慶應義塾體育會蹴球部

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慶應義塾體育會蹴球部
原語表記 慶應義塾體育會蹴球部
クラブカラー 黒と黄
愛称 ケイオー、タイガー軍団
創設年 1899年
監督 金沢篤(HC)
渡瀬裕司(GM)
和田康二(GM補佐)
所属リーグ 関東大学ラグビー対抗戦グループ
チームカラー
公式サイト
http://www.kurfc.com/
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慶應義塾體育會蹴球部(けいおうぎじゅくたいいくかいしゅうきゅうぶ)は、慶應義塾大学ラグビー部である。関東大学ラグビー対抗戦Aグループに所属し、全国大学タイトル計5回(東西対抗2回、選手権3回)、日本選手権優勝1回などの実績がある。

概要[編集]

日本で初めてのラグビーチームとして知られ、日吉のグランドにはラグビー発祥の地として記念碑が建てられている。チームの歴史は1899年明治32年)、当時慶應義塾の英文学教員であったイギリス人エドワード・B・クラークケンブリッジ大学留学から戻った田中銀之助とともに、慶應義塾の学生達に指導したことに始まる。当時チームは、麻布仙台坂の坂下にあった「仙台原」と呼ばれる野原を練習場としていた[1]

部の名称はかつて、ラグビーが「蹴球」と呼ばれていたことに由来する。現代では「蹴球」とはサッカーのことを指すことが多いが、改名は行われていない。ちなみに慶應義塾のサッカー部はソッカー部の名称になっており、「蹴球」の名称を使用していない(詳細は慶應義塾体育会ソッカー部を参照)。

早稲田大学との慶早戦は毎年、勤労感謝の日に行われ、秩父宮ラグビー場を満員にし、NHKの中継もある。ジャージが黒黄の縞のことから、タイガー軍団とも呼ばれる。「魂のタックル」といわれる泥臭いスタイルが特徴。近年はBKに好選手を擁し、ワイドな展開ラグビーを行っている。

1984年昭和59年)度に対抗戦を全勝で優勝し、大学選手権では決勝に進出。史上初の大学選手権3連覇を狙う同志社大学と対戦し、6-10で敗れる。この決勝では4点差の終了間際、慶應の村井大次郎がディフェンスラインを突破、同志社のインゴール中央左に飛びこんで同点(当時、トライは4点であった)、さらに正面からのゴールキックを得てほぼ逆転なったと思われたが、直前の松永敏宏からのパスがスローフォワードの反則をとられて幻に終わり、結局最終スコアで決着した。この判定は、選手権の決勝というビッグゲームであったこと、試合の帰趨を直接に決するものだったこと、またジャッジングそれ自体が非常に微妙で難しいものだったことなどから議論を呼ぶことになった。

1985年昭和60年)度には対抗戦4位ながら、大学選手権で2年連続決勝に進出し明治大学と対戦。12-12の引き分けで両校優勝となる。抽選の結果、日本選手権に進出し、トヨタ自動車と対戦。18-13で勝利し、初の日本一に輝いた(このときの監督は上田昭夫)。

それ以降はしばらく低迷したが、1998年平成10年)度には13年振りに大学選手権に出場。準決勝に進出し、明治大学と対戦したが、ロスタイムに逆転を許し18-24で敗退した。

1999年平成11年)度にはラグビー部創設100周年を迎え(監督は上田昭夫)、高田晋作・栗原徹・野澤武史等の活躍により、対抗戦を全勝優勝。大学選手権では決勝で関東学院大学を27-7で破り、通算3度目(単独では初。過去2回は同点両校優勝)の大学日本一を経験している。

2000年平成12年)度も対抗戦を全勝優勝し、大学選手権2連覇の期待が高かった。しかし、準決勝で強風と法政大学の激しいタックルのためにリズムを崩し(法政の度重なるハイタックルなどの反則も含む。この試合は法政3人・慶應1人にシンビンが出る荒れた試合であった)、13-15で敗退した。なお同年度以降対抗戦優勝から遠ざかっている。

2007年平成19年)度には山田章仁・中浜聡志・小田龍司・出雲隆佑などBKに好選手を擁し、6年ぶりに大学選手権準決勝に進出し、明治大学と対戦。34-27で初めて大学選手権で明治を破った(この年度、明治と2度対戦し、2引き分け<春の招待試合:31-31・対抗戦:29-29>で、3度目の対戦であった)。そして8年ぶりに決勝に進出し、1968年度以来、39年ぶりに決勝で早稲田大学と対戦したが、6-26で敗れ準優勝に終わった。これ以降3度準決勝に進出したが、いずれも東海大学帝京大学に敗れ決勝進出を逃している。

タイトル[編集]

