TAROかまやつ
TAROかまやつ | |
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出生名 | 釜萢 太郎 |
生誕 | 1968年??月??日 |
出身地 | 東京都港区青山 |
学歴 | 慶應義塾大学 |
職業 | シンガーソングライター、ピアニスト、野球チームGM、フジテレビジョン元社員 |
担当楽器 | ピアノ、ギター |
活動期間 | 2005年- |
レーベル | ビクターエンタテインメント |
公式サイト | TAROかまやつ |
著名使用楽器 | |
YAMAHA GRAND C-3、Epiphone Texan、Gibson J-180 |
TAROかまやつ(本名:釜萢 太郎、かまやつ たろう、1968年 - )は、 東京都港区青山生まれのミュージシャンでフジテレビジョンの元社員。2005年5月25日にビクターエンタテインメントよりメジャーデビュー。
目次
来歴・人物[編集]
父に「ムッシュかまやつ」こと、元スパイダース中心人物のかまやつひろしを、祖父に日本のジャズミュージシャン・シンガーの第一人者であるティーブ・釜萢を持つという音楽一家に生まれた。
3歳よりクラシックピアノ、音楽理論、作曲法を、日本を代表するクラシック作曲家である黛敏郎に14年間師事する。初めての作曲は6歳の時作った「春」であるとライブのMCで語った[要出典]。
学生時代[編集]
慶應義塾中等部、慶應義塾高等学校時代は野球部とピアノレッスンとを共に行っていた。慶應義塾大学入学と同時に、バーやラウンジ等でピアノのアルバイトをするようになる。次第に作詞・作曲活動も再開。その頃よりクラシックよりもポール・マッカートニー、ビリー・ジョエルといった曲やスタンダードジャズの楽曲を多く演奏する様になる。そんな中、自らのライブでもピアノを弾きながら歌うようになっていった。またこの頃、木下博勝と友人になるなど幅広い交友関係を作った。
サラリーマン[編集]
慶應義塾大学卒業時には音楽家への道も考えたが、「一般社会を一度は見た方がいい。これからの時代は音楽は(サラリーマンの傍らアーティストとして活躍する)小椋佳さんみたいにやる方がいい」という父の意見を受け、フジテレビに入社。経理局、事業局、広報局、ネットワーク局を経たあと、退職前は編成制作局に所属していた。事業局時代は主にアーティストコンサート運営に従事。石井竜也などのコンサートツアー制作の他、元スパイダースの堺正章、井上尭之、そして父のムッシュかまやつが結成したバンド「ソン・フィルトル」の初の全国コンサートツアーのプロデューサーなどを務めた。広報局ではバラエティ、連続ドラマを中心に、K-1等の格闘技番組、かくし芸大会などの広報担当を務めた。2011年退職。2017年現在は輸出入業に携わっている。
メジャーデビュー[編集]
就職後も仕事をする傍ら、趣味として作品を作り続けており、ライブバーでライブ活動を継続していた。2004年秋に、友人たちと作っていたデモ・テープが関係者の手に渡り、大手レコード会社のビクターエンタテインメントよりメジャーデビューのオファーが来る。その間に父親であるムッシュかまやつは一切介在していないどころか、デビュー前々日に大々的に報じられたスポーツ新聞を見て初めて知ったという。
当時在籍していた広報部の部長であった遠藤龍之介(遠藤周作の子息)の後押しもあり、会社員と音楽家の二束のわらじを履くことを決意。2005年5月25日マキシシングル「風のわだち」でメジャーデビューした。
発売当初はフジテレビの企画モノCDと思われる事を嫌い、フジテレビ社員である事を隠していたが、数々の週刊誌やスポーツ新聞などで次々と記事にされ、6月下旬「めざましテレビ」でフジテレビの社員であると発表された。
「風のわだち」は、HMVやタワーレコードなどの大手CDショップの予約チャートで最高3位に入るなど前評判が高かった[要出典]。さらに、発売後の7月下旬には有線リクエストチャートの13位まで上昇した。
ライブ活動[編集]
デビュー以来ミニライブを行っている。また、日比谷花壇が企画するイベントに主に週末を使って出演している。ワンマンライブも定期的に行っている。
ディスコグラフィー[編集]
- シングル
- 風のわだち(2005年5月25日、ビクターエンタテインメント) - デビューシングル。
- アルバム
- ピアノマンの詩(うた) (2005年9月16日、ビクターエンタテインメント) - 1stアルバム。アルバム収録曲「今日のよき日に」はフジテレビ「めざましテレビ」が推し進めている「39プロジェクト」の「ありがとう」をテーマにしたコンピレーション「Thank You!」(2006年6月7日発売)にも収録。
- KEEP ON(2010年11月17日、BEATSISTA) - 2ndミニアルバム。
- TAROかまやつ「ピアノマンの部屋 〜名曲一発勝負ピアノセレクション〜」 - ラジオ番組「ピアノマンの部屋」企画限定CD。店舗流通はしない限定生産CD。ライブ会場で枚数限定で販売されている(不定期)。
「ムッシュかまやつ70thアルバム」に参加[編集]
