1990年のル・マン24時間レース

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1990年のル・マン24時間レース
前年: 1989 翌年: 1991
1990年のコース

1990年のル・マン24時間レース24 Heures du Mans 1990 )は、58回目[1]ル・マン24時間レースであり、1990年6月16日[2][1]から6月17日[1]にかけてフランスのサルト・サーキットで行われた。

概要[編集]

国際自動車スポーツ連盟(FISA、現国際自動車連盟、FIA)は主催者のフランス西部自動車クラブ(ACO)に露骨な嫌がらせをし[2]、「サーキットの直線距離は最長でも2km以内であるべきだ。もしシケインを設置しないなら公認を取り消す」と圧力を加えた[2]。ACOはさすがにこの圧力に抵抗できず、妥協で[3]サルト・サーキットの名物であった長さ約6kmの「ユノディエール」ストレートにシケインを2つ入れる[3][4]コース改修をし、ル・マンの伝統が一つ消えることになった[3]が、この改修はドライバーからは好評であった[3]。高速性能と中速性能のバランスがかなり変化する[3]と考えられ、また変速回数が増えてトランスミッションへの負担が増加する[3][2]ため、車両設計が注目されるポイントとなった[3]。コースは13.535km/周から13.600km/周へとわずかに長くなった[4]。シリーズ開催には2ヶ月前に査察を受けなければならず手続きが間に合わなかったので1990年も世界スポーツプロトタイプカー選手権(WSPC)に組み入れられず[5]、このことからスポーツカー選手権を主目的としていたメルセデス・ベンツは不出場を宣言した[3][5]

また、燃費規制のある車両規則の下で行なわれた最後の年となった。1991年も現行車両は新規則に基づく3.5リットル自然吸気エンジンを積んだ車両と混走はできる可能性もあったが、もしそうなったとしても何らかのハンディキャップが課されることが明らかで、これまでの車両が性能を発揮できる最後の年と考えられていた。

ポルシェ・962の性能が相対的に下がって来ており、前年優勝し当然最有力候補だったメルセデス・ベンツの欠場で、日本メーカーにはル・マン制覇の大きなチャンスと考えられた[6]

日産自動車シーマに代表される高額な大型乗用車の売り上げが好調で、大幅にレース予算を増やして体制強化を図って臨んだ[6]。ル・マンのポスターの絵柄に日産・R90CP[3]が選ばれ[5][6][2]、入場券[2]やプログラムにも日産の写真が使われ、、ペースカーはフェアレディZ300ZXが務め[6][2]、新設されたシケインの1つの命名権を買い取り「ニッサン・シケイン」と命名する[3]など力を入れていることを隠さなかった。実際エンジンを担当した日産自動車中央研究所スポーツエンジン開発室の徹底した改良によりVRH35Z型[5][6]エンジンは840PS[6]、85kgm[6]を発揮するに至るなど戦闘力も信頼性も高く、有力候補の1つとされていた。車両はイギリスのローラオリジナルかほぼそれに近い日産・R90CKと、素材面から見直し日産独自の改良を加えた日産・R90CPを投入した[7]。日産のモータースポーツ責任者であった町田收は周囲の反対を押し切ってニッサン・モータースポーツ・ヨーロッパ(NME)監督に生沢徹を起用し、そのNMEから2台[5][6]、ニッサン・パフォーマンス・テクノロジー(NPTI)から2台[5][6]ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル(ニスモ)から1台[5][6]、計3チーム5台のワークスマシンに加え、クラージュとチーム・ルマンに1台ずつ[5]、計7台[5]を出場させた。この7台の出場車両に充分な数のエンジンを供給しなければならない上、5月連休明けにNMEの監督生沢徹から町田收に予選用エンジン製作の要請があり、スポーツエンジン開発室の林義正は断ったが、結局1基だけ製作することになった。町田收はこのエンジンを使用するかどうか、NPTIの監督キャス・キャスナーとニスモの監督水野和敏にも打診したがどちらも不要である旨返答があったという。日産自動車は未だ出始めで信頼性の低かったカーボンブレーキディスクが2,000km持つとの感触を得、NMEとニスモから出走する計3台に装着していた。また変速回数が増えることからニスモヒューランド製だったトランスミッションのギアを独自に開発した。町田收は決勝前夜に記者会見を開き、優勝宣言した[2]

