屏風浦駅
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屏風浦駅 | |
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屏風浦駅(2006年5月2日撮影) | |
びょうぶがうら Byōbugaura | |
◄KK44 上大岡 (2.2 km) (1.3 km) 杉田 KK46► | |
所在地 | 横浜市磯子区森三丁目18-6 |
駅番号 | ○KK45 |
所属事業者 | 京浜急行電鉄 |
所属路線 | ■本線 |
キロ程 | 33.0 km(品川起点) |
駅構造 | 高架駅 |
ホーム | 相対式 2面2線 |
乗降人員 -統計年度- |
18,055人/日 -2010年- |
開業年月日 | 1930年(昭和5年)4月1日 |
備考 | 屏風ヶ浦駅より改称 |
屏風浦駅(びょうぶがうらえき)は、神奈川県横浜市磯子区森三丁目にある京浜急行電鉄本線の駅である。駅番号はKK45。
駅構造
6連対応相対式ホーム2面2線を有する高架駅。線路はほぼ北西から南東に走り、駅舎は線路の北東側に設けられている。
1991年(平成3年)築の駅舎は平屋建てである。直営駅で、内部には自動券売機や自動改札機、有人の窓口などが設けられている。また、駅内部では「コロちゃんコロッケ」屏風浦店が営業していた。
のりば
1 | ■京急本線 | 金沢文庫・横須賀中央・浦賀・三浦海岸方面 |
2 | ■京急本線 | 横浜・京急川崎・品川・新橋方面 |
利用状況
2010年度の1日平均乗降人員は18,055人である[1]。近年の1日平均乗車人員推移は下記の通り。
年度 | 1日平均 乗車人員[2] |
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1997年 | 9,066 |
1998年 | 9,070 |
1999年 | 8,772 |
2000年 | 8,960 |
2001年 | 8,904 |
2002年 | 8,834 |
2003年 | 8,831 |
2004年 | 8,742 |
2005年 | 8,705 |
2006年 | 8,867 |
2007年 | 9,062 |
2008年 | 9,054 |
2009年 | 8,974 |
2010年 | 9,011 |
2011年 |
駅周辺
市街地の中にある駅。駅前にはタクシーが常駐する。JR根岸線の磯子駅へは東へ約1km、徒歩15 - 20分程の距離である。
- 磯子中央・脳神経外科病院
- 屏風ヶ浦病院
- 汐見台団地
- 神奈川県立汐見台病院
- 環状2号線
- 磯子郵便局
- 郵便事業磯子支店
- 横浜中原郵便局
- 横浜市交通局磯子営業所
- 横浜市立屏風浦小学校
- 神奈川県立磯子工業高等学校
- 京急ストア屏風浦店
- ロイヤルホスト
- ヴィ・ド・フランス
- 横浜市立森中学校
バス路線
- 屏風ヶ浦駅前 - 横浜市営バス・神奈川中央交通・横浜京急バス・江ノ電バス横浜の路線が発着する。路線の詳細は横浜市営バス磯子営業所・横浜市営バス滝頭営業所・神奈川中央交通横浜営業所・横浜京急バス杉田営業所・江ノ電バス横浜・横浜営業所を参照。
歴史
- 1930年(昭和5年)4月1日 - 湘南電気鉄道の黄金町 - 浦賀間開通と共に屏風ヶ浦駅として開業。当時は杉田駅、京急富岡駅、能見台駅は設置されておらず、次の駅が金沢文庫駅であった。
- 1941年(昭和16年)11月1日 - 湘南電気鉄道の合併により京浜電気鉄道の駅となる。
- 1942年(昭和17年)5月1日 - 京浜電気鉄道の合併により東京急行電鉄(大東急)の駅となる。
- 1948年(昭和23年)6月1日 - 東京急行電鉄からの独立により京浜急行電鉄の駅となる。
- 1964年(昭和39年) - 駅舎を改築。
- 1991年(平成3年) - 駅舎を再び改築。
開業当初は屏風ヶ浦駅と称していたが、昭和20年代に現在の屏風浦駅に改められたという。当初、駅名は現在の所在地である「森」駅とする予定であったが、森駅が既に北海道にあったため、不採用となった。
屏風浦は旧村名で、かつてこの付近の切り立った崖が東京湾から望むと屏風のように見えたことにちなむ。
太平洋戦争時以前は、屏風ヶ浦駅から南方面は「軍の要塞部」として国から指定され、戦争時は屏風ヶ浦で全ての電車が停車し憲兵による「身分証明書」と「通行証」のチェックが入った。所持していない乗客は先まで乗車できなかった。 京浜・湘南直通時代から急行運転が行われていたが、上大岡から先は浦賀、湘南逗子行き共に各駅停車となっていたため「屏風ヶ浦」駅での憲兵による検閲が実施されていた。
隣の駅
脚注
関連項目
- 日本の鉄道駅一覧
- くるり - 京急を題材にした楽曲「赤い電車」で知られるが、当駅と同名の「屏風浦」という楽曲も発表している(アルバム『図鑑』に収録)。
- 横浜市営地下鉄 - 2号線が当駅から神奈川新町駅までの路線として計画されたが、中止となった。