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ツイスト・アンド・シャウト

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ツイスト・アンド・シャウト(Twist and Shout)は、1960年代初期に流行したリズム・アンド・ブルースの楽曲である。

解説

「ツイスト・アンド・シャウト」の作者はバート・ラッセル・バーンズ(Bert Russel Berns)とフィル・メドレー(Phil Medley)。1962年アイズレー・ブラザーズがこの曲をリリースしてヒットさせており、彼らをオリジナル・アーティストとする資料も多くあるが、実は、最初にこの曲をリリースしたのは彼らではなく、アトランティック・レコードに所属していたトップ・ノーツというグループ。1961年フィル・スペクターのプロデュースでリリースしたのが最初である。本作はビートルズカバーしたことによって一躍著名になった。

ビートルズによるカバー

ツイスト・アンド・シャウト
ビートルズ楽曲
収録アルバムプリーズ・プリーズ・ミー
リリース1963年3月22日
録音アビー・ロード・スタジオ
1963年2月11日
ジャンルロック
時間2分33秒
レーベルパーロフォン
作詞者バート・ラッセル・バーンズ/フィル・メドレー
プロデュースジョージ・マーティン
チャート順位
ビートルズシングル盤 U.K. 年表
イエスタデイ
b/w
恋する二人
(1976年)
バック・イン・ザ・USSR
b/w
ツイスト・アンド・シャウト
(1976年)
サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド'~ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ
b/w
ア・デイ・イン・ザ・ライフ
(1978年)
ビートルズシングル盤 U.S. 年表
プリーズ・プリーズ・ミー
b/w
フロム・ミー・トゥ・ユー
(1964年)
ツイスト・アンド・シャウト
b/w
ゼアズ・ア・プレイス
(1964年)
キャント・バイ・ミー・ラヴ
b/w
ユー・キャント・ドゥ・ザット
(1964年)
ビートルズシングル盤 U.S. 年表
ザ・ビートルズ・ムーヴィー・メドレー
b/w
すてきなダンス
(1982年)
ツイスト・アンド・シャウト
b/w
ゼアズ・ア・プレイス
(1986年)
マキシ・シングル「ベイビー・イッツ・ユー
(1994年)
ビートルズシングル盤 日本 年表
フロム・ミー・トゥ・ユー
b/w
アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア
(1964年)
ツイスト・アンド・シャウト
b/w
ロール・オーヴァー・ベートーヴェン
(1964年)
ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット
b/w
サンキュー・ガール
(1964年)
プリーズ・プリーズ・ミー 収録曲
A面
  1. アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア
  2. ミズリー
  3. アンナ
  4. チェインズ
  5. ボーイズ
  6. アスク・ミー・ホワイ
  7. プリーズ・プリーズ・ミー
B面
  1. ラヴ・ミー・ドゥ
  2. P.S.アイ・ラヴ・ユー
  3. ベイビー・イッツ・ユー
  4. ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット
  5. 蜜の味
  6. ゼアズ・ア・プレイス
  7. ツイスト・アンド・シャウト

ビートルズによるカバーは最初のイギリス盤公式オリジナル・アルバムプリーズ・プリーズ・ミー』の14曲目(当時のLPレコードではB面7曲目)。ジョン・レノンがリード・ヴォーカルをとっているこの曲は、アルバムの最後に収録されている。[1] 2テイクのみ録音した内の、最初のテイクが採用されている。その後、この曲は4曲入りEPとしてカットされ、ニュー・ミュージカル・エクスプレスでは1963年8月9日付から2週連続4位、メロディー・メイカーでは1963年8月17日付で2位のシングル・チャートでの最高位をつけている。アメリカではシングル・カットされ(B面は、There's A Place)ビルボードHOT100で4週連続2位を記録している。また、CASHBOXでは1964年4月4日付で1位を獲得している。アメリカでは100万枚以上のセールスを記録している。 日本でもシングル・カットされたが、B面はアメリカのシングル盤と異なり「ロール・オーバー・ベートーヴェン」が収録されている。

一日中歌い続けたことと、当日風邪をひいていたという事情が重なって声が枯れてしまったジョンは、喉飴でどうにか調子をダマし、喉が張り裂けそうなぐらい必死に声を出しているが(そのため2テイク録音したが、2テイク目ではジョンの声が出なかった)、それが見事なシャウトとなり、同時にビートルズの代表的ロックンロールナンバーとしても取りあげられることとなった。カバー曲でありながら、オリジナル曲を唄ったアーティストのバージョンよりも有名になってしまった曲の代表的な例。

1963年11月4日、ビートルズが王室主催の音楽演奏会にロックバンドとして初めて招待されて演奏した際、この曲の演奏前にジョンがMCで「次の曲では皆さんも協力してください。安い席の人は拍手を、高い席の人は宝石をジャラジャラ鳴らしてください」と発言し、多くの人の笑いを呼んだ。またこの演奏会のライブ音源はアルバム『ザ・ビートルズ・アンソロジー1』に「シー・ラヴズ・ユー」等とともに収録されており、このMCを聞くことができる。1964年夏の全米ツアーからは、コンサートのオープニング・ナンバーとしてこの曲の短縮バージョンが演奏され、彼らのシグネチュア・チューンとして多くの人々に認知された。

収録アルバム

脚注

  1. ^ 「この曲が喉に負担をかける事は解りきっていたから」と、実際の録音も一連のセッションの最後に行われている。