晏子内親王
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晏子内親王 | |
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時代 | 平安時代前期 - 中期 |
生誕 | 不詳 |
薨去 | 昌泰3年7月20日(900年8月17日) |
位階 | 無品 |
父母 | 父:文徳天皇、母:藤原列子 |
兄弟 |
惟喬親王、源能有、惟条親王、惟彦親王、清和天皇、 晏子内親王、恬子内親王、述子内親王、慧子内親王、珍子内親王、儀子内親王、掲子内親王、礼子内親王、濃子内親王、勝子内親王、源憑子、源謙子、源列子、源済子、源奥子、源富子、源淵子、源脩子、他 |
斎宮 | 嘉祥3年7月9日(850年8月23日)- 天安2年(858年) |
晏子内親王(やすこ/あんしないしんのう)は、文徳天皇の第一皇女。母は藤原列子(従四位上・藤原是雄の女)。伊勢斎宮。同母妹に慧子内親王(賀茂斎院)がいる。
嘉祥3年(850年)7月9日、父・文徳天皇の即位により斎宮に卜定される(妹・慧子内親王も同時に斎院卜定)。仁寿元年(851年)8月26日、野宮に入り、翌2年(852年)9月7日、伊勢へ群行(長奉送使は中納言・安倍安仁、右中弁・橘海雄)。天安2年(858年)8月27日、文徳天皇の崩御により在任7年で退下。昌泰3年(900年)7月20日薨去。