ジョルジ・ワグネル
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
サンパウロFC時代(2010年) | ||||||
名前 | ||||||
本名 | Jorge Wagner Goés Conceição | |||||
カタカナ | ジョルジ・ワグネル・ゴエス・コンセイソン | |||||
ラテン文字 | JORGE WAGNER | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ブラジル | |||||
生年月日 | 1978年11月17日(45歳) | |||||
出身地 | バイーア州フェイラ・デ・サンタナ | |||||
身長 | 178cm | |||||
体重 | 73kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | ECヴィトーリア | |||||
ポジション | DF (SB) / MF / FW | |||||
背番号 | 10 | |||||
利き足 | 左足 | |||||
ユース | ||||||
1996-1998 | バイーア | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1998-2000 | バイーア | 24 | (9) | |||
2001-2002 | クルゼイロ | 33 | (4) | |||
2003-2006 | ロコモティフ・モスクワ | 18 | (2) | |||
2003 | → コリンチャンス (loan) | 18 | (0) | |||
2005-2006 | → インテルナシオナル (loan) | 46 | (12) | |||
2006-2007 | レアル・ベティス | 10 | (0) | |||
2007 | → サンパウロ (loan) | 34 | (4) | |||
2008-2010 | サンパウロ | 91 | (9) | |||
2011-2013 | 柏レイソル | 91 | (20) | |||
2014 | ボタフォゴ | 7 | (0) | |||
2014 | 鹿島アントラーズ | 8 | (0) | |||
2015- | ヴィトーリア | 21 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2016年1月9日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ジョルジ・ワグネル・ゴエス・コンセイソン(Jorge Wagner Goés Conceição, 1978年11月17日 - )は、ブラジル・バイーア州フェイラ・デ・サンタナ市出身のプロサッカー選手。カンピオナート・ブラジレイロ・セリエA・ECヴィトーリア所属。ポジションはディフェンダー(サイドバック)、ミッドフィールダー、フォワード。
来歴
2001年以降、クルゼイロ、コリンチャンス、インテルナシオナル、サンパウロ、ロコモティフ・モスクワ、レアル・ベティスといった国内外の名門クラブを渡り歩き、ブラジル全国選手権、コパ・リベルタドーレスといったビッグタイトルを含め、ベティスを除く全てのクラブでタイトルを獲得している[1]。
2011年、Jリーグディビジョン1・柏レイソルへ移籍。第1節清水エスパルス戦で得意のフリーキックから先制点を挙げ、鮮烈なJリーグデビューを飾った[2]。開幕当初は左サイドバックとして起用されていたが、大津祐樹の移籍に伴い、7月頃から本職の中盤へポジションを移した[3]。このコンバートが功を奏し、夏場以降は本領を発揮[3]。リーグ戦11得点を挙げてクラブ初のJ1優勝に大きく貢献し、Jリーグベストイレブンに選出された。2011 FIFAクラブワールドカップでは、サンパウロ時代の恩師・ラマーリョとの対戦も実現させた[4]。
2012年、リーグ戦33試合に出場し、7得点を記録。第92回天皇杯決勝ガンバ大阪戦では、 コーナーキックから渡部博文の決勝点をアシストし、天皇杯優勝に貢献した[5]。
2013年はAFCアジアチャンピオンズリーグ参加による過密日程やレアンドロ・ドミンゲスの長期離脱に苦しんだクラブを献身的に支え続け、ヤマザキナビスコカップ決勝浦和レッズ戦では、決勝点の起点を作り勝利に貢献した[6]。在籍3年間でJリーグ3大タイトルを全て獲得した「優勝請負人」は、同年限りで柏を退団し、母国ブラジルのボタフォゴへ移籍した[7]。
ボタフォゴでは前年までクラレンス・セードルフが着けていた背番号「10」を受け継いでプレーしたが、クラブが深刻な財政危機に陥ったこともあり[8]、2014年8月5日、鹿島アントラーズへ完全移籍した[9] 。同年はリーグ戦8試合に出場したが、2015年1月12日に契約を解除したことが発表され[10]、地元バイーア州のクラブ・ECヴィトーリアに移籍した。
