「和装本」の版間の差分

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'''和装本'''(わそうぼん)とは、[[洋装本]]・[[唐本]]に対して、伝統的な[[日本]]式の[[製本]]法である[[和綴]]によって製本された図書を指す用語である。'''和本'''(わほん)とも呼ばれる。
'''和装本'''(わそうぼん)とは、'''和本'''(わほん)とも称し、江戸時代から明治時代に書店から商業出版さた大量に現存す主に[[木版]]摺りで[[糸]]綴りの書籍のことを言う

== 概要 ==
== 概要 ==
江戸になると[[写本]](墨手書き)に代わって、木版印刷の発展で[[出版物]]の大量頒布が可能になり、商品として流通した。17世紀にはいると、[[菱川師宣]]が木版墨摺りの絵本を描き始め、和本は[[浮世絵]]とともに江戸の出版文化を担った。木版技術と出版流通システムの確立で、数百年に渡ってつづく、当時の書籍が大量に現存する世界に稀に見る中世、近世の出版書籍群である。和本の歴史は、17世紀から、[[活版印刷]]に取って代わられる19世紀末まで続き、近代出版書籍文化の元祖と言える。中近世の庶民を含め不特定多数の読者が、商業出版の興隆を支えた。
昔物語、郷土の逸話、[[歴史]]、[[人情本]]、[[風俗]]、艶本、などを[[十返舎一九]]、[[曲亭馬琴]]、[[為永春水]]、[[式亭三馬]]、[[柳亭種彦]]などの作家と有名[[浮世絵師]]の合作で、[[浮世絵]]挿絵入り[[和本]]または[[草双紙]]、[[合巻]]は江戸から明治時代にかけて大量に製作された。高い浮世絵の質、多様な文学性は、研究対象として始まったばかりである。

沢山あってよく見られる19世紀初頭からの最盛期の浮世絵入り小説、中には様々な分野の硬派の本も、[[古文]]で、しかも活版印刷ではできない崩し字が独特でなじみにくく、文学性、中近世の様々な学問研究、挿絵浮世絵の質というより、一般には[[挿絵]]の珍しさにしか興味がいかないこともあるが、中近世の様々な階層の[[風俗]]、[[思想]]などが大量の文献でわかるのは、和本と浮世絵だけであり、世界の文化遺産である。文学作品など文芸書には手引き本もあるが、その他の分野は各分野ごとに行われ、近代に引き継がれている。[[博物館]]、郷土資料館、[[図書館]]などに収蔵され、今でも相当数が[[古文書]]として、[[古書店]]などで取引されている。

[[浮世絵師]]は浮世絵の仕事と並行して、和本挿絵の仕事をした。江戸時代の本屋には、[[地本問屋]]、[[書物問屋]]、[[貸本]]屋などがある。17世紀後期からの上方文化成熟期、18世紀浮世絵と江戸文化最盛期、19世紀江戸文化爛熟期とつづくが、多くの和本、古典の復刻版は、江戸の人口が増える18世紀後期から明治期までのものが多い。[[和紙]]に糸綴りの本は軽く、[[行商人]]などが全国に広めた。木版出版の隆盛から明治の活版印刷にかわるまで、中近世に商業出版された書籍の古文書が大量に残っているのは、美術的価値、資料的価値もあるからだと思われる。古色の書籍を手に取るものは、江戸時代にタイムスリップする。
== 和本の主な種類 ==
浮世絵入りの[[小説]]や、[[古典文学]]の翻刻版、[[儒学]]書、[[仏教]]書、[[神道]]書、[[歴史]]書、[[医学]]書、歌書、[[軍事]]書、[[漢籍]]、[[春画]]本の他に数百年にわたり、多種多様な和本書籍が出版された。

小説、[[随筆]]、古典文学、古典の[[図解]]本、古典の解説本、名所旧跡案内、[[漫画]]、[[往来物]](庶民教育)、医学、[[鍼灸]]、[[薬学]]、[[手相]]、[[習字]]、[[占い]]、[[家相]][[方位]]、[[千文字]](漢字習得のための長詩)、[[尋常小学校]][[教科書]]、[[古代文様]]、[[装束]]図絵、花鳥草木鳥獣図絵、中国の小説、[[大名]]有力者[[藩]]名録、[[巡礼]]記、[[密教]]、[[古銭]]、[[料理]]、[[見聞録]]、名山、[[仏教]]、[[神道]]本、[[妖怪]]、[[俳諧]][[和歌]][[歌集]]、[[地図]]、[[奇術]]秘伝、美術応用職工画譜、[[能楽]]能具、[[地学]]、[[朱子学]]、[[法令]](民法、刑法)、[[郵便]]規則、官令、[[公訴]]文習字(金貸し催促など)、[[漬物]][[塩]]、[[百科事典]]、画法(絵本手ほどき)、漢画本、[[宗教]]([[禅宗]]、キリシタン)、[[儒学]]、[[陶器]][[漆器]]、[[農業]]、[[養蚕]]、[[農家]][[日用品]]、[[浄瑠璃]]本、[[印譜]]、[[篆刻]]、[[図鑑]]、[[硯]]、[[拓本]]、[[伝記]]、[[歌舞伎]][[狂言]]、[[諸子百家]]、[[軍]]書、軍談、[[兵器]]武器、歌書、[[作法]][[衣類]]道具習慣、[[大工道具]]、[[建具]]雛形、[[暦]]書、[[漢方薬]]、[[買物]]案内、[[参考書]]、、[[国史]]、[[囲碁]][[将棋]]本、名妓伝、[[弓術]]、[[相撲]]、西洋歴史、[[風俗]]、地名[[字引]]、[[相続]]心得、[[落語]]、[[図書]]図録、[[陣笠]]、[[馬]]体鑑定法、[[馬術]]、[[数学]]([[和算]]書)、郷土の逸話、[[国学]]、[[博物誌]]、[[測量]]、[[川柳]]、[[都々逸]]、地誌名所、技術書、[[辞典]]、中国の史書、[[書道]]、地方の村の古文書、[[動物学]]、[[園芸]]など。
== 江戸時代の文芸書の歴史 ==
和本を代表する文芸書などからは、有名作家、浮世絵師が排出された。その他の多種の分野は、それぞれに歴史があり、後世にまで影響を与えている。

