女王

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女王(じょおう、ラテン語:regina、フランス語:reine、英語:queen、ドイツ語:Königin)は、一般に「」のうち女性であるもの、または男性の「王」に相当する女性の地位。

「王」は、君主の一般的な称号として用いられるほか皇族や諸侯の称号として、あるいは転じて第一人者の意味で用いられるが、これは「女王」についても同様である。ここでは、君主としての女王の意味のほか、その派生的用法について記述する。

概要[編集]

以下、ヨーロッパ諸言語の一般例として英語を用いる。
エリザベス・ボーズ・ライアンは「クイーン・エリザベス・クイーンマザー」と呼ばれたが、ここでの2つの「クイーン」は「ジョージ6世王妃(クイーン)及び女王(クイーン)エリザベス2世の生母のエリザベス」と意味で異なる。

日本語においては、君主として自ら王位を有する女王(queen regnant)は、男王の配偶者である王妃(queen consort)とは言葉の上で完全に区別される。また、王位ではなく帝位を有する女帝(empress regnant:これも皇后(empress consort)とは区別される)とも区別される。ただし、原語で女王と王妃を区別せず、単にクイーン(queen)とされている場合に、本来は「王妃」であっても「女王」と訳されることもある。

女王の配偶者は王配(prince consort, king consort)と呼ばれることがある。

女性の国王が可の国[編集]

男女で優先順位をつけない国[編集]

「女王」の読み[編集]

「女王」は「じょおう」と読まれる例が多くみられるが、NHK等の放送では「じょおう」が用いられている。これは、同じく漢字にはない長音を付加する例として「夫婦」(ふふ)、「詩歌」(しか)といった読み方が江戸時代以前からなされてきたことに対し、「女王」を「じょうおう」と読む例は比較的最近に発生したと思われるため伝統的な読み方である「じょおう」を採用している、とNHK放送文化研究所は主張している[1]

日本の皇族においての女王[編集]

日本の皇族の女王は皇室典範で定める天皇からみて嫡男系嫡出で三親等以遠の者の皇族女子を指す。日本の歴史における君主としての女王は女性天皇を参照。

現在[編集]

現在在位する女王[編集]

  • 在位年順
生年 在位年 続柄
エリザベス2世
Elizabeth II
Queen Elizabeth II March 2015.jpg 1926年4月21日
(91歳)
イギリスの旗イギリス
 Personal flag of Queen Elizabeth II.svg 英連邦王国
1952年2月6日
(65年間)
ジョージ6世第1子
マルグレーテ2世
Margrethe II
Drottning Margrethe av Danmark.jpg 1940年4月16日
(77歳)
デンマークの旗デンマーク 1972年1月14日
(45年間)
フレゼリク9世第1子

女性王族で君主の継嗣、またはそれに次ぐ人物[編集]

以下の人物は、各国における君主位の継承権第1位から第2位の地位にある女性王族である。

  • 法定推定相続人とは将来にわたり当人より上位の継承権を持つ人物が生まれる可能性がない継承権第1位の人物
  • 推定相続人とは上位の継承権を持つ人物が生まれて順位が変わる可能性がある継承権第1位の人物。
生年 年齢 配偶者
ヴィクトリア 1977年7月14日 39歳 スウェーデンの旗スウェーデン 法定推定相続人 ダニエル
エリザベート 2001年10月25日 15歳 ベルギーの旗ベルギー 法定推定相続人 -
カタリナ=アマリア 2003年12月7日 13歳 オランダの旗オランダ 法定推定相続人 -
レオノール 2005年10月31日 11歳 スペインの旗スペイン 推定相続人 -
イングリッド 2004年1月21日 13歳 ノルウェーの旗ノルウェー 継承権2位(次の次の王に確定) -
エステル 2012年2月23日 5歳 スウェーデンの旗 スウェーデン 継承権2位(次の次の王に確定) -

歴史[編集]

2014年現在、2人いる女性君主の一人、エリザベス2世(在位1952年 - )。イギリスを含む16カ国の国家元首であり、在位期間は2012年で60年を迎えた。
2014年現在、2人いる女性君主の一人、デンマークマルグレーテ2世(在位1972年 - )。デンマークの歴史上2人目の女王である。

