ピエール・デュドネ
ピエール・デュドネ(Pierre Dieudonne、1947年3月24日 - )は、ベルギーのブリュッセル出身の元レーシングドライバー、自動車ジャーナリスト。
経歴
[編集]1970年初頭からキャリアを開始し、1976年からヨーロッパツーリングカー選手権に参戦し、いきなりチャンピオンを獲得した。1980年にも、母国ベルギーのツーリングカー選手権にもマツダ・RX-7で参戦しシリーズチャンピオンに輝く[1][2]。その後もツーリングカーレースで活躍する一方で、スパ・フランコルシャン24時間レース(スパ24時間)やル・マン24時間レースにも参戦[3]。スパ24時間では、参戦初年度の1974年と翌年にクラス優勝を達成。1988年にもクラウス・ルートヴィッヒ、ティエリー・ブーツェンと共にフォード・シエラで参戦し、クラス優勝し、総合でも2位に入る成績だった。ルマンでも1977年にクラス優勝し、1987年からは、マツダスピードより参戦。1989年までの3年間クラス優勝を達成。1991年まで引き続きマツダ・スピードより参戦した。また日本でも全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権や全日本ツーリングカー選手権(JTC)に参戦し、活躍した。
1987年にエッセンベルガーモータースポーツでワークスのフォードチームのために、フォード・シエラ RSコスワースおよびRS500をドライブするため1987年の世界ツーリングカー選手権に参戦。チームメイトは 西ドイツのペアであるクラウス・ルートヴィッヒとクラウス・ニーヅビーズ、そしてイギリス人の スティーブ・ソパーであった。
オーストラリアのカルダーパークレースウェイで選手権の第8ラウンド、ボブジェーンTマーツ500で優勝。NASCARスタイルの「サンダードーム」のハイバンクオーバルはソパーとドライブし、選手権で5位に入る(なお、デュドネとソパーは、オーストラリアでカルダーレースの前週にバサースト1000で優勝したが、違法なホイールアーチの修正で失格となっている)[4]。1988年シーズンはヨーロッパツーリングカー選手権で、再びエッゲンベルガーで3位に。
1989年のイギリスツーリングカー選手権のJQMFエンジニアリングの1ラウンドで、クリス・ホジェッツとフォード・シエラ RS500で参戦[5]。 その同じ年彼はマツダスピードでホジェツとデビッド・ケネディとで1989年のル・マン24時間レースでGTPクラスで優勝。1991年のル・マン24時間レースでは、マツダスピードのC2クラスのマツダ・787で8位に入賞。
また、バザースト1000での走行のためにオーストラリアへ移り、1987年の失格の後、1988年にアンドレア・バグノールと一緒にシエラをドライブするために戻ってきた。バニャルのシエラはアンディ・ロウズの 「キットカー」で デュドネが7位で予選を通過した後、車は過熱状態に陥り、予定された161周のうち9周しか走らなかった。グレッグ・ハンスフォードと一緒にアレン ・モファット・レーシングのためにエッゲンバーガーが作ったシエラを運転するため1989年に戻り、1990年には再びモファットでレースをした「ザデュード」(オーストラリアで知られている)は、両方のチームカーを運転し、ハンスフォードとニーツヴィエッツと共有した車でDNFを記録。自身のキャリア活動にピリオドを打った。[6][7][8]
キャリア戦績
[編集]世界ツーリングカー選手権
[編集]年 | チーム | 使用車両 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1987年 | フォード・テキサコ・レーシング・チーム | フォード・シエラRSコスワース | MNZ DSQ |
JAR 4 |
DIJ 4 |
NÜR Ret |
SPA Ret |
5位 | 193 | ||||||
フォード・シエラ RS500 | BRN 2 |
SIL 13 |
BAT DSQ |
CLD 1 |
WEL 3 |
FSW 5 |
全日本ツーリングカー選手権
[編集]年 | 所属チーム | 使用車両 | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1985年 | ボルボ・240T | DIV.3 | SUG | TSU | NIS | SUZ | FSW 1 |
||||
1987年 | フォード・シエラ RS500 | DIV.3 | NIS | SEN | TSU | SUG | FSW 3 |
SUZ |
アジア太平洋ツーリングカー選手権
[編集]( キー )( 太字はレースのポールポジションを示す)( イタリック体のレースの最速ラップタイムを示しています)
年 | チーム | 使用車両 | 1 | 2 | 3 | 4 | DC | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1988年 | ミーデッケ モータースポーツ | フォード・シエラ RS500 | BAT Ret |
WEL Ret |
PUK 7 |
FJI | NC | 0 |
ル・マン24時間
[編集]年 | チーム | コ・ドライバー | 車両 | クラス | 周回数 | 総合順位 | クラス順位 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1977年 | ルイージ・レーシング | ジャン・ジェンスバル スパルタコ・ディーニ |
BMW・3.0 CSL | IMSA | 294 | 8位 | 1位 |
1980年 | JMS レーシング チャールズ・ポッツィ |
ジャン・ジェンスバル エルヴェ・ルグー |
フェラーリ・512BB LM | IMSA | 312 | 10位 | 3位 |
1981年 | レンノッド レーシング | ジャン・ジェンスバル ジーン・ポール・リベール |
IMSA | 320 | 9位 | 3位 | |
1982年 | プランシング ホース フォーム レーシング | カーソン・ベアード ジーン・ポール・リベール |
IMSA GTX | 322 | 6位 | 3位 | |
1984年 | マツダスピード | 従野孝司 寺田陽次郎 |
マツダ・727C | C2 | 261 | 20位 | 6位 |
1986年 | マツダスピード Co. Ltd. | デビット・ケネディ マーク・ギャルビン |
マツダ・757 | GTP | 137 | DNF | DNF |
1987年 | デビット・ケネディ マーク・ギャルビン |
GTP | 319 | 7位 | 1位 | ||
1988年 | 寺田陽次郎 デビット・ケネディ |
