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[[File:慶應義塾商工学校校舎(1906年10月竣工).jpg|thumb|220px|left|慶應義塾商工学校(1906年頃)]] |
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慶應義塾の内部において、中等部の前身は「慶應義塾商工学校」であるとする見解がある。この項では商工学校の概略について述べる。 |
慶應義塾の内部において、中等部の前身は「慶應義塾商工学校」であるとする見解がある。この項では商工学校の概略について述べる。 |
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2021年8月26日 (木) 01:36時点における版
慶應義塾中等部 | |
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国公私立 | 私立学校 |
設置者 | 慶應義塾 |
校訓 | 独立自尊 |
設立年月日 | 1947年(前身である慶應義塾商工学校は1905年開校) |
共学・別学 | 男女共学 |
中高一貫教育 | 連携型 |
学期 | 3学期制 |
所在地 | 〒108-0073 |
北緯35度38分56.2秒 東経139度44分25.6秒 / 北緯35.648944度 東経139.740444度座標: 北緯35度38分56.2秒 東経139度44分25.6秒 / 北緯35.648944度 東経139.740444度 | |
公式サイト | 慶應義塾中等部 |
プロジェクト:学校/中学校テンプレート |
慶應義塾中等部(けいおうぎじゅくちゅうとうぶ、英: Keio Chutobu Junior High School)は、東京都港区三田二丁目にある私立中学校。
概要
慶應義塾大学三田キャンパスに隣接する。前身は実業学校であった1905年(明治38年)設置の「慶應義塾商工学校」で、1947年(昭和22年)に新制の中等部が開校した。慶應義塾商工学校は、現在の三田キャンパス内にあったが、中等部となった翌年(1948年)に移転し、現在は元々普通部があった所に存在する[1]。なお、慶應義塾商工学校があった所には、現在、石碑がある。同じ一貫教育中学校の普通部は男子校だが、同校は湘南藤沢中等部と同じ男女共学校である。また、一貫教育中学校の3校の中で唯一、東京都内にある。
グレーの制服は式典用で、内部では基準服と呼ばれる。普段は中等部らしい気品のある服装を基本とし、襟・袖付きシャツ(ポロシャツ可)とスカート/スラックスを着用(ジーンズ不可)。
基本的に校則が存在せず、自由な校風である。
- 部長(校長職に該当)
- 井上逸兵
歴史
慶應義塾の内部において、中等部の前身は「慶應義塾商工学校」であるとする見解がある。この項では商工学校の概略について述べる。
商工学校は1904年に、「慶應義塾実業学校」の名称で設置申請、認可を受けたが、日露戦争により開校が延期され、翌年に「慶応義塾商工学校」の名で第1期生を受け入れた。甲種商業学校の認定を受け、当初は予科2年・本科4年の6年制(通常の実業学校は5年制)を敷いていた。
実業学校という性格から、本来は中等教育の段階で職業人を育成するのが目的であったが、1920年、慶應義塾大学が大学令による大学に昇格すると、同予科に進学することも可能となった(後期には大学医学部に進学する者も現れたという)。そのため、同年修業年限を1年縮めて工業科目も大幅に廃止、2年後には予科・本科を一本化するなどの改革が行われた。
1944年、太平洋戦争末期には、募集停止となり、工業学校が置かれた。戦後の学制改革で、義務課程での専門教育は行わないことが決まったため、商工学校の下級生は暫定的に作られた新制の商工学校併設中学校の生徒となり、同時に新しく設立された中等部に委託される形で授業を受けた。よって、厳密には商工学校と中等部の間で制度上の連続性はないが、実情に鑑みて中等部は商工学校の後身と見ることが可能である。なお、上級生は新制の「慶應義塾第二高等学校」(後の慶應義塾高等学校)に編入扱いとなった。商工学校は1949年に廃止、教職員は中等部や各高等学校に転属された。
