女人禁制

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女人禁制(にょにん きんせい[1][2][3][4][5][6]、にょにん きんぜい[1][7])とは、女性に対する社会慣習の一種で、日本で見られるものの総称である。

特に、聖域社寺霊場、祭場など)への女性の立ち入りを禁止する慣習についてみられる[3][4]。この意味で隔絶された区域結界[* 1])を女人結界(にょにん けっかい)といい[8][9]、「女人禁制」と同義で用いられる[5][8]

この本義の女人禁制とは異なる事由から生じた、単なる女性の立ち入りや参加、参入などを禁ずる社会慣習をも指す(歌舞伎などに見られる)。

反対に、「男性の立ち入りを禁じる」ことを男子禁制(だんしきんせい)と呼ぶ(例として、沖縄の御嶽に祈りを捧げたり祭祀を行うのは、沖縄古来より女性祭司「ノロ」の専業であり、基本的に男子禁制である)。

概要

全ての女性を対象とした恒常的なものと、忌みの概念を背景に月経出産に関する特定の状態にある女性のみを対象とするものとに大別できる。女人禁制が解かれることは女人解禁などという。

由来

日本における霊山などへの女人禁制は、修験道の伝統に基づくとされているものが多い。修験道は仏教(主に密教)に、日本の古来の神道や大陸由来の道教などが習合して成立したものであるため、女性の入山を禁止し始めた理由を明確に知ることは難しい。

仏教の戒律に由来する理由

本来の仏教には、ある場所を結界して、女性の立ち入りを禁止する戒律は存在しない。和僧道元の『正法眼蔵』にも、日本仏教の女人結界を「日本国にひとつのわらひごとあり」と批判している箇所があり、法然親鸞なども女人結界には批判的であった。

ただし、仏教は、性欲を含む人間の欲望を煩悩とみなし、智慧をもって煩悩を制御する理想を掲げている。そのため出家者の戒律には、性行為の禁止(不淫戒)、自慰行為の禁止(故出精戒)、異性と接触することの禁止(男性の侶にとっては触女人戒)、猥褻な言葉を使うことの禁止(麁語戒)、供養として性交を迫ることの禁止(嘆身索供養戒)、異性と二人きりになることを禁止(屏所不定戒)、異性と二人でいる時に関係を疑われる行動することを禁止(露処不定戒)など、性欲を刺激する可能性のある行為に関しては厳しい戒律がある。

また修験者は、半僧半俗の修行者であるが、その場合でも、修行中は少なくとも不淫戒を守る必要がある(八斎戒の一つ)。

ちなみに在家信徒も、淫らな性行為は不邪淫戒として禁じられている(五戒の一つ)。また在家者も坐禅念仏などの修行に打ち込む期間だけは不淫戒を守ることが薦められる。

それらの目的を達成するために、修験道では、男性の修行場から女性を排除する必要性があったと考えられる。逆に女性出家者が入る尼寺は(女性出家者を性暴力などの被害から守る理由で)元々、僧寺(男性出家者の施設)に付属する施設と規定されており、そのため男性を厳格には排除しづらかった。

また仏教では本来、破戒僧が自分の愛人を出家させて身辺に置くことを防ぐため、仏陀を除く出家者は異性の出家者を弟子として得度することは禁じられている。(僧を得度できるのは僧のみ。尼を得度できるのは尼のみ)

日本仏教の黎明期に善信尼ら女性出家者はいた。その後、戒壇の設置に朝廷の許可が必要であった奈良時代以降、鎌倉時代くらいまで、戒壇の設置を許された東大寺延暦寺などの戒壇が全て男性僧侶を対象としており、女性(尼)の授戒得度が困難であった点との関連も考えられている。

ただ仏教の戒律は、上記のように出家者、修行者、在家で求められる戒律がそれぞれ異なり、戒律の内容や解釈、厳格さも各宗派で異同がある。そのため「男子禁制」の尼寺や、山岳部にあっても女人禁制が取られていない寺院も存在する。

神道の血穢による理由

神道においては、生物の身体から離れて、流出した血液は「血の穢れ」とみなされる。これは身体の一部が身体から分離したものをケガレとみなす考え方で、頭髪や爪、排泄物などにも同様な観念がみられる、また他の宗教や神話にも類似した観念が存在する。そのため、生理中の女性や産褥中の女性が、神聖とされる場所(神社の境内など)に入ることや、神聖な物(神輿など)に接触することを禁止するタブーが古来よりある。