;17世紀前期(寛永頃)
:江戸開府。京都で慶長14年本屋新七が商業出版を創始。京都で[[公家]]、[[知識人]]が担った。[[信長公記]]、[[本朝画史]]、[[醒睡笑]]出る。大阪では[[和漢三才図絵]]出る。
;17世紀中期(寛文頃)
:[[菱川師宣]]が江戸で木版墨摺り絵本を数多く手がけたが、都市基盤は上方のほうがまだ上回っていた。奈良、平安、鎌倉の古典写本の木版本が出て、以降長くベストセラーになった。[[明暦の大火]]。
;17世紀後期(元禄頃)
:木版製版発展。[[町人]]文化盛んになる。上方文化成熟期。大阪で[[浮世草子]]出る。町人文学の[[井原西鶴]]の[[好色一代男]]、[[日本永代蔵]]、[[近松門左衛門]]の[[浄瑠璃]]本が出、[[竹本義太夫]]が、多くの[[人形浄瑠璃]]を書く。[[明智軍記]]出る。[[荻生徂徠]]が漢籍解説本を出す。怪談[[古今百物語評判]]出る。
;18世紀前期(享保頃)
:[[享保の改革]]。出版文化も江戸に移ってくる。二世[[竹田出雲]]が[[菅原伝授手習鑑]]、[[仮名手本忠臣蔵]]、[[義経千本桜]]を出す。[[女大学]]出る。[[貝原益軒]]の[[養生訓]]はその後どこの本屋にも置いてあったという。近松門左衛門が[[心中天網島]]、[[曽根崎心中]]、[[国性爺合戦]]を書く。[[新井白石]]の[[折たく柴の記]]、[[松尾芭蕉]]の[[奥の細道]]、[[野ざらし紀行]]出る。
;18世紀中期(明和頃) 
:明和のころ[[江戸っ子]]という言葉で来て、[[田沼時代]]から[[鈴木春信]]が錦絵を完成させる。全国に出版[[流通]]の基礎ができ始める。大阪で[[絵本太閤記]]84冊の歴史小説が出る。
;18世紀後期(天明寛政頃)
:錦絵の交流と江戸文化全盛期。天明期の江戸中心部に、[[浮世絵師]]、彫師、摺師、紙屋、儒学、国学、蘭学などの学者が集まってきた。江戸で庶民が豊かになり、浮世絵や書籍が売れ始める。江戸地本の書籍の流通。大手[[地本問屋]]が隆盛を極める。江戸の浮世絵入り小説の人気によって、江戸が中心になる。[[蔦屋重三郎]]のもと[[喜多川歌麿]]が[[美人画]]で人気を博し、重三郎は[[本居宣長]]を訪ね、地方視察をした。田沼の失脚、大阪米騒動の後[[寛政の改革]]で、[[山東京伝]]の絵入り小説が摘発され、蔦谷重三郎は財産の半分を没収された。天保、天明期からあらゆる分野の学問、実用書、文芸書が出る。[[塙保己一]]の[[群書類従]]、本居宣長が[[古事記伝]]を出した。[[恋川春町]]や[[上田秋成]]の[[雨月物語]]、[[春雨物語]]、[[四代目鶴屋南北]]の[[四谷怪談]]、[[化猫遊女]]ものも出た。山東京伝の[[時代世話二挺鼓]]、[[江戸生艶気樺焼]]が出る。川柳句集[[柳多留]]や[[寛政の三博士]]。江戸の読書人口が広がった。
;19世紀前期(文化文政頃)
:[[天保の改革]]。文化文政江戸文化爛熟期。全国に書籍流通市場形成。江戸、大阪、京都中心に出され、名古屋も続く。[[頼山陽]]の[[日本外史]]、和歌の[[三代集]]復刻出る。[[滝沢馬琴]]が絵入り小説を送り出した。江戸[[貸本]]屋が800軒を超え、[[戯作]]作家、滝沢馬琴、山東京伝、[[式亭三馬]]、[[柳亭種彦]]等人気作家が相次いで文壇の主流となる。[[東洲斎写楽]]、[[太田南畝]]の[[浮世絵類考]]でる。江戸出版文化は頂点に達し、大[[長編小説]]が相次いで出る。式亭三馬の[[浮世風呂]]、滝沢馬琴の108冊の[[南総里見八犬伝]]、[[椿説弓張月]]、[[傾城水滸伝]]、[[十返舎一九]]の43冊[[東海道中膝栗毛]]は初刷り総計50万冊売ったとある。一九は仇討ものの長編も出した。その絵入り小説をまとめた[[合巻]]が開発される。旅行ブームの中、[[葛飾北斎]]の風景画が出る。柳亭種彦の[[北越奇談]]、美しい[[歌川国貞]]の浮世絵挿絵の「にせ紫田舎源氏」は38編、40万冊売ったとある。柳亭種彦と[[笠亭仙果]]の[[邯鄲諸国物語]]。質量ともに江戸書籍を代表する小説が出て、華麗な口絵、挿絵、また錦絵風摺表紙がブームになった。絵入り春画本が沢山出る。七代目[[市川団十郎]]が[[歌舞伎十八番]]を演じる。[[北斎漫画]]、[[小林一茶]]の[[浅黄空]]、私小説[[父の終焉日記]]。[[以貴小伝]]出る。[[為永春水]]の[[春色梅児誉美]]。
;19世紀中期(安政頃)
:仏教の長編小説も出る。柳下亭種員の合巻長編90編、[[歌川豊国]]挿絵の[[白縫物語]]出る。[[児雷也豪傑譚]]、奇談集[[絵本百物語]]、[[狂歌百物語]]出る。幕府は風紀取締りに、同業組合本屋仲間を公認した。安政3年、[[歌川広重]]の[[名所江戸百景]]、北斎挿絵の通俗三国志出る。
