四谷怪談

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東海道四谷怪談 「神谷伊右エ門 於岩のばうこん」(歌川国芳
『四ツ谷怪談』(月岡芳年新形三十六怪撰』)

四谷怪談(よつやかいだん)とは、元禄時代に起きたとされる事件を基に創作された日本の怪談江戸の雑司ヶ谷四谷町(現・豊島区雑司が谷)が舞台となっている。基本的なストーリーは「貞女・岩が夫・伊右衛門に惨殺され、幽霊となって復讐を果たす」というもので、鶴屋南北歌舞伎三遊亭圓朝落語が有名である。怪談の定番とされ、折に触れて舞台化・映画化されているため、さまざまなバリエーションが存在する。

お岩稲荷[編集]

四谷(東京都新宿区左門町)に実在する「お岩稲荷」(於岩稲荷田宮神社)は、もともとは田宮家の屋敷社で、岩という女性が江戸時代初期に稲荷神社を勧請したことが由来といわれる。

岩の父、田宮又左衛門は徳川家康の入府とともに駿府から江戸に来た御家人であった。岩と、婿養子となった伊右衛門は仲のよい夫婦で、収入の乏しい生活を岩が奉公に出て支えていたという。岩が田宮神社を勧請したのち生活が上向いたと言われており、土地の住民の信仰の対象となった。

現在、四谷左門町には於岩稲荷田宮神社於岩稲荷陽運寺が、道を挟んで両側にある。また、中央区新川にも於岩稲荷田宮神社がある。

四谷の於岩稲荷田宮神社(田宮家跡地)は明治12年(1879年)の火災によって焼失して中央区新川に移った。新川の於岩稲荷田宮神社は戦災で焼失したが戦後再建され、また四谷の旧地にも再興された。また、陽運寺は昭和初期に創建された日蓮宗の寺院であるが、境内に「お岩さま縁の井戸」がある[1]

四谷のお岩稲荷には、文政10年(1827年)に記録された文書が残されている。それによれば、四谷に住む武士・田宮又左右衛門の娘、お岩が浪人の伊右衛門を婿にとったが、伊右衛門が心変わりして一方的にお岩を離縁したため、お岩が狂乱して行方不明となり、その後田宮家で変異が相次いだため、田宮邸の跡地にお岩稲荷を建てたというものである。

なお、お岩の「お墓」が、巣鴨の妙行寺(明治時代に四谷から移転)にある。

四谷雑談集[編集]

葛飾北斎画『近世怪談霜夜星』

『四谷雑談集』(享保12年(1727年)の奥付)に、元禄時代に起きた事件として記され、鶴屋南北の『東海道四谷怪談』の原典とされた話。

江戸時代初期に勧請された稲荷神社の由来とは年代があわず、また田宮家は現在まで続いており、田宮家に伝わる話としてはお岩は貞女で夫婦仲も睦まじかったとある。このことから、田宮家ゆかりの女性の失踪事件が、怪談として改変されたのではないかという考察がある[2]

また、岡本綺堂は、お岩稲荷について、下町の町人の語るところは怪談であり、山の手の武家の語るところは美談と分かれているので、事件が武家に関わることゆえに、都合の良い美談を武家がこしらえたのではないか、という考察をしている[3]

南北の『東海道四谷怪談』以前に、この話を下敷きにした作品としては、曲亭馬琴『勧善常世物語』(文化3年(1806年))や柳亭種彦『近世怪談霜夜星』(文化5年(1808年))がある。

あらすじ[編集]

四谷在住の御先手鉄砲組同心の田宮又左衛門のひとり娘である岩は、容姿性格共に難があり中々婿を得ることができなかった。浪人の伊右衛門は、仲介人に半ば騙された形で田宮家に婿養子として岩を妻にする。田宮家に入った伊右衛門は、上司である与力の伊東喜兵衛の妾に惹かれ、また喜兵衛は妊娠した妾を伊右衛門に押し付けたいと思い、望みの一致したふたりは結託して、岩を騙すと田宮家から追う。騙されたことを知った岩は狂乱して失踪する。岩の失踪後、田宮家には不幸が続き断絶。その跡地では怪異が発生したことから於岩稲荷がたてられた。

『東海道四谷怪談』[編集]

東海道四谷怪談』(とうかいどう よつやかいだん)は、鶴屋南北作の歌舞伎狂言。全5幕。文政8年(1825年)、江戸中村座で初演された。

南北の代表的な生世話狂言であり、怪談狂言(夏狂言)。『仮名手本忠臣蔵』の世界を用いた外伝という体裁で書かれ、前述のお岩伝説に、不倫の男女が戸板に釘付けされ神田川に流されたという当時の話題や、砂村隠亡堀に心中者の死体が流れ着いたという話などが取り入れられた。

岩が毒薬のために顔半分が醜く腫れ上がったまま髪を梳き悶え死ぬところ(二幕目・伊右衛門内の場)、岩と小平の死体を戸板1枚の表裏に釘付けにしたのが漂着し、伊右衛門がその両面を反転して見て執念に驚くところ(三幕目・砂村隠亡堀の場の戸板返し)、蛇山の庵室で伊右衛門がおびただしい数の鼠と怨霊に苦しめられるところ(大詰・蛇山庵室の場)などが有名な場面となっている。