本来は、女性だけでなく、生傷を負って流血している男性が神域に入ることや、神域での狩猟なども同様な理由で禁止されている。

道教や密教などの神通力信仰

一説には古代日本においては、主に道教や密教の影響で、僧侶に対し加持祈祷による法力、神通力が期待されていたためとする説もある。僧侶が祈祷に必要な法力を維持するためには、持戒の徹底が必要であると考られていた。

性欲を起こすと仙人が神通力を失う話としては、『今昔物語』にある久米仙人の話が有名である。

中世における神仏習合

上記の仏教と神道、道教などの異なるタブー観が、中世に習合し、山岳の寺院、修験道などを中心として、鎌倉時代頃に今の女人禁制、女人結界のベースとなる観念が成立したものと考えられている。

また、唯識論で説かれた「女人地獄使。能断仏種子。外面似菩薩。内心如夜叉」(『華厳経』を出典とする俗説あり)[要出典]や『法華経』の「又女人身猶有五障[10]を、その本来の意味や文脈から離れ、「女性は穢れているので成仏できない、救われない」という意味に曲げて解釈し、引用する仏教文献も鎌倉時代頃から増えてくる。(原典にそういう意味はない)

これらをもって、女人禁制は鎌倉仏教の女性観に基づくと説明されることがある。ただし、上記のように法然、道元、日蓮といった鎌倉時代の宗祖達は概ね女人禁制に批判的だった。

その他に、女人禁制の由来と思われる理由

また修験道の修行地が、険しい山岳地帯であったためとの見方がある。

古代においては山は魑魅魍魎が住む危険な場所と考えられていた。そのため子供を産む女性は安全のため近づかない、近づいてはならない場所であったとする。そのような場所だからこそ、修験者は異性に煩わされない厳しい修行の場として、山岳を選んだのだといわれている。文明が進んで、山道などが整備されると、信心深い女性が逆に修験者を頼って登山してくるようになり、困った修験者たちが結界石を置いてタブーの範囲を決め、その外側に女人堂を置いて祈祷や説法を行なった。

民俗学者の柳田國男姥捨山とされた岩木山青森県)の登山口にも姥石という結界石があることに着目。結界を越えた女性が石に化したという伝説を『妹の力』『比丘尼石』のなかで紹介している。結界石や境界石の向こうは他界(他界#山上他界)であり、宗教者は俗世から離れた一種の他界で修行を積むことによって、この世ならぬ力を獲得すると考えられた。

また、石長比売女神であったことに代表されるように、古来より日本各地において山そのものが女神であり、嫉妬深いと考えられた地域も多い。女人の入山が禁制されたのは女神の嫉妬を避ける為であるとされる。たとえば『遠野物語』に登場する遠野三山伝説では、早池峰山と六角牛山はそれぞれ3人の女神が住んだ山とされ、長らく女人禁制であった。また熊野三山周辺でも、山は女神で嫉妬深いと考えられているほか、上り子といわれる男たちは松明を掲げて山へ上るが、女たちは闇の中で祈りを捧げて男たちが持ち帰った神火を迎える役割があり、そこには祭事における男女の役割分担の違いがあるとされる。

また別の説では巫女イタコにみられるように「女性には霊がつきやすい」ため、荒修行が女性には困難であるという説明づけもされることがある。

女人禁制の理由については、上記のような様々な由来や学説が唱えられている。各々の場所には各々の由来が伝えられている。またそれらが歴史的な過程で絡み合い変容していく場合もあり、どれか一つをもって一般論を導き出すことは困難と言える。

祭祀における女人禁制

なお、祭りに女人禁制が取り入れられたのは、男尊女卑が広く浸透したとされる江戸時代ないし明治時代以降のことと考えられ、『古事記』には祭りに女性が参加していた記述が見られる。また古代の日本では、女性は神聖な者で神霊が女性に憑依すると広く信じられており、卑弥呼に代表されるように神を祭る資格の多くは、女性にあると考えられていた。

一例として、日本神道の祖形を留る琉球神道の範疇に属する信仰では、沖縄の女性は「神人(かみんちゅ)」、男性は「海人(うみんちゅ)」とされ、おなり神の関係にあるとされる。現代でも女性が祭祀を取り仕切る観念は都市部以外では特に根強く、墓の手当てや風葬のあった時代には洗骨までもが一家の女性の役割であった。