人物
- たいへんな人格者として知られ、柏レイソルでの最終戦となった2013年J1最終節終了後、指揮官のネルシーニョは「彼はプロ選手として、1人の人間として、本当に人格者ですから、人としてもプロとしても常に態度が一流で、監督として彼に助けられたことがとても多いので感謝しています」と惜別の言葉を送った[11]。
- 2011年、J1優勝争いの佳境で迎えた第33節セレッソ大阪戦では、幾度か訪れたフリーキックのチャンスでゴールを決められず、引き分けに終わったことを悔やみ、試合後のロッカールームで涙を流していた[12]。
所属クラブ
- ユース経歴
- プロ経歴
- 1998年 - 2000年 ECバイーア
- 2001年 - 2002年 クルゼイロEC
- 2003年 - 2006年 FCロコモティフ・モスクワ
- 2003年 SCコリンチャンス・パウリスタ(期限付き移籍)
- 2005年 - 2006年 SCインテルナシオナル(期限付き移籍)
- 2006年 - 2007年 レアル・ベティス
- 2007年 サンパウロFC(期限付き移籍)
- 2008年 - 2010年 サンパウロFC
- 2011年 - 2013年 柏レイソル
- 2014年 - 2014年8月 ボタフォゴFR
- 2014年8月 - 12月 鹿島アントラーズ
- 2015年 - ECヴィトーリア
個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
ブラジル | リーグ戦 | ブラジル杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
1998 | バイーア | セリエB | |||||||||
1999 | |||||||||||
2000 | セリエA | ||||||||||
2001 | クルゼイロ | ||||||||||
2002 | |||||||||||
ロシア | リーグ戦 | ロシア杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2003 | ロコモティフ | プレミア | |||||||||
ブラジル | リーグ戦 | ブラジル杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2003 | コリンチャンス | セリエA | |||||||||
ロシア | リーグ戦 | ロシア杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2004 | ロコモティフ | プレミア | |||||||||
ブラジル | リーグ戦 | ブラジル杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2005 | インテルナシオナル | 23 | セリエA | 37 | 10 | - | - | 37 | 10 | ||
2006 | 9 | 2 | - | - | 9 | 2 | |||||
スペイン | リーグ戦 | 国王杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2006-07 | ベティス | 17 | プリメーラ | 10 | 0 | 0 | 0 | - | 10 | 0 | |
ブラジル | リーグ戦 | ブラジル杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2007 | サンパウロ | 7 | セリエA | 34 | 4 | - | - | 34 | 4 | ||
2008 | 36 | 2 | - | - | 36 | 2 | |||||
2009 | 34 | 7 | - | - | 34 | 7 | |||||
2010 | 21 | 0 | - | - | 21 | 0 | |||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2011 | 柏 | 15 | J1 | 31 | 11 | 2 | 0 | 3 | 1 | 36 | 12 |
2012 | 33 | 7 | 3 | 1 | 5 | 0 | 41 | 8 | |||
2013 | 27 | 2 | 5 | 2 | 0 | 0 | 32 | 4 | |||
ブラジル | リーグ戦 | ブラジル杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2014 | ボタフォゴ | 10 | セリエA | 7 | 0 | - | - | 7 | 0 | ||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2014 | 鹿島 | 7 | J1 | 8 | 0 | - | - | 8 | 0 | ||
