ニッキー・ヘイデン

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ニッキー・ヘイデン
2016年
生年月日 (1981-07-30) 1981年7月30日
ケンタッキー州オーエンズボロ
死亡年月日 2017年5月22日(2017-05-22)(35歳)
イタリアチェゼーナ
現在のチーム レッドブル・ホンダ・ワールド・スーパーバイク・チーム
ゼッケン 69
ウェブサイト nickyhayden.com
レースでの経歴
ロードレース世界選手権 MotoGPクラス
活動期間2003年-2016年
マニファクチャラーホンダ, ドゥカティ
チャンピオン1 (2006年)
2016年 順位26位 (1 pt)
出走回数 勝利数 表彰台 PP FL 総ポイント
218 3 28 5 7 1698
スーパーバイク世界選手権
活動期間2002年, 2016年-2017年
マニファクチャラーホンダ
2016年 順位5位 (248 pts)
出走回数 勝利数 表彰台 PP FL 総ポイント
32 1 4 0 0 285

ニコラス・パトリック・"ニッキー"・ヘイデンNicholas Patrick "Nicky" Hayden1981年7月30日 - 2017年5月22日)は、アメリカ合衆国ケンタッキー州オーエンズボロ出身のオートバイレーサー。2002年のAMAスーパーバイク選手権チャンピオン2006年ロードレース世界選手権MotoGPクラスチャンピオン。ニックネームは"The Kentucky Kid"など。アメリカで有名なレーサー一家に生まれた。兄弟のトミー・ヘイデンロジャー・リー・ヘイデンもプロのオートバイレーサーとして活躍している。

初期の経歴[編集]

ヘイデンはケンタッキー州オーエンズボロで生まれた。3歳でバイクに乗り始め、5歳頃にはすでにレースに出場していた。7歳の時、AMAグランドナショナルダートトラック選手権のアマチュアクラスで初めてのタイトルを獲得した。1997年にはAMAホライズンアワードのダートトラック部門賞(AMA Horizon Award Dirt Track winner, 最も優れたアマチュアレーサーに贈られる)を受賞している[1]

彼は当時の年長のレーサー達に対して、CMRAでロードレースを始めた。ヘイデンは足が地面に付かなかったため、家族やクルーがバイクを直立状態に保つ必要があり、しばしばグリッド後方からレースをスタートしていた。その後高校在学中の17歳でホンダのファクトリーマシン、RVF750/RC45でスーパーバイクレースに参戦する。1999年、彼はプライベーターとしてホンダ・CBR600FでAMAスーパースポーツ選手権でチャンピオンを獲得した。マシンがRVFからRVT1000RWにマシンを変更された2000年に初優勝をあげ、2001年、AMAのスーパーバイクレーサーとして初めてシーズンフル参戦し、40ポイントを挙げマット・ムラディンエリック・ボストロムに次いでランキング3位となった。2002年シーズンはRC51を操ってデイトナ200で勝利し、3度のタイトルを持つマット・ムラディンを始めとするライダー達を倒してAMAスーパーバイクの最年少チャンピオンとなった。彼はまたラグナ・セカでのスーパーバイク世界選手権に参戦し、第1レースでは4位となり、第2レースでは芳賀紀行と接触したものの13位となった。

アメリカ人ロードレースライダーはダートトラック出身者が多いが、ヘイデンもその1人である。1999年、ヘイデンは初めてグランドナショナル選手権レース(ヘイガースタウン・ハーフマイル)で優勝し、ルーキーオブザイヤーを獲得した。彼はまたAMAアスリートオブザイヤーも獲得した。2000年にはスプリングフィールド・ショートトラックで優勝している。2002年は出場したダートトラックのレースは僅かであったが、スプリングフィールド・ショートトラックで2回、スプリングフィールドTT、ピオリアTTと計4回優勝した。スプリングフィールドTTではヘイデン3兄弟が表彰台を独占した(1位:ニッキー、2位:トミー、3位:ロジャー・リー)[2]。ピオリアTTでの勝利は、ペナルティラインからスタートしたにもかかわらず、ピオリアで13回優勝しているクリス・カーを抑えての優勝となった。ヘイデンはディック・マンケニー・ロバーツババ・ショバートジャレッド・メーズ、そしてダグ・チャンドラーが名を連ねる有名な「グランド・スラム・クラブ」に加わる条件となるマイル・トラックでの優勝だけ達成していない。