トヨタ自動車トムスからミノルタタカキューの2台[5]サードからデンソートヨタ1台[5]とトップクラスの実力を持って3台が出場した。サードの監督は1973年のル・マン24時間レースに日本チームとして最初に出場した加藤眞だった[5]。ACOは新たにできた2つのシケインのうち1つはトヨタに売るつもりだったが、トヨタは「事故が起こった時にしか取り上げてくれない」として断り、チームの士気は一時下がった[2]

この時点では、1991年以降ロータリーエンジンが出場できない可能性も高く、マツダは背水の陣で臨んだ[2]。この年からジャッキー・イクスとアドバイザー契約を結び[2]、エンジンも前年から100馬力アップを実現し、ナイジェル・ストラウド製作のシャシに積んだマツダ・787を2台[5]と、前年モデルのマツダ・767を1台[5]、計3台[5]を投入し、初めてテレメトリーシステムも持ち込み[2]、大幅な戦力アップを図った。

それでも本命視されていたのはジャガーだった。WSPCを3.5リットルのV型6気筒ターボエンジンを積んだジャガー・XJR-11で戦っていたが、ル・マン24時間レースには前年まで使用しておりこの年もデイトナ24時間レースで優勝した実績もある7リットルV型12気筒エンジンを搭載したジャガー・XJR-12の使用を決め、2月には製作に取り掛かった[3]トム・ウォーキンショーはハイペースの潰し合いになっても4台のワークスマシンがあれば次の車両を上げることで9割以上の確率で勝てると計算していた[3]

ポルシェは、WSPC第2戦のモンツァからヨースト・レーシングが使用した3.2リットルエンジンをブルン・モータースポーツにも供給し、ロングテール車両での参戦を指示した[3]。このエンジンはヘッド回りも新設計とし、燃費と中速トルクの向上を主眼に設計されていた[3]。ヨースト・レーシングは4台のロングテール車両を投入しポルシェ最有力チームであった[3]。ブルン・モータースポーツ16号車、クレマー・レーシングの2台、アルファレーシング45号車、伊太利屋43号車は直線が最大2kmになっていることからポルシェワークスの指示に反しショートテール車両を投入した[3]。特記すべきはバブル景気に沸く日本のチームが武富士[5]ケンウッド[5]トラスト[5]オムロン[5]ミズノ[5]と多数のポルシェ・962を使用しエントリーしたことである。

予選[編集]

6月13日の18時に公式予選が始まった[2]

NMEのマーク・ブランデル日産・R90CKで3分27秒02を出しポールポジションを取った[2][5]。これは前述の通り生沢徹の要請で1基だけ製作した予選用エンジンを搭載して走行したもので、過給圧を1.8と高く設定したとも[2][5]、幸か不幸かウェイストゲートバルブがうまく作動せず過給圧が想定以上に上がったとも言われ、推定出力は1,000PS[7]とも1,100馬力[2]ともいう。しかしNPTIやニスモのほとんどの者はこのエンジンの存在を知らされておらず、日産自動車内で深刻な対立を生んだ[2]。NMEとNPTIは元々仲が良くなかったがこの件で殴り合いの喧嘩になり、NME、NPTI、ニスモの順で予定されていたピットの順番を急遽NME、ニスモ、NPTIの順に変更しなければならない程であった[2]

ジャガーは7位、8位、9位、17位を占め、それなりに健闘したと言える結果[2]ではあったが、予選にこだわらず決勝に備えた[5]こともあり、日産自動車のパフォーマンスの前にほとんど存在感を持たなかった[2]

トヨタも抑え気味の走行で最高位は14位、3分38秒74であった[5]

マツダの最高位は22位、3分43秒04であった[5]

決勝[編集]

日産自動車はNMEの25号車が午前中のウォームアップでギアボックスからのオイル漏れを起こし、生沢はクラッチから後ろを全交換する旨決断し、まだレースが始まってもいないのに満場の観客を前に修理する醜態を晒した。

49台[4]が15時55分にグリッドを離れたが、午前中のウォームアップでトランスミッションからオイル漏れを起こして修理したNMEの25号車はパレードラップの途中でディファレンシャルのピニオンギアを破損しそのままリタイヤ[2]、48台になって16時にスタートした[2]

