砂川駅

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砂川駅
駅舎(2004年7月)
駅舎(2004年7月)
すながわ - Sunagawa
A19 豊沼 (3.2km)
(7.6km) 滝川 A21
所在地 北海道砂川市東2条北3丁目
駅番号 A20
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道
所属路線 函館本線
キロ程 362.2km(函館起点)
電報略号 スナ
駅構造 地上駅
ホーム 2面3線
乗車人員
-統計年度-
584人/日(降車客含まず)
-2006年度-
開業年月日 1891年(明治24年)7月5日
備考 社員配置駅
みどりの窓口 有
砂川駅
すながわ - Sunagawa
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道
駅構造 地上駅
開業年月日 函館本線 上砂川支線 -
1926年(大正15年)8月1日
歌志内線 -
1891年(明治24年)7月5日
乗入路線
所属路線 函館本線上砂川支線
キロ程 0.0km(砂川起点)
(3.7km) 下鶉
所属路線 歌志内線
キロ程 0.0km(砂川起点)
(3.9km) 焼山
備考 廃止年月日:
函館本線 上砂川支線 -
1994年(平成6年)5月16日
歌志内線 -
1988年(昭和63年)4月25日

砂川駅(すながわえき)は、北海道砂川市東2条北3丁目にある北海道旅客鉄道(JR北海道)函館本線駅番号A20電報略号スナ

砂川市の代表駅で、特急は「スーパーカムイ」の全列車と「オホーツク」の2往復(1・2・7・8号)、「スーパー宗谷」1号、「サロベツ」が停車する。

駅構造[編集]

2面3線の相対式・島式ホームを持ち、乗り場は駅舎側から3、2、1番線と並ぶ。ホームは跨線橋で結ばれているが、エレベーターエスカレータの設置はない。かつては運炭路線の歌志内線上砂川支線が発着していたことから多数の側線を有していたが、現在は撤去されている。駅舎は西側に置かれている。

みどりの窓口を持つ社員配置駅(6時40分から18時30分まで、夜間連絡先は滝川駅)。自動券売機設置。普通列車のほか、大部分の特急列車が停車する。キヨスク設置。

札幌~旭川間の特急停車駅で唯一自動改札機が導入されていない駅であるため、深夜帯は車掌によるきっぷの回収が行われる以外は改札口に設置の回収箱による回収となる。

名前の由来[編集]

アイヌ語の「オタ・ウシ・ナイ(砂の多い川)」の意訳から。
北海道炭礦鉄道が当線の敷設計画を立てた明治22年頃はこの地域にはほとんど人家が無く、当時一般的には石炭の見つかった現在の歌志内を含めて「オタウシナイ」「オタシナイ」と言われていた。北海道炭礦鉄道会社第二回営業報告(明治23年上期)では『本年工事ヲ施スヘキ部分ハ既成鐵道幌内線岩見澤分岐点ヨリ幹線ヲ起シ「オタシナイ」ニ至リ分岐シテ「オタシナイ」炭山ニ達スル33哩4分ノ3ニシテ…』(原文ママ)と記述され、まだ砂川の名前は現れていないが、同年下期の第三回報告では『線路ノ測量ハ前季ニ繼續(継続)シ幹線ノ内砂川(ヲタシナイ太)空知太間ノ實測ヲ結了シ及歌志内(ヲタシナイ炭山)支線ニ於テ各貯炭場ニ達スル支線路ヲ測定セリ』(原文ママ)と記述されており、この頃までに駅名を確定している。
行政的には、同じ時期の明治23年8月7日に奈井江から空知太、歌志内、下赤平までの広い範囲に奈江村が設置されたが、明治35年の二級町村制施行後に奈江と奈井江が紛らわしい(奈江村の行政中心は砂川駅周辺なのだが、奈井江駅周辺が中心と間違える人が多かった。)として明治36年8月23日に砂川村と改称した[1][2]

駅周辺[編集]

石狩平野北部に位置し、砂川市の市街地が広がる。

利用状況[編集]

2006年度の1日平均乗車人員は584人である。この駅は札幌市外の駅では例外的に年々利用客が増えている。

歴史[編集]

上砂川支線ホームへ向かっていた跨線橋(2004年7月)
1976年の函館本線砂川駅と周囲1㎞×1.5km範囲。上が函館本線旭川方面(左)及び歌志内線歌志内方面(右)、下が函館本線札幌方面(左)と上砂川支線上砂川方面(右)。函館本線及び歌志内線の単式及び島式の複合ホーム2面3線と、駅裏南側に上砂川支線の単式ホーム1面1線を有している。現在と逆の当時の番線呼びで、函館本線上下線用の1・2番線間に退避用の中線がある。歌志内線は島式ホーム外側3番線から発着した。写真では2番線に函館本線上りの6両編成、3番線には歌志内線の2両編成が、上砂川支線の4番ホームにも2両編成が停車している。複合ホームの外側には3本の副本線と7本の仕分線がある。その外側の南側に転車台の残る機回し線は蒸気機関車が去って草生している。その外側、上砂川支線ホームとの間に南(下端)へ向けて緩やかな右カーブを描いて向かう小道状のものは、南に見える木工場へのかつての専用線の軌道跡。上砂川支線裏にも3本の留置線と数本の引込み線があり、駅舎横の滝川側には、櫛形の貨物ホームと石炭荷降場へ5-6本の引込み線が敷かれている。
また、かつて写真左下端の砂川市西4条北1、南1から西3条北1、南1にかけて、鉄道用の砂利土場が設けられ、本線がパンケウタシナイ川の短い鉄橋とその南の細い道路を跨いだ辺りから、「砂利岐線」と呼ばれた引込み線が分岐し、国道12号を横切ってこの土場へ引き込まれていた。分岐付近や西4条南1に残るカーブ状の道にその痕跡が残されている。またこの土場へ向けて、写真左上端辺り、河川改修前のペンケ歌志内川河口(現在の砂川大橋付近)に設けた土場から「川口砂利鉄道」と呼ばれる専用線が引かれていた。いずれも昭和36年から37年にかけて撤去されている。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成