MotoGPでの経歴[編集]

ホンダ (2003-2008)[編集]

2003-2005[編集]

AMAスーパーバイク選手権タイトルを獲得した直後に、ヘイデンはホンダのMotoGPワークス・チームレプソル・ホンダから、ロードレース世界選手権MotoGPクラスに参戦を開始した。チームメイトはディフェンディングチャンピオンのバレンティーノ・ロッシだった。初年度の2003年第13戦パシフィックGP第15戦オーストラリアGPでそれぞれ3位表彰台を獲得。年間ランキング5位でデビューシーズンを終え、この年のルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得した。しかし2004年は困難な一年を過ごし、第7戦リオGP第8戦ドイツGPの2回表彰台(各3位)を獲得するが、チャンピオンシップポイントは前年を下回り年間ランキングは8位となる。2005年には第8戦アメリカGPラグナ・セカ)で、グランプリにおける初ポールポジション獲得と初優勝を果たす[3]。この年テック3から、テレフォニカモビスターホンダへ移籍したマルコ・メランドリと、最終戦までランキング2位争いを繰り広げた。

2006[編集]

2006年はファクトリーチームのエースとして唯一先行型RC211Vを駆り、新型マシンの開発作業を一人で担いながら、シーズン序盤からタイトル争いをリードしていく。第8戦ダッチTT第11戦アメリカGPでの2勝を含めリタイア1回という高完走率で、年間最多表彰台(10回)を記録する。

第16戦ポルトガルGPで、ヘイデンはチームメイト・ダニ・ペドロサの転倒に巻き込まれリタイア。このためチャンピオンシップ残り1戦でバレンティーノ・ロッシにポイントを逆転され、ランキング首位から2位に転落する。しかし、続く最終戦バレンシアGPでロッシが転倒、3位でゴールし5ポイント差で再逆転したヘイデンが、アメリカ人7人目となるロードレース世界選手権最高峰クラスチャンピオンに輝いた。ランキング2位が最終戦で逆転したのは1992年ウェイン・レイニー以来14年ぶり。そして、バレンティーノ・ロッシに次ぐ2人目にして最後の990ccクラス王者となった。

2007[編集]

2007年マレーシア冬季テストでのヘイデン

2006年9月22日、ヘイデンはホンダ・レーシング (HRC) との2007年2008年の2年契約を締結した[4]。800ccにダウンサイズされたホンダ・RC212Vを使用し、従来使用してきた車番「69」を、チャンピオンナンバー「1」にスイッチしてタイトル防衛に挑んだ。

2007年シーズンはマシンとタイヤのセッティングに苦しみ、開幕から低迷する厳しい一年となった。第4戦ル・マンでクラッシュ、リタイアしこの時点でランキングは11位となる。しかしながら第8戦ドニントン直前のテストでヘイデンは電装系のほとんどの切り替えを要求し、そこからタイムは改善されていった。ウェットコンディションのドニントンと、ドライコンディションのアッセンでのパフォーマンスはフォームの僅かな改善を示し、トレードマークのスライディングとテールアウトも見られるようになった。第9戦ダッチTT第10戦ドイツGP第12戦チェコGPで表彰台(各3位)、第14戦ポルトガルGPではポールポジション1回を獲得し、結局ランキング8位でシーズンを終えた。この年は兄弟との共著で自伝「The Haydens: Nicky, Tommy, & Roger, from OWB to MotoGP」を出版している。

ケーシー・ストーナーが2007年のタイトルを獲得し、ゼッケン1を使用する権利を得たため、ヘイデンは2008年シーズンはマイナンバー「69」に戻ることとなった。

2008[編集]