慶應義塾中等部の基本理念
- 「自立した個人を育む 自由な教育」- 自ら考え 自ら判断し 自ら行動して その結果に責任を持てる自立した個人を育む
授業
慶應義塾中等部の授業は45分単位で行われる。 月曜日から金曜日までは 6時間の授業があり、1時限の授業は午前8時10分に始まり、昼休みの時間(11時50分~12時40分)を挟んで、6時限の授業は午後 2 時20分に終わる。 土曜日の授業は午後12時30分に終わる。
中等部の1学年の生徒数は約240名。男女比は約2:1で、1クラス生徒数が約40名の合計6クラスで構成される。
3年次には、慶応義塾中等部独自の「選択授業」が用意されている。生徒たちはその中から好きな科目を選んで、学習意欲と自主性を高めることができる。
学校施設
本館、新館、特別教室棟、ポプラ館、新体育館、F館(future館)、綱町グラウンド。
綱町グラウンド
中等部校舎から徒歩3分ほどの場所にあり、グラウンドのほかにテニスコート、道場などが設けられている[2]。
かつてこの地は蜂須賀茂韶侯爵の所有地の一部で、1903年に慶應義塾に売却されて綱町グラウンドとなり、同年11月21日に第1回慶早戦が行われた[3]。現在、慶應義塾中等部の体育の授業に利用されている。
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第1回慶早戦の両校選手(1903年11月21日)
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慶應義塾とハワイ・セントルイス軍の野球試合(1916年10月23日)
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慶明2回戦(1918年春)
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綱町グラウンド(2009年)
学校行事
- 4月 - 入学式、新入生歓迎会、BLS講習会
- 5月 - 遠足、慶早会
- 6月 - 校内大会(クラス対抗のスポーツ大会)
- 7月 - 古典芸能鑑賞会、校内大会(水泳大会)、講演会、林間学校
- 8月 - 英国の修学研修旅行、夏のハワイ研修旅行
- 10月 - 運動会
- 11月 - 展覧会、校内大会(サッカー、バレーボール、綱引き大会)
- 12月 - 音楽会、生徒会総会
- 1月 - キャリア講座
- 3月 - 卒業旅行、卒業式、春の英国研修旅行
入試
入試は一次試験の国語、算数、社会、理科の4教科、二次試験の体育、面接で判定される。外部募集定員は例年、男子約150名~、女子約50名~だが、慶應義塾幼稚舎からの内部進学者数により多少変動する[4]。
幼稚舎からの内部進学者は例年、男子は約100名中15名~20名前後、女子は約50名中約45名前後である。男子は以前は普通部に進学するものがほとんどで、中等部への進学者は少なかったが、近年増加した。近年の幼稚舎からの進学者は、以下の通りである[5]。
入学年 | 男子 | 女子 |
---|---|---|
2011年 | 24 | 48 |
2012年 | 13 | 45 |
2013年 | 24 | 47 |
2014年 | 22 | 46 |
2015年 | 21 | 46 |
2016年 | 25 | 45 |
2017年 | 18 | 47 |
2018年 | 24 | 41 |
2019年 | 14 | 48 |
2020年 | 18 | 46 |
過去10年の平均 | 20.3 | 45.9 |
合格最低点などは公表していない。受験生の層に対して筆記試験は比較的易しめであり[6]、一次と二次試験を総合して合否が決まるとされる[7]。一次試験で定員の数倍の合格者を出すため、慶應義塾普通部と異なり、2次面接が重視されるといえるが、一次での学力が縁故などと比べどの程度重視されるかは不明である。
進路
慶應義塾中等部の卒業生は、慶應義塾の設置・運営する高等学校のうち希望する学校に進学することができる。
進学可能先
- 男子:塾高・志木高・湘南藤沢高等部・ニューヨーク学院高等部
- 女子:女子高・湘南藤沢高等部・ニューヨーク学院高等部