レース開始当初飛び出し、NMEの24号車が最初の3ラップを首位走行するなど3時間に渡り序盤レースをリードした日産ではあったが、開始早々にNPTIの84号車がホイールトラブルと水漏れを起こし修理で最下位になっていた[2]。その後もハイペースによるトラブルなどで遅れた。また2,000km持つはずだったカーボンブレーキは走っている限りは圧倒的に早いが1,000kmも走行しないうちにパッドが焼き付いてブレーキの効きが悪くなることが判明し、走行している間は圧倒的に速いがピットストップを長く強いられなかなか順位を上げられない状態が続いた[2]。横の連絡も悪く、ニスモの24号車がリタイヤする原因となったローラ製トランスミッションケースの構造的欠陥について、同じトランスミッションを使用していたNPTIは事前に問題点に気がつき打った対策をニスモに伝えていない[2]。最終的に日産自動車の優勝の可能性がなくなったのはNPTIの車両がトップ争いをしながら燃料漏れでリタイヤしたことによるが、NMEのメカニックはこの問題を早期に把握し自チームの車両には対策しつつNPTIに通知せず、部品箱に施錠して帰ってしまっていた[2]。結局ニスモがそれまでの日本車最高位となる5位となったものの、高い前評判を受け事前に優勝宣言をしたことからすれば惨敗であり、またこの後しばらく撤退することとなった[2]

マツダはトラブル続きで勝負どころではなく、朝を迎える前に787を2台とも失った[2]

ジャガーの仕上がりは非常に良く、グッドイヤーのタイヤが優秀であったこともあり、鉄製ブレーキであったにもかかわらずカーボンブレーキの日産自動車よりずっと奥でブレーキングをしていた[2]。また弱点と言われていたトランスミッションはTWRが独自に開発した物を使用した[2]

ポルシェワークスが指示したロングテールは失敗で、逆にワークスから重視されていなかった、二軍扱いでショートテールを採用した車両が上位争いに加わった。特にブルン・モータースポーツのポルシェはエースのオスカー・ララウリが体調不良で深夜になって自ら降りることを決断、残りの時間をヘスス・パレハとワルター・ブルンだけでカバーしなければならなくなったにも関わらずペースを落とさずトップ争いを続けた[2]

28台が完走した[4]

最終的にジャガーとブルン・ポルシェが争ったが、ゴール直前の23時間45分にヘスス・パレハが運転するブルン・ポルシェのエンジンが焼き付く[2]トラブルでスローダウンの後棄権となり、ジョン・ニールセン/プライス・コブ/マーティン・ブランドル[1][2][4][3][1]ジャガー・XJR-12[3][1]、3号車[3][1]が24時間で4882[1].400km[3][4]を平均速度204.036km/h[1]で走って、ジャガーとしては2年ぶり5回目となる優勝をした[2]。結局レースはトム・ウォーキンショーの読み通りの展開であった[3]

