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文仁親王妃紀子

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
秋篠宮妃から転送)

文仁親王妃 紀子
秋篠宮家
2016年(平成28年)
続柄 川嶋辰彦第1女子

全名 紀子(きこ)
身位 親王妃
敬称 殿下
お印 檜扇菖蒲
出生 (1966-09-11) 1966年9月11日(58歳)
日本の旗 日本静岡県静岡市
恩賜財団済生会静岡済生会総合病院
配偶者 秋篠宮文仁親王
子女 小室眞子(眞子内親王)
佳子内親王
悠仁親王
父親 川嶋辰彦[1]
母親 川嶋和代
栄典 勲一等宝冠章
役職 結核予防会総裁
恩賜財団母子愛育会総裁
大聖寺文化・護友会名誉総裁
日本赤十字社名誉副総裁
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称号:親王妃(皇嗣妃)
敬称 殿下(妃殿下)
Her Imperial Highness the Crown Princess[2]
皇室






文仁親王妃紀子(ふみひとしんのうひ きこ、1966年昭和41年〉9月11日 - )は、日本皇族。旧名は川嶋 紀子(かわしま きこ)。身位親王妃敬称殿下[3]お印檜扇菖蒲(ひおうぎあやめ)。勲等勲一等宝冠章皇室会議予備議員。

第126代・今上天皇(徳仁)の弟宮で皇位継承順位第1位・皇嗣秋篠宮文仁親王

2019年令和元年)5月1日現在、最年少の親王妃である。

来歴

生い立ち

1966年昭和41年)9月11日川嶋辰彦和代夫妻の長女として静岡県静岡市恩賜財団済生会静岡済生会総合病院(当時寬仁親王が総裁)にて誕生。

父がペンシルベニア大学大学院留学したことから、一家で渡米。6歳までアメリカ合衆国ペンシルベニア州で過ごす。1969年(昭和44年)9月、同州フィラデルフィアローズモント大学付属ローズモント・トゥリニティー・スクールに入園。この間に自由学園幼児生活団通信グループを卒園。1970年(昭和45年)9月、同州のセント・メリーキンダーガーデンに入園。1971年(昭和46年)9月、フィラデルフィア市立ヘンリー・C・リーエレメンタリースクール(Henry C. Lea Elementary School)に入学。

1973年(昭和48年)父の辰彦が学習院大学助教授に就任したため一家で帰国し同年6月、静岡市立中田小学校の一年に編入学。同年9月には新宿区戸山へ引っ越し新宿区立早稲田小学校に編入学。1975年(昭和50年)4月には、 豊島区目白の学習院職員寮に引っ越し豊島区立目白小学校三年に編入する。翌1976年(昭和51年)、学習院初等科へ編入。しかし、翌年の1学期を終えた段階で、父がオーストリアウィーン郊外のニーダーエスターライヒ州ラクセンブルクにある国際応用システム分析研究所(International Institute for Applied Systems Analysis、IIASA)の主任研究員に招かれたため、一家で渡墺。約2年間を同地で過ごす。1977年(昭和52年)8月、ウィーンアメリカ・インターナショナル・スクール・オブ・ヴィエンナ(The American International School of Vienna、AIS)六年に編入。英語に磨きをかける一方、ドイツ語も日常会話に困らない程度にまでなった[4]

1979年(昭和54年)9月、日本へ帰国。学習院女子中等科へ編入し、学習院女子高等科に進む。女子高等科時代には、クラスで選ばれて厚生委員を務め、街頭に立ってハンセン病患者をはじめ恵まれない人たちへの募金を呼びかけたり、身体障害者の人たちが作った絵葉書を薦めたりする活動に取り組んだ。

1985年(昭和60年)、学習院大学文学部心理学科へ入学。大学構内の書店で、1年先輩の文仁親王と出会う。以降、サークル活動を通して交際を深めた。1986年(昭和61年)6月26日に、文仁親王から求婚を受けるが即答は避けた。早い段階から宮中にも招かれ、皇太子明仁親王(当時)らとも面会していた。文仁親王が主宰するテニスサークルでは、皇太子明仁親王、美智子妃(当時)も参加してダブルスの試合に興じ、楽しんだという。明仁親王は、「キコちゃん」と気さくに呼びかけたり軽食をすすめたりするなど、ごく自然に一家に溶け込めるよう心配りをしたという[5]