ノロなどの神職が祭祀を行う御嶽(うたき)では、女人禁制とは逆の男子禁制が敷かれており、現在でも御嶽や拝所(うがんじょ)に祈りを捧げたり祭祀を行うのは厳格に男子禁制である。(ただし、単に拝んだり立ち入りまで禁止されている訳ではない)。

「女人禁制」に対する反対

明治政府

明治5年3月27日(1872年5月4日)、明治政府は、明治五年太政官布告第98号「神社仏閣女人結界ノ場所ヲ廃シ登山参詣随意トス[11]により、江戸幕府や寺社が仏教の不邪淫戒(五戒の一つ)や儒教の「男女七歳にして席を同じゅうせず」(『礼記』内則)などを根拠として社会の多くの分野で過剰に徹底していた「女人禁制」を、欧米列強に伍していこう(肩を並べよう)としている近代国家には論外の差別(「陋習」)の一つであるとして禁止した。

この結果、「御一新」された「皇国」(明治日本)では、ほとんどの神社仏閣が過剰な「女人禁制」を解除することとなった。関所の廃止とも相俟って、外国人女性を含め女性も日本国内を自由に旅行・観光・参詣できるようになった。

日本相撲協会の土俵における「女人禁制」

一部の神事といて行われる女相撲、興行として昭和30年代後半まで続いた女相撲、相撲の近代スポーツ化において創始された女子相撲国際相撲連盟日本相撲連盟が統括するアマチュア相撲の大会の土俵には女性が上がることができる。女子相撲の普及に伴い、世界大会で優秀な成績を収める選手を収める選手(野崎舞夏星今日和など)を輩出しており、女性による相撲の存在も徐々に認知されはじめている。

しかし日本相撲協会(大相撲)はこれらとは由来が異なっている。大相撲の由来は江戸時代からの寺社建立・修繕の費用を集めるための「勧進大相撲」であり、もっぱら女人禁制の神社仏閣の境内で行われていた。そのため、土俵上だけでなく観客席含めて全てが「女人禁制」で興行されていた。その後、明治五年に太政官布告第98号「神社仏閣女人結界ノ場所ヲ廃シ登山参詣随意トス[11]により、神社仏閣の境内への女性の出入りが解禁された。このため、女性客が大相撲を観戦することが可能となった[12]

日本相撲協会は現在も観客席を除く土俵の部分だけは「女人禁制」としており、それが女性差別として問題視される事案も発生している[13][14][15]。が、通常の観客である限りにおいて直接の不利益を被る女性ファンは少ないこともあり反対運動にまでは至っていない[16]。日本相撲協会に対しては、一部の報道人・政治家・相撲ライターなどが差別禁止の日本国憲法第14条1項を根拠として『伝統』という曖昧な理由で女性を不浄視せず男性と等しく扱うよう求めている[17][18][19]

奈良県大峰山の「女人禁制」に対する反対運動

明治5年3月27日(1872年05月04日)布告の明治五年太政官布告第98号「神社仏閣女人結界ノ場所ヲ廃シ登山参詣随意トス[11]、および、明治5年9月15日(1872年10月27日)布告の明治五年太政官布告第273号「修験宗ヲ廃シ天台真言ノ両本宗へ帰入セシム[20](いわゆる『修験道廃止令』)にも拘わらず、奈良県南部の大峰山(大峯)の山上ヶ岳の修験者およびその協力者たちは、修験道の霊場であるという事を理由として「女人禁制」を掲げ続けた。これに対し、女性の入山解禁を求める運動が起こっており、過去に密かにまたは反対を押し切って登山した女性も存在する[21]

2005年11月3日、大峰山の女人禁制に反対する伊田広行池田恵理子らが結成した「大峰山に登ろうプロジェクト」(以下、プロジェクト)のメンバーは、大峯山登山のために現地を訪れ、寺院側に質問書を提出し、解禁を求めたが不調に終わった。その結果、改めて話し合いの場を設けることで合意して両者解散したが、その直後に問題提起の為としてプロジェクトの女性メンバー池田恵理子を含む3人が登山を強行した。この行為に対し寺院側、反対派地元住民、およびいくつかの報道機関が批判を行った。