;19世紀後期(幕末明治頃)
:[[河竹黙阿弥]]の[[三人吉三廓初買]]、[[白波五人男]]が出る。[[名将言行録]]出る。幕末の混乱期、技術発展に伴い、出版界は新しい小説、娯楽本よりは、見聞、教育のために、歴史小説の古典の新版、史書、技術書、博物誌、辞典、海外紹介ものなどが売れ始め、[[慶安太平記]]、30冊絵本楠公記、絵本[[大岡政談]]が出た。木版から活版印刷に移行していった。活版への過渡期を示す浮世絵入り糸綴り活版書物も出回った。[[仮名垣魯文]]の[[西洋道中膝栗毛]]出る。
:明治6年仲間解散令、書物問屋、地本問屋、また浮世絵版元仲間は危機に瀕する。明治20年ころには、木版から[[活版印刷]]技術の革新、思想の変革、新しい[[雑誌]]の登場に対応できなくなり、書物問屋は消滅していき、近代出版へ取って代わられた。しかし、明治大正期の[[文豪]]たちに江戸の文芸小説は引き継がれていった。学術教育ものの従来の[[寺小屋]]ルートが、新政府認可制の[[教科書]]ルートになった。出版書籍は活版、[[電算写植]]の電算書籍と進化していく。
== 和本の類別 ==
特に文芸書などには、細かい江戸時代の分類がある。本物を多く見られないと理解が難しい。
;草子
:室町から江戸初期の絵入り短編小説、[[御伽草子]]など。冊子からきて本のことを言う。
;[[草双紙]]
:江戸中期以降の絵入り小説など。袋綴りで近代以前の小説としては最大部数を示した。草双紙は、表紙の色、内容で名前が付いている。
;[[黄表紙]]
:18世紀末から19世紀初めの大人向けの絵入り小説。安価にできて、読書人口が広がった。
;[[合巻]]
:草双紙数冊を合わせて一巻とした長編もの。
;[[赤本]]
:丹色、赤い表紙で、[[桃太郎]]、[[猿蟹合戦]]などお伽噺で、享保ころ盛んだった。のち暦、講談、実用、実話、ポンチ絵なども。
;[[青本]]
:萌黄色で、浄瑠璃、歌舞伎など江戸中期から出た。青色ではない。
;[[黒本]]
:歴史物語、軍記、浄瑠璃など。
;錦絵摺り付表紙
:表紙が錦絵になっているもの。
;[[仮名草子]]
:元禄以降初期の短編小説。仮名文、啓蒙、娯楽物小説。
;好色本
:男女の情愛、元禄頃。井原西鶴の好色一代男など。
;[[読本]]
:中期、後期の小説、絵入り小説、口絵挿絵がある。
;[[浮世草子]]、浮世本
:上方小説、18世紀半ば、遊里、劇場で町人の好色もの。町人もの、三味線もの、気質(かたぎ)もの、武家、裁判、怪談。井原西鶴など。
;[[談義本]]
:滑稽読物、講談口調で、おかしみと教訓で社会を揶揄したもの。
;[[狂歌]]
:平安から行われ、万葉集の絡み、短歌。蜀山人など。
;[[狂言]]本
:歌舞伎狂言の筋を描いた。多く絵入り。
;[[戯作]]本
:中期以降の江戸の小説、読物、黄表紙、合巻、洒落本、談義本、滑稽本、人情本を総称。
;[[滑稽本]]
:江戸後期の小説。都会人の日常を断片的に書いた。十返舎一九の東海道中膝栗、式亭三馬の浮世風呂など。
;[[洒落本]]
:[[粋]]の文学。
;咄(はなし)本
:落語を書いたもの。人情本。
;物之本
:歴史、軍記、伝記、医書などを言う。
;端本
:合巻の不揃いな本。
== 有名作家と絵師 ==
文芸書などからは有名作家と挿絵浮世絵師が出た。
; 作家
: [[井原西鶴]]、[[近松門左衛門]]、[[荻生徂徠]]、[[松尾芭蕉]]、[[小林一茶]]、[[十返舎一九]]、[[曲亭馬琴]]、[[山東京伝]]、[[為永春水]]、[[式亭三馬]]、[[宿屋飯盛]]、[[柳亭種彦]]、柳川春種、[[紀海音]](浄瑠璃)、[[恋川春町]]、[[朋誠堂喜三二]]、[[笠亭仙果]]、淫水亭(春画本)、[[鶴屋南北]]、[[河竹黙阿弥]]、[[本居宣長]]、[[賀茂真淵]]、[[平田篤胤]]、[[柳下亭種員]]、[[感和亭鬼武]]、[[上田秋成]]、[[頼山陽]]、[[塙保己一]]、[[谷文晁]]、[[太田南畝]]、[[仮名垣魯文]]、[[貝原益軒]]、[[宮武外骨]]など。 
; 絵師
:[[喜多川歌麿]]、[[東洲斎写楽]]、[[葛飾北斎]]、[[渓斎英泉]]、[[北尾重政]]、[[勝川春扇]]、[[歌川国信]]、[[歌川豊国]]、[[歌川国貞]]、[[歌川芳虎]]、二代目[[歌川豊国]]、[[歌川国直]]、[[歌川国安]]、[[歌川貞秀]]、[[貞斎泉晁]]、[[歌川貞重]]、[[落合芳幾]]、[[月岡芳年]]、四代目[[歌川豊国]]、[[司馬江漢]]、など。


