紀州藩
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紀州藩(きしゅうはん)は、江戸時代に紀伊国一国と伊勢国の南部(現在の和歌山県と三重県南部)を治めた藩。紀伊藩(きいはん)とも呼ばれる。
版籍奉還後に定められた正式名称は和歌山藩(わかやまはん)。藩庁は和歌山城(和歌山県和歌山市)。藩主は紀州徳川家。紀州家は徳川御三家の一つで、石高は55万5,000石。
藩史
紀伊国は関ヶ原の戦いの後、浅野幸長に与えられ浅野家の治める紀州藩(外様)が成立した。元和5年(1619年)に浅野氏が福島正則改易に伴い安芸国広島藩に移されると、これまで駿府藩主であった徳川家康の10男徳川頼宣が南伊勢を加えて55万5,000石で入封して紀州徳川家の治める紀州藩(親藩)が成立した。
頼宣は浪人を多く召抱え(将軍家に対する対抗心からともいわれるが詳細は不明)、由井正雪との関係を幕府に疑われたこともあった。しかし、頼宣の孫である第5代藩主吉宗が第8代将軍に就任するに及んで、かえって将軍家との関係が極めて密接な藩となった。第13代藩主慶福は第11代将軍徳川家斉の孫でもあったが、第14代将軍家茂となって、紀州藩主から出た2人目の将軍となった。第8代吉宗から第14代家茂までは全て紀州藩の系列になる(第15代慶喜も一橋徳川家の養子から将軍になっているため、家柄上は紀州藩の系列になる)。
廃藩置県により和歌山県になるが、紀伊国の東部と伊勢国の紀州藩領は三重県に編入された。
歴代藩主
桑山家
代 | 氏名 | 院号 | 官位 | 在職期間 | 享年 | 出身家 |
---|---|---|---|---|---|---|
- | 桑山重晴 くわやま しげはる |
- | 従五位下 修理大夫 |
天正14年 - 文禄5年 1586年 - 1596年 |
83 | 桑山家 |
1 | 桑山一晴 くわやま かずはる |
逢春院 | 従五位下 修理大夫 |
文禄5年 - 慶長6年 1596年 - 1601年 |
30 | 桑山家 |
浅野家
代 | 氏名 | 院号 | 官位 | 在職期間 | 享年 | 出身家 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 浅野幸長 あさの よしなが |
清光院 | 従四位下 紀伊守 |
慶長5年 - 慶長18年 1600年 - 1613年 |
38 | 浅野家 |
2 | 浅野長晟 あさの ながあきら |
自得院 | 従四位下 但馬守 |
慶長18年 - 元和5年 1613年 - 1619年 |
48 | 浅野家 |
徳川家(紀州徳川家)
親藩 - 55万5,000石
代 | 氏名 | 院号 | 官位 | 在職期間 | 享年 | 出身家 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 徳川頼宣 とくがわ よりのぶ |
南龍大神 南龍院 |
従二位 権大納言 |
元和5年 - 寛文7年 1619年 - 1667年 |
70 | 徳川家 |
2 | 徳川光貞 とくがわ みつさだ |
清渓院 | 従二位 権大納言 |
寛文7年 - 元禄11年 1667年 - 1698年 |
80 | 紀州徳川家 |
3 | 徳川綱教 とくがわ つなのり |
高林院 | 従三位 権中納言 |
元禄11年 - 宝永2年 1698年 - 1705年 |
41 | 紀州徳川家 |
4 | 徳川頼職 とくがわ よりもと |
深覚院 | 従四位下 左近衛権少将 |
宝永2年(6月 - 9月) 1705年 |
26 | 紀州徳川家 |
5 | 徳川吉宗 とくがわ よしむね |
有徳院 | 従三位 権中納言 |
宝永2年 - 正徳6年 1705年 - 1716年 |
68 | 紀州徳川家 |