プロジェクト側の行動を賞賛する意見

奈良県大峰山の「女人禁制」は、男尊女卑女性差別を肯定する象徴であり、男女共同参画理念にも反する悪習である。また、「大峰山」を含む「紀伊山地の霊場と参詣道」は世界遺産にも登録された人類共有の財産であり、登山道は税金で整備された公道でもあるため、誰もがアクセス可能であるべきである。

女人禁制は堅持すべきとする意見

「女人禁制」は男性の修験者が性欲に惑わされること無く修行するために存在する制度であり、女性には稲村ヶ岳が女人大峯として提供されている。男尊女卑などの差別を推進する意図はない。このような性別による隔離は修道院など他の宗教でも一般化しているだけでなく、男子校や女子校、またトイレなども含めて世界共通である。宗教的な一例として同じ世界遺産であるアトス山正教会修道院として1406年以降は法令によって「女人禁制」となっている。強行登山は独善の正義感から他人の宗教を冒瀆する身勝手な愚行である。また、日本には沖縄の御嶽久高島の御嶽のように男子禁制の地域も存在することから、女人禁制の地域のみを批判の対象とする行為は、男女平等の理念に反する。

登山口にある洞川集落には太平洋戦争の終結直後、日本を占領した連合国軍の高官夫人が女人結界の解除を求めて訪れたことがあった。この時、地元の古老が「マズ貴国ノ女性修道院ヲ男性ニ解放サレヨ」と反論して、禁制が維持されたという[22]

日本の信仰や風習で女人禁制とされている(されていた)場所

山岳・霊場

仏教・山岳修験道系

神道系やその他の山岳信仰系

神道系の祭

特殊技能者のメンバーシップに基づくもの

  • 鉱山山師) - 鉱山や工事中のトンネルでは、労働基準法の女性坑内業務の禁止条項が2006年に改正され、坑内作業に妊産婦や危険有害業務などを除き就労できる事となった[27]
  • 酒蔵(杜氏)- 現在は女性杜氏もいる[28]
  • 大相撲日本相撲協会)の土俵上 - 断髪式や表彰、地方巡業での勧進元挨拶などで土俵外に檀を設けられること[14]、ちびっこ相撲の一時休止など。
    • 2018年4月4日京都府舞鶴市での巡業で、挨拶に立った舞鶴市長多々見良三が土俵上で倒れた。この際、救急医療のため土俵に上がった女性医療関係者に対して土俵を降りるようアナウンスが行われた。八角理事長謝罪をしており、アナウンスを行った三段目格行司は同年7月に辞職している[13][29]
    • 2018年より休止となっている地方巡業での「ちびっこ相撲」については[30][15] 、2019年5月場所前の力士会で復活を求める複数の力士の声があったという。力士会の会長を務めている横綱鶴竜も「やっぱり巡業での要望が1番多い。お客さんと触れ合うことや相撲界の未来を考えたらね」と話しており、巡業部に要望をしている[31][32][33]

女人禁制とされている(されていた)芸能

  • 歌舞伎 - 歌舞伎の創始者とされているのは女性であるが、遊女屋に取り入れられて『遊女歌舞伎』となった。元服前の少年たちによる『若衆歌舞伎』も盛んになったが、各地で歌舞伎劇と売春を兼ねる集団となり、同じ役者を好きになった客同士の刃傷沙汰が絶えなかった。このため、1629年(寛永6年)に『遊女歌舞伎』が、1952年(承応元年)に『若衆歌舞伎』が、風紀・風俗を乱すという理由で幕府に禁止された[34]。その翌年、「中心になる役者が前髪を剃って野郎頭になること」「容色本位の踊りではなく『物真似狂言づくし』を演ずること」を条件として興行の再開が許され、現在に至る『野郎歌舞伎』となっている[35]
    • 子役は、慣習的に初潮が来る前までの出演が認められている。
    • 女形の衣装は華やかなもの(花魁など)であるほど重量があり[36][37]、「助六」の揚巻の衣装は20kg超、かつらや下駄を合わせると40kgにも及び[38]、「鷺娘」は35kg超となる[39]。演目・役柄によって、身に着けて同じ体勢でじっとしていなくてはならない場合、舞台上で長時間踊り続けなくてはならない場合もあり[40]、観客から見て美しく見えるのは役者が苦しい体勢であるという[41]5代目坂東玉三郎は体力的な限界を理由に2019年を最後に地方公演を引退し[42]、近年は自らのつとめてきた大役を若手に継承している[43]
    • 1993年に当時16歳であった松たか子(二代目松本白鸚の次女)が「文七元結」のお久役で歌舞伎座に出演、2017年12月に11代目市川海老蔵が企画する実験的な舞台である六本木歌舞伎「座頭市」に寺島しのぶ(七代目尾上菊五郎の長女)が出演している[44][45]
    • 明治になって歌舞伎の近代化を目的とする演劇改良運動が起こった。1886年(明治19年)に第一次伊藤内閣の意向もあり、その女婿末松謙澄渋沢栄一等が演劇改良会を結成し、女形の廃止も提言したが、それでも歌舞伎に女優を出演させることは出来なかった。その後、自由民権運動の活動家であった川上音二郎が改良演劇をうたった書生芝居を始め、妻の川上貞奴をはじめとする女優が台頭した[46]。歌舞伎は「旧劇」「旧派」と呼ばれ、それに対する「新派」の演劇集団が複数出来ていき、戦後、単一の劇団に合同して「劇団新派」となっている。新派の公演には歌舞伎俳優が客演することがあり[47]、その縁で劇団新派には歌舞伎役者の娘(波乃久里子春本由香など)や歌舞伎役者からの転向者(河合雪之丞喜多村禄郎など)が在籍している。
  • 能楽 - 能楽協会への女性能楽師の加入は1948年に認められた。日本能楽会への加入は2004年に認められた。なお、日本能楽会の構成員は重要無形文化財「能楽」の保持者として認定(総合認定)されている。

