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慶應義塾大学大学院理工学研究科・理工学部

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慶應義塾大学 > 慶應義塾大学大学院理工学研究科・理工学部
矢上キャンパス

慶應義塾大学大学院理工学研究科(けいおうぎじゅくだいがくだいがくいんりこうがくけんきゅうか、: Graduate School of Science and Technology, Keio University)は、慶應義塾大学が設置する大学院理工学研究科である。

慶應義塾大学理工学部(けいおうぎじゅくだいがく りこうがくぶ、: Faculty of Science and Technology, Keio University)は、慶應義塾大学が設置する理工学部である。

概要

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藤原銀次郎
(米内内閣商工大臣の時)

戦前の三井財閥の中心人物の一人であり、富岡製糸場支配人から王子製紙(初代)社長を務め「製紙王」と言われた藤原銀次郎が、1939年に母校である慶應義塾に寄付する目的で藤原工業大学を設立した。その後、藤原工業大学は1944年に慶応義塾に併合されて慶應義塾大学工学部となった。1981年には慶應義塾大学理工学部に改組された[1]

現在、慶應義塾大学理工学部・大学院理工学研究科の基本理念を表すキーワードは、「創発(emerging)」としている。また、学生が実力と交友関係を身に着けることを教育目標として設定している。学部卒業生の約7割は慶應義塾大学大学院理工学研究科に進学する。使用キャンパスは日吉キャンパスおよび矢上キャンパス[2]

沿革

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開校当時の藤原工業大学
藤原工業大学開校式(1939年6月17日)
藤原工業大学が慶應へ合併(『朝日新聞』 1943年10月24日付3面)
  • 1939年(昭和14年) 藤原銀次郎により藤原工業大学(機械工学科・電気工学科・応用化学科)が開校。
  • 1944年(昭和19年) 藤原工業大学を慶應義塾大学工学部に改組[1]
  • 1945年(昭和20年) 米軍の空襲により全建物の8割を失う(4月)。電気工学科・応用化学は福井市郊外へ、機械工学科は宮城県多賀城へ疎開した[3]終戦後、工学部は目黒海軍技術研究所跡に移転(目黒仮校舎、1946年まで)[4]。工学部予科は旧陸軍登戸研究所跡に移転(登戸仮校舎、1949年まで)[5]
  • 1946年(昭和21年) 川崎市久本鴨居町の日本光学工業工場内の国有地に移転(溝ノ口仮校舎、1949年まで)[6]
  • 1949年(昭和24年) 東京都北多摩郡小金井町横河電機製作所工場跡に移転(小金井キャンパス)[1]
  • 1957年(昭和32年) 計測工学科を設置[1]
  • 1959年(昭和34年) 管理工学科を設置[1]
  • 1968年(昭和43年) 旧制藤原工業大学の時代から取得済みの矢上台校地への移転決定[7]
  • 1972年(昭和47年) 矢上キャンパスへの移転完了[1]
  • 1974年(昭和49年) 数理工学科を設置[1]
  • 1981年(昭和56年) 慶應義塾大学理工学部に改組。数理科学科、物理学科、化学科を設置[1]
  • 1996年(平成08年) 電子工学科、物理情報工学科、システムデザイン工学科、情報工学科を設置[1]
  • 1999年(平成11年) 創想館竣工[8]
  • 2000年(平成12年) 第1回矢上祭を開催[9]
  • 2002年(平成14年) 生命情報学科を設置[1]
  • 2019年(令和元年) 慶應義塾大学理工学部が創立80周年。藤原銀次郎翁の生誕150周年。
  • 2020年(令和02年) 「新学門制」を導入。また、電子工学科を電気情報工学科に改称。

学部

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  • 入学定員932人・収容定員3728人[10]
    • 機械工学科[11]
    • 電気情報工学科[11]
    • 応用化学科[11]
    • 物理情報工学科[11]
    • 管理工学科[11]
    • 数理科学科[11]
    • 物理学科[11]
    • 化学科[11]
    • システムデザイン工学科[11]
    • 情報工学科[11]
    • 生命情報学科[11]