順位 クラス 号車 チーム ドライバー シャシ タイヤ 周回数
エンジン
1[1] C1 3[1] イギリスの旗シルクカット・ジャガー
イギリスの旗トム・ウォーキンショー・レーシング
デンマークの旗ジョン・ニールセン[1]
アメリカ合衆国の旗プライス・コブ[1]
イギリスの旗マーティン・ブランドル[1]
ジャガー・XJR-12[1] G 359[1]
ジャガー7.0L V型12気筒
2[1] C1 2[1] イギリスの旗シルクカット・ジャガー
イギリスの旗トム・ウォーキンショー・レーシング
オランダの旗ヤン・ラマース[1]
イギリスの旗アンディ・ウォレス[1]
オーストリアの旗フランツ・コンラート[1]
ジャガー・XJR-12[1] G 355[1]
ジャガー7.0L V型12気筒
3[1] C1 45[1] 日本の旗アルファ・レーシングチーム イギリスの旗ティフ・ニーデル[1]
イギリスの旗デヴィッド・シアーズ[1]
イギリスの旗アンソニー・レイド[1]
ポルシェ・962C[1] Y 352[1]
ポルシェ935型3.0L 水平対向6気筒ターボ
4[1] C1 7[1] ドイツの旗ヨーストポルシェ・レーシング ドイツの旗ハンス=ヨアヒム・スタック[1]
イギリスの旗デレック・ベル[1]
ドイツの旗フランク・イエリンスキー[1]
ポルシェ・962C[1] M 350[1]
ポルシェ935型3.2L 水平対向6気筒ターボ
5[1][4] C1 23[1] 日本の旗ニスモ[4] 日本の旗長谷見昌弘[1][4]
日本の旗星野一義[1][4]
日本の旗鈴木利男[1][4]
日産・R90CP[1][4] D 348[1][4]
日産自動車VRH35Z型3.5L V型8気筒ターボ
6[1][4] C1 36[1] 日本の旗トヨタ・チーム・トムス[4] イギリスの旗ジェフ・リース[1][4]
日本の旗関谷正徳[1][4]
日本の旗小河等[1][4]
トヨタ・90C-V[1][4] B 347[1][4]
トヨタ自動車R32V型3.2L V型8気筒ターボ
7[1] C1 13[1] フランスの旗クラージュ・コンペティション フランスの旗パスカル・ファブレ[1]
フランスの旗ミシェル・トローレ[1]
フランスの旗リオネル・ロベール[1]
クーガー・C24S G 347[1]
ポルシェ935型3.0L 水平対向6気筒ターボ
8[1] C1 9[1] ドイツの旗ヨーストポルシェ・レーシング ドイツの旗ルイス・クラージェス[1]
スウェーデンの旗スタンレー・ディケンズ[1]
フランスの旗ボブ・ウォレク[1]
ポルシェ・962C[1] M 346[1]
ポルシェ935型3.2L 水平対向6気筒ターボ
9[1] C1 27[1] ドイツの旗オーバーマイヤー・レーシング ドイツの旗ユルゲン・ラシック[1]
フランスの旗ピエール・イベール[1]
ドイツの旗オットー・アルテンバッハ[1]
ポルシェ・962C[1] G 341[1]
ポルシェ935型3.0L 水平対向6気筒ターボ
10[1] C1 15[1] スイスの旗ブルン・モータースポーツ ノルウェーの旗ハラルド・ヒュイスマン[1]
イタリアの旗マッシモ・シガーラ[1]
スイスの旗ベルナール・サンタル[1]
ポルシェ・962C[1] Y 335[1]
ポルシェ935型3.2L 水平対向6気筒ターボ
11 C1 44 イギリスの旗リチャード・ロイド・レーシング イギリスの旗ジョン・ワトソン
イタリアの旗ブルーノ・ジャコメリ
カナダの旗アレン・バーグ
ポルシェ・962C G 335
ポルシェ935型3.0L 水平対向6気筒ターボ
12 C1 33 オーストラリアの旗チーム・シュパン
オーストラリアの旗オムロン・レーシング
アメリカ合衆国の旗ハーレイ・ヘイウッド
南アフリカ共和国の旗ウェイン・テイラー
スウェーデンの旗リカルド・リデル
ポルシェ・962C D 332
ポルシェ935型3.0L 水平対向6気筒ターボ
13 C1 63 日本の旗トラスト・レーシングチーム 南アフリカ共和国の旗ジョージ・フーシェ
スウェーデンの旗Steven Andskär
日本の旗粕谷俊二
ポルシェ・962C D 330
ポルシェ935型3.0L 水平対向6気筒ターボ
14 C1 6 ドイツの旗ヨーストポルシェ・レーシング フランスの旗ジャン=ルイ・リッチ
フランスの旗アンリ・ペスカロロ
フランスの旗ジャック・ラフィット
ポルシェ・962C G 328
ポルシェ935型3.2L 水平対向6気筒ターボ
15 C1 55 オーストラリアの旗チーム・シュパン
オーストラリアの旗オムロン・レーシング
スウェーデンの旗エイエ・エリジュ
スウェーデンの旗トーマス・ダニエルソン
オーストラリアの旗トーマス・メゼラ
ポルシェ・TS962 D 326
ポルシェ935型3.0L 水平対向6気筒ターボ
16 C1 11 ドイツの旗ポルシェクレマー・レーシング フランスの旗パトリック・ゴーニン
フランスの旗フィリップ・アリオー
ベルギーの旗ベルナール・ド・ドライヴァー
ポルシェ・962CK6 Y 319
ポルシェ935型3.0L 水平対向6気筒ターボ
17[1][4] C1 84[1] アメリカ合衆国の旗ニッサン・パフォーマンス・テクノロジー[4] ニュージーランドの旗スティーブ・ミレン[1][4]