日本以外の類似したタブーがある(あった)場所

その他

  • 一時的に女人禁制とする例として、武家作法では、戦場に出陣する3日前か、あるいは7日前に女を断ち、精力を蓄えてから出発した(実質上、戦に出る数日前の武士周辺は女人禁制となる)。
  • 上泉信綱伝の『訓閲集』(大江家の兵法書を戦国風に改めた兵書)巻一「発向」に記されている事として、「陣中に女人を入れる事、禁制なり」としており、戦時中も女人禁制が取られている(前述と合わせると、戦前1週間から戦時にかけて禁制という事になる)。戦の中では、予測し得ない突発的な戦闘や奇襲も起こり得る。ただし、圧倒的大軍を率いた小田原征伐豊臣秀吉が、側室淀殿たちを帯同した例外(秀吉は生まれもっての武家でないため)もあった。また籠城戦や逃避行では、武将が妻らと共に居た例は多い。

男子禁制

女人禁制とは反対に「男性の立ち入りを禁じる」ことを男子禁制(だんしきんせい)と呼ぶ。

信仰

宗教、信仰における事例として、沖縄の御嶽に祈りを捧げたり祭祀を行うのは、沖縄古来より女性祭司「ノロ」の専業であり、基本的に男子禁制である。

ただし、現代においては、祭司の礼拝中を除き、立ち入りまで禁じられてはいない場合も多いがそれも観光向けの措置である(斎場御嶽など)。祭司に管理されている御嶽の核心となる聖域は囲いにより立ち入り禁止、男子禁制である。

また、そもそも御嶽は、囲いがなくとも宗教上、男女問わずみだりに立ち入ってはならない。そもそも私有地である場合も多く、村落固有の聖地であるため、礼式を守れば基本的に公衆が立ち入れる日本本土の神社とは質的に異なる。

沖縄の一般家庭に多い「ヒヌカン」も、一般的には男性が拝むのは禁忌であり、男子禁制である。

このような男子禁制は、そもそも母系制社会では女性が祭祀を司り、また女王として君臨する場合もある(卑弥呼おなり神ヒメヒコ制など)事に由来すると言われる。

後宮

国王などの後宮、例として江戸幕府の大奥や琉球・首里城今帰仁城の御内原(うーちばる)も男子禁制であった。

後宮への王族以外の男子禁制は世界的に広くみられる。中国の王朝では宦官が徹底され、後宮を含む宮中全般の事務、庶雑務、給仕から警備、諜報活動、王族の教育係、火砲の管理まで宦官がこなした。

参考文献

脚注

注釈

  1. ^ 元々「結界」は仏教用語であるが、神道などでも用いられるので、「女人結界」も仏教に限った用語ではない。
  2. ^ 女性が参詣できた同じ真言宗の室生寺が「女人高野」と呼ばれた。