2008年は昨年からの不調を引きずり、前半は表彰台も覚束ない状況であった。第8戦ドニントン・パークでホンダはニューマチックバルブエンジンを投入し、ヘイデンだけがこれを使用した。続くアッセンでヘイデンはスタートから3位をキープしたが、電装系システムに問題が発生し正確な燃料モニタリングができなくなり、最終コーナーで燃料切れとなった。コーリン・エドワーズがヘイデンを捉え3位に入り、ヘイデンは力の無くなったマシンでようやくフィニッシュラインを越えて4位となった[5]。その後モトクロスでのクラッシュでかかとを負傷し、続く2戦を欠場する[6]。この頃、チーム内の関係は既に悪化していた。そして、ダニ・ペドロサがヘイデンと相談無しにタイヤを苦戦続きのミシュランから圧倒的なブリヂストンに換えたことでもさらなる摩擦があった。ヘイデンは「私は、選択をするための状況にこれまで加えられなかった。彼らがブリヂストンタイヤを頼んで考えていただけで、私の時間を無駄にしていると言われたら...私は彼らが彼に与えたことに驚かない。それにミサノでは、ダニが持っていた同じフォークも持っていなかった...私は彼らが新しいタイヤを私に試させると思っていない。」と語った[7]

この一件は、ヘイデンとホンダが次のシーズンに袂を分かつだろうという噂に重みを与えた[8]。この噂は2008年9月12日に確認された。ヘイデンはドルナの記者会見で「それは秘密ではない。私の次のストップがどこにあるのか誰もが分かっている...しかし、公式には正しい方法でやり遂げようとしている。リリースが出るまでは、なぜならチームやスタッフがいるからだ。[9]

2008年中頃にはすでにファンやメディア、パドックから確信されていたが、後にヘイデンは記者会見でホンダを離れ、2009年ドゥカティ・マールボロ・チームに加入しケーシー・ストーナーのチームメイトになることを公表した。これは2008年9月15日に確認され[10]、ホンダとの10年間の関係が終了した[11]

ドゥカティ (2009-2013)[編集]

2009[編集]

2009年からはドゥカティワークス(マルボロ・ドゥカティ)へ移籍したが、序盤からマシンのセッティングに苦しむことになり、終盤にリズムをつかんで3位1回の成績を残したが、結局シーズン13位にとどまった。2010年はマシンが安定したことにより、表彰台は3位1回だったもののシングル順位フィニッシュが増加し、シリーズ7位に成績を伸ばした。2011年は8年ぶりにロッシをチームメイトに迎えた。前年と同様表彰台は3位1回、年間ランキングではロッシから7ポイント差の8位となった。


2012[編集]

ヘイデンとロッシは2012年シーズンもドゥカティに留まった。ヘイデンは序盤10戦をいずれもポイント圏内でフィニッシュした。第11戦のインディアナポリスでヘイデンは、サーキットでのコースの状況によく合っていると信じており、ドゥカティチームにとって最高のパフォーマンスを期待していたが[12]、予選タイムを改善しようとしターン14でクラッシュ、脳震盪を起こし決勝には出走できなかった[13]。この事故で右手を負傷し、次戦のチェコGPも欠場することとなる[14]

負傷からは完全に回復しなかったが、公式理学療法士フレディ・デンテの支援のおかげで、ヘイデンはサンマリノGPに復帰し[15]、7位となった。続くアラゴンGPでは最終ターンで大きく膨らみコースの壁に接触、リタイアとなった[16][17]。第16戦のマレーシアではシーズンベストの4位となり、最終戦バレンシアはクラッシュしリタイア[18]、ランキング9位でシーズンを終え、表彰台に上らない初めての年となった。

2013[編集]

2013年シーズン、ヘイデンのチームメイトはテック3・ヤマハからの移籍となったアンドレア・ドヴィツィオーゾであった。ドヴィツィオーゾはヤマハファクトリーに復帰したロッシの代わりとなった[19][20]。ヘイデンはドヴィツィオーゾの加入前、ロッシに代わってチームに加わることが「最良の選択肢」だったと述べていた[21]

ホンダ・アスパー (2014-2015)[編集]

2014[編集]

2013年10月17日、ヘイデンは5年間在籍したドゥカティを離れ、2014年シーズンはアスパー・レーシングチームと契約したことを発表した。チームメイトはアヴィンティア・ブルセンスから移籍した青山博一となった[22]。両者は共にオープン仕様のホンダ・RCV1000Rをドライブする。第4戦ヘレスで手首を負傷し[23]、第6戦のムジェロを欠場、その後も第10戦から13戦まで欠場し、最終的なランキングは16位でシーズンを終えた。

2015[編集]

2015年シーズン、ヘイデンはアスパー・レーシングチームに留まり、新しいオープン仕様のホンダ・RC213V-RSに乗った。スーパーバイク世界選手権から転向したユージーン・ラバティがチームメイトとなった。

