いき

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いきまたは意気とは、江戸における美意識(観念)のひとつであった。江戸時代後期に、江戸深川芸者辰巳芸者)についていったのがはじまりとされる。身なりや振る舞いが洗練されていて、格好よいと感じられること。また、人に通じていること、遊び方を知っていることなどの意味も含む。

反対語は野暮(やぼ)または無粋である。粋を「いき」と読むのは誤用・誤読である。(後述)

目次

[編集] 概要

「いき」には、単純美への志向であり、「庶民の生活」から生まれてきた美意識である。また、「いき」は親しみやすく明快で、意味は拡大されているが、現在の日常生活でも広く使われる言葉である。

わび・さび

わび・さびには、日本の美的観念という共通部分もあるが「いき」とは大きく違う。茶道の中で生み出された高踏的な「わび」「さび」であり、無常などの宗教観念と関連するなど、もともと日常的な観念ではない。しかし、日本国外の人は「わび・さびが日本の美学の代表」のように捉えられていることもある。

[編集] いきでいなせ

いきでいなせ」という言葉がある。舟木一夫の「火消し若衆」において、「火事とけんか」や「男っぷり」と歌われており、喧嘩っ早い火消しの江戸っ子を表現している。この語をわけて『「いき」は火消しの事で「いなせ」は魚屋の事[1]』という説もあるが、これは定かとなっていない。江戸っ子は地味な服を好むがいきなオシャレを楽しんだとされる。また武士の町であり地方からのおのぼりさんが多かった事から気性が荒く喧嘩などの揉め事も多かった。

『佃節』では「いきな深川、いなせな神田、人の悪いは麹町」と読まれている。

[編集] 九鬼による「いき」

九鬼周造「いき」の構造』(1930)では、「いき」という江戸特有の美意識が初めて哲学的に考察された。九鬼周造は『「いき」の構造』において、いきを「他の言語に全く同義の語句が見られない」ことから日本独自の美意識として位置付けた。外国語で意味が近いものに「coquetterie」「esprit」などを挙げたが、形式を抽象化することによって導き出される類似・共通点をもって文化の理解としてはならないとし、経験的具体的に意識できることをもっていきという文化を理解するべきであると唱えた。また、同書中で九鬼周造はいきには必ず異性に対する「媚態」が根本にあり、異性間の緊張がつねに存在している状態がいきの構成要素である「つやっぽさ」や「色気」を作り出すとしている。

また別の面として、いきの要諦には江戸の人々の道徳的理想が色濃く反映されており、それは「いき」のうちの「意気地」に集約される。いわゆるやせ我慢と反骨精神にそれが表れており、「宵越しの金を持たぬ」と言う気風と誇りが「いき」であるとされた。九鬼周造はその著書において端的に「理想主義の生んだ『意気地』によって媚態が霊化されていることが『いき』の特色である。」と述べている。

九鬼の議論では、伝統的にはむしろ野暮の代表であるを持ち出すことで「いき」が町人の文化であることを軽視している点、西洋哲学での理屈付けをしている点には批判もある。

[編集] いきと粋

いきはと表記されることが多いが、これは明治になってからのことで、上方の美意識である「粋(すい)」とは区別しなければならない。「いき」は「意気」とも表記される。上方の「粋(すい)」が恋愛や装飾などにおいて突き詰めた末に結晶される文化様式(結果としての、心中や絢爛豪華な振袖の着物など)、字のごとく純粋の「粋(すい)」であるのに対し、江戸における「いき」とは突き詰めない、上記で解説した異性間での緊張を常に緊張としておくために、突き放さず突き詰めず、常に距離を接近せしめることによって生まれると言われる[要出典]。 『守貞謾稿』には、「京坂は男女ともに艶麗優美を専らとし、かねて粋を欲す。江戸は意気を専らとして美を次として、風姿自づから異あり。これを花に比するに艶麗は牡丹なり。優美は桜花なり。粋と意気は梅なり。しかも京坂の粋は紅梅にして、江戸の意気は白梅に比して可ならん」と書かれている。

[編集] 脚注

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  1. ^ 「いなせ」は「鯔背」と書きの子を表すが、鯔背銀杏という河岸の若者が好んだ髪型がある

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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