二谷友里恵

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にたに ゆりえ
二谷 友里恵
生誕 1964年11月16日(51歳)
日本の旗 日本 東京都
別名 平田 友里恵
出身校 慶應義塾大学
職業 元女優、実業家
二谷英明白川由美

二谷 友里恵(にたに ゆりえ、1964年昭和39年)11月16日 - )は、日本の元女優実業家トライグループ代表取締役社長。

経歴[編集]

実業家としての主な実績[編集]

アパレル事業[編集]

ファッションブランド「YURIE NITANI」「SOLOPLUS / YURIE NITANI」の展開
  • 1988年(昭和63年)、「YURIE NITANI」ファッションブランドを立ち上げて、ライセンス事業の展開を開始。イトマン株式会社と洋服に関するライセンス契約を締結。
  • 1990年(平成2年)、株式会社味岡とバッグ・小物に関するライセンス契約を締結。
  • 1990年(平成2年)、株式会社ブルーミング中西とハンカチに関するライセンス契約を締結。
  • 1990年(平成2年)、株式会社アドゥとに関するライセンス契約を締結。
  • 1992年(平成4年)、ムーンバット株式会社スカーフに関するライセンス契約を締結。
  • 1993年(平成5年)、株式会社サンエースと手袋に関するライセンス契約を締結。
  • 1995年(平成7年)、エム・シーゴールド株式会社とジュエリーに関するライセンス契約を締結。
  • 1996年(平成8年)、株式会社サンリーブとサングラス眼鏡に関するライセンス契約を締結。
  • 1997年(平成9年)、株式会社サンエースとベルトに関するライセンス契約を締結。
  • 1998年(平成10年)、株式会社山加商店と陶器製食器・テーブルウェアに関するライセンス契約を締結。
  • 1999年(平成11年)、株式会社アトリエサブとの共同開発ファッションブランド「SOLOPLUS / YURIE NITANI」の立ち上げ。
  • 2001年(平成13年)、近藤繊維工業株式会社とタオルに関するライセンス契約を締結。
  • 2002年(平成14年)、ヨシナガ株式会社とバッグに関するライセンス契約を締結。同年、株式会社シカタとバッグに関するライセンス契約を締結。
  • 2004年(平成16年)、ヨシナガ株式会社と財布に関するライセンス契約を締結。

主な出演作品[編集]

テレビ番組[編集]

CM[編集]

著書[編集]

  • 愛される理由     朝日新聞社 (1990/03)
  • NITANI YURIE NYNY 渡辺音楽出版 (1991/06)
  • 楯           文藝春秋 (2001/5)

参考文献[編集]

  • ダディ        幻冬舎 (1998/04)  

その他エピソード[編集]

1987年6月、郷との結婚披露宴を中継したフジテレビの番組視聴率47.6%を記録。結婚後、3年間ニューヨークへ移住した。 郷との結婚生活を綴った『愛される理由』(朝日新聞社[1]は、出版部数70万部を超えるベストセラーで1990年度の書籍売り上げ1位を獲得。2女を設け、長女・次女共に慶應義塾幼稚舎に入学した。

1998年4月、郷側が離婚に合わせて出版した告白本『ダディ』(幻冬舎)は、当初二人の共著であると報道されたが、友里恵は後に共著ではない[2]とし、言い分が食い違った。その『ダディ』の中での、郷の恐妻ぶりをうかがわせる友里恵の人物描写や、実名・身分を公表して友人平田修と友里恵の、郷も交えた親友関係を記載したこと等が発端となり[3][4]、各芸能マスコミや週刊誌等でいっせいに友里恵の性格に対するバッシングや"離婚の原因は実は妻の不倫にあった"という類の記事[5]、家族に関してまで報じられた。離婚後マスメディアに対しては沈黙を守ったが、一社会人としては法に訴え、複数の裁判で虚偽の判決が下ろうとも、きりがない状態だった[6][5]。二谷はこれを"修行のような日々が延々続く。誹謗中傷を通り越して、完全な捏造記事で私の人物像が作り上げられていった"と表現している[7]

父の二谷英明は、娘を誹謗する加熱した報道に対し「本の内容だけが事実となって独り歩きしている」と不快感を表明する[8]。なお離婚原因については、郷自身が著書『ダディ』の冒頭で「僕の女性問題」[9]と記し、平田と友里恵の関係ついても「男女という意識を感じないからこそ成立するもの」と述べている。