以下では女王だけでなく、女性君主全般についても言及する。

近代以前には男性を中心とし、かつ君主に実質的な統治権力が与えられる社会が多く見られたが、こういった社会においてはその帰結として女性が君主となることは少なかった。

伝えられる中で最も古い女王としては、旧約聖書に出てくるシバの女王がいるが、伝説の域を出ていない。

古代のプトレマイオス朝エジプトでは、男王との共同統治という形でクレオパトラなどの女王が現れた。古代エジプトでは王位継承権を、王室の王女が持つことが多く(王子が持つこともあった)、この王女と結婚した王室の男性がファラオ(王)になるという慣習があった。この慣習の後、プトレマイオス朝では、代々男王と女王の共同統治が続くことになった。一方、力を持ち単独で支配した女性のファラオ第18王朝ハトシェプストがいるのみである。他にはセベクネフェルなどの単独の女王もいた。

古代の日本においては、邪馬台国の女王として卑弥呼が知られるが、実権は弟が握っていたとも見られ、実態は明らかでない。飛鳥時代から奈良時代、また江戸時代には女性天皇が存在したが、これについては当該項目を参照。

新羅では7世紀に善徳女王など3人の女王が即位した。中国では女性君主も女系継承という考え方もなく、母后として実権を振るった女性は多いが、女帝として即位したのは武則天が唯一であった。

東ローマ帝国(ビザンツ帝国)では8世紀にエイレーネーが女帝となったが、西ヨーロッパはこれに反発し、カール大帝を西ローマ皇帝とした。東ローマ帝国では以後もテオドラゾエエウドキア・マクレンボリティサなど女帝が誕生する。

ヴィクトリア女王は19世紀にイギリスの王位を継承した。在位63年。一方、女子相続を認めないサリカ法によって、ジョージ1世以来同君連合を組んできたドイツのハノーファー王国の王位を継承することはできなかった。

一方、西ヨーロッパにおいては、ゲルマン法系のサリカ法典が女性による土地の相続を禁止しており、これが女性の王位継承を禁じていると解釈されたため、その影響下にある地域(フランスドイツ諸邦など)においては女王は原則として存在しなかった。しかし、他の地域では女性君主が存在することがあった。

12世紀エルサレム王国では、国王ボードゥアン2世の娘メリザンドがアンジュー伯フルク5世を婿に迎え、共同国王とした。

12世紀のイングランドでは、ヘンリー1世の死後、唯一の嫡子である娘マティルダが王位を主張した。上述のメリザンドは既に即位しており、その夫フルクはモードの夫アンジュー伯ジョフロワ4世の父に当たるため、イングランドでも同様の即位は可能と考えたと思われる。しかし、一時期「イングランド人の女主人」を称し事実上の女王となったが、正式の即位は果たせず、息子ヘンリー2世が王位を継ぐことになる。

13世紀スコットランドでは、3歳の幼君マーガレットが女王となるが、父であるノルウェーエイリーク2世の下で養育される、完全に名目だけの君主だった。しかも7歳の時、スコットランドへ渡り着くやいなや死去している。

14世紀の終わりに、デンマーク王女マルグレーテが同国の事実上の君主として辣腕を振るい、デンマークノルウェースウェーデンの北欧三国を支配した(カルマル同盟)が、正式な女王の位にはついていない。しかし君主並みの権力を擁していたため、後年女王として遇され、20世紀に即位したデンマーク女王はマルグレーテ2世と称している。

15世紀イサベル1世カスティーリャ女王となったが、イサベルはカスティーリャにおいては夫のアラゴンフェルナンド2世との共同統治、アラゴンにおいてはフェルナンドの王妃であった。イサベル1世の死にともないフェルナンドもカスティーリャ王位を失い、カスティーリャ王位は2人の娘のフアナ女王が継承したもののその数年後に健康を害した。アラゴンの王位はフェルナンド2世の死後にフアナの長男カルロス1世が継承した。両王位が形式上も1人の君主のものとして統合されるのは、フアナの死後のことである。

16世紀にスコットランドでは、メアリー女王が生後わずか数日で即位するが、5歳でフランスに渡り、その後フランソワ2世の王妃となった。フランソワ2世が早世したため18歳でスコットランドに帰国するが、24歳で退位している。その間、スコットランド国内は貴族が支配し、メアリーに君主としての実権はほとんどなかった。