スーパーバイク世界選手権[編集]

2015年10月8日、日本GPのレース前記者会見で、ヘイデンは2016年シーズンにスーパーバイク世界選手権に復帰すると発表した。ヘイデンはテン・ケイト・レーシングシルバン・ギュントーリに代わって加入し、ミシェル・ファン・デル・マルクのチームメイトとなった[24]

2016[編集]

プレシーズンテストでの好調な結果の後、ヘイデンはフィリップ・アイランドで第1レースを9位、第2レースを4位で終えた。第4ラウンドのアッセンでは第1レースで初の表彰台を獲得した[25]。第6ラウンドのセパンでは予選4位となり、カワサキジョナサン・レイトム・サイクスヤマハアレックス・ロウズに次ぐグリッドとなった。第1レースを8位で終え、第2レースはウェットコンディションの中好スタートを切った。ターン2でロウズを抜き、カワサキの2台を追いかける展開となった。ヘイデンはターン5で外側からサイクスを抜き、レイを抜いてトップに立った。レイは4秒以上の差を付けられ、ドゥカティチャズ・デイヴィスダヴィデ・ジュリアーノがヘイデンを追いかけた。残り10周となってジュリアーノがレイとデイヴィスを抜いて2位に付け、トップのヘイデンは残り4周となった。最終周、ジュリアーノは1秒差まで詰め寄ったが、ヘイデンはそのままリードを保って勝利し、自身初のスーパーバイク世界選手権での勝利を獲得した。これはホンダにとってシーズン初の勝利となった[26]

2017[編集]

フィリップ・アイランド、2017年

ヘイデンはテン・ケイト・ホンダ(現在はテン・ケイト・ヤマハ)に残留し、ステファン・ブラドルと共にシーズンを戦う。

ホンダのスーパーサブとして[編集]

2016年、ヘイデンはMotoGPでホンダのライダーが負傷したときにスポット参戦した。エストレラ・ガリシア 0,0 マルクVDSジャック・ミラーがアラゴンを欠場した際に代役として参戦し、15位でフィニッシュした。

ダニ・ペドロサがもてぎで負傷し、その代役としてフィリップ・アイランドにスポット参戦、2008年以来のレプソル・ホンダのマシンでの参戦となったが、レース後半にジャック・ミラーと接触、17位でフィニッシュとなった。

死去[編集]

イタリアリミニでサイクリングをしている最中、交通事故に遭い、重度の頭部と胸部の外傷を負う。現地の病院に搬送されたが、2017年5月22日に死去。35歳没。

栄誉[編集]

  • FIMは2015年11月、バレンシアGPの前に彼をMotoGPレジェンドに指名した[27]
  • サーキット・オブ・ジ・アメリカズの18コーナーを『Hayden Hill(ヘイデン・ヒル)』と名付けられ、2018年以降MotoGPアメリカズGP開催時には芝生にゼッケン69が描かれている。
  • 2018年5月22日、ミザーノ・アドリアーティコ市は、ヘイデンのメカニックを担当したデニス・パッツァリーニを中心とした友人たちの提案により、記念公園『Giardino Nicky Hayden(ニッキー・ヘイデン・ガーデン)』を、ミサノ・ワールド・サーキット・マルコ・シモンチェリ 付近に建設した。
  • 2018年6月8日、故郷のオーエンズボロ市市長が6月9日を『Nicky Hayden Day(ニッキー・ヘイデンの日)』に設定することを宣言。
  • FIMは2019年4月、MotoGPの最高峰クラスでゼッケン69を永久欠番とすることとした[28]

レース経歴[編集]

MotoGP[編集]

スーパーバイク世界選手権[編集]

AMAスーパーバイク[編集]

AMA 600スーパースポーツ[編集]

AMA 750スーパーストック[編集]

AMA フォーミュラ・エクストリーム[編集]

主な戦績[編集]

スーパースポーツ世界選手権[編集]

レース別[編集]

車両 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 順位 ポイント
1998 スズキ GBR ITA SPA GER SMR RSA USA
Ret
EUR AUT NED NC 0

スーパーバイク世界選手権[編集]

シーズン別[編集]

