トムス
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 東京都世田谷区等々力6丁目13番10号 |
設立 | 1974年2月20日 |
業種 | 輸送用機器 |
法人番号 | 6010901008564 |
事業内容 | 自動車用部品、用品の企画、開発、販売 ほか |
代表者 |
代表取締役会長 舘信秀 代表取締役社長 大岩湛矣 |
資本金 | 5,000万円 |
外部リンク | http://www.tomsracing.co.jp/ |
株式会社トムス(英: TOM'S Co., Ltd.)は、主にトヨタ車向けのアフターパーツなどの開発・販売を手がける日本の企業。トヨタ車を用いたレース活動も行っている。本社は東京都世田谷区。
概要
設立は1974年。オイルショックによりトヨタがワークスチームを解散したのに伴い、そのワークスドライバーだった舘信秀と、トヨタ系ディーラーのスポーツコーナー責任者だった大岩湛矣(おおいわ きよし)が共同で立ち上げた。TOM'Sの名の由来は、舘(Tachi)、大岩(Oiwa)とモータースポーツ(Motor Sports)の頭文字を組み合わせたものである。
設立以来トヨタのレース活動に深く関わっており、一時はワークス活動を委託されていたため、社名を「トヨタ・モータースポーツ」の略と間違われることもあるが、子会社ではなく独立企業である。
レース活動
国籍 | 日本 |
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本拠地 | 静岡県御殿場市 |
創設者 | 舘信秀、大岩湛矣 |
チーム代表 | 舘信秀 |
関係者 | 関谷正徳 ほか |
活動期間 | 1974年 - 現在 |
カテゴリ |
全日本F3000、FN、SF、全日本F3 JTCC、JGTC、SUPER GT WSPC、SWC、ル・マン JSPC |
チームズ タイトル |
FN 1(2011) 全日本F3 6 (2003,2005,2006,2007,2008,2009,2010(C)) JGTC 2(1997,1999) SUPER GT 3(2006,2008,2009) SUPER FORMULA 1 (2014) |
ドライバーズ タイトル |
FN 2(2011,2012) 全日本F3 9(1991,1993,1994,1995,1998,1999,2003,2005, 2006,2007,2008,2009,2010(C)) JTCC 1(1994) JGTC 1(1997) SUPER GT 2(2006,2009) SUPER FORMULA 1 (2014) |
公式サイト | TOM'S |
2016年のスーパーフォーミュラ | |
エントリー名 | VANTELIN TEAM TOM'S |
レーサー |
36. アンドレ・ロッテラー 37. 中嶋一貴 |
マシン | VANTELIN TOM'S SF14・トヨタ |
タイヤ | 横浜ゴム |
2016年の全日本F3選手権 | |
エントリー名 | ZENT TEAM TOM'S |
レーサー |
36. 山下健太 37. 坪井翔 |
マシン | ZENT TOM'S F312 |
タイヤ | 横浜ゴム |
2016年のSUPER GT (GT500) | |
エントリー名 | LEXUS TEAM TOM'S |
レーサー |
36. 伊藤大輔 ニック・キャシディ 37. ジェームス・ロシター 平川亮 |
マシン |
36. au TOM'S RC F 37. KeePer TOM'S RC F |
タイヤ | ブリヂストン |
全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権
全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権には1983年のシリーズ開幕戦、鈴鹿500kmから参戦。以降1992年のシリーズ最終戦MINE500kmまで全戦参加する。1983年開幕時は、1982年のWEC-JAPAN用に開発したトムス童夢・セリカCを改良したトムス82Cを使用し、シーズン途中からトムス83Cに変更した。
以降84C、85C、86C、87C、88C、88C-V、89C-V、90C-V、91C-V、92C-V、TS010を投入し、10年間で8勝をあげた。1992年にはCクラスでチャンピオンを獲得している。1987年からは「TOYOTA TEAM TOM'S」(TTT)としてトヨタのワークス活動も担う。これに伴い87C以降はマシン名も「トムス」から「トヨタ」になった。