男子は塾高へ、女子は女子高への進学者が比較的多い。
2017年度卒業生では、慶應義塾高等学校(塾高)に137人、慶應義塾女子高等学校(女子高)に92人、慶應義塾志木高等学校(志木高)に15人、慶應義塾湘南藤沢高等部に3人、慶應義塾ニューヨーク学院高等部に3人が進学した[8]。
2018年度の卒業生(251名在籍)では、男子が、塾高に121人、志木高に14人、湘南藤沢高等部に13人、ニューヨーク学院高等部に1人、他校に3人進学し、女子が、女子高に92人、湘南藤沢高等部に3人、ニューヨーク学院高等部に1人進学した[9]。
著名な卒業生
- 佐藤喜久雄(元プロ野球選手)旧制慶應商工卒
- 横沢七郎(元プロ野球選手)旧制慶應商工卒
- 白木義一郎(元プロ野球選手)旧制慶應商工卒
- 久保木修己(統一教会日本初代会長)旧制慶應商工卒
- 北村英治(クラリネット奏者)旧制慶應商工卒
- 福澤幸雄(カーレーサー、福澤諭吉の曾孫)幼稚舎卒
- 鈴木治彦(元TBSアナウンサー)
- 鈴木邦彦(作曲家)
- 藤井次郎(元マルエツ社長、元ダイエー顧問、元器械体操部主将(オリンピック候補選手))
- 北城恪太郎(日本アイ・ビー・エム会長、経済同友会代表幹事)
- 青木廣彰(ロッキー青木。米国BENIHANAオーナー、冒険家)
- 三宅占二 (キリンビール社長)
- 松沢成文(元神奈川県知事、参議院議員)
- 河野太郎(外務大臣、衆議院議員)
- 亀井善太郎(元衆議院議員)
- 石渡德一(鎌倉市長)
- 冲永佳史(帝京大学学長・理事長)
- 坂村健(東京大学大学院情報学環教授、TRONプロジェクト)幼稚舎卒
- 秩父重英(東北大学多元物質科学研究所教授)
- 松本隆(作詞家、ミュージシャン)
- 中村紘子(ピアニスト)幼稚舎卒
- 千住真理子(ヴァイオリニスト)幼稚舎卒
- 藤岡幸夫(指揮者)
- 神谷百子(マリンバ奏者)
- 神保彰(ドラマー)
- 市川猿翁 (2代目)(歌舞伎俳優)
- 市川右團次 (3代目)(歌舞伎俳優)
- 川久保玲(コム・デ・ギャルソンデザイナー)
- 二谷友里恵(女優)幼稚舎卒
- 菊池麻衣子(女優)
- 園原ゆかり(モデル)幼稚舎卒
- 陵あきの(元宝塚歌劇団宙組)
- TAROかまやつ(シンガーソングライター、元フジテレビ社員)幼稚舎卒
- 根本美緒(フリーアナウンサー、気象予報士)幼稚舎卒
- 外山惠理(TBSアナウンサー)幼稚舎卒
- 河野明子(元テレビ朝日アナウンサー)幼稚舎卒
- 末武里佳子(テレビ東京アナウンサー)
- 弘中綾香(テレビ朝日アナウンサー)
- 星麻琴(NHKアナウンサー)
- 上原光紀(NHKアナウンサー)
- 近藤夏子(TBSアナウンサー)幼稚舎卒
- 松田和佳(静岡朝日テレビアナウンサー)幼稚舎卒
- 池上真麻( ライフスタイルコーディネーター・フラワーデザイナー )幼稚舎卒
- 泉麻人(コラムニスト)
- 松岡修造(テニスプレーヤー)幼稚舎卒
- 林郁夫(オウム真理教元幹部)
- 柴本幸(女優)幼稚舎卒
- 平沼成基(俳優)
- 勝間和代(旧姓:後藤。経済評論家、公認会計士)
- 朝吹真理子(小説家)幼稚舎卒
- 岡部喜代子(慶應義塾大学法科大学院教授から最高裁判所判事)
- 近藤誠(慶應義塾大学医学部専任講師)
- 梓真悠子(タレント)幼稚舎卒
- 池端えみ(女優)幼稚舎卒
- 森泉(タレント)幼稚舎卒
- 森星(モデル)幼稚舎卒
- 山木梨沙(元歌手、元アイドル)
- 椎木里佳(タレント、実業家)幼稚舎卒
- 芦田愛菜(タレント、女優)
脚注
- ^ 開校直後は三田の旧高等部校舎を使用していた(『慶應義塾百年史』 下巻、182-183頁)。
- ^ 中等部案内 綱町グラウンド
- ^ 三田評論 第53回 綱町グラウンド(上)
- ^ 入学試験に関するQ&A 慶應義塾中等部
- ^ a b “入学試験Q&A - 入学情報・学校説明会 - 慶應義塾幼稚舎”. www.yochisha.keio.ac.jp. 2020年6月15日閲覧。
- ^ 簡易傾向と対策―慶應中等部
- ^ 入学試験に関するQ&A 慶應義塾中等部
- ^ 慶應義塾中等部の卒業生の進路情報 | 中学校選びならJS日本の学校
- ^ “慶應義塾中等部”. www.kgc.keio.ac.jp. 2020年6月15日閲覧。