6 | 徳川宗直 とくがわ むねなお |
大慧院 | 従二位 権大納言 |
正徳6年 - 宝暦7年 1716年 - 1757年 |
76 | 伊予西条松平家 |
7 | 徳川宗将 とくがわ むねのぶ |
菩提心院 | 従三位 権中納言 |
宝暦7年 - 明和2年 1757年 - 1765年 |
46 | 宗直流 |
8 | 徳川重倫 とくがわ しげのり |
観自在院 | 従三位 権中納言 |
明和2年 - 安永4年 1765年 - 1775年 |
84 | 宗直流 |
9 | 徳川治貞 とくがわ はるさだ |
香嚴院 | 従三位 権中納言 |
安永4年 - 天明9年 1775年 - 1789年 |
62 | 伊予西条松平家 |
10 | 徳川治寶 とくがわ はるとみ |
舜恭院 | 従一位 大納言 |
天明9年 - 文政7年 1789年 - 1824年 |
83 | 宗直流 |
11 | 徳川斉順 とくがわ なりゆき |
顕龍院 | 正二位 権大納言 |
文政7年 - 弘化3年 1824年 - 1846年 |
46 | 清水徳川家 |
12 | 徳川斉彊 とくがわ なりかつ |
憲章院 | 従二位 大納言 |
弘化3年 - 嘉永2年 1846年 - 1849年 |
30 | 清水徳川家 |
13 | 徳川慶福 とくがわ よしとみ |
昭徳院 | 正二位 権大納言 |
嘉永2年 - 安政5年 1849年 - 1858年 |
21 | 斉順流 |
14 | 徳川茂承 とくがわ もちつぐ |
慈承院 | 正三位 権中納言 |
安政5年 - 明治2年 1858年 - 1869年 |
63 | 伊予西条松平家 |
支藩
家老
- 安藤家 - (紀伊田辺城主3万8,000石)幕末期に紀伊田辺藩として独立、維新後男爵
- 水野家 - (紀伊新宮城主3万5,000石)幕末期に紀伊新宮藩として独立、維新後男爵
- 三浦氏 - (紀伊貴志領1万5,000石・藩主外戚)維新後男爵
正木頼忠(藩主・頼宣の外祖父)- 為春-為時-為隆=為恭=為脩-為積-為章-為質=三七-英太郎-修-孝昭
久野宗成-宗晴-宗俊-俊正-俊純-輝純-昌純-純固
- 水野太郎作家 - (7000石、正知の代に1万石格)安藤、水野、三浦、久野に水野太郎作家を加えて五家と称する。
水野正重-義重=重増=忠知=知義-正実=正珍-正純=正清=正知=正義
- 渡辺主水家 - (3000石 恭綱は松平頼純の庶長子)
渡辺恭綱-豊綱=則綱=親綱-載綱=登綱-沿綱-為綱
- 村上与兵衛家 - (3500石)
- 伊達源左衛門家 - (3000石)
- 戸田金左衛門家 - (3200石)
- 加納平次右衛門家 - (4000石)
- 水野多門家 - (3000石)
- 朝比奈惣左衛門家 - (3000石)
- 岡野平太夫家 - (4000石)
支城
別邸など
- 巖出御殿の臨春閣は、慶安2年(1649年)の建築であるが、現在は神奈川県横浜市の三渓園にある。
- 西浜御殿は、文政4年(1821年)に建てられたもので国の名勝に指定されている。
- 田母沢御用邸(栃木県日光市)は、紀州藩江戸上屋敷の一部を移築し、それを核に明治、大正時代に建て増した建物である。
- 和歌山城二の丸御殿は明治18年(1885年)大阪城に移築されたが、昭和22年(1947年)失火により焼失した。
- 和歌山城本丸御殿は取り壊されたが、御台所のみが和歌山市の光恩寺に庫裡として移築された。
幕末の領地
明治維新後に、大和国吉野郡1村(五條代官所管轄の旧幕府領)が加わったほか、一志郡1村(津藩領との相給)、飯野郡1村(津藩領との相給)、度会郡1村(幕府領との相給)の全域を本藩領とした。
関連項目
外部リンク
先代 (紀伊国) |
行政区の変遷 1586年 - 1871年 (紀州藩→和歌山藩) |
次代 和歌山県 |