アイルランドの旗マイケル・ロウ[1][4]
アメリカ合衆国の旗ボブ・アール[1][4]
日産・R90CK[1][4] G 311[1][4]
日産自動車VRH35Z型3.5L V型8気筒ターボ
18 C1 21 イギリスの旗スパイス・エンジニアリング スペインの旗Fermín Velez
イギリスの旗ティム・ハーヴェイ
イギリスの旗クリス・ホッジス
スパイスSE90C G 308
コスワースDFV型3.5L V型8気筒
19 C1 20 イギリスの旗 Team Davey モロッコの旗マックス・コーエンオリバー
イタリアの旗ジョバンニ・ラバッジ
イギリスの旗ティム・リー・デイビー
ポルシェ・962C D 306
ポルシェ935型3.0L 水平対向6気筒ターボ
20[1][4] GTP 203[1] 日本の旗マツダスピード 日本の旗従野孝司[1][4]
日本の旗片山義美[1][4]
日本の旗寺田陽次郎[1][4]
マツダ・767B[1][4] D 304[1][4]
マツダ13J型2.6L 4ローター
21 C2 116 イギリスの旗PCオートモーティブ イギリスの旗リチャード・パイパー
フランスの旗Olindo Iacobelli
イギリスの旗Mike Youles
スパイスSE89C G 304
フォードコスワースDFL型3.3L V型8気筒
22[1] C1 82[1] フランスの旗クラージュ・コンペティション[4] ベルギーの旗エルベ・ルゴー[1][4]
フランスの旗アラン・クディーニ[1][4]
ギリシャの旗コスタス・ロス[1][4]
日産・R89C[1][4] G 300[1][4]
日産自動車VRH35Z型3.5L V型8気筒ターボ
23 C2 102 フランスの旗グラフ・レーシング フランスの旗グザヴィエ・ラペイル
フランスの旗ジャン=フィリップ・グラン
フランスの旗ミシェル・メゾヌーヴ
スパイスSE89C G 291
フォードコスワースDFL型3.3L V型8気筒
24 C1 10 ドイツの旗ポルシェクレマー・レーシング 日本の旗高橋国光
南アフリカ共和国の旗サレル・ヴァン・デ・マーウェ
日本の旗岡田秀樹
ポルシェ・962CK6 Y 279
ポルシェ935型3.0L 水平対向6気筒ターボ
25 C2 103 イギリスの旗Team Mako カナダの旗ロビー・スターリング
イギリスの旗James Shead
イギリスの旗ロス・ハイアット
スパイス・SE88C G 274
フォードコスワースDFL型3.3L V型8気筒
26 C1 19 イギリスの旗 Team Davey 日本の旗池谷勝則
フランスの旗パトリック・トゥルッコ
フランスの旗Pierre de Thoisy
ポルシェ・962C D 261
ポルシェ935型3.0L 水平対向6気筒ターボ
27 C2 131 イギリスの旗GPモータースポーツ イギリスの旗リチャード・ジョーンズ
イギリスの旗ダドリー・ウッド
アメリカ合衆国の旗ステファン・ハインズ
スパイス・SE87C G 260
フォードコスワースDFL型3.9L V型8気筒
28 C2 132 イギリスの旗GPモータースポーツ ニュージーランドの旗Craig Simmiss
イギリスの旗アリステア・フェンウィック
イギリスの旗アレックス・ポスタン
Tiga・GC289 G 255
フォードコスワースDFL型3.9L V型8気筒
29
DNF
C1 16 スイスの旗レプソル・ブルン・モータースポーツ アルゼンチンの旗オスカー・ララウリ
スペインの旗ヘスス・パレハ
スイスの旗ワルター・ブルン
ポルシェ・962C Y 353
ポルシェ935型3.2L 水平対向6気筒ターボ
30
DNF
C1 4 イギリスの旗シルクカット・ジャガー
イギリスの旗トム・ウォーキンショー・レーシング
アメリカ合衆国の旗デイビー・ジョーンズ
フランスの旗ミッシェル・フェルテ
チリの旗エリセオ・サラザール
ジャガー・XJR-12 G 282
ジャガー7.0L V型12気筒
31
DNF
C2 128 イギリスの旗チェンバレン・エンジニアリング フランスの旗フィリップ・ド・ヘニング
オランダの旗Charles Zwolsman
イギリスの旗ロビン・ドノヴァン
スパイス・SE90C G 255
コスワースDFZ型3.5L V型8気筒
32
DNF
C1 83[1] アメリカ合衆国の旗ニッサン・パフォーマンス・テクノロジー[4] オーストラリアの旗ジェフ・ブラバム[1][4]
アメリカ合衆国の旗チップ・ロビンソン[1][4]
アイルランドの旗デレック・デイリー[1][4]
日産・R90CK[1][4] G 251[1]または252[4]
日産自動車VRH35Z型3.5L V型8気筒ターボ
33
DNF
C1 38[1] 日本の旗トヨタ・チーム・サード[4] フランスの旗ピエール=アンリ・ラファネル[1][4]
オーストリアの旗ローランド・ラッツェンバーガー[1][4]
日本の旗長坂尚樹[1][4]
トヨタ・90C-V[1][4] D 241[1][4]
トヨタ自動車R32V型3.2L V型8気筒ターボ
34
DNF
C1 1 イギリスの旗シルクカット・ジャガー
