M107 175mm自走カノン砲

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M107 175mm自走カノン砲
M107-latrun-1.jpg
種類 自走砲/自走カノン砲
原開発国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
運用史
関連戦争・紛争 ベトナム戦争
第四次中東戦争
イラン・イラク戦争
開発史
開発期間 1956年~
製造期間 1961年~1980年
製造数 524両
派生型 M110 203mm自走榴弾砲
諸元
重量 28.2t[1]
全長 11.25m (砲身含む)
全幅 3.15 m
全高 3.47 m
要員数 13名 (車体に搭乗可能なのは5名)

仰角 −5°~ +65°
旋回角 60°[1]
有効射程 32.7 km
最大射程 40 km[1]

主兵装 M113 64.5口径 175mmカノン砲
エンジン デトロイトディーゼル 8V-71T
2ストロークV型8気筒液冷スーパーチャージドディーゼル、450 hp
行動距離 720 km[1]
速度 56 km/h[1]
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M107 175mm自走カノン砲は、アメリカ合衆国で1950年代に開発された長砲身64.5口径175mmカノン砲M113を搭載した自走砲である。1960年代から70年代にかけてアメリカ陸軍および輸出先の友好国で運用された。

同時に開発されたM110 203mm自走榴弾砲は共通の車台を使用し搭載砲が異なる兄弟車種である。

概要[編集]

M107、M110は第二次世界大戦終了間際に完成したM40 155mm自走カノン砲や、1950年代前半に実用化されたM53 155mm自走カノン砲M55 203mm自走榴弾砲の後継機種とする事を目的として1956年に開発が始められた[2]。なお、1950年代前半にM53やM55と同系列の車体に60口径175mm砲を搭載した自走砲がT162 175mm自走カノン砲として試作されていたが、こちらは量産に至っていない[3]

M107の開発時の形式名はT235で (同様にM110の開発時の呼称はT236であった) 、試作車両は1958年に完成し、1959年にはエンジンをディーゼルに換装して形式がT235E1となり、1961年に175mm Self-propelled Gun M107として制式採用された[2]

M107、M110には車体コンポーネントの共通化の他、空挺輸送可能である事も求められており、この為巨大な搭載砲に対して、車体部分は比較的小型軽量となっており、また装甲化された戦闘室といった防護設備も装備されていない。また、小型化により車体上に携行できる弾数は2発[2](資料によっては4発)のみとなっており、M548英語版のような随伴車両による弾薬補給が不可欠である。運用に必要な砲兵は13名であるが、車体上に乗れるのはこれも小型化のため5名のみとなっており、こちらも随伴車両に搭乗することが必要であった[1]

車体はM107/M110専用の新規設計のものであったが、搭載されるディーゼルエンジンは先に開発されていたM108 105mm自走榴弾砲およびM109 155mm自走榴弾砲と共通で、またサスペンション構造はM113装甲兵員輸送車の設計を流用するなど共通化・低コスト化が図られている[2]

M107は1961年から1980年までに524両が製造され、アメリカ軍および輸出先の友好国で運用された[2]。M107の最大射程距離32.7kmはこの時代の自走砲としては最大級のものであった[4]

アメリカ軍はベトナム戦争において1965年からM107を実戦投入し、1968年のケサンの戦いなどで活躍したが[4]、1970年代後半には弾薬共通化などを目的に運用機種をM110に統一する事になり、M107は友好国への輸出に回されるか、あるいは搭載砲を203mm砲に換装しM110A1あるいはM110A2に改修された[1]

輸出先ユーザーの一つであるイスラエルはM107を200両程度導入しており、"Romach" (ロマク、ヘブライ語での意) のニックネームを付け1973年第四次中東戦争において実戦投入した。M107はシリア軍エジプト軍地対空ミサイルサイトの制圧に効果を発揮した。

このほか、イランに輸出されたM107は北朝鮮製のM1978 コクサン 170mm自走砲と共にイラン・イラク戦争で実戦投入された。

バリエーション[編集]

M107/M110の派生型として、装甲回収車型のM578装甲回収車英語版が存在する。

運用国[編集]

画像[編集]

脚注・出典[編集]

関連項目[編集]

ソビエト連邦で開発・配備された203mm自走カノン砲

外部リンク[編集]