出典

  1. ^ a b 石田瑞麿『例文仏教語大辞典』小学館、1997年2月、848頁。ISBN 978-4095081113 
  2. ^ 『日本国語大辞典』 14巻、小学館、2003年1月10日、6頁。ISBN 978-4095219011 
  3. ^ a b ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典『女人禁制』 - コトバンク
  4. ^ a b 世界大百科事典 第2版『女人禁制』 - コトバンク
  5. ^ a b 日本大百科全書(ニッポニカ)『女人禁制』 - コトバンク
  6. ^ 『歴史民俗用語よみかた辞典』日外アソシエーツ、1998年8月。ISBN 978-4816915185 
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  12. ^ 「勧進大相撲」の誕生 東京都立図書館 "ただし、女性の見物は出来ず、許されるようになったのは明治時代に入ってからのことでした。"(2018年04月28日(土)閲覧)
  13. ^ a b 女性に「土俵降りろ」の放送、八角理事長「不適切な対応」 春巡業、救命処置の女性に感謝 2018年04月05日(木)08時28分『産経新聞』(2018年04月28日(土)閲覧)
  14. ^ a b 女性相撲ファンからも「差別的」 巡業先の宝塚市女性市長は「平等」求める 2018年04月05日(木)22時03分『産経新聞』(2018年04月28日(土)閲覧)
  15. ^ a b ちびっこ相撲で女子排除 静岡巡業、相撲協会が「遠慮して」要請 例年は参加 2018年04月12日(木)10時59分『産経新聞』(2018年04月28日(土)閲覧)
  16. ^ 実際に女性が土俵に上がる可能性が考えられるのは、断髪式で国技館の使用を許される力士の断髪式・優勝力士の表彰(知事)・地方巡業での勧進元挨拶・ちびっこ相撲などである。なお、相撲部屋でのイベントや豊ノ島杯(高知県・富山県)などでは女子の参加は受け入れられている。
  17. ^ 大相撲の伝統 「女人禁制」を解くとき 2018年04月26日(金)『朝日新聞』社説 "女性を締めだす理由や起源には諸説ある。もっぱら「土俵には神様がいるから」と説明されるが、だとしてもそれが直ちに禁制の理由にはならない。さかのぼれば女性相撲の長い歴史があり、近年は女子の国際大会も開かれている。協会は「相撲文化の振興と国民の心身の向上に寄与することを目的とする」公益法人で、税の優遇を受けるなどしている。あいさつや表彰の場からも女性を排除するという差別的な行いが、そんな公的色彩をもつ団体にふさわしいとは思えない。" (2018年04月28日(土)閲覧)
  18. ^ 協会は国民と対話せよ 太田房江参議院議員・元大阪府知事 2018年04月27日(金)『毎日新聞』朝刊 "「説明責任」というと堅苦しいが、協会には、国民と対話することを避けないでほしい。インバウンド(訪日外国人旅行者)急増が時代の流れだ。外国人旅行客には日本文化体験が観光目的になっているが、外国人は、きちんとした答えが示されない場合、「おかしい」と疑問に思う人が多い。海外報道を見ると、今回は大半が「日本に残る女性蔑視」の視点で報じられていた。そういう切り口で海外メディアに論じられるままにするのではなく、協会は事情をきちんと説明しなければならない。" (2018年04月28日(土)閲覧)
  19. ^ 力士の「文化」には敬意を 和田静香 音楽ライター 2018年04月27日(金)『毎日新聞』朝刊 "部屋で行われた力士の断髪式も見たことがある。(中略)私が見た断髪式は、女性が土俵上ではさみを入れていた。本場所前に土俵祭を行ない、相撲の神様を迎えるのは部屋も国技館も同じだ。女人禁制には「あいまいさがある」というのがファンとしての実感だ。私が女人禁制を「文化」と呼ぶのは、「伝統」というには根拠が薄いと思うからだ。(中略)ただ、その文化の根底にあるものが「女性を不浄視する信仰」としか言えないのなら、いつか女人禁制は解かれるだろう。" (2018年04月28日(土)閲覧)
  20. ^ 明治五年-法令全書-内閣官報局 コマ番号011/768 および コマ番号154/768 国立国会図書館デジタルコレクション (2018年04月28日(土)閲覧)
  21. ^ 「大峰山女人禁制」の開放への歴史をひもとけば「大峰山女人禁制」の開放を求める会(2018年04月28日(土)閲覧)
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関連項目