== 特徴 ==
=== 和本の文字 ===
仮名、漢字仮名交じり、振り仮名付、漢字(返り点漢籍がほとんどだが、白文漢籍も少しある。)など内容、時代によって文字はさまざまである。[[江戸文字]]のほか、絵入り小説はほとんど崩し字漢字仮名交じり振り仮名つきである。題や人物の横にある名前以外は、江戸くずし字、古文で、専門家でないと読みこなせない物が多く、現代語訳で確認する必要がある。
=== 書籍の形状 ===
[[半紙]]や、[[美濃紙]]版が基準になっている。
[[大本]](おおぼん)、中本、小本、横本、などの名前があるが、大きさには様々ある。大きいものは表紙に厚紙が埋め込まれているものが多い。現在の[[紙の寸法]]は和本からとられたものもあると思われる。


B5(26x18センチ)、半紙半分(24x17)、美濃紙半分(20x14)、B6(18x12)、半紙四分の一(17x11)、B7(12x9)などがある。
日本の歴史書、[[本居宣長]]や[[賀茂真淵]]の[[国学]]本のほか、中国の史書、[[諸子百家]]、技術文献などの木版の和本文献も沢山出版された。


半紙四分の一の大きさだと、現在ではかなり小さく思われるが、当時は彫師など画工の手も小さく起用で、実に細かい仕事が見られる。小本にも細かい挿絵がふんだんに入っている物も多い。銅版の小本の絵入り小説の漢字の幅は約2ミリで、さらに細かい振り仮名がふってある。古い時代の大量頒布の絵入り小説には、保存がよくないと稀に、各ページが折れ曲がったり、紙の劣化、この時代のやわらかいページの紙が、くっついているものもあり、めくりにくくなっているものもある。虫穴の開いているものや、馬食い(ねずみなどに大きくかじられた)のものもある。すでに読解できない内容で、その価値に気付かず、浮世絵のような扱いをされずに状態の悪いものもあるが、見事な木版摺りに保管されたと思われる。
[[和書]]は書籍の内容による分類に用いられる用語で、装丁による分類に用いられる和装本(和本)とは合致しないことがある。従って、[[和刻本]](日本で版が起こされた漢籍)も和装本に含まれる。また、和装本の多くが[[和紙]]を用いているが、稀に中国産紙に摺刷した唐紙刷と呼ばれる和装本も存在する。
===印刷の歴史===
和本は、ほとんどが木版刷りであるが、写本、石版、銅版、活版も存在する。日本の[[印刷]]の歴史としては、商業出版の痕跡はないが、8世紀の百曼塔陀羅尼の印刷、室町末期の木版である旧刊本、16世紀朝鮮、欧州から輸入されたという活字印刷、江戸初期の徳川家康の郡書治要、キリシタン版の[[古活字本]]、木活字[[嵯峨本]]、銅活字[[直江版]]がある。
大量に印刷できる木版本は、版画と同じ手法で摺られ、版本、板本、刊本、刻本ともいう。写本は引き続き書かれた。


== 和本の製本 ==
[[巻子本]]や[[折り本|折本]]などの、日本古来の[[装幀]]の総称であるが、実際には、ほとんどの場合、糊を使用しない装幀法を指しており、[[背表紙]]を持たず、[[表紙]]と本文の紙葉の大きさに殆ど差異がない装幀のものを指して言っている。代表的なものとしては連接に糊を用いた[[糊葉装]](粘葉装、でっちょうそう)、ノート綴じに近い形態の[[綴葉装]]、袋状に折って綴じる[[袋綴]]などがある。
=== 種類 ===
和本の[[装幀]]、[[製本]]は、糸でつづる独特のもので、今でも使われ、優れた製版技術である。代表的な四つ目綴じ(四つ、目打ち穴が開いている)が多いが、五つ目綴じ、亀甲綴じ、麻の葉綴じもある。ページの紙を二つに折って、合わせたところを糸縫いし、折り目の部分でページをめくる袋綴じがふつうである。糸綴りは意外に丈夫で、外れることはなく、古文書には、新しい糸に綴り直したものも多い。
=== 和綴りの順序 ===
#摺り上がったものを二つ折りにし、折り目をつけ並べる。
#[[折丁]]をそろえる。丁合(ちょうあい)をとる。
# 目打ちで糸を通す穴をあける
#[[こより]]で一冊分、中綴じ、中締めする。
#表紙をつける。
#糊止めする。
#紙の四隅を本の大きさに切り落とす。
#目打ちで穴を表紙にあける。
#糸を通した針を通す。
#四つ目に編むように綴じる。
#題箋(表紙に貼った題名)を貼る。
== 書店の種類 ==
江戸時代の本屋は、[[企画]]、[[編集]]、[[製版]]、[[小売]]をやり、取扱い書物内容で、大きく二つに分かれる。
;書物問屋
:学問書など硬派の書籍を扱った。仏教、歴史、伝記、暦、医学書、漢籍、教養書など硬い本を扱った。上方では本屋とも呼び、上方発祥で、江戸に支店も出した。[[武士]]、裕福な[[商人]]が多く利用したと考えられている。
;[[地本問屋]]
:草双紙(小説、娯楽本)、人情本、黄表紙(浮世絵入り読物)、絵本、細見(地図案内書)、狂歌絵本、洒落本(粋な小説)、芸の稽古本、歌舞伎の絵本、浮世絵など学術書以外の[[マスメディア]]本を扱った。地とは京大阪に対して、江戸の地(例地酒など)の意味。店頭には草子と、浮世絵屋とは別に浮世絵などが並んだ。庶民が多く利用した。
;その他
:[[貸本]]屋、暦屋でも書籍を取扱った。[[露天商]]、[[行商人]]、[[荒物屋]](家庭用雑貨)などから全国に書籍が流通した。