幌内鉄道を受け継いだ北海道炭礦鉄道は、明治23年4月9日、夕張と空知の両炭山開発を進めるため、それぞれの支線とそれが繋がる幹線計画を北海道庁に提出した。この計画に於いて、空知炭山支線(歌志内線の事)の分岐点に策定されたのが当駅で、計画当初は「歌志内」と仮称されていたが、後に「砂川」に改められて「歌志内」は支線の終点駅名にされた。なお、開業時は幹線支線共に空知線と称された。[3]
当駅は歌志内や上砂川の空知炭田から出炭される石炭貨物の中継基地として知られてきたが、枕木の防腐処理工場(大正時代初頭まで)や枕木製造の木工場、軌道用の砂利採取場(昭和37年まで)を周囲に抱え、鉄道敷設に欠かせない資材供給の拠点でもあった。特に中国大陸へ進出していた昭和の初めから終戦までは国内のみならず満州や中国の鉄道用に大量の枕木が生産発送されて、町中を木材の匂いが覆い、石炭よりも木材の町としての印象が大きかった[1]

隣の駅[編集]

※特急列車は各列車記事を参照。

北海道旅客鉄道
函館本線
豊沼駅 (A19) - 砂川駅 (A20) - 滝川駅 (A21)

かつて存在した路線[編集]

北海道旅客鉄道
函館本線(上砂川支線)
砂川駅 - 下鶉駅
歌志内線
砂川駅 - 焼山駅

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g 砂川市史 昭和46年2月発行。
  2. ^ ちなみに北海道炭礦鉄道の営業報告では、各用地の住所記載の中に明治23年下期の第三回から「奈井江村」が現れ、明治25年上期の第六回報告で初めて「奈江村」の記述が出てくるが、同時に「奈井江村」の記述もあってその頃まで混乱していたのが伺える。明治35年の二級町村制移行前の奈江村には自治権がなく、瀧川村の自治下に置かれていたため、村役場などの実態のない名前だけのものであった。
  3. ^ 北海道鉄道百年史 日本国有鉄道北海道総局 昭和51年3月出版 上巻 P120 「第5章北海道炭礦鉄道/第3節幌内鉄道からの引継ぎ」
  4. ^ 北海道炭礦鉄道会社 第四回営業報告 明治24年上期(同年4月-9月)。二頁より『空知線ノ内岩見澤ヨリ砂川ニ至ル幹線二十二哩四百九十五呎砂川ヨリ歌志内ニ至ル八哩四千三百四呎余新設鐵道工事竣工セシヲ以テ六月中鐵道廳ノ檢査ヲ經七月五日ヨリ仮ニ營業ヲ開始セリ』、同九頁より『…停車場ハ峯延、美唄、奈井江、砂川、歌志内ノ五驛ニシテ七月五日ヲ以テ開業ス』。
  5. ^ a b c d e 北海道鉄道百年史 上中下巻日本国有鉄道北海道総局 昭和51-56年発行。
  6. ^ 北海道炭礦鉄道会社 第九回営業報告。
  7. ^ 北海道炭礦鉄道会社 第十八回営業報告。
  8. ^ 北海道鉄道百年史 上巻 P133。また、「三井物産砂川木挽工場沿革」大正2年頃発行 によれば、明治35年創業当時に専用鉄道26C、明治38年頃に専用鉄道1M3C及び軽便軌道8M15C、大正元年頃に専用鉄道1M33C及び軽便軌道6M2Cであった。この軽便軌道はパンケウタシナイ川とペンケウタシナイ川の合流地点にあった流送木材の陸揚げ土場(網場)から木工場へ向かってパンケウタシナイ川の右岸に沿って敷かれた軌道。
  9. ^ 新上砂川町史 昭和63年3月発行。
  10. ^ a b 私たちの砂川市史 平成3年3月発行 data砂川巻年表。
  11. ^ a b c d e 停車場変遷大事典 国鉄・JR編 JTB 1998年出版。

外部リンク[編集]

  • 北海道立図書館 北方資料デジタル・ライブラリー 砂川町観光鳥瞰図 1950年発行 三井木工場専用線や砂利岐線、豊沼駅の東洋高圧専用線なども描かれている。