大学では文仁親王との出会いの場となった自然文化研究会のほか、心理研究会、手話サークルに所属。手話は、文化祭で手話劇を観て感動したことをきっかけに始めた。言葉が不自由な学生に付き添って講義を受け、通訳をしたりノートを取ったりもしていた。身障者の車椅子を押したり、自閉症の子どもの面倒を見るなどのボランティア活動も行っている。

また、大学内外の国際交流団体で留学生の世話をしたり、アジア問題など興味を持つ分野の講義を、他大学で聴講したこともあった。

結婚の儀の当日、自宅を出発する際に

婚約内定の報道がなされた際、社内の表記基準に従い新漢字の「川島」と表記した報道機関も存在したが、宮内庁関係者などからの強い要望もあり、戸籍名の「川嶋」に表記を改めた[6]

1989年平成元年)、学習院大学を卒業し同大学院人文科学研究科へ進学、社会心理学を専攻する。同年8月26日、婚約内定が報道される。9月12日に開かれた皇室会議において可決され、同日午後、文仁親王同席の記者会見を行なった。平成改元後初の慶事であり、若々しい二人の結婚は国民から祝福された[7]昭和天皇の喪が明けた1990年(平成2年)1月12日に納采の儀が執り行われ、正式に婚約が成立した。

当時の住居が学習院大学教職員用の共同住宅だったことから、マスコミは「3LDKのプリンセス[8]「一般家庭から誕生した現代のシンデレラ」と彼女を呼んだ。

同年、6月29日に結婚の儀が行なわれ、これに伴い戸籍から消除され、皇族譜に記載される。

秋篠宮妃

1991年(平成3年)10月23日眞子内親王が誕生。1994年(平成6年)12月29日には、佳子内親王誕生。

1994年(平成6年)4月に財団法人結核予防会(現在は公益財団法人結核予防会)の総裁に就任し、結核予防全国大会、結核予防関係婦人団体中央講習会、結核国際研修の研修生との懇談会などに臨席している。2018年(平成30年)10月にはオランダで開催された「第49回肺の健康世界会議」に出席し、国際結核肺疾患予防連合(UNION)から名誉会員称号を授与された。また、2010年(平成22年)10月1日には社会福祉法人恩賜財団母子愛育会の総裁に就任し[9]、愛育班員全国大会などに出席するとともに各地域を訪問し、愛育班員の活動を励ましている。2018年(平成30年)12月には、タイで開催された「第11回母子手帳国際会議」に出席した。さらに、日本赤十字社名誉副総裁として日本赤十字地方大会などの行事に臨席している[10]

2004年(平成16年)からは皇室典範に関する有識者会議により女性・女系天皇容認の議論が進む中、2006年(平成18年)2月7日、紀子妃の懐妊がスクープされる。その後2月25日に宮内庁から懐妊が正式発表された。

同年7月18日、部分前置胎盤による大量出血の危険性を考慮して、皇族としては初となる帝王切開による出産が実施されることが宮内庁より発表された[11]。特に、皇后(現在の上皇后)は紀子妃の身を非常に案じたと言う。8月16日より、東京都港区愛育病院に入院。

9月6日午前8時27分、悠仁親王を出産。身長48.8 cm、体重2558g[12][13]。男子の誕生は夫である秋篠宮文仁親王以来41年ぶり。これによって、当面の男系断絶は回避された。なお、夫妻で「国民の役に立つならば」と臍帯血の提供を申し出ていたことが話題となる。

2014年(平成26年)、メキシコシティにて

2009年8月21日から28日にかけて秋篠宮同妃はベアトリックス女王及びオランダ政府の招待により、オランダを公式訪問した。 夫妻の訪問は日蘭通商400周年の機会を捉えたものであり、滞在中、日蘭通商400周年記念式典へ出席の他、バルケネンデ首相表敬地方視察、(アムステルダムバルネフェルトアッペルドールン)等の日程を精力的にこなした。 日蘭両国は、2008年の「外交関係開設150周年」に続き、2009年は「日蘭通商400周年」と2年にわたって周年を祝しており、各地で周年行事が開催されていた。秋篠宮夫妻のオランダ訪問は種々の周年行事のハイライトとなった。日蘭協会名誉総裁である秋篠宮がオランダを訪問し、ハーグで開催された記念式典に出席し、オランダ王室府から厚遇されたことは、日蘭両国の友好関係を再確認し、一層増進することとなった[14]