ブラジル | リーグ戦 | ブラジル杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2015 | ヴィトーリア | 10 | セリエB | 21 | 0 | 3 | 0 | - | 24 | 0 | |
通算 | ブラジル | セリエA | |||||||||
ブラジル | セリエB | ||||||||||
ロシア | プレミア | ||||||||||
スペイン | プリメーラ | 10 | 0 | 0 | 0 | - | 10 | 0 | |||
日本 | J1 | 99 | 20 | 10 | 3 | 8 | 1 | 117 | 24 | ||
総通算 |
その他の公式戦
- 2012年
- スーパーカップ 1試合1得点
- 2013年
- スーパーカップ 1試合0得点
国際大会個人成績 | FIFA | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
CONMEBOL | リベルタドーレス杯 | クラブW杯 | ||||
2009 | サンパウロ | 7 | 6 | 0 | - | |
2010 | 7 | 0 | - | |||
AFC | ACL | クラブW杯 | ||||
2011 | 柏 | 15 | - | 4 | 0 | |
2012 | 7 | 0 | - | |||
2013 | 10 | 2 | - | |||
通算 | AFC | 17 | 2 | 4 | 0 |
タイトル
クラブ
- バイーア州選手権 : 2回(1998年、1999年)
- コパ・スル=ミナス : 2回(2001年、2002年)
- ミナスジェライス州選手権(スーペルカンピオナート) : 1回(2002年)
- サンパウロ州選手権 : 1回(2003年)
- ロシアサッカー・プレミアリーグ : 1回(2004年)
- リオグランデ・ド・スル州選手権 : 1回(2005年)
- コパ・リベルタドーレス : 1回(2006年)
- ブラジル全国選手権 : 2回(2007年、2008年)
- Jリーグ ディビジョン1 : 1回(2011年)
- FUJI XEROX SUPER CUP : 1回(2012年)
- 天皇杯全日本サッカー選手権大会 : 1回(2012年)
- ヤマザキナビスコカップ : 1回(2013年)
個人
- Jリーグベストイレブン : 1回(2011年)
- AFCチャンピオンズリーグ ドリームチーム : 1回(2013年[13])
脚注
- ^ Wagner’s winning ways inspire Kashiwa FIFA.com 2011年11月3日
- ^ 柏3発鮮烈復帰!ワグネル芸術FKで先制弾 - スポニチ Sponichi Annex 2011年3月6日
- ^ a b 柏レイソルを優勝に導いた“ネルシーニョ・マジック” 昇格チームに植え付けた勝利の文化 - スポーツナビ 2011年12月5日
- ^ かつての師との対戦を楽しみにするJ・ワグネル - Goal.com 2011年12月12日
- ^ 柏がG大阪に4年前のリベンジ!!天皇杯初制覇でACL出場権獲得 - ゲキサカ 2013年1月1日
- ^ 【浦和番の視点】圧倒的に攻め込むも無得点に終わったレッズ。敗因なきナビスコ決勝 - フットボールチャンネル 2013年11月3日
- ^ ボタフォゴが柏MFジョルジ・ワグネルの獲得を発表…セードルフの同僚に - ゲキサカ 2013年12月21日
- ^ 名門ボタフォゴが財政危機…主力流出に監督が危機感を強める - サッカーキング 2014年8月4日
- ^ ジョルジ ワグネル選手が加入 鹿島アントラーズ公式サイト (2014年8月5日)
- ^ ジョルジ ワグネル選手 契約解除のお知らせ 鹿島アントラーズ公式サイト (2015年1月12日)
- ^ 【J1:第34節 清水 vs 柏】ネルシーニョ監督(柏)記者会見コメント [ J's GOAL ](13.12.07) - J's GOAL 2013年12月7日
- ^ ワグネル選手がC大阪戦で見せた涙の理由「悲しかったから流した涙ではないですよ(苦笑)」 - EL-CRACK.JP 2011年11月30日
- ^ The AFC Champions League Dream Team - AFC Champions League (Official) Facebook 2013年11月15日
関連項目
外部リンク
- 鹿島アントラーズによる公式プロフィール
- jorgewagner (@jwagner07) - X(旧Twitter)