初演時の趣向[編集]

中村座における初演時は、時代物の『仮名手本忠臣蔵』と合わせて2日にわたって上演された。

  • 1日目:『忠臣蔵』の六段目(勘平の腹切)まで →『四谷怪談』の三幕目(隠亡堀の場)まで
  • 2日目:『忠臣蔵』の七段目(祇園一力の場)以降 →『四谷怪談』の三幕以降 →『忠臣蔵』の討入り

『忠臣蔵』と続けて演じると、塩冶義士・佐藤与茂七が伊右衛門を討ったあとに吉良邸の討ち入りに参加することになる。

再演以降は『四谷怪談』の部分が単独で上演されている。その場合、与茂七らの登場シーンは省略されたり書替えられたりすることが多い。

配役は以下の通り。

岩の役柄は菊五郎の外孫・尾上菊五郎の時代に集大成され、以後音羽屋お家芸のひとつとなった。

あらすじ(東海道四谷怪談)[編集]

元塩冶藩士、四谷左門の娘・岩は夫である伊右衛門の不行状を理由に実家に連れ戻されていた。伊右衛門は左門に岩との復縁を迫るが、過去の悪事(公金横領)を指摘され、辻斬りの仕業に見せかけ左門を殺害。同じ場所で、岩の妹・袖に横恋慕していた薬売り・直助は、袖の夫・佐藤与茂七(実は入れ替った別人)を殺害していた。ちょうどそこへ岩と袖がやってきて、左門と与茂七の死体を見つける。嘆く2人に伊右衛門と直助は仇を討ってやると言いくるめる。そして、伊右衛門と岩は復縁し、直助と袖は同居することになる。

田宮家に戻った岩は産後の肥立ちが悪く、病がちになったため、伊右衛門は岩を厭うようになる。高師直の家臣伊藤喜兵衛の孫・梅は伊右衛門に恋をし、喜兵衛も伊右衛門を婿に望む。高家への仕官を条件に承諾した伊右衛門は、按摩の宅悦を脅して岩と不義密通をはたらかせ、それを口実に離縁しようと画策する。喜兵衛から贈られた薬のために容貌が崩れた岩を見て脅えた宅悦は伊右衛門の計画を暴露する。岩は悶え苦しみ、置いてあった刀が首に刺さって死ぬ。伊右衛門は家宝の薬を盗んだとがで捕らえていた小仏小平を惨殺。伊右衛門の手下は岩と小平の死体を戸板にくくりつけ、川に流す。

伊右衛門は伊藤家の婿に入るが、婚礼の晩に幽霊を見て錯乱し、梅と喜兵衛を殺害、逃亡する。

袖は宅悦に姉の死を知らされ、仇討ちを条件に直助に身を許すが、そこへ死んだはずの与茂七が帰ってくる。結果として不貞を働いた袖はあえて与茂七、直助二人の手にかかり死ぬ。袖の最後の言葉から、直助は袖が実の妹だったことを知り、自害する。

蛇山の庵室で伊右衛門は岩の幽霊と鼠に苦しめられて狂乱する。そこへ真相を知った与茂七が来て、舅と義姉の敵である伊右衛門を討つ。

参考・関連文献[編集]

  • 河竹繁俊 編『近世実録全書 第4巻』早稲田大学出版部、昭和3年(1928年)。
  • 高田衛 編『日本怪談集 江戸編』河出書房新社、平成11年(1992年)。ISBN 4309403425
  • 『田宮神社由来記』於岩稲荷田宮神社。

四谷怪談を描いた作品[編集]

葛飾北斎『百物語』提灯お化けのお岩さん
落語
絵画
  • 歌川豊国『東海道四谷怪談』国立劇場蔵。
  • 歌川国貞『当三升四谷聞書』(まねてますよつやのききがき)、早稲田大学演劇博物館蔵。
  • 葛飾北斎『近世怪談霜夜星』挿絵。
  • 落合芳幾『東海道四谷怪談』神戸市立博物館蔵。
  • 吉川観方『朝露、夕霧』福岡市美術館蔵。
  • 歌川豊斎 『按摩宅悦 尾上松助』
小説
映画作品(戦後)
テレビドラマ作品
漫画作品
アニメ作品
音楽
  • 『合唱のためのディスカバー・ニッポン<第一集>「東海道四谷怪談」』(平成23年(2011年)作曲:千原英喜

四谷怪談をモチーフとした作品[編集]

映画作品
舞台
漫画作品
  • かわぐちかいじアクター』(1984年 - 1988年。モーニング
    • 作中映画「四谷怪談 お梅の恋」の撮影が進む中で、「四谷怪談」に描かれた人間模様に、出演者たちやスタッフが影響を受けながらも、物語を侵食していく勢いの主要人物たちの俳優や映画人としての激しい生き様の描写が、後半部の大筋を成している。

脚注[編集]

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  1. ^ 陽運寺公式サイト[1]
  2. ^ 小池壮彦「お岩」『幽霊の本』学研平成11年(1999年)。
  3. ^ 岡本綺堂 著、岸井良衞 編『江戸に就いての話(新装版)』青蛙房、平成22年(2010年)。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]