ル・マン24時間レース
ル・マン24時間レースへの初参戦は1980年で、マシンはIMSA-GTX仕様のA40セリカ・ターボ。この時は予選落ちに終わる。
1985年からはグループCで参戦を続ける。85年はトムス・85C/トヨタで12位完走。1987年からは「TOYOTA TEAM TOM'S」(TTT)としてトヨタのワークスとして参戦。1990年にはトヨタ90C-Vで6位入賞。1991年には参戦を休止したが、1992年にはTS010で復帰、2位に入賞し関谷正徳が日本人として初めてル・マンの表彰台に立った。翌1993年もTS010で挑むがまたしてもプジョーに敗れ4位。以降トムスはル・マンに参戦していない。
世界スポーツプロトタイプカー選手権
世界スポーツプロトタイプカー選手権 (WSPC) には1989年から「TOYOTA TEAM TOM'S」(TTT)としてトヨタ88C、89C-Vでフル参戦。第2戦ディジョンでは88Cが4位に入賞している。翌1990年には全戦2カーで挑むが、開幕戦の鈴鹿の4位が最高位。
スポーツカー世界選手権 (SWC) と改称した翌1991年は参戦を休止したが、最終戦オートポリスに翌年の参戦を条件に特例で開発したばかりのTS010でスポット参戦し6位となった。1992年にTS010でシリーズ復帰。開幕戦モンツァでは小河等が優勝を飾るもその後はプジョーに勝てず、チャンピオンの座は獲得できなかった。SWCはこのシーズンをもって終了した。
全日本F3選手権
参戦当初より、現在に至るまで全日本F3のトップコンテンダーの一角を形成しており、何人ものチャンピオンを輩出している。かつては後述のトムスGBで設計・製作したオリジナルシャシーで参戦していたが、現在はダラーラ製シャシーを使用している。またF3用エンジンチューナーとしても活動しており、最大のライバルであった無限の撤退後は、全日本F3に参戦しているチームのほとんどがトムス・トヨタ製のエンジンを搭載している。
若手外国人ドライバーの発掘や、フォーミュラトヨタ・レーシングスクール (FTRS) やトヨタ・ヤングドライバーズ・プログラム (TDP) と連携しての日本人若手ドライバーの育成に積極的であり、外国人ではジャック・ヴィルヌーヴ、トム・クリステンセン、トム・コロネル、エイドリアン・スーティル、マーカス・エリクソン、日本人では高木虎之介、中嶋一貴、大嶋和也といったドライバーたちが巣立っていった。
またマカオグランプリにも積極的に参戦しており、1992年(リカルド・リデル)、1998年(ピーター・ダンブレック)、1999年(ダレン・マニング)、2007年(オリバー・ジャービス)、2008年(国本京佑)と、マカオグランプリのF3レースで通算5勝を挙げている。マカオグランプリのF3レースには他にも日本のレーシングチームが多数参戦するが、優勝したことがある日本のレーシングチームは2013年現在、トムスのみである。
全日本F3000選手権・フォーミュラ・ニッポン・スーパーフォーミュラ
全日本F3000選手権には1993年のみ参戦。ドライバーに関谷正徳を起用し、第10戦は野田英樹が関谷に代わってスポット参戦。第11戦(最終戦)は関谷と野田の2台体制となる。
- 1993年
- TOM'S REYNARD 93D(#36 関谷正徳/野田英樹) - Reynard 93D・Ford Cosworth DFV
- TENORAS TOM'S 93D(#30 野田英樹) - Reynard 93D・Ford Cosworth DFV
フォーミュラ・ニッポンには2006年より参戦。2006年に2勝、2007年に1勝、2008年に1勝(第6戦の第2レース)、2009年に1勝、2010年に2勝を挙げた。そして2011年にはロッテラーが5勝、中嶋一貴が1勝、さらにロッテラーが欠場した第2戦(中嶋が優勝)を除く全レースで二人が表彰台に上がるという圧倒的な強さで初のチームタイトルを獲得、ドライバーズランキングもロッテラーと中嶋で1位、2位を占めるという圧勝であった。翌2012年は中嶋がシリーズチャンピオンを獲得、チームランキングはダンデライアンに敗れ2位に終わった。2013年はチームタイトルを2年ぶり奪還、チーム創立40周年となる2014年は中嶋が再びドライバーズタイトルを獲得し、チームタイトルも2年連続で獲得、2015年はドライバーズタイトルこそ逃したが中嶋が2位、ロッテラーが3位となりチームタイトル3連覇、名実共に黄金時代を迎えている。
- 2006年
- DHG TOM'S RACING(#36 アンドレ・ロッテラー/#37 土屋武士) - FN06・TOYOTA RV8J
- 2007年