2009年日本学術振興会が、出産育児で研究を中断させた女性の研究員を研究現場に復職させるために設けた制度を適用し、「名誉特別研究員」となって研究活動を再開する。お茶の水女子大学が紀子妃の受け入れ先となり、公務の合間を縫って研究室に通い、そのつど、専門の教授らを招き、健康心理学の観点から結核にかかわる意識と行動についての研究を進めた。

2010年からは結核予防婦人会のメンバーや女子大生ら計約千人に結核予防に関する意識調査を実施し、心理学的な手法で分析して論文にまとめた。

2013年、お茶の水女子大学に論文を提出し、3月、論文博士人文科学)の学位が大学から授与された[15]

皇嗣妃

2019年令和元年)5月1日徳仁の即位に伴い、夫の文仁親王は皇嗣となり、自身は皇嗣妃となった。政府方針による呼称は皇嗣妃殿下(こうしひでんか)。宮内庁による正式呼称は秋篠宮皇嗣妃殿下[16][17]となった。天皇の退位等に関する皇室典範特例法第5条の規定により、皇嗣妃となった2019年令和元年)5月1日以降、皇太子妃と同等の待遇とされている(国外への対外的な呼称は皇太子妃と同等のCrown Princess Kiko[18])。 同年10月22日に行われた今上天皇の即位礼正殿の儀では、皇太子妃と同等の装束で参列した。1990年平成2年)に行われた即位礼正殿の儀では、皇太子徳仁親王(現天皇)が未婚であったため、戦後初めて、皇太子妃待遇の皇族が即位礼正殿の儀に参列することとなった。

年譜

2009年(平成21年)

子女

秋篠宮文仁親王との間には、3子がいる。第125代天皇明仁の皇孫にあたる。

および身位 読み 生年月日と年齢 続柄 備考
眞子内親王 まこ 平成03年(1991年10月23日(33歳) 第1女子 皇籍離脱後、小室眞子となる。
佳子内親王 かこ 平成06年(1994年12月29日(29歳) 第2女子
悠仁親王 ひさひと 平成18年(2006年09月06日(18歳) 第1男子

栄典・称号

勲章

日本

国外

役職等

逸話

  • 本籍地は川嶋家父祖の地である和歌山県和歌山市だった。
  • 「紀子」という名前は、和歌山県の旧国名紀伊国に由来するという説と、父方の祖母・紀子(いとこ)に顔立ちが似ていたからという説がある[32]
  • 成婚を記念する番組内で、「平成のシンデレラ 紀子さま物語(制作スタジオコメット。1990年〈平成2年〉6月29日フジテレビ系特番)」というアニメが放送された。川嶋紀子と礼宮文仁親王の出会いと苦悩を描いた作品で、紀子の声優は歌手の石川秀美が、文仁親王は同局アナウンサー笠井信輔が担当した。皇室に関するアニメは極めて珍しい。
  • 結婚に際し、ナマズをあしらった婚約指輪を文仁親王に贈った[33]
  • 滞米中の4歳頃からピアノを習い始める。その後、高校3年生まで個人レッスンを続けている。
  • 楽器はピアノの他にチターの演奏が出来る。天皇一家は各自演奏の出来る楽器を持ち寄り合奏を楽しむことがあり、時々、皇室ニュースにも取り上げられることがある。ピアノは美智子皇后が得意とする楽器であり、合奏の際には皇后と同じ楽器ではなく別の楽器で参加を、との考えから、以前より興味のあったチターを内藤敏子に師事し本格的に習い始めた(実母もチターを習っている)。今では趣味のひとつに挙げている。眞子内親王出産後にはウィーン民謡を弾き語りしたことも報じられた[34]
  • 学生時代より手話を習っており、手話を行いながらの演説や、外国訪問の際には現地語の手話を披露している。
  • 5歳の時に乗馬を習い始める。ウィーン滞在中には、郊外にある乗馬訓練学校でキャンプ生活も体験している。
  • スキーオーストリア仕込みで、高校2年生の時のスキー教室では学年でただ一人の上級コースを滑る腕前。高校3年生の時は学年で2番の成績であった。
  • 中学一年の時に、硬式テニスを自宅近くのテニススクールで習い始め、学習院女子高等科時代には院内ダブルス戦で優勝を果たしている。
  • 学生時代の愛読書は、神谷美恵子の『こころの旅』。また絵本児童書への関心を示し、海外の絵本などの翻訳構成を手がけている。
  • 宮中儀礼の指導役は、上皇后美智子と同じく、岩国藩吉川氏末裔で宮内庁官僚吉川重国
  • 皇嗣妃としてのお立場や責任を強く自覚され、必要な場合には宮内庁職員や皇嗣職に対して直接に「お叱り」や「ご指導」を授けられることもあるとされる[35]
  • 日ごろから質素倹約に努められ、家庭菜園で育てた大根の葉をご自身で油で炒められて悠仁親王の弁当に持たせられることもあるとされる[36]