江戸地本の老舗、鶴屋喜右衛門の仙鶴堂と[[蔦屋重三郎]]の耕書堂は、[[寛政の改革]]以降、山東京伝、滝沢馬琴の黄表紙(小説)を独占した。大衆小説の人気作家と専属契約した。
ただし、長年日本独自の装丁と信じられてきた綴葉装や平紐による[[大和綴]]も実際にはその原形と見られる装丁が[[敦煌市|敦煌]]などの中国の遺跡などで確認されている。
書店名は、栄林堂、金花堂などや店主名そのものがあった。江戸では、[[日本橋 (東京都中央区)|日本橋]]、[[神田 (千代田区)|神田]]、[[馬喰町]]、[[浅草]]、[[深川]]、[[下谷]]、[[両国]]、芝明神などに本屋が出店し、地本問屋、書物問屋半々で天保の改革までに50軒以上はあった。江戸、大阪、京都が三大書籍流通ルートであった。
== 書店組合の種類 ==
同業者の信頼関係を深め、不正防止、風紀のため仲間(組合)を作った。幕府公認になった。問屋仲間の行事(当番制)の検閲があった。
;本屋仲間
:京都で元禄7年本屋仲間ができた。江戸で享保6年、書物問屋仲間(=本屋仲間)、大阪で享保8年本屋仲間ができた.
;地本問屋仲間
:江戸で寛政2年に地本問屋仲間ができた。


[[株仲間]](同業者組合)の買い占めなどで、物価が高騰し、風紀問題が出たとして、[[天保の改革]]時、仲間解散令が出された。嘉永4年再結成された時には、新規参入で地本問屋の仲間の数が125名まで増えたとある。
==参考文献==
*岸本眞実「和本」(『日本歴史大事典 3』(小学館、2001年) ISBN 978-4-095-23003-0)
*村上翠亭、山崎曜著『和装本のつくりかた』(二玄社、2009年)ISBN 978-4-544-02623-8


==関連項目==
==関連項目==
* [[浮世絵]]
* [[引き札]]
* [[和漢書]]
* [[和漢書]]


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[[Category:書誌学]]
[[Category:書誌学]]
[[Category:装幀]]
[[Category:装幀]]
[[category:印刷物]]


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2011年10月13日 (木) 00:09時点における版

明治時代の携帯本

和装本(わそうぼん)とは、和本(わほん)とも称し、江戸時代から明治時代に書店から商業出版された大量に現存する主に木版摺りで綴りの書籍のことを言う。

概要

江戸になると写本(墨手書き)に代わって、木版印刷の発展で出版物の大量頒布が可能になり、商品として流通した。17世紀にはいると、菱川師宣が木版墨摺りの絵本を描き始め、和本は浮世絵とともに江戸の出版文化を担った。木版技術と出版流通システムの確立で、数百年に渡ってつづく、当時の書籍が大量に現存する世界に稀に見る中世、近世の出版書籍群である。和本の歴史は、17世紀から、活版印刷に取って代わられる19世紀末まで続き、近代出版書籍文化の元祖と言える。中近世の庶民を含め不特定多数の読者が、商業出版の興隆を支えた。

沢山あってよく見られる19世紀初頭からの最盛期の浮世絵入り小説、中には様々な分野の硬派の本も、古文で、しかも活版印刷ではできない崩し字が独特でなじみにくく、文学性、中近世の様々な学問研究、挿絵浮世絵の質というより、一般には挿絵の珍しさにしか興味がいかないこともあるが、中近世の様々な階層の風俗思想などが大量の文献でわかるのは、和本と浮世絵だけであり、世界の文化遺産である。文学作品など文芸書には手引き本もあるが、その他の分野は各分野ごとに行われ、近代に引き継がれている。博物館、郷土資料館、図書館などに収蔵され、今でも相当数が古文書として、古書店などで取引されている。

浮世絵師は浮世絵の仕事と並行して、和本挿絵の仕事をした。江戸時代の本屋には、地本問屋書物問屋貸本屋などがある。17世紀後期からの上方文化成熟期、18世紀浮世絵と江戸文化最盛期、19世紀江戸文化爛熟期とつづくが、多くの和本、古典の復刻版は、江戸の人口が増える18世紀後期から明治期までのものが多い。和紙に糸綴りの本は軽く、行商人などが全国に広めた。木版出版の隆盛から明治の活版印刷にかわるまで、中近世に商業出版された書籍の古文書が大量に残っているのは、美術的価値、資料的価値もあるからだと思われる。古色の書籍を手に取るものは、江戸時代にタイムスリップする。