- DHG TOM'S RACING(#36 アンドレ・ロッテラー/#37 荒聖治) - FN06・TOYOTA RV8J
- 2008年
- PETRONAS TEAM TOM'S(#36 アンドレ・ロッテラー/#37 荒聖治) - FN06・TOYOTA RV8J
- 2009年
- PETRONAS TEAM TOM'S(#36 アンドレ・ロッテラー/#37 大嶋和也) - FN09・TOYOTA RV8K
- 2010年
- PETRONAS TEAM TOM'S(#36 アンドレ・ロッテラー/#37 大嶋和也) - FN09・TOYOTA RV8K
- 2011年(チームタイトル獲得)
- 2012年
- PETRONAS TEAM TOM'S(#1 アンドレ・ロッテラー/#2 中嶋一貴) - FN09・TOYOTA RV8K
- 2013年
- PETRONAS TEAM TOM'S(#1 中嶋一貴/#2 アンドレ・ロッテラー) - SF13・TOYOTA RV8K
- 2014年
- PETRONAS TEAM TOM'S(#36 アンドレ・ロッテラー/#37 中嶋一貴) - SF14・TOYOTA R14A
- 2015年
- PETRONAS TEAM TOM'S(#1 中嶋一貴/#2 アンドレ・ロッテラー) - SF14・TOYOTA R14A
全日本GT選手権・SUPER GT
全日本GT選手権には1995年より参戦。1997年にシリーズチャンピオンを獲得後、2005年にSUPER GTとなってからも参戦を継続、2006年、2009年にもシリーズチャンピオンに輝いた。マシンのベースとなる車種は2005年まではトヨタ・スープラ、2006年から2013年はレクサス・SC430、2014年以降はレクサス・RC Fを用いている。エントラント名は2000年以前はスポンサー名を含むものだったが、2001年から「TOYOTA TEAM TOM'S」に統一した。同年に関谷正徳が監督に就任している。2008年からはスポンサー名を含むエントラント名に戻った。
- 1995年
- 1996年
- 36号車 カストロールトムススープラ 関谷正徳/ペドロ・デ・ラ・ロサ(BS)
- 1997年
- 36号車 カストロールトムススープラ ミハエル・クルム/ペドロ・デ・ラ・ロサ(BS)
- 37号車 カストロールトムススープラ 関谷正徳/鈴木利男(BS)
- 1998年
- 36号車 カストロールトムススープラ 関谷正徳/ノルベルト・フォンタナ(DL)
- 37号車 カストロールトムススープラ 鈴木利男/ケルビン・バート(DL)
- 1999年
- 35号車 マツモトキヨシトムススープラ 山路慎一/ピエール・アンリ・ラファネル(MI)
- 36号車 カストロールトムススープラ 関谷正徳/黒澤琢弥(MI)
- 37号車 カストロールトムススープラ 鈴木利男/片山右京(MI)
- 2000年
- 2001年
- 2002年
- 2003年
- 2004年
- 36号車 WOODONEトムススープラ 土屋武士/マルコ・アピチェラ(BS)
- 37号車 DYNACITYトムススープラ ジェームス・コートニー/片岡龍也(BS)
- 2005年
- 36号車 DYNACITY(OPEN INTERFACE)トムススープラ 土屋武士/ジェームス・コートニー(BS)
- 37号車 DYNACITY(OPEN INTERFACE)トムススープラ 片岡龍也/山本左近(BS)
- ※第4戦までダイナシティがメインスポンサーだったが、同社の社長の不祥事などがら、第5戦よりオープンインタフェースがメインスポンサーとなった。
- 2006年
- 36号車 OPEN INTERFACE TOM'S SC430 脇阪寿一/アンドレ・ロッテラー(BS)
- ※2006年は1台のみのエントリーなのは、トヨタがSCの供給を全部で4台に絞った為だが後述の通りこの年以降2012年まで1台体制となっている。鈴鹿1000kmでは、エイドリアン・スーティルも参戦。
- 2007年
- 1号車 宝山 TOM'S SC430 脇阪寿一/アンドレ・ロッテラー(BS)
- ※鈴鹿1000kmではオリバー・ジャービスが起用されている。
- 2008年
- 36号車 PETRONAS TOM'S SC430 脇阪寿一/アンドレ・ロッテラー(BS)
- ※鈴鹿1000kmではカルロ・ヴァン・ダムが起用されている。
- 2009年
- 36号車 PETRONAS TOM'S SC430 脇阪寿一/アンドレ・ロッテラー(BS)
- 2010年
- 1号車 PETRONAS TOM'S SC430 脇阪寿一/アンドレ・ロッテラー(BS)
- 2011年
