さよならの向う側

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さよならの向う側
山口百恵シングル
初出アルバム『不死鳥伝説
B面 死と詩 death and poem
リリース
録音 1980年
ジャンル バラード歌謡曲
レーベル CBSソニー
作詞 阿木燿子
作曲 宇崎竜童
チャート最高順位
山口百恵 シングル 年表
ロックンロール・ウィドウ
(1980年)
さよならの向う側
(1980年)
一恵
(1980年)
収録アルバム不死鳥伝説
死と詩 death and poem
(10)
さよならの向う側
(11)
空から無限大
(12)
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さよならの向う側」(さよならのむこうがわ)は、1980年8月21日にリリースされた山口百恵の31枚目となる、ラストシングルである。同年10月15日に開催されたホリプロ20周年記念式典を最後とし、この楽曲限りで山口百恵は芸能活動から完全に引退した。

背景[編集]

ジャケットの題字は、百恵本人の自筆による。

6分を超える長いスローバラード曲(7インチのレコードながらA面が長時間録音により些細な傷でも音飛びが出やすいため、その種の注意書きがジャケット裏面に表記されている。摩耗した針での再生も避けたほうが望ましい)。また、「収録分数が長いため幾分レベルが低くなっています。お聴きになる時、ボリュームを上げてお聴き下さい。」と記載されている。

歌詞の中で星の寿命について言及しているが、光年は時間の単位では無く、距離の単位である。ただし、何億光年先にある星のことについてであれば星の寿命という点では正しいということになる。

TBSザ・ベストテン』には、10位ランク時の9月25日に一度だけスタジオ出演しフルコーラスを歌ったが、これが百恵にとって同番組最後の登場となった。10月5日に日本武道館で行われたファイナル・コンサートでは最後に歌われ、涙を流しながらの歌唱となった。その後百恵は、マイクをステージに置いたまま舞台裏へと去っていった。その翌日、10月6日放映のフジテレビ夜のヒットスタジオ』サヨナラ特番や、10月13日の日本テレビ『山口百恵スペシャル ザ・ラスト・ソング』(『NTV紅白歌のベストテン』特番、また現役歌手として最後のTV生出演)でも、共に番組の最後で同曲を披露した。

三浦友和との結婚式の当日である11月19日にはシングル「一恵」がリリースされているが、この曲が事実上のラストソングであり、百恵からファンへのメッセージソングとなっている。

1994年には、作曲者である宇崎竜童がセルフカバーアルバム『しなやかにしたたかに〜女たちへ〜』に収録。このアルバムが同年末の『第36回日本レコード大賞』アルバム企画賞を受賞した際、監修の井上堯之と共に当曲を披露した。それから23年後の2017年、百恵の子息にあたる三浦祐太朗が、実母のカバー・アルバム『I'm HOME』をリリース。当アルバムも同年末の『第59回日本レコード大賞』企画賞を獲得、百恵の引退から37年後に長男が当日のステージでこの曲を歌唱した。

収録曲[編集]

全作詞: 阿木燿子、全作曲: 宇崎竜童、全編曲: 萩田光雄
#タイトル作詞作曲・編曲時間
1.「さよならの向う側」阿木燿子宇崎竜童
2.「死と詩 death and poem」阿木燿子宇崎竜童
合計時間:

品番[編集]

  • 1980年8月21日 - シングル・レコード: 07SH 834(シングル)
  • 1989年3月21日 - 8cmCD: 10EH 3188(「Platinum Single SERIES」 片面: 一恵
  • 2004年7月22日 - 8cmCD: MHCL 10052(オリジナル・カラオケ、「不死鳥伝説」 初回紙ジャケ仕様盤)

関連作品[編集]

さよならの向う側

さよならの向う側 (ライブ音源)

さよならの向う側 (ニューアレンジ&ボーカル別テイク)

死と詩 death and poem

カバーした歌手[編集]

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ 山口百恵のシングル売上TOP20作品”. ORICON NEWS. oricon ME. 2023年10月20日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]