GTP | 337 | 15位 | 1位 | ||
1989年 | デビット・ケネディ クリス・ホジェッツ |
マツダ・767B | GTP | 368 | 7位 | 1位 | |
1990年 | ステファン・ヨハンソン デビット・ケネディ |
マツダ・787 | GTP | 147 | DNF | DNF | |
1991年 | マツダスピード Co. Ltd. オレカ |
従野孝司 寺田陽次郎 |
マツダ・787B | C2 | 346 | 8位 | 8位 |
スパ・フランコルシャン24時間
[編集]年 | チーム | コ・ドライバー | 車両 | クラス | 周回数 | 総合順位 | クラス順位 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1974年 | ルイージ・レーシング | ジャン・ジェンスバル アラン・ペルティエ |
BMW・3.0 CSi | Div.4 | 194 | 1位 | 1位 |
1975年 | ジャン・ジェンスバル フィエラント・ド・ヒューズ |
Div.4 | 300 | 1位 | 1位 | ||
1976年 | ジャン・ジェンスバル マルティーノ・フィノット |
Div.4 | NA | DNF | DNF | ||
1977年 | ルイージ BMW レーシング with カストロール | ジャン・ジェンスバル | BMW・530i US | +2500 | NA | DNF | DNF |
1978年 | ルイージ・レーシング ロット | ジョ・デ・ゲルデール J.P.ウィーレマンス |
+2500 | 281 | 9位 | 7位 | |
1979年 | チーム ウィレメ | ティエリー・ブーツェン フィリップ・ベルヴォエ |
BMW・530i | +2500 | NA | DNF | DNF |
1980年 | ジュマ | エディ・ジューセン ダーク・フェルメールシュ |
+2500 | 425 | 2位 | 2位 | |
1981年 | トム・ウォーキンショー・レーシング | トム・ウォーキンショー | マツダ・RX-7 | -2500 | 456 | 1位 | 1位 |
1982年 | チーム モチュール ジャガー | ジェフ・アラム ピート・ロヴェット |
ジャガー・XJS | Div.3 | (9時間) | DNF | DNF |
1983年 | TWR ジャガー レーシング with モチュール | トム・ウォーキンショー | Div.3 | (11時間) | DNF | DNF | |
1984年 | GTM エンジニアリング | ミシェル・デルコート フィリップ・ベルヴォエ ジャン-マリー・バート |
ボルボ・240T | Div.3 | 422 | 15位 | 15位 |
1985年 | エッゲンバーガー モータースポーツ | カルロ・ロッシ ディディエ・セイス |
Div.3 | 489 | 4位 | 4位 | |
1986年 | ジークフリート・ミュラー Jr. マヌエル・ロイター |
フォード・シエラ XR4Ti | Div.3 | 35 | DNF | DNF | |
1987年 | スティーブ・ソパー フィリップ・ストレイフ |
フォード・シエラ RSコスワース | Div.3 | 322 | DNF | DNF | |
1988年 | クラウス・ルートヴィッヒ ティエリー・ブーツェン |
フォード・シエラ RS500 | Div.3 | 506 | 2位 | 1位 |
セブリング12時間
[編集]年 | チーム | 車両 | チームメイト | 順位 | 理由 |
---|---|---|---|---|---|
1981年 | Z&Wエンタープライズ | マツダ・RX-7 | ピエール・ホネガー ジャン・ポール・リベール |
故障でリタイア | ガソリン切れ |
バサースト1000
[編集]年 | チーム | 共同ドライバー | 使用車両 | クラス | ラップ | Pos. | Class Pos. |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1987年 | フォード テキサコ レーシング チーム | スティーブ・ソパー | フォード・シエラ RS500 | 1 | 161 | DSQ | DSQ |
1988年 | アンドリュー・バグナル | アンドリュー・バグナル | A | 9 | DNF | DNF | |
1989年 | アラン モファット エンタープライズ | グレッグ・ハンスフォード | A | 30 | DNF | DNF | |
1990年 | フランク・ビエラ クラウス・ニーヅビーズ |
1 | 151 | 10位 | 10位 | ||
グレッグ・ハンスフォード クラウス・ニーヅビーズ |
1 | 138 | DNF | DNF |
脚注
[編集]- ^ “www.drivedb.comでの紹介”. www.drivedb.com. 2019年12月18日閲覧。
- ^ “Pierre Dieudonné | Racing career profile | Driver Database”. www.driverdb.com. 2019年12月18日閲覧。
- ^ Mercier, Laurent. “Pierre Dieudonné : « J’ai découvert Le Mans en panneautant une Ferrari à Mulsanne » | endurance-classic France” (フランス語). 2019年12月18日閲覧。
- ^ Normoyle, Steve (1988). The Great Race 7. Hornsby: Chevron Publishing. ISSN 1031-6124
- ^ Official 1989 BTCC standings Archived 30 October 2013 at the Wayback Machine. British Touring Car Championship
- ^ Normoyle, Steve (1989). The Great Race 8. Hornsby: Chevron Publishing. ISSN 1031-6124
- ^ Normoyle, Steve (1990). The Great Race 9. Hornsby: Chevron Publishing. ISSN 1031-6124
- ^ Normoyle, Steve (1991). The Great Race 10. Hornsby: Chevron Publishing. ISSN 1031-6124