車両 チーム 出走回数 優勝回数 表彰台 最高位 PP FL ポイント ランキング タイトル
2002年 ホンダ・VTR1000 SPW アメリカ・ホンダ 2 0 0 4位 0 0 16 26位  -
2016年 ホンダ・CBR1000RR ホンダ・ワールド・スーパーバイク・チーム 26 1 4 1位 0 0 248 5位  -
2017年 ホンダ・CBR1000RR レッドブル・ホンダ・ワールド・スーパーバイク・チーム 4 0 0 7位 0 0 21* 10位*  -
合計 32 1 4 0 0 285

* 現在進行中

レース別[編集]

マニファクチャラー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 順位 ポイント
R1 R2 R1 R2 R1 R2 R1 R2 R1 R2 R1 R2 R1 R2 R1 R2 R1 R2 R1 R2 R1 R2 R1 R2 R1 R2
2002年 ホンダ SPA SPA AUS AUS RSA RSA JPN JPN ITA ITA GBR GBR GER GER SMR SMR USA
4
USA
13
GBR GBR GER GER NED NED ITA ITA 26位 16
2016年 ホンダ AUS
9
AUS
4
THA
Ret
THA
5
ARA
6
ARA
Ret
NED
3
NED
6
ITA
9
ITA
8
MAL
8
MAL
1
GBR
5
GBR
6
ITA
Ret
ITA
6
USA
3
USA
5
GER
3
GER
10
FRA
Ret
FRA
9
SPA
4
SPA
4
QAT
5
QAT
7
5位 248
2017年 ホンダ AUS
11
AUS
Ret
THA
9
THA
7
ARA
10
ARA
Ret
NED NED ITA ITA GBR GBR ITA ITA USA USA GER GER POR POR FRA FRA SPA SPA QAT QAT 10位* 21*

* 現在進行中

ロードレース世界選手権[編集]

シーズン別[編集]

クラス 車両 チーム 出走回数 優勝回数 表彰台 最高位 PP FL ポイント ランキング タイトル
2003年 MotoGP ホンダ・RC211V レプソル・ホンダ 16 0 2 3位 0 0 130 5位  -
2004年 MotoGP ホンダ・RC211V レプソル・ホンダチーム 15 0 2 3位 0 0 117 8位  -
2005年 MotoGP ホンダ・RC211V レプソル・ホンダチーム 17 1 6 1位 3 2 206 3位  -
2006年 MotoGP ホンダ・RC211V レプソル・ホンダチーム 17 2 10 1位 1 2 252 1位 1
2007年 MotoGP ホンダ・RC212V レプソル・ホンダチーム 18 0 3 3位 1 1 127 8位  -
2008年 MotoGP ホンダ・RC212V レプソル・ホンダチーム 16 0 2 2位 0 1 155 6位  -
2009年 MotoGP ドゥカティ・GP9 ドゥカティ・マールボロ・チーム 17 0 1 3位 0 0 104 13位  -
2010年 MotoGP ドゥカティ・GP10 ドゥカティ・マールボロ・チーム 18 0 1 3位 0 0 163 7位  -
2011年 MotoGP ドゥカティ・GP11 ドゥカティ・チーム 17 0 1 3位 0 1 132 8位  -
2012年 MotoGP ドゥカティ・GP12 ドゥカティ・チーム 16 0 0 4位 0 0 122 9位  -
2013年 MotoGP ドゥカティ・GP13 ドゥカティ・チーム 18 0 0 5位 0 0 126 9位  -
2014年 MotoGP ホンダ・RCV1000R ドライブ M7 アスパー 13 0 0 8位 0 0 47 16位  -
2015年 MotoGP ホンダ・RC213V-RS アスパー・MotoGPチーム 18 0 0 11位 0 0 16 20位  -
2016年 MotoGP ホンダ・RC213V エストレラ・ガリシア 0,0 マルクVDS
レプソル・ホンダチーム
2 0 0 15位 0 0 1 26位  -
合計 218 3 28 5 7 1698 1

クラス別[編集]

クラス シーズン 初GP 初表彰台 初勝利 出走回数 勝利数 表彰台回数 PP FL ポイント ランキング
MotoGP 2003-2016 2003年日本GP 2003年パシフィックGP 2005年アメリカGP 218 3 28 5 7 1698 1
合計 14シーズン 218 3 28 5 7 1698 1