試合前に塾歌斉唱をする慶應義塾大学の選手達(2012年10月・帝京大学戦・秩父宮ラグビー場
1985年昭和60年)
19681、19852、1999
準優勝:3回(197719842007
1930年昭和5年)、1942年昭和17年)・秋
1928、1930、1942後期、1955、1957、1980、1984、1999、2000
  • 関東大学春季大会グループB:3回
2012、2013、2017
※年は全て年度。

1早稲田大学と同点両校優勝
2明治大学と同点両校優勝

早明2校との対戦成績[編集]

早稲田大学戦[編集]

大会 試合数 慶應義塾大学
勝利
引き分け 早稲田大学
勝利
関東大学対抗戦
(定期戦・慶早戦
94 20 7 67
大学選手権 9 1 1 7
合計 103 21 8 74
※招待試合・練習試合・ジュニア選手権等は含まない。2017年度現在。
なお、1923年第6回極東選手権競技大会のラ式蹴球(ラグビー)競技決勝で対戦があり、11-6で慶應が早稲田を破り優勝している[3]

明治大学戦[編集]

大会 試合数 慶應義塾大学
勝利
引き分け 明治大学
勝利
関東大学対抗戦
(定期戦・慶明戦
92 36 3 53
大学選手権 8 1 1 6
合計 100 37 4 59
※招待試合・練習試合・ジュニア選手権等は含まない。2017年度現在。

戦績[編集]

近年のチームの戦績は以下のとおり。

年度 所属 勝敗 順位 監督 主将 大学選手権
1989 6勝2敗 3位 松本澄秀 立石郁雄 ※関東交流戦 6-13 大東文化大学
1990 4勝4敗 6位 浜本剛志 三宅清三郎
1991 5勝3敗 4位 浜本剛志 小田切宏太 ※関東交流戦 8-14 大東文化大学
1992 2勝6敗 8位 安積英樹 神田雅朗
1993 3勝4敗1分 7位 安積英樹 東弘二郎
1994 4勝4敗 7位 上田昭夫 村田篤彦
1995 3勝5敗 7位 上田昭夫 松本啓太郎
1996 4勝4敗 6位 上田昭夫 森内勇策
1997 A 2勝5敗 7位 上田昭夫 田村和大
1998 A 4勝2敗 2位 上田昭夫 熊谷良 準決勝 18-24 明治大学
1999 A 7勝0敗 1位 上田昭夫 高田晋作 優勝 決勝 27-7 関東学院大学
2000 A 7勝0敗 1位 上田昭夫 和田康二 準決勝 13-15 法政大学
2001 A 6勝1敗 2位 上田昭夫 野澤武史 準決勝 7-36 早稲田大学
2002 A 6勝1敗 2位 渡瀬裕司 水江文人 2回戦 27-40 帝京大学
2003 A 4勝3敗 5位 渡瀬裕司 廣瀬俊朗 1回戦 24-57 関東学院大学 
2004 A 5勝2敗 2位 三宅清三郎 猪口拓 2回戦 24-35 同志社大学
2005 A 5勝2敗 3位 松永敏宏 竹本隼太郎 2回戦 8-26 早稲田大学
2006 A 5勝2敗 3位 松永敏宏 青貫浩之 2回戦 22-33 早稲田大学
2007 A 4勝2敗1分 3位 林雅人 金井健雄 準優勝 決勝 6-26 早稲田大学
2008 A 4勝2敗1分 4位 林雅人 花崎亮 1回戦 17-23 帝京大学
2009 A 5勝1敗1分 2位 林雅人 松本大輝 準決勝 14-19 東海大学
2010 A 6勝1敗 2位 林雅人 竹本竜太郎 2回戦 7-38 帝京大学
2011 A 3勝4敗 5位 田中真一 仲宗根健太 2回戦 15-32 天理大学
2012 A 3勝4敗 5位 田中真一 茂木俊和 セカンドステージ敗退
2013 A 4勝3敗 3位1 和田康二 宮川尚之 準決勝 14-45 帝京大学
2014 A 4勝2敗1分 4位 和田康二 木原健裕 準決勝 10-53 帝京大学
2015 A 4勝3敗 4位2 金沢篤 矢川智基 セカンドステージ敗退
2016 A 4勝3敗 4位 金沢篤 鈴木達哉 準々決勝 24-29 天理大学
2016 A 5勝2敗3 2位 金沢篤 佐藤大樹

1筑波大学と同率3位
2早稲田大学と同率4位
3明治大学・早稲田大学と同率2位

1985年度の日本一[編集]

1985年度の第23回日本ラグビーフットボール選手権大会1986年1月15日)で、トヨタ自動車を18-13で破り初優勝を果たした。下記は当校日本一の試合時におけるフィフティーンである。