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晏子内親王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
晏子内親王
時代 平安時代前期 - 中期
生誕 不詳
薨去 昌泰3年7月20日900年8月17日
位階 無品
父母 父:文徳天皇、母:藤原列子
兄弟 惟喬親王源能有惟条親王惟彦親王清和天皇
晏子内親王恬子内親王述子内親王慧子内親王珍子内親王儀子内親王掲子内親王礼子内親王、濃子内親王、勝子内親王、源憑子、源謙子、源列子、源済子、源奥子、源富子、源淵子、源脩子、
斎宮 嘉祥3年7月9日850年8月23日)- 天安2年(858年
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晏子内親王(やすこ/あんしないしんのう)は、文徳天皇の第一皇女。母は藤原列子従四位上藤原是雄)。伊勢斎宮。同母妹に慧子内親王賀茂斎院)がいる。

嘉祥3年(850年)7月9日、父・文徳天皇の即位により斎宮に卜定される(妹・慧子内親王も同時に斎院卜定)。仁寿元年(851年)8月26日、野宮に入り、翌2年(852年)9月7日、伊勢へ群行(長奉送使は中納言安倍安仁右中弁橘海雄)。天安2年(858年)8月27日、文徳天皇の崩御により在任7年で退下。昌泰3年(900年)7月20日薨去