家系

紀子 父:
川嶋辰彦
祖父:
川嶋孝彦
祖母:
川嶋紀子
母:
川嶋和代
祖父:
杉本嘉助
祖母:
杉本栄子
 
 
 
 
 
 
 
 
歴代天皇
 
歴代皇后
 
親王
 
内親王女王
 
臣籍降下
 
 
 
 
大正天皇(明治天皇の子)
 
貞明皇后(大正天皇の妻)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
昭和天皇(大正天皇の子)
 
香淳皇后(昭和天皇の妻)
 
秩父宮雍仁親王(大正天皇の子)
 
雍仁親王妃
勢津子
(秩父宮雍仁親王の妻)
 
高松宮宣仁親王(大正天皇の子)
 
宣仁親王妃
喜久子
(高松宮宣仁親王の妻)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
三笠宮崇仁親王(大正天皇の子)
 
崇仁親王妃
百合子
(三笠宮崇仁親王の妻)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
東久邇成子
(照宮)
(昭和天皇の子、臣籍降下)
 
久宮祐子内親王(昭和天皇の子)
 
鷹司和子
(孝宮)
(昭和天皇の子、臣籍降下)
 
池田厚子
(順宮)
(昭和天皇の子、臣籍降下)
 
上皇
明仁
(昭和天皇の子)
 
上皇后
美智子
(上皇明仁の妻)
 
常陸宮正仁親王(昭和天皇の子)
 
正仁親王妃
華子
(常陸宮正仁親王の妻)
 
島津貴子
(清宮)
(昭和天皇の子、臣籍降下)
 
近衞甯子(三笠宮崇仁親王の子、臣籍降下)
 
寬仁親王(三笠宮崇仁親王の子)
 
寬仁親王妃
信子
(寬仁親王の妻)
 
桂宮
宜仁親王
(三笠宮崇仁親王の子)
 
千容子(三笠宮崇仁親王の子、臣籍降下)
 
高円宮憲仁親王(三笠宮崇仁親王の子)
 
憲仁親王妃
久子
(高円宮憲仁親王の妻)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
天皇
徳仁
(明仁の子)
 
皇后
雅子
 
皇嗣秋篠宮文仁親王(明仁の子)
 
皇嗣妃文仁親王妃紀子(秋篠宮文仁親王の妻)
 
黒田清子
(紀宮)
(明仁の子、臣籍降下)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
彬子女王(寬仁親王の子)
 
瑶子女王(寬仁親王の子)
 
 
 
 
 
承子女王(高円宮憲仁親王の子)
 
千家典子(高円宮憲仁親王の子、臣籍降下)
 
守谷絢子(高円宮憲仁親王の子、臣籍降下)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
敬宮愛子内親王(徳仁の子)
 
 
 
小室眞子(秋篠宮文仁親王の子)
 
佳子内親王(秋篠宮文仁親王の子)
 
悠仁親王(秋篠宮文仁親王の子)
悠仁親王の系譜
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
16. 123代天皇
大正天皇
 
 
 
 
 
 
 
8. 124代天皇
昭和天皇
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
17. 九条節子
 
 
 
 
 
 
 
4. 125代天皇
明仁
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
18. 久邇宮邦彦王
 
 
 
 
 
 
 
9. 久邇宮良子女王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
19. 島津俔子
 
 
 
 
 
 
 
2. 秋篠宮文仁親王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
20. 正田貞一郎
 
 
 
 
 
 
 
10. 正田英三郎
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
21. 正田きぬ
 
 
 
 
 
 
 
5. 上皇后美智子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
22. 副島綱雄
 
 
 
 
 
 
 
11. 正田富美子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
23. 副島アヤ
 
 
 
 
 
 
 
1. 悠仁親王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
24. 松浦力松 (庄一郎)
 
 
 
 
 
 
 
12. 川嶋孝彦
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
25. 川嶋志ま
 
 
 
 
 
 
 
6. 川嶋辰彦
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
26. 池上四郎
 
 
 
 
 
 
 