- 36号車 PETRONAS TOM'S SC430 アンドレ・ロッテラー/中嶋一貴(BS)
- 2012年
- 36号車 PETRONAS TOM'S SC430 中嶋一貴/ロイック・デュバル・リチャード・ライアン(第2戦のみ)(BS)
- 2013年
- 36号車 PETRONAS TOM'S SC430 中嶋一貴/ジェームズ・ロシター (BS)
- 37号車 KeePer TOM'S SC430 伊藤大輔/アンドレア・カルダレッリ (BS)
- 2014年
- 36号車 PETRONAS TOM'S RC F 中嶋一貴(Rd.1,4-8)/ジェームズ・ロシター /平川亮(Rd.2,3)(BS)
- 37号車 KeePer TOM'S RC F 伊藤大輔/アンドレア・カルダレッリ (BS)
- 2015年
- 36号車 PETRONAS TOM'S RC F 伊藤大輔/ジェームズ・ロシター (BS)
- 37号車 KeePer TOM'S RC F 平川亮/アンドレア・カルダレッリ (BS)
- 2016年
- 36号車 au TOM'S RC F 伊藤大輔/ニック・キャシディ(BS)
- 37号車 KeePer TOM'S RC F 平川亮/ジェームズ・ロシター (BS)
※括弧内は使用タイヤメーカー。BS=ブリヂストン、DL=ダンロップ、MI=ミシュラン
トムスGB
ヨーロッパにおけるトムスの活動拠点として、1987年にイギリスのノーフォーク州ヒンガムに設立した現地法人。世界スポーツプロトタイプカー選手権 (WSPC) にフル参戦するTTTの前線基地となったほか、コンストラクターとして独自にF3マシンを開発・販売した。
1992年にはファクトリーを拡張し、鮒子田寛が社長に就任。密かにF1参戦計画を推進し、マシン設計者としてジョン・バーナードを迎え入れたが、トヨタからF1へのエンジン供給を引き出せなかった。バーナード離脱後はフランク・コパックが後任となり、フォードのカスタマーエンジンでのF1参戦を目指したが、資金調達が難航して頓挫した。
トムスGBは1998年にアウディに売却され、「レーシング・テクノロジー・ノーフォーク」 (RTN) と改名。アウディ・R8やアウディ・R10 TDI、ベントレー・スピード8といったマシンを製作し、ル・マンにおける成功を支えた。2010年から2012年まではロータス・レーシング(現ケータハムF1チーム)の拠点となった。
チューニングパーツメーカーとしての活動
事業内容にもあるように基本的にトヨタ車専門のパーツメーカーである(かつてDoエンジニアリングとの共同で、マツダ・RX-7(FD3S)用アドヴォクスを発売した例外はある)。
ディーラー販売もされるため、手堅いメニューが多く、過度なチューニングは取り揃えていない。商品では、高価格車高調「コイルダンパーユニット アドヴォクス」において乗り心地の犠牲を伴わずに運動性能を向上させるコンセプトが高評価を受けた。また、このアドヴォクスの機能向上のためフロアプレースバーを製作販売し、またアドヴォクスと組み合わせるとドライバーにとって違和感のある動きをするという理由でARSキャンセラーを製作するなど、足回り関係の商品には重点を置いている。
また解析が難しいと言われたトヨタ・アリスト(JZS161 アリストV300)のチューンドECUである「T.E.C.II」はメーカー系の強みがある。
2007年10月にはレクサス・GSをベースとする1台限定のチューニングカー「LEXUS GS50」をYahoo! オークションに出品[1]した。
外部リンク
P.MU/CERUMO·INGING | KONDO RACING | SUNOCO TEAM LEMANS | REAL RACING | TEAM 無限 | KCMG | |||||||
1 | 石浦宏明 | 3 | ジェームズ・ロシター | 7 | ナレイン・カーティケヤン | 10 | 塚越広大 | 16 | 山本尚貴 | 18 | 中山雄一 | |
2 | 国本雄資 | 4 | ウィリアム・ブラー | 8 | 小林可夢偉 | 11 | 伊沢拓也 | |||||
ITOCHU ENEX TEAM IMPUL | DRAGO CORSE | VANTELIN TEAM TOM'S | DOCOMO TEAM DANDELION RACING | NAKAJIMA RACING | ||||||||
19 | ジョアオ・パオロ・デ・オリベイラ | 34 | 小暮卓史 | 36 | アンドレ・ロッテラー | 40 | 野尻智紀 | 64 | 中嶋大祐 | |||
20 | 関口雄飛 | 37 | 中嶋一貴 | 41 | ストフェル・バンドーン | 65 | ベルトラン・バゲット |