0–15[8]
x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

脚注

  1. ^ 引退を報じた秋場所千秋楽のNHK大相撲中継によると、十両に上がる頃まではこの友人が夢に出て来たという。なお、この日の解説であった舞の海秀平も同様のエピソードを持つ奇縁がある。
  2. ^ 元小結の岩木山、名古屋場所も全休 引退の方向 asahi.com 2010年7月9日
  3. ^ 腰椎捻挫により途中休場。
  4. ^ 左肩鎖関節挫傷・腱板挫傷により途中休場。
  5. ^ 右足関節外側靱帯損傷により途中休場。
  6. ^ 小脳に脳こうそくが見つかり、2か月の安静が必要という診断を受け休場。
  7. ^ 小脳に脳こうそくにより初日から休場。
  8. ^ 小脳に脳こうそくにより初日から休場。

改名歴

  • 對馬 竜太(つしま りゅうた)2000年7月場所 - 2000年11月場所
  • 岩木山 竜太(いわきやま - )2001年1月場所 - 2010年9月場所
    四股名は、郷里の岩木町と岩木山に由来する。

年寄変遷

  • 関ノ戸 竜太(せきのと りゅうた)2010年9月場所 -

関連項目

外部リンク