和本の主な種類

浮世絵入りの小説や、古典文学の翻刻版、儒学書、仏教書、神道書、歴史書、医学書、歌書、軍事書、漢籍春画本の他に数百年にわたり、多種多様な和本書籍が出版された。

小説、随筆、古典文学、古典の図解本、古典の解説本、名所旧跡案内、漫画往来物(庶民教育)、医学、鍼灸薬学手相習字占い家相方位千文字(漢字習得のための長詩)、尋常小学校教科書古代文様装束図絵、花鳥草木鳥獣図絵、中国の小説、大名有力者名録、巡礼記、密教古銭料理見聞録、名山、仏教神道本、妖怪俳諧和歌歌集地図奇術秘伝、美術応用職工画譜、能楽能具、地学朱子学法令(民法、刑法)、郵便規則、官令、公訴文習字(金貸し催促など)、漬物百科事典、画法(絵本手ほどき)、漢画本、宗教禅宗、キリシタン)、儒学陶器漆器農業養蚕農家日用品浄瑠璃本、印譜篆刻図鑑拓本伝記歌舞伎狂言諸子百家書、軍談、兵器武器、歌書、作法衣類道具習慣、大工道具建具雛形、書、漢方薬買物案内、参考書、、国史囲碁将棋本、名妓伝、弓術相撲、西洋歴史、風俗、地名字引相続心得、落語図書図録、陣笠体鑑定法、馬術数学和算書)、郷土の逸話、国学博物誌測量川柳都々逸、地誌名所、技術書、辞典、中国の史書、書道、地方の村の古文書、動物学園芸など。

江戸時代の文芸書の歴史

和本を代表する文芸書などからは、有名作家、浮世絵師が排出された。その他の多種の分野は、それぞれに歴史があり、後世にまで影響を与えている。

17世紀前期(寛永頃)
江戸開府。京都で慶長14年本屋新七が商業出版を創始。京都で公家知識人が担った。信長公記本朝画史醒睡笑出る。大阪では和漢三才図絵出る。
17世紀中期(寛文頃)
菱川師宣が江戸で木版墨摺り絵本を数多く手がけたが、都市基盤は上方のほうがまだ上回っていた。奈良、平安、鎌倉の古典写本の木版本が出て、以降長くベストセラーになった。明暦の大火
17世紀後期(元禄頃)
木版製版発展。町人文化盛んになる。上方文化成熟期。大阪で浮世草子出る。町人文学の井原西鶴好色一代男日本永代蔵近松門左衛門浄瑠璃本が出、竹本義太夫が、多くの人形浄瑠璃を書く。明智軍記出る。荻生徂徠が漢籍解説本を出す。怪談古今百物語評判出る。
18世紀前期(享保頃)
享保の改革。出版文化も江戸に移ってくる。二世竹田出雲菅原伝授手習鑑仮名手本忠臣蔵義経千本桜を出す。女大学出る。貝原益軒養生訓はその後どこの本屋にも置いてあったという。近松門左衛門が心中天網島曽根崎心中国性爺合戦を書く。新井白石折たく柴の記松尾芭蕉奥の細道野ざらし紀行出る。
18世紀中期(明和頃) 
明和のころ江戸っ子という言葉で来て、田沼時代から鈴木春信が錦絵を完成させる。全国に出版流通の基礎ができ始める。大阪で絵本太閤記84冊の歴史小説が出る。
18世紀後期(天明寛政頃)
錦絵の交流と江戸文化全盛期。天明期の江戸中心部に、浮世絵師、彫師、摺師、紙屋、儒学、国学、蘭学などの学者が集まってきた。江戸で庶民が豊かになり、浮世絵や書籍が売れ始める。江戸地本の書籍の流通。大手地本問屋が隆盛を極める。江戸の浮世絵入り小説の人気によって、江戸が中心になる。蔦屋重三郎のもと喜多川歌麿美人画で人気を博し、重三郎は本居宣長を訪ね、地方視察をした。田沼の失脚、大阪米騒動の後寛政の改革で、山東京伝の絵入り小説が摘発され、蔦谷重三郎は財産の半分を没収された。天保、天明期からあらゆる分野の学問、実用書、文芸書が出る。塙保己一群書類従、本居宣長が古事記伝を出した。恋川春町上田秋成雨月物語春雨物語四代目鶴屋南北四谷怪談化猫遊女ものも出た。山東京伝の時代世話二挺鼓江戸生艶気樺焼が出る。川柳句集柳多留寛政の三博士。江戸の読書人口が広がった。
19世紀前期(文化文政頃)
天保の改革。文化文政江戸文化爛熟期。全国に書籍流通市場形成。江戸、大阪、京都中心に出され、名古屋も続く。頼山陽日本外史、和歌の三代集復刻出る。滝沢馬琴が絵入り小説を送り出した。江戸貸本屋が800軒を超え、戯作作家、滝沢馬琴、山東京伝、式亭三馬柳亭種彦等人気作家が相次いで文壇の主流となる。東洲斎写楽太田南畝浮世絵類考でる。江戸出版文化は頂点に達し、大長編小説が相次いで出る。式亭三馬の浮世風呂、滝沢馬琴の108冊の南総里見八犬伝椿説弓張月傾城水滸伝十返舎一九の43冊東海道中膝栗毛は初刷り総計50万冊売ったとある。一九は仇討ものの長編も出した。その絵入り小説をまとめた合巻が開発される。旅行ブームの中、葛飾北斎の風景画が出る。柳亭種彦の北越奇談、美しい歌川国貞の浮世絵挿絵の「にせ紫田舎源氏」は38編、40万冊売ったとある。柳亭種彦と笠亭仙果邯鄲諸国物語。質量ともに江戸書籍を代表する小説が出て、華麗な口絵、挿絵、また錦絵風摺表紙がブームになった。絵入り春画本が沢山出る。七代目市川団十郎歌舞伎十八番を演じる。北斎漫画小林一茶浅黄空、私小説父の終焉日記以貴小伝出る。為永春水春色梅児誉美
19世紀中期(安政頃)
仏教の長編小説も出る。柳下亭種員の合巻長編90編、歌川豊国挿絵の白縫物語出る。児雷也豪傑譚、奇談集絵本百物語狂歌百物語出る。幕府は風紀取締りに、同業組合本屋仲間を公認した。安政3年、歌川広重名所江戸百景、北斎挿絵の通俗三国志出る。
19世紀後期(幕末明治頃)
河竹黙阿弥三人吉三廓初買白波五人男が出る。名将言行録出る。幕末の混乱期、技術発展に伴い、出版界は新しい小説、娯楽本よりは、見聞、教育のために、歴史小説の古典の新版、史書、技術書、博物誌、辞典、海外紹介ものなどが売れ始め、慶安太平記、30冊絵本楠公記、絵本大岡政談が出た。木版から活版印刷に移行していった。活版への過渡期を示す浮世絵入り糸綴り活版書物も出回った。仮名垣魯文西洋道中膝栗毛出る。
明治6年仲間解散令、書物問屋、地本問屋、また浮世絵版元仲間は危機に瀕する。明治20年ころには、木版から活版印刷技術の革新、思想の変革、新しい雑誌の登場に対応できなくなり、書物問屋は消滅していき、近代出版へ取って代わられた。しかし、明治大正期の文豪たちに江戸の文芸小説は引き継がれていった。学術教育ものの従来の寺小屋ルートが、新政府認可制の教科書ルートになった。出版書籍は活版、電算写植の電算書籍と進化していく。