レース別[編集]

凡例)(太字ポールポジション斜体ファステストラップ

クラス 車両 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 順位 ポイント
2003年 MotoGP ホンダ JPN
7
RSA
7
SPA
Ret
FRA
12
ITA
12
CAT
9
NED
11
GBR
8
GER
5
CZE
6
POR
9
RIO
5
PAC
3
MAL
4
AUS
3
VAL
16
5位 130
2004年 MotoGP ホンダ RSA
5
SPA
5
FRA
11
ITA
Ret
CAT
Ret
NED
5
RIO
3
GER
3
GBR
4
CZE
Ret
POR JPN
Ret
QAT
5
MAL
4
AUS
6
VAL
Ret
8位 117
2005年 MotoGP ホンダ SPA
Ret
POR
7
CHN
9
FRA
6
ITA
6
CAT
5
NED
4
USA
1
GBR
Ret
GER
3
CZE
5
JPN
7
MAL
4
QAT
3
AUS
2
TUR
3
VAL
2
3位 206
2006年 MotoGP ホンダ SPA
3
QAT
2
TUR
3
CHN
2
FRA
5
ITA
3
CAT
2
NED
1
GBR
7
GER
3
USA
1
CZE
9
MAL
4
AUS
5
JPN
5
POR
Ret
VAL
3
1位 252
2007年 MotoGP ホンダ QAT
8
SPA
7
TUR
7
CHN
12
FRA
Ret
ITA
10
CAT
11
GBR
17
NED
3
GER
3
USA
Ret
CZE
3
RSM
13
POR
4
JPN
9
AUS
Ret
MAL
9
VAL
8
8位 127
2008年 MotoGP ホンダ QAT
10
SPA
4
POR
Ret
CHN
6
FRA
8
ITA
13
CAT
8
GBR
7
NED
4
GER
13
USA
5
CZE RSM
DNS
IND
2
JPN
5
AUS
3
MAL
4
VAL
5
6位 155
2009年 MotoGP ドゥカティ QAT
12
JPN
Ret
SPA
15
FRA
12
ITA
12
CAT
10
NED
8
USA
5
GER
8
GBR
15
CZE
6
IND
3
RSM
Ret
POR
8
AUS
15
MAL
5
VAL
5
13位 104
2010年 MotoGP ドゥカティ QAT
4
SPA
4
FRA
4
ITA
Ret
GBR
4
NED
7
CAT
8
GER
7
USA
5
CZE
6
IND
6
RSM
Ret
ARA
3
JPN
12
MAL
6
AUS
4
POR
5
VAL
Ret
7位 163
2011年 MotoGP ドゥカティ QAT
9
SPA
3
POR
9
FRA
7
CAT
8
GBR
4
NED
5
ITA
10
GER
8
USA
7
CZE
7
IND
14
RSM
Ret
ARA
7
JPN
7
AUS
7
MAL
C
VAL
Ret
8位 132
2012年 MotoGP ドゥカティ QAT
6
SPA
8
POR
11
FRA
6
CAT
9
GBR
7
NED
6
GER
10
ITA
7
USA
6
IND
DNS
CZE RSM
7
ARA
Ret
JPN
8
MAL
4
AUS
8
VAL
Ret
9位 122
2013年 MotoGP ドゥカティ QAT
8
AME
9
SPA
7
FRA
5
ITA
6
CAT
Ret
NED
11
GER
9
USA
8
IND
9
CZE
8
GBR
8
RSM
9
ARA
9
MAL
Ret
AUS
7
JPN
9
VAL
8
9位 126
2014年 MotoGP ホンダ QAT
8
AME
11
ARG
11
SPA
11
FRA
Ret
ITA
DNS
CAT
12
NED
17
GER
14
IND CZE GBR RSM ARA
9
JPN
14
AUS
10
MAL
Ret
VAL
13
16位 47
2015年 MotoGP ホンダ QAT
17
AME
13
ARG
16
SPA
17
FRA
11
ITA
Ret
CAT
Ret
NED
16
GER
16
IND
16
CZE
17
GBR
12
RSM
17
ARA
15
JPN
13
AUS
Ret
MAL
16
VAL
17
20位 16
2016年 MotoGP ホンダ QAT ARG AME SPA FRA ITA CAT NED GER AUT CZE GBR RSM ARA
15
JPN AUS
17
MAL
VAL
26位 1