2000年8月に平田と再婚後すぐ、週刊誌『FOCUS』(2000年9月27日号)に、 “二谷は郷と結婚後、自身の知人である財界人から平田を紹介され、郷へ紹介したことで夫婦共通の親友となり深く信用。郷は女性ファンやその子供をターゲットとして「家庭教師のトライ」のパンフレットに登場し、全国ツアーのステージ上ではコンサート開始前に舞台のスクリーン上に「家庭教師のトライ」CMを流すなど平田の会社PRに協力していた。離婚以前から、郷が承認する下で二谷と平田は2人で旅行していた。二谷と郷が離婚の話し合いを始めたのは1996年(平成8年)秋頃からで、平田は1997年(平成9年)に離婚、二谷は1998年(平成10年)4月に離婚したが、郷は「まさか2人に、男女の関係があるとは思ってはいなかった」”などという記事が出る。

同時期「週刊現代」(2000年10月31日号)に平田との関係について悪質と思える記事が掲載されたため(友里恵は同雑誌社とは別件で裁判中であったので)、事実無根として夫・平田修が即提訴して勝訴[10]

一方郷の方も2000年11月に再婚(2005年春に2度目の離婚[11])したが 、郷再婚発表の中での友里恵に対する報道や郷自身の発言をテレビで見た娘が「黙っていないでただしてほしい」という趣旨の意思表示をした事等がきっかけとなり[12]2001年5月2日、沈黙を破り『楯』(文藝春秋[13]を出版する。

2004年(平成16年)12月6日、郷は二谷と平田に対し、離婚に際して交わした娘2人の養育費1億5000万円(各7500万円)を信託銀行に預託するとの取り決めを実行せず、娘に会う面会権を妨害され精神的損害を受けたとして各2000万円を請求する訴訟を起こす[14]。この訴訟は、2006年(平成18年)5月中旬、「父親には会いたくない」という娘2人の証言が決め手となり、郷が訴えを取り下げることで決着する[15]

2012年(平成24年)1月7日、父の二谷英明が肺炎のため81歳で死去。通夜には郷ひろみも参列する[16]

脚注[編集]

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  1. ^ 二谷友里恵 『愛される理由』 朝日新聞社1990年3月ISBN 978-4022561190
  2. ^ 『楯』1章p14
  3. ^ 1月9日(月)、デイリースポーツ:(英明は)郷の著書「ダディ」で友里恵さんの“潔癖性”や“暴力”が強調されているとして「本(の内容)だけが事実になって独り歩きしている」と不快感を表す熱い一面もあった
  4. ^ 『ダディ』第9章p219-222
  5. ^ a b 『楯』1章p16、8章p82-83
  6. ^ 『楯』14章p199
  7. ^ 『楯』8章p82
  8. ^ 1月9日(月)、デイリースポーツ:郷の著書「ダディ」で友里恵さんの“潔癖性”や“暴力”が強調されているとして「本(の内容)だけが事実になって独り歩きしている」と不快感を表す熱い一面もあった/サンケイスポーツ:娘は「耐えて時期が過ぎるのを待つ」と言っている、などと気持ちを代弁していた/スポーツ報知:郷ひろみとの離婚時には、二谷さんが娘をかばう会見を開いた
  9. ^ 『ダディ』第1章
  10. ^ 『楯』8章p84-85
  11. ^ 2005年04月22日、スポーツニッポン「歌手の郷ひろみ(49)が、00年11月に結婚した名美夫人(33)と離婚したことが21日分かった。」
  12. ^ 『楯』1章p17-19、14章156-157
  13. ^ 『楯』(2001年5月20日、文藝春秋[1]
  14. ^ 離婚後、継続して交渉が行われた結果、訴訟というかたちになった。(出典:『週刊ポスト』2005年2月21日号、小学館
  15. ^ その経緯は、上記証言により敗色濃厚となった郷が和解を申し出るも、二谷は判決で是非をはっきりさせることを望み和解を拒否し、郷が訴えの取り下げを決断したというものである。(出典:『週刊文春』(2006年6月22日号、文藝春秋
  16. ^ 二谷英明さん通夜に郷ひろみけじめの参列 反町、松嶋夫妻らも”. NEWS LOUNGE (2012年1月11日). 2015年10月20日閲覧。

関連項目[編集]