イギリスの旗トム・ウォーキンショー・レーシング
イギリスの旗マーティン・ブランドル
フランスの旗アラン・フェルテ
イギリスの旗デヴィッド・レスリー
ジャガー・XJR-12 G 220
ジャガー7.0L V型12気筒
35
DNF
C1 85 日本の旗チーム・ル・マン[4] 日本の旗和田孝夫[1][4]
スウェーデンの旗アンデルス・オロフソン[1][4]
ブラジルの旗マウリシオ・サンドロ・サラ[1][4]
日産・R89C[1][4] Y 182[1][4]
日産自動車VRH35Z型3.5L V型8気筒ターボ
36
DNF
C1 43 イギリスの旗リチャード・ロイド・レーシング
イタリアの旗伊太利屋・スポーツ
ドイツの旗マニュエル・ロイター
フィンランドの旗J.J.レート
イギリスの旗ジェームズ・ウィーバー
ポルシェ・962C GTi G 181
ポルシェ935型3.0L 水平対向6気筒ターボ
37
DNF
C2 107 スイスの旗Pierre-Alain Lombardi スイスの旗Pierre-Alain Lombardi
フランスの旗デニス・モリン
フランスの旗フェルディナン=レセップス
スパイス・SE87C G 170
コスワースDFY型3.0L V型8気筒
38
DNF
C2 105 イギリスの旗ADAエンジニアリング イギリスの旗イアン・ハローワー
イギリスの旗ジョン・シェルドン
イギリスの旗ジェリー・マホニー
ADA 02B G 164
フォードコスワースDFL型3.3L V型8気筒
39
DNF
GTP 201 日本の旗マツダスピード ドイツの旗フォルカー・ヴァイドラー[4]
ベルギーの旗ベルトラン・ガショー[4]
イギリスの旗ジョニー・ハーバート[4]
マツダ・787 D 148[4]
マツダR26B型2.6L 4ローター
40
DNF
GTP 202 日本の旗マツダスピード スウェーデンの旗ステファン・ヨハンソン[1][4]
アイルランドの旗デイブ・ケネディ[1][4]
ベルギーの旗ピエール・デュドネ[1][4]
マツダ・787[1][1] D 147[4][注釈 1]
マツダR26B型2.6L 4ローター
41
DNF
C1 24 日本の旗ニッサン・モータースポーツ・ヨーロッパ[4] イギリスの旗マーク・ブランデル[1][4]
イギリスの旗ジュリアン・ベイリー[1][4]
イタリアの旗ジャンフランコ・ブランカテリ[1][4]
日産・R90CK[1][4] D 142[1][4]
日産自動車VRH35Z型3.5L V型8気筒ターボ
42
DNF
GTP 230 ドイツの旗モモ・ゲブハート・レーシング イタリアの旗ジャンピエロ・モレッティ
イギリスの旗ニック・アダムス
ドイツの旗ギュンター・ゲブハート
ポルシェ・962C G 138
ポルシェ935型3.0L 水平対向6気筒ターボ
43
DNF
C1 26 ドイツの旗オーバーマイヤー・レーシング ドイツの旗ユルゲン・オーパーマン
ドイツの旗Harald Grohs
ベルギーの旗マルク・デュエツ
ポルシェ・962C G 140
ポルシェ935型3.0L 水平対向6気筒ターボ
44
DNF
C1 54 イタリアの旗Mussato Action Cars イタリアの旗マッシモ・モンティ
イタリアの旗ファビオ・マニャーニ
ランチア・LC2 D 86
フェラーリ308C型3.0L V型8気筒ターボ
45
DNF
C1 37 日本の旗トヨタ・チーム・トムス[4] 日本の旗鈴木亜久里[1][4]
イギリスの旗ジョニー・ダンフリーズ[1][4]
イタリアの旗ロベルト・ラヴァーリア[1][4]
トヨタ・90C-V[1][4] B 64[1][4]
トヨタ自動車R32V型3.2L V型8気筒ターボ
46
DNF
C1 12 フランスの旗クラージュ・コンペティション スイスの旗Bernard Thuner
フランスの旗アラン・イアネッタ
フランスの旗Pascal Pessiot
クーガー・C24S G 57
ポルシェ935型3.0L 水平対向6気筒ターボ
47
DNF
C2 113 フランスの旗Etablissements Chereau フランスの旗 Philippe Farjon
フランスの旗Jean Messaoudi
クーガー・C20S G 43
ポルシェ935型2.8L 水平対向6気筒ターボ
48
DNF
C2 106 フランスの旗オトモビル・ルイ・デカルト フランスの旗フランソワ・ミゴール
フランスの旗ジェラール・トランブレイ
フランスの旗ジャック・ユクラン
ALD C289 D 36
フォードコスワースDFL型3.3L V型8気筒
49
DNF[注釈 2]
C1 25 日本の旗ニッサン・モータースポーツ・ヨーロッパ[4] イギリスの旗ケニー・アチソン[1][4]
イギリスの旗マーティン・ドネリー[1][4]
フランスの旗オリビエ・グルイヤール[1][4]
日産・R90CK[1][4] D 0[1][注釈 3]
日産自動車VRH35Z型3.5L V型8気筒ターボ
DNS C1 8 ドイツの旗ヨーストポルシェ・レーシング フランスの旗ボブ・ウォレク
イギリスの旗ジョナサン・パーマー
フランスの旗フィリップ・アリオー
ポルシェ・962C M -
ポルシェ935型3.2L 水平対向6気筒ターボ