私生活[編集]

  • ババ・ショバートウィル・デービスランス・アームストロングを個人的なヒーローとして尊敬している。
  • 芳賀紀行のファンであり、02年にラグナセカで行われたスーパーバイク選手権で接触し、リタイアさせたことを申し訳ないと発言している。[29]
  • ヘイデンには2人の兄弟、トミーロジャー・リーがいる。両名ともプロのオートバイレーサーである。また2人の姉妹、ジェニーとキャスリーンがいる。2010年、トミーはAMAに参戦し、ロジャー・リーはスーパーバイク世界選手権に参戦した。
  • ヘイデンの一家は家族全員が二輪ロードレースの経験者で、父親のアールは20年以上のダートトラックレース経験がある。母親のローズもアメリカのレディースの二輪レースで活躍していた。妹ジェニーは少女時代、ダートトラックレースでアマチュアチャンピオンになったことがある。
  • ヘイデンの車番「69」は、父アールがレースで使っていた番号でもある。アール曰く、「“69”は上下を逆にしても数字が変わらずに読める。いつもダートでクラッシュしてひっくり返ってばかりいた自分は、だからこの数を選んだんだ」
  • ヘイデンは2016年5月17日にジャッキー・マリンと婚約した[30]

自転車事故[編集]

2017年5月17日、ヘイデンはイタリアリミニ近郊で自転車でのトレーニング中に車と衝突した[31]。事故はミザーノ・アドリアーティコvia Ca' Raffaellivia Tavoletoの交差点で発生した。ヘイデンはカ・ラッファエーリを西に向かい、タヴェレントへ向かう通りとの交差点に入ったところで車にはねられた。車の運転手は「ヘイデンが停止標識を越えて突然目の前に現れた」と供述しており、運転手は衝突を避けることができなかった[32]。車のスピードは不明だが、ヘイデンは車のフロントガラスを完全に打ち砕いて屋根をへこますほどの衝撃であった。ヘイデンの自転車は近くの側溝で発見され、そのフレームは半分に割れていた[33]

ヘイデンは重傷を負いリミニ病院に搬送され、事故から4時間後の午後6時、リミニ病院のスタッフはヘイデンが外科手術を行うためチェゼーナのマウリツィオ・ブファリーニ病院の重傷ユニットに移されたと発表した。ヘイデンの父アールによると、ヘイデンは手術のため人工的に昏睡状態にされ、この事実はメディアによって広く伝えられた。ヘイデンは昏睡状態ではなかったが、病状が手術を行うにはあまりにも重症であったため手術は行われずにいた[34]。ヘイデンの状態は外傷性の脳損傷、大腿骨と骨盤の骨折および複数の脊椎の骨折であった。5月19日、彼は生命維持装置に繋がれ危険な状態にあり、今後の治療等の展開が難しい状態にあった[35]。そして、事故から5日後の5月22日に病院で死去した[36][37]。35歳という若さであった。

参照[編集]