13. 川嶋紀子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
27. 池上浜
小菅智淵四女)
 
 
 
 
 
 
 
3. 川嶋紀子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
28. 杉本吉三郎
 
 
 
 
 
 
 
14. 杉本嘉助
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
7. 杉本和代
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
30. 服部俊太郎
平野平左衛門二男)
 
 
 
 
 
 
 
15. 服部栄子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
31. 平野みよ
 
 
 
 
 
 


訳書

ちきゅうのなかまたちシリーズ
ビッキー・イーガン著、ダニエラ・デ・ルカ画)新樹社
秋篠宮紀子として、絵本を翻訳した。
  • 『ビーバーのベン』2007年、ISBN 4787585711
  • 『オオカミのエリック』2007年、ISBN 478758572X
  • 『ゾウのソフィ』2008年、ISBN 4787585762
  • 『アリクイのオーレ』2008年、ISBN 4787585797
  • 『トラのテレサ』2008年、ISBN 4787585827

備考

政府による正式表記(内閣告示や宮内庁告示など)では皇族に宮号が冠されることはない(「皇太子」を除く)ため、それらの告示が掲載される官報での表記は「文仁親王妃紀子」、「皇嗣妃紀子」[37]とされる。ただし、同じ政府による表記であっても、ホームページなど「国民一般へのわかりやすさ」が重視される場面では「秋篠宮妃」の表記も用いられる。マスコミ等では「紀子さま」と、表現されている。

2019年令和元年)5月1日、第126代天皇徳仁の即位に伴い、秋篠宮文仁親王皇嗣になったことにより、皇嗣妃(こうしひ)と呼ばれることもある[38]

宮内庁による呼称は秋篠宮皇嗣妃殿下[39][40]

脚注

  1. ^ 紀子さまの父、川嶋辰彦さんが入院”. 産経ニュース (2021年10月20日). 2021年10月20日閲覧。
  2. ^ 宮内庁公式サイト 英語版
  3. ^ 皇室典範第二十三条第二項「前項の皇族以外の皇族の敬称は、殿下とする。」
  4. ^ 読売新聞 1989年8月26日
  5. ^ 産経新聞 1989年8月27日
  6. ^ 静岡新聞 1989年8月27日
  7. ^ 讀賣新聞1989年8月27日 社説「皇室にとっては久しぶりの慶事である。心からお祝いを申し上げたい」
  8. ^ 川嶋辰彦さん死去 紀子さまの実父 先月入院、小室眞子さんもお見舞いに”. 日刊スポーツ (2021年11月4日). 2021年11月4日閲覧。
  9. ^ a b 愛育会総裁に紀子さま”. 日本経済新聞 (2010年10月1日). 2022年3月22日閲覧。
  10. ^ 秋篠宮家のご活動(宮内庁公式サイト)”. 2020年7月3日閲覧。
  11. ^ “紀子さま、出産早まる可能性 「部分前置胎盤」で帝王切開の見通し”. 読売新聞. (2006年7月19日). オリジナルの2009年3月12日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20090312025101/http://www.yomiuri.co.jp/feature/impr/0609article/fe_im_06071901.htm 2013年10月18日閲覧。 
  12. ^ 部分前置胎盤の場合、胎盤の位置によっては通常分娩できることもあるが、本ケースの場合は全前置胎盤に近い状態であったため、主治医の中林正雄ら医師団は「自然分娩はリスクが大きいと判断した」と報道されている
  13. ^ “前置胎盤、実は重い状態…万全を期した医師チーム”. 読売新聞. (2006年9月7日). オリジナルの2008年2月16日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20080216164221/http://www.yomiuri.co.jp/feature/fe6800/news/20060907i101.htm 2013年10月18日閲覧。 
  14. ^ 秋篠宮同妃両殿下のオランダ御訪問 https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/netherlands/visit/0909_ad.html
  15. ^ お茶の水女子大学論文博士(人文科学)、乙第325号,2013-03-22授与
  16. ^ 正式呼称は「秋篠宮皇嗣殿下」=宮内庁”. 時事ドットコム (2019年3月11日). 2019年8月22日閲覧。
  17. ^ 秋篠宮さま正式呼称、5月から「秋篠宮皇嗣殿下」に”. 読売新聞オンライン (2019年3月11日). 2019年8月22日閲覧。
  18. ^ ご称号とお代替わりの基本用語”. 宮内庁 (2019年4月10日). 2019年9月10日閲覧。
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外部リンク