万博記念公園

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日本万国博覧会記念公園
東の広場と桜並木(紅葉)
分類 公の施設
所在地
大阪府吹田市千里万博公園
座標 北緯34度48分34.28秒 東経135度31分56.67秒 / 北緯34.8095222度 東経135.5324083度 / 34.8095222; 135.5324083座標: 北緯34度48分34.28秒 東経135度31分56.67秒 / 北緯34.8095222度 東経135.5324083度 / 34.8095222; 135.5324083
面積 264ヘクタール
開園 1972年3月15日
運営者 大阪府
設備・遊具 日本民芸館
陸上競技場
野球場他
アクセス #アクセスを参照
事務所 万博記念公園管理事務所
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太陽の塔
日本庭園
鉄鋼館(EXPO'70パビリオン)
イルミナイト万博2009
ファイル:Tower of the Sun3661.JPG
ライトアップされる桜並木

日本万国博覧会記念公園(にほんばんこくはくらんかいきねんこうえん)は日本万国博覧会(大阪万博)の跡地を整備した公園である[1]万博記念公園(ばんぱくきねんこうえん)や万博公園(ばんぱくこうえん)とも呼称される。広

所在地は大阪府吹田市千里万博公園。公園を管理するのは、大阪府である。1972年3月15日の日本万国博覧会一般公開2周年の日にエキスポランド自然文化園の第1期及び日本庭園・大阪日本民藝館などを公開して開園する。その後、自然文化園が第3期に分けて整備・公開され、国立民族学博物館が開設される一方、開園後に閉鎖された施設もある。

自然文化施設

日本さくら名所100選に選ばれている。

  • 自然文化園
    パビリオンを撤去した跡に作られた広大な芝生の広場やアジサイなど季節の花がある。太陽の塔もこの園内にある。
  • 日本庭園 - 万国博覧会出展のために作庭された約26ヘクタールの池泉回遊式庭園である。設計及び施工指導は田治六郎。上代・中世・近世・現代の4庭園で構成され、各時代の様式を一堂に見ることができる「庭園博物館的な機能」を兼ね備える。
  • 自然観察学習館
  • ソラード - 森の空中観察路。森の木の高さと同じ高さ(3~10メートル)に作られた観察道。森の集音器、展望台などもある。

文化施設

  • 国立民族学博物館 - 博物館を併設した研究施設。
  • 大阪日本民藝館[1] - 万国博覧会開催当時のパビリオンのひとつ。
  • EXPO'70 パビリオン - 万博開催当時のパビリオンであった「鉄鋼館」を利用して2010年3月13日に開設された。万博の映像・写真などを展示している。
  • もみじ川芝生広場 - 自然文化園の中にある。野外コンサートが開かれ、FM802が主催するMEET THE WORLD BEATも1990年から毎年開催されている。

スポーツ施設

EXPOCITY(左)と市立吹田サッカースタジアム(2016年3月時点)

レジャー施設

万博記念公園周辺の空中写真。
1985年撮影の9枚を合成作成。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。

主な残存施設

大屋根の一部

建設予定だった施設

  • 国立産業技術史博物館 - 日本の技術史に関する資料を展示する博物館で70年代後半から計画があったが、財政難のため計画は頓挫し2009年3月末には、鉄鋼館(現EXPO'70パビリオン)に保管されていた資料は一部を除き全て破棄された。

かつて存在した施設

公園化後も残存していた万博施設

エキスポタワー(2002年7月)
お祭り広場大屋根付近のステレオ空中写真(1975年1月) 国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
在りし日の国立国際美術館(2004年2月)
  • エキスポランド - 万国博覧会開催時に設置されたが、2009年8月までに全アトラクション施設が撤去された。休憩所や階段・通路等の構造物も2013年11月からの工事で撤去された。詳細はエキスポランドを参照。
  • エキスポタワー - 老朽化で2003年に解体。
  • 国立国際美術館 - もと万国博美術館。老朽化により、大阪市北区中之島に移転。解体。
  • 万国博ホール - 国立国際美術館とともに2005年に解体。両館の跡地は新設の「日本庭園前駐車場」になっている。
  • 日本館(万博記念公園開園後もしばらくは残存していたが、再使用されることなく解体された)
  • テーマ館の地下展示部分及び周囲の構造物 - 大屋根と共に撤去された。
  • 青春の塔・母の塔 - 元々は太陽の塔の右側に青春の塔が、左側に母の塔が建てられていた。両方とも岡本太郎の芸術作品である建造物であった。大屋根撤去の際に青春の塔のみエキスポランド内に一時移設されたが、後に撤去された。
  • 万国博協会別館(万国博覧会郵便局)- 万国博記念館として整備された後、1991年に記念館を縮小して1階が大阪ガスの体験型ショールーム「生活誕生館DILIPA」となった。DILIPAは京セラドーム大阪横への「ハグミュージアム」開設に先立ち2014年9月23日で閉館し、建物全体が2015年5月までに解体され、跡地は駐輪場になっている。

博覧会閉幕後に設置されたが現在は撤去または閉鎖された施設

  • 万博プール - 博覧会閉幕後に南駐車場の一角に作られたが、1996年に閉鎖。2005年に撤去され、「総合スポーツ広場」に転用された。
  • 万博アーチェリー場 - 博覧会閉幕後に西駐車場に隣接する緑地の一角に作られたが1997年に閉鎖され、跡地はフットサルコートに転用された。
  • サイクルランド - 博覧会閉幕後に南駐車場の一角に作られたが、閉鎖され、跡地エキスポフラッシュフィールドに転用された。
  • スターダスト千里 - 万博閉幕後に西駐車場の一角に作られたドライブインシアター。乗用車エンジンのアイドリングを避けることが難しいことなどから2001年に閉鎖され、跡地はスーパー銭湯「万博おゆば」に転用された。
  • 大阪府立国際児童文学館 - 1984年開館。児童文学漫画を中心に約70万点の関連資料を所蔵していた。橋下徹が大阪府知事に就任後、財政再建の一環として大阪府立中央図書館に統合することとなり、2009年12月末で休館、2010年3月末で正式に廃止された。
  • 万博ファームエキスポ - エキスポランド跡地に2010年より開園された農業体験公園。2011年5月15日に閉園。

中華人民共和国展覧会

1972年に日本は中華人民共和国との国交を回復したが、日本万国博覧会当時は中国の代表として中華民国がパビリオンを出展していたため、中華人民共和国の展覧は行われていなかった。そのため中華人民共和国展覧会が1974年7月13日から8月11日まで、まだ残存していたテーマ館過去展示部分やその周囲の売店部分をメイン会場として開催された。万国博美術館(後の国立国際美術館)が第2会場に、万国博ホールでは映画が公開された。

アクセス

電車・バス

以下は駅より路線バス(阪急バスまたは近鉄バス)利用

備考

脚註

  1. ^ 大阪府日本万国博覧会記念公園条例
  2. ^ ラリアートよ永遠なれ! スタン・ハンセン大特集 24時・外伝に記載あり
  3. ^ a b 里き・源吉の手紙を読む会 編『故国遙かなり―太平洋を渡った里き・源吉の手紙』ドメス出版、2011年3月15日、207pp. ISBN 978-4-8107-0750-2 (42 - 43ページより)
  4. ^ 平成25年5月24日法律第19号

関連項目

外部リンク