注釈[編集]

  1. ^ 『ルマン 伝統と日本チームの戦い』pp.228「資料2」は「151」。
  2. ^ 『ル・マン 偉大なる草レースの挑戦者たち』pp.299は「DNS」。
  3. ^ 『ル・マン 偉大なる草レースの挑戦者たち』pp.299は「-」。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk bl bm bn bo bp bq br bs bt bu bv bw bx by bz ca cb cc cd ce cf cg ch ci cj ck cl cm cn co cp cq cr cs ct cu cv cw cx cy cz da db dc dd de df dg dh di dj dk dl dm dn do dp dq dr ds dt du dv dw dx dy dz ea eb ec ed ee ef 『ルマン 伝統と日本チームの戦い』pp.224-231「資料2」。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah 『ル・マン 偉大なる草レースの挑戦者たち』pp.175-246「祭りの決算」。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 『Gr.Cとル・マン』pp.76-77「1990」。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk bl bm bn bo bp bq br bs bt bu bv bw bx by bz ca cb cc cd 『ル・マン 偉大なる草レースの挑戦者たち』pp.298-303。
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y 『ルマン 伝統と日本チームの戦い』pp.27-154「ルマン24時間レースの歴史」。
  6. ^ a b c d e f g h i j 『ルマン 伝統と日本チームの戦い』pp.155-220「ルマン24時間レース挑戦 日本チーム」。
  7. ^ a b 『Gr.Cとル・マン』pp.90-95。

参考文献[編集]