音楽プロデューサーの武部聡志がプロデュースし、今井美樹や秦基博、THE ALFEE、トータス松本、一青窈、布袋寅泰、堺正章、井上順、甲斐名都、松任谷由実、森山良子、森山直太朗、Microといったアーティストが多数参加し、2009年2月18日にavex-ioより発売されたムッシュかまやつの70歳記念アルバム『1939〜MONSIEUR』に詞曲「ゆっくりと ゆっくりと」を書き下ろし、歌唱及びピアノ演奏で39年ぶりの親子デュエットを行った[1]
音楽一家[編集]
- 祖父(父方)は日本のジャズミュージシャン・シンガーの第一人者であるティーブ・釜萢。父の「ムッシュかまやつ」ことかまやつひろしも、音楽界からカリスマ的な尊敬を集めるミュージシャン・シンガーである。また、父方祖父方の親戚には、ジャズ奏者の森山久は大叔父(祖父の弟)、歌手の森山良子はいとこ叔母(祖父の弟の娘)、若手人気ミュージシャンの森山直太朗ははとこ(祖父の弟の孫息子)らがいる。
- TAROは森山良子のコンサート、イベントなどで良子の代表曲「あなたが好きで」のピアノ伴奏などで親族共演を果たしている。7月にはTAROのラジオ番組にゲスト出演し、親戚ならではのリラックスしたムードで軽快なトークを繰り広げた。2006年8月にはJZBratで行われたTAROのライブにムッシュと共に飛入りし2曲を共演した。
- 2006年5月末に放送されたフジテレビ「僕らの音楽」ではムッシュかまやつ50周年記念特集回として森山直太朗と出演。父作曲の「あの時君は若かった」をTAROのピアノアレンジで父と二人で歌唱しTV初共演を果たした。
- 森山直太朗は自身のラジオ番組の中で進路に悩むリスナーの相談にTAROを引き合いに出したことがある[2]。
- 2017年2月末に母、同年3月1日に父を亡くした。
ラジオ番組[編集]
2006年4月1日よりAIR-G'とFM山陰(V-Air)の2局ネットのラジオ番組「TAROかまやつ ピアノマンの部屋」をスタートした(キー局のAIR-G'は土曜日20:00-20:30 JST、V-Airは1日遅れネットで日曜日20:30-21:00 JST)。FMは2007年3月31日に終了したが、2006年8月よりPodCastより配信。
- 「名曲一発勝負」のコーナーは毎回番組内で世界の名曲をTAROなりのアレンジでグランドピアノで弾いている。その音源は携帯電話着うたサイト「GLOBAL EXOTICA」でダウンロード出来るシステムになっている。
- ポッドキャスト版「ピアノマンの部屋」100回目の放送では、父であるムッシュかまやつがゲスト出演した。
野球[編集]
高校時代は慶應義塾高等学校硬式野球部に所属し、現在は野球チーム「麻布おもいやり軍」のGMを務める。
使用楽器[編集]
- ピアノ - YAMAHA C-3
- アコースティック・ギター - Gibson J-180 Everly、Epiphone Texan、Rickenbacker700S
- エレクトリック・ギター - Epiphone Casino '62
関連項目[編集]
親戚関係[編集]
友人関係[編集]
その他[編集]
記事[編集]
- 札幌・時計台ライブに“ピアノ王子”出現!?( 2007/6/6 ORICONSTYLE )
- ムッシュかまやつ 39年ぶり親子共演「とにかく照れました」(2009/3/6 ORICONSTYLE)
- ムッシュかまやつの息子・TAROかまやつ、5年ぶりに再始動(2010/11/22 ORICONSTYLE)
脚注[編集]
- ^ ムッシュかまやつはスパイダース解散後の最初のアルバムとなる1970年発売の『ムッシュ〜かまやつひろしの世界』の収録曲「ムッシュ&タロー」で生まれたばかりのTAROと共演している。TAROは泣き声だけだが。ちなみにムッシュかまやつとその父のティーブ釜萢も、1971年に「ファザー&マッドサン」というコラレーションアルバムをリリースしている。
- ^ 「俺の親戚にかまやつ太郎ってのがいてムッシュかまやつの息子ね。俺が物心ついた時からバリバリにピアノ上手くて、俺なんかよりも全然ミュージシャンになるだろうって親戚皆からも言われてたの。ホント凄くてさ。だけど、きっと彼も隠してる事じゃないから言うけどすごくお父さんに反対とかされて、俺もある種反対は受けなかったけど音楽で食ってくって事はすごい事だったりするのね、まぁ、よく母親に俺も言われたけど、センスだけじゃ乗り越えられないわよと、ないセンス振り絞ったってその感性を活かすのも技術とか知識なんだからコテ先でやってたら痛い目に会うわよってよく言われてたし。で、かまやつ太郎もそれこそTV局に就職したりして、でも今35にして仕事する傍らミュージシャン始めてるよ。絶対ある!自分のやりたい事だったら、そこと追求する季節が遅いとか早いじゃなく、ホントに好きならそういう日が絶対くると思うから〜」と親戚の間では皆がTAROの音楽的な素養が幼少時代より群を抜くと認めていた事が伺い知れる[独自研究?]。
外部サイト[編集]
- TAROかまやつ OFFICIAL SITE
- Victor Entertainment
- TAROかまやつ ピアノマンの部屋(AIR-G')
- 麻布おもいやり軍
- かま太郎兵衛 (@pianomantaro) - Twitter
- かまやつ太郎 - Facebook