和本の類別

特に文芸書などには、細かい江戸時代の分類がある。本物を多く見られないと理解が難しい。

草子
室町から江戸初期の絵入り短編小説、御伽草子など。冊子からきて本のことを言う。
草双紙
江戸中期以降の絵入り小説など。袋綴りで近代以前の小説としては最大部数を示した。草双紙は、表紙の色、内容で名前が付いている。
黄表紙
18世紀末から19世紀初めの大人向けの絵入り小説。安価にできて、読書人口が広がった。
合巻
草双紙数冊を合わせて一巻とした長編もの。
赤本
丹色、赤い表紙で、桃太郎猿蟹合戦などお伽噺で、享保ころ盛んだった。のち暦、講談、実用、実話、ポンチ絵なども。
青本
萌黄色で、浄瑠璃、歌舞伎など江戸中期から出た。青色ではない。
黒本
歴史物語、軍記、浄瑠璃など。
錦絵摺り付表紙
表紙が錦絵になっているもの。
仮名草子
元禄以降初期の短編小説。仮名文、啓蒙、娯楽物小説。
好色本
男女の情愛、元禄頃。井原西鶴の好色一代男など。
読本
中期、後期の小説、絵入り小説、口絵挿絵がある。
浮世草子、浮世本
上方小説、18世紀半ば、遊里、劇場で町人の好色もの。町人もの、三味線もの、気質(かたぎ)もの、武家、裁判、怪談。井原西鶴など。
談義本
滑稽読物、講談口調で、おかしみと教訓で社会を揶揄したもの。
狂歌
平安から行われ、万葉集の絡み、短歌。蜀山人など。
狂言
歌舞伎狂言の筋を描いた。多く絵入り。
戯作
中期以降の江戸の小説、読物、黄表紙、合巻、洒落本、談義本、滑稽本、人情本を総称。
滑稽本
江戸後期の小説。都会人の日常を断片的に書いた。十返舎一九の東海道中膝栗、式亭三馬の浮世風呂など。
洒落本
の文学。
咄(はなし)本
落語を書いたもの。人情本。
物之本
歴史、軍記、伝記、医書などを言う。
端本
合巻の不揃いな本。

有名作家と絵師

文芸書などからは有名作家と挿絵浮世絵師が出た。

作家
井原西鶴近松門左衛門荻生徂徠松尾芭蕉小林一茶十返舎一九曲亭馬琴山東京伝為永春水式亭三馬宿屋飯盛柳亭種彦、柳川春種、紀海音(浄瑠璃)、恋川春町朋誠堂喜三二笠亭仙果、淫水亭(春画本)、鶴屋南北河竹黙阿弥本居宣長賀茂真淵平田篤胤柳下亭種員感和亭鬼武上田秋成頼山陽塙保己一谷文晁太田南畝仮名垣魯文貝原益軒宮武外骨など。 
絵師
喜多川歌麿東洲斎写楽葛飾北斎渓斎英泉北尾重政勝川春扇歌川国信歌川豊国歌川国貞歌川芳虎、二代目歌川豊国歌川国直歌川国安歌川貞秀貞斎泉晁歌川貞重落合芳幾月岡芳年、四代目歌川豊国司馬江漢、など。


