ベントレー・スピード8

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ベントレー・スピード8
2003年型
Bentley Speed 8.jpg
製造国 ドイツの旗 ドイツ
デザイン Peter Elleray
乗車定員 1 人
ボディタイプ プロトタイプレーシングカー
エンジン 2001年
3.6LV型8気筒ツインターボDOHC
2002年-2003年
4.0LV型8気筒ツインターボDOHC
変速機 Xtrack製6速シーケンシャル
駆動方式 MR
サスペンション 4輪ダブルウィッシュボーン
ホイールベース 2,730mm
車両重量 900kg
プラットフォーム アウディ・R8C
-自動車のスペック表-

スピード8Speed8 )とはイギリスのベントレール・マン24時間レース用に開発したプロトタイプレーシングカーである。

概要[編集]

ル・マン復帰[編集]

ベントレーはル・マン24時間耐久レースが始まった1923年から参戦し、1924年に初優勝、1927年から1930年には4連勝を達成する強豪チームであったが、1931年にロールス・ロイスに買収されレース活動が封印された。 しかし1998年にフォルクスワーゲンがベントレーを買収、再びレース活動が解禁され、2001年から2003年までに総合優勝を目指す「ル・マン参戦3ヵ年計画」が立ち上がった。

車両[編集]

車名は1929年、30年に優勝したマシン「ベントレー・スピード6」からとられており、スピード6は直列6気筒エンジン、スピード8はV型8気筒エンジンを積む。2001年型を「EXP スピード8」2002年、03年型を「スピード8」と呼び分けることもある。ボディカラーは初参戦以来使われてきた伝統の"ブリティッシュグリーン"である。

このスピード8は当時のル・マン参加車の中で唯一クローズドコックピットを持つマシン(旧LP-GTPクラス)であった。これはオープンタイプの旧LMP-900クラスに比べて細いタイヤが使えること、より大きなリストリクターが使えることをメリットとして考えたためである。2000年10月にレギュレーションが変更され、LM-GTPクラスはモノコックの足場を拡大しなければならずハンデを負うことになったが、EXP スピード8はそれ以前にマシンが完成していたため特例としてそのまま参戦が認められた。ところが2002年のレギュレーションでタイヤが小型化されたため、その年は細いタイヤが不利に働いてしまった。

メカニズム[編集]

基本的なコンポーネントは2000年にアウディがル・マンに投入したクローズドタイプのアウディ・R8Cのものを共有している。ただし、トランスミッションはXtrack製に取り替えられ横置きにされている[1]。2001年型のEXP スピード8に搭載されるエンジンはアウディ・R8と同じ3.6LV型8気筒ツインターボだが、リストリクターが1mm大きいため出力はR8のそれを上回る。

2002年以降はエンジンをオリジナルのものに変更、排気量は4.0Lに拡大された。2003年型にはさらにテレメータが装着され、ピットからマシンがサーキット上のどこを走っているか常時確認できるようになった。また側面の番号部分は夜間走行時に光るようになっている。クローズドタイプであるためエアロダイナミクスは強力で、240km/hを超えると車重を上回るダウンフォースが発生する。

ル・マン24時間レースでの成績[編集]

2001年[編集]

71年振りの復帰戦となった2001年は2台のEXPスピード8が参戦、7号車が7番、8号車が9番グリッドからスタートした。天候が不安定だったこの年はマシンのトラブル、リタイヤが続出、EXPスピード8も例外ではなく7号車が過給器系のトラブルでリタイアとなった。しかし残された8号車が善戦し、2台のアウディ・R8の間に割って入り一時は2位に浮上するなどの活躍を見せ総合3位でゴール、71年振りに表彰台に登った。

2002年[編集]

スピード8としてマシンのリニューアルした2002年は1台のみが参戦、8号車が11番グリッドからのスタートとなった。スタート直後はわずかに出遅れたが、順調に上位3台のアウディを追走し4位でゴールした。

2003年[編集]

ル・マン参戦3ヵ年計画の最後の年になった2003年は、前年にアウディ・R8で3連勝を達成したチーム・ヨーストと共同参戦、ドライバーもトム・クリステンセン(前年優勝)、リナルド・カペッロ(前年2位)、ジョニー・ハーバート(1991年優勝)といった強力な陣営を揃えるなど、体制を大幅に強化して臨んだ。予選では7号車がポールポジション、8号車が2番グリッドを獲得しフロントローを独占した。アウディ・R8に比べて燃費で劣る分、高速で周回しながらピットストップの時間を最小限に抑える作戦で、ハーバートが運転する2位の8号車が3分30秒台を記録する[2]などスピードを生かした走りを見せた。アウディ勢にトラブルが続く一方で2台のスピード8は目立ったトラブルもなく順調に周回を重ねた。そして7号車、8号車が1-2フィニッシュ、73年振り6度目の優勝を果たした。同時にクリステンセンはドライバー史上初の4連勝を達成した。

戦績[編集]

2001年[編集]

2002年[編集]

  • 4位 チーム・ベントレー #8:A.ウォーレス/B.ライツィンガー/E.ヴァン・デ・ポール

2003年[編集]

  • 1位 チーム・ベントレー #7:L.カペッロ/T.クリステンセン/G.スミス
  • 2位 チーム・ベントレー #8:M.ブランデル/D.ブラハム/J.ハーバート

脚注[編集]

  1. ^ アウディ・R8はオリジナルのものを搭載していた
  2. ^ 8号車はファステストラップを記録した。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]