  1. ^ AMA Sports Sportsman and Athlete of Motorcyclthe Year Award recipients アメリカモーターサイクル協会
  2. ^ Motorcycle-USA Staff. Nicky Hayden Bio. Motorcycle-USA.com. Retrieved on 2009-06-16.
  3. ^ Faultless Hayden wins first GP, home GP!”. Crash.net. Crash Media Group (2005年7月10日). 2015年7月22日閲覧。
  4. ^ Hayden Signs with Honda for Two More Years article from SPEEDtv
  5. ^ Birt, Matthew (2008年6月28日). “Nicky Hayden cruelly denied podium”. Motor Cycle News (Bauer Media Group). http://www.motorcyclenews.com/MCN/sport/sportresults/mcn/2008/june/23-29/jun2808assen-motogp-nicky-hayden-denied-third/ 2012年12月24日閲覧。 
  6. ^ “Hayden explains decision to sit out San Marino race”. MotoGP.com (Dorna Sports). (2008年8月31日). http://www.motogp.com/en/news/2008/Hayden+to+sit+out+San+Marino+race 2012年12月24日閲覧。 
  7. ^ Lostia, Michele; Elizalde, Pablo (2008年9月10日). “Hayden hints at Ducati deal”. Autosport (Haymarket Publications). http://www.autosport.com/news/report.php/id/70452 2012年12月24日閲覧。 
  8. ^ Cavin, Curt; Ballard, Steve (2008年9月12日). “Hayden's bumpy Honda ride nears end”. The Indianapolis Star (Michael G. Kane; Gannett Company). http://www.indystar.com/apps/pbcs.dll/article?AID=/20080912/SPORTS01/809120437/1052/SPORTS01 2012年12月24日閲覧。 
  9. ^ “Nicky Hayden Talks About Rumored Switch To Marlboro Ducati In 2009”. Roadracing World (Roadracing World Publishing, Inc.). (2008年9月12日). http://www.roadracingworld.com/news/article/?article=34159 2012年12月24日閲覧。 
  10. ^ “Hayden To Join Ducati In 2009”. SuperbikePlanet.com. オリジナルの2008年9月18日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20080918015811/http://www.superbikeplanet.com/2008/Sep/080915d.htm 2008年9月15日閲覧。 
  11. ^ “Repsol: Honda & Hayden To Say Farewell”. SuperbikePlanet.com. オリジナルの2008年9月18日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20080918015755/http://www.superbikeplanet.com/2008/Sep/080915a.htm 2008年9月15日閲覧。 
  12. ^ Beer, Matt (2012年8月14日). “Nicky Hayden expects Ducati to prosper and score best result of MotoGP season at Indianapolis”. Autosport (Haymarket Publications). http://www.autosport.com/news/report.php/id/101798 2012年12月24日閲覧。 
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  14. ^ “Nicky Hayden to miss Brno”. Crash.net (Crash Media Group). (2012年8月21日). http://www.crash.net/motogp/news/183009/1/nicky_hayden_to_miss_brno.html 2012年12月24日閲覧。 
  15. ^ “Half-healed Hayden back for Misano”. Crash.net (Crash Media Group). (2012年9月11日). http://www.crash.net/motogp/news/183847/1/half-healed_hayden_back_for_misano.html 2012年12月24日閲覧。 
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  17. ^ Beer, Matt (2012年9月30日). “Nicky Hayden unhurt in crash”. Autosport (Haymarket Publications). http://www.autosport.com/news/report.php/id/102983 2012年12月24日閲覧。 
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  20. ^ “Valentino Rossi to leave Ducati and rejoin Yamaha”. BBC Sport (BBC). (2012年8月10日). http://www.bbc.co.uk/sport/0/motogp/19205254 2012年12月24日閲覧。 
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  23. ^ MOTOGP: WRIST INJURY FORCES HAYDEN OUT OF MUGELLO RACE”. Foxsports.com. Fox Entertainment Group (2014年5月31日). 2014年5月31日閲覧。
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  28. ^ “故ニッキー・ヘイデンのゼッケン69、永久欠番へ。MotoGPアメリカズGPでセレモニーが開催”. (2019年4月13日). https://www.as-web.jp/bike/471669 2019年4月14日閲覧。 
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  30. ^ Jackie Marin [@Jackiemmarin] (2016年5月17日). "It's been a good week 💍 #Venice #PonteDiRialto". X(旧Twitter)より。 {{cite web}}: Cite webテンプレートでは|access-date=引数が必須です。 (説明)
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  32. ^ El conductor que arrollo a Hayden asegura que este se salto un STOP y no pudo hacer nada” (Spanish). TodoCircuito.com. 2017年5月19日閲覧。
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  35. ^ Superbike, Hayden investito in bici: danno cerebrale preoccupante” (Italian). La Repubblica. 2017年5月18日閲覧。
  36. ^ Hayden non ce l'ha fatta: il pilota è morto dopo 5 giorni di coma” (Italian). La Repubblica. 2017年5月22日閲覧。
  37. ^ Nicky Hayden, former MotoGP world champion, dies five days after bike crash” (English). The Guardian. 2017年5月22日閲覧。

外部リンク[編集]

先代
スティーヴ・クレヴィアー
AMAスーパースポーツ600チャンピオン
1999
次代
カーティス・ロバーツ
先代
マット・ムラディン
AMAスーパーバイクチャンピオン
2002
次代
マット・ムラディン
先代
バレンティーノ・ロッシ
MotoGPクラス世界チャンピオン
2006
次代
ケーシー・ストーナー