特徴

和本の文字

仮名、漢字仮名交じり、振り仮名付、漢字(返り点漢籍がほとんどだが、白文漢籍も少しある。)など内容、時代によって文字はさまざまである。江戸文字のほか、絵入り小説はほとんど崩し字漢字仮名交じり振り仮名つきである。題や人物の横にある名前以外は、江戸くずし字、古文で、専門家でないと読みこなせない物が多く、現代語訳で確認する必要がある。

書籍の形状

半紙や、美濃紙版が基準になっている。 大本(おおぼん)、中本、小本、横本、などの名前があるが、大きさには様々ある。大きいものは表紙に厚紙が埋め込まれているものが多い。現在の紙の寸法は和本からとられたものもあると思われる。

B5(26x18センチ)、半紙半分(24x17)、美濃紙半分(20x14)、B6(18x12)、半紙四分の一(17x11)、B7(12x9)などがある。

半紙四分の一の大きさだと、現在ではかなり小さく思われるが、当時は彫師など画工の手も小さく起用で、実に細かい仕事が見られる。小本にも細かい挿絵がふんだんに入っている物も多い。銅版の小本の絵入り小説の漢字の幅は約2ミリで、さらに細かい振り仮名がふってある。古い時代の大量頒布の絵入り小説には、保存がよくないと稀に、各ページが折れ曲がったり、紙の劣化、この時代のやわらかいページの紙が、くっついているものもあり、めくりにくくなっているものもある。虫穴の開いているものや、馬食い(ねずみなどに大きくかじられた)のものもある。すでに読解できない内容で、その価値に気付かず、浮世絵のような扱いをされずに状態の悪いものもあるが、見事な木版摺りに保管されたと思われる。

印刷の歴史

和本は、ほとんどが木版刷りであるが、写本、石版、銅版、活版も存在する。日本の印刷の歴史としては、商業出版の痕跡はないが、8世紀の百曼塔陀羅尼の印刷、室町末期の木版である旧刊本、16世紀朝鮮、欧州から輸入されたという活字印刷、江戸初期の徳川家康の郡書治要、キリシタン版の古活字本、木活字嵯峨本、銅活字直江版がある。 大量に印刷できる木版本は、版画と同じ手法で摺られ、版本、板本、刊本、刻本ともいう。写本は引き続き書かれた。

和本の製本

種類

和本の装幀製本は、糸でつづる独特のもので、今でも使われ、優れた製版技術である。代表的な四つ目綴じ(四つ、目打ち穴が開いている)が多いが、五つ目綴じ、亀甲綴じ、麻の葉綴じもある。ページの紙を二つに折って、合わせたところを糸縫いし、折り目の部分でページをめくる袋綴じがふつうである。糸綴りは意外に丈夫で、外れることはなく、古文書には、新しい糸に綴り直したものも多い。

和綴りの順序

  1. 摺り上がったものを二つ折りにし、折り目をつけ並べる。
  2. 折丁をそろえる。丁合(ちょうあい)をとる。
  3. 目打ちで糸を通す穴をあける
  4. こよりで一冊分、中綴じ、中締めする。
  5. 表紙をつける。
  6. 糊止めする。
  7. 紙の四隅を本の大きさに切り落とす。
  8. 目打ちで穴を表紙にあける。
  9. 糸を通した針を通す。
  10. 四つ目に編むように綴じる。
  11. 題箋(表紙に貼った題名)を貼る。

書店の種類

江戸時代の本屋は、企画編集製版小売をやり、取扱い書物内容で、大きく二つに分かれる。

書物問屋
学問書など硬派の書籍を扱った。仏教、歴史、伝記、暦、医学書、漢籍、教養書など硬い本を扱った。上方では本屋とも呼び、上方発祥で、江戸に支店も出した。武士、裕福な商人が多く利用したと考えられている。
地本問屋
草双紙(小説、娯楽本)、人情本、黄表紙(浮世絵入り読物)、絵本、細見(地図案内書)、狂歌絵本、洒落本(粋な小説)、芸の稽古本、歌舞伎の絵本、浮世絵など学術書以外のマスメディア本を扱った。地とは京大阪に対して、江戸の地(例地酒など)の意味。店頭には草子と、浮世絵屋とは別に浮世絵などが並んだ。庶民が多く利用した。
その他
貸本屋、暦屋でも書籍を取扱った。露天商行商人荒物屋(家庭用雑貨)などから全国に書籍が流通した。

江戸地本の老舗、鶴屋喜右衛門の仙鶴堂と蔦屋重三郎の耕書堂は、寛政の改革以降、山東京伝、滝沢馬琴の黄表紙(小説)を独占した。大衆小説の人気作家と専属契約した。 書店名は、栄林堂、金花堂などや店主名そのものがあった。江戸では、日本橋神田馬喰町浅草深川下谷両国、芝明神などに本屋が出店し、地本問屋、書物問屋半々で天保の改革までに50軒以上はあった。江戸、大阪、京都が三大書籍流通ルートであった。

 書店組合の種類

同業者の信頼関係を深め、不正防止、風紀のため仲間(組合)を作った。幕府公認になった。問屋仲間の行事(当番制)の検閲があった。

本屋仲間
京都で元禄7年本屋仲間ができた。江戸で享保6年、書物問屋仲間(=本屋仲間)、大阪で享保8年本屋仲間ができた.
地本問屋仲間
江戸で寛政2年に地本問屋仲間ができた。

株仲間(同業者組合)の買い占めなどで、物価が高騰し、風紀問題が出たとして、天保の改革時、仲間解散令が出された。嘉永4年再結成された時には、新規参入で地本問屋の仲間の数が125名まで増えたとある。

関連項目