研究科

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  • 基礎理工学専攻[11]
  • 総合デザイン工学専攻[11]
  • 開放環境科学専攻[11]

学門制

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慶應義塾大学理工学部は「学門制」を採用している。この「学門」とは、“学びの庭への入口”という意味であり、入学者はまず、どれかの学門に所属して、その後の専攻を選ぶことになる。

2020年度(令和2年)現在、各学門から進学できる学科は以下の通りである。

学門A(物理・電気・機械分野)
  • 物理学科 (20%)、物理情報工学科 (40%)、電気情報工学科 (20%)、機械工学科 (20%)
学門B(電気・情報分野)
  • 電気情報工学科 (30%)、情報工学科 (25%)、物理情報工学科 (20%)、システムデザイン工学科 (25%)
学門C(情報・数学・データサイエンス分野)
  • 情報工学科 (30%)、数理科学科 (30%)、管理工学科 (35%)、生命情報学科 (5%)
学門D(機械・システム分野)
  • 機械工学科 (50%)、システムデザイン工学科 (35%)、管理工学科 (15%)
学門E(化学・生命分野)
  • 化学科 (20%)、応用化学科 (60%)、生命情報学科 (20%)

歴代学部長

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学園祭

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毎年10月上旬に矢上キャンパスで、「矢上祭」が開催される。そこでは慶応理工学部の情報発信と近隣住民との交流を目的に、学生団体のイベントステージ、有名ゲストによるトークショー、ミス・ミスターコンテスト、模擬店、研究室ツアー、打ち上げ花火、などが企画され、毎年、多くの来場者で賑わっている。

KEIO TECHNO-MALL(慶應テクノモール)

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毎年12月に慶應義塾大学理工学部・理工学研究科は大学の研究成果を広く社会に発信するために、KEIO TECHNO-MALL(慶應科学技術展)を開催している[12]。そこでは、理工学部の教員、学生による展示ブースでの最新研究の説明や、ゲストによる基調講演、トークセッションなどが行われ、産官学の連携、民間企業との共同研究、技術移転などが期待されている。

関連施設・研究施設

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K2タウンキャンパス

交通アクセス

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  • 矢上キャンパス(神奈川県横浜市港北区日吉3-14-1)

東急東横線東急目黒線横浜市営地下鉄グリーンライン日吉駅」から徒歩15分

  • 日吉キャンパス(神奈川県横浜市港北区日吉4-1-1)

東急東横線、東急目黒線、横浜市営地下鉄グリーンライン「日吉駅」から徒歩1分

著名な出身者

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政治・行政
経済
研究
芸術・技術
芸能・スポーツ
放送
その他

博士号取得者

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j 「沿革」 慶應義塾大学理工学部
  2. ^ 「理工学部の教育の特徴」慶應義塾大学理工学部
  3. ^ 慶應義塾機関誌|三田評論”. www.keio-up.co.jp. 2023年1月19日閲覧。
  4. ^ 『慶應義塾百年史』 中巻(後)、1050-1051頁
  5. ^ 『慶應義塾百年史』 中巻(後)、1052-1054頁
  6. ^ 『慶應義塾百年史』 中巻(後)、1051-1052頁
  7. ^ 加藤三明、山内慶太、大澤輝嘉 編著 『慶應義塾 歴史散歩 キャンパス編』 慶應義塾大学出版会、2017年、148頁
  8. ^ 歴史:[慶應義塾]
  9. ^ [ステンドグラス] 義塾の学園祭、その起源を探る ~三田祭、四谷祭、秋祭、矢上祭、芝共薬祭~
  10. ^ 学部入学定員・入学者数(過去5年分)慶應義塾大学
  11. ^ a b c d e f g h i j k l m n 「学科一覧」慶應義塾大学理工学部
  12. ^ 第25回慶應科学技術展 KEIO TECHNO-MALL 2024 2024年9月8日閲覧。
  13. ^ “毎日フォーラム・霞が関人物録 千葉県(下)”. 毎日新聞デジタル (毎日新聞社). (2022年1月10日). https://mainichi.jp/articles/20220108/org/00m/010/012000d 2024年4月13日閲覧。 

関連項目

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外部リンク

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