16世紀のイングランドではエドワード6世の死でテューダー家の男子が絶え、ジェーン・グレイメアリー1世エリザベス1世と女王が続いた。ジェーンは完全な傀儡であり、しかも即位自体を認めない場合もある。メアリーも夫のスペイン王フェリペ2世に政治的干渉を受けていたため、実権を持つ単独の女王はエリザベスが初めてであるという見方もある。エリザベス1世は25歳で即位、45年在位してイギリス海洋帝国の基礎を築いた。

17世紀スウェーデンでは、グスタフ2世アドルフの戦死後、6歳の娘クリスティーナが女王になった。従兄のカール10世と継承争いが起こってもおかしくない状況であったが、クリスティーナがカールと婚約することですんなりと決まった。しかし、クリスティーナは決められた結婚と不自由な女王の座を嫌い、28歳で王位をカール10世に譲り、ローマに移住して気ままな人生を送った。スウェーデンではまた、18世紀初頭にカール12世の後を襲い、ウルリカ・エレオノーラが女王に戴冠している。しかし王権が著しく制限されたことへの不満から、わずか2年で夫フレドリク1世に譲位した。

スウェーデン王女ヴィクトリア(左)と第一子エステル王女(中央)と王配ダニエル王子(右)。ヴィクトリアは、同国国王カール16世グスタフの第一子であるが、1980年の王位継承法改正によって弟カール・フィリップに代わり王位継承者となった。即位すればスウェーデン史上3人目の女王になる。またエステル王女は出生時から推定相続人であり、スウェーデンは女王が2代続くことになる。

18世紀には、女性による継承が禁じられていたハプスブルク家において相続問題が生じたものの、プラグマティッシェ・ザンクツィオン国事勅書)によりマリア・テレジアが家督を相続した。これを巡ってオーストリア継承戦争が勃発する。ハプスブルク家が事実上世襲化していた神聖ローマ皇帝位は、一時バイエルンヴィッテルスバッハ家に奪われた後、マリア・テレジアの夫フランツ1世が継承した。マリア・テレジア自身は神聖ローマ帝国においてはフランツ1世の皇后という立場だったが、ハプスブルク家領(ハプスブルク君主国)においてはオーストリア大公ハンガリー女王、ボヘミア女王などの君主位に就いており、自らが君主として君臨した。

18世紀のロシア帝国では、エカチェリーナ1世女帝となって以降、4人の女帝が現れた。重臣たちの傀儡が多かったが、エカチェリーナ2世は実権を振るい、ロシアの黄金期を造りあげた。

スペイン・ブルボン朝は創始時にはサリカ法を導入していたが、19世紀フェルナンド7世がこれを廃し、娘のイサベル2世が即位している。

現代のヨーロッパの王室では、スウェーデンやイギリス、オランダ、ベルギーのように後継者問題や女性の地位向上などに伴い、「男子優先主義」を廃して性別を問わず第一子を後継者とする「第一子主義」への転換を行った国が多く現れている。


イギリス[編集]

マティルダ
イングランド国主 1141−1147年
イングランドヘンリー1世の子。スコットランドマルカム3世の孫。ヘンリー2世の母。
イギリス初の女性君主。彼女の従兄であるブロワ伯家スティーブンとの間で王位を争い「無政府時代」となった。結果的に、スティーブンと妥協して、彼の生涯にわたってその王位を認めるかわりに、マティルダの息子アンリがイングランド王位継承者となることを認めさせた。
マーガレット
スコットランド女王 1286−1290年
ノルウェーエイリーク2世の子。スコットランド王アレグザンダー3世の孫。
祖父アレグザンダー3世が44歳で嗣子のないまま急死。わずか3歳のスコットランド初の女王が誕生。しかしマーガレットはノルウェーの王宮にとどまったままだった。結婚のためスコットランドに船で渡る最中極度の船酔いでわずか7歳で亡くなった。
メアリー
スコットランド女王 1542−1567年
ジェームズ5世の子。イングランド・スコットランド・アイルランドジェームズ1世(6世)の母。
父ジェームズ5世が30歳で急死。長男と次男が早世していたため、生後わずか6日で王位を継承した。
ジェーン・グレイ
イングランド・アイルランド女王 1553年
ヘンリー8世大姪
ウォリック伯ジョン・ダドリー息子と結婚させられ王位継承のライバルとなるヘンリー8世の子メアリーカトリックであることを利用し、プロテスタントである病床のエドワード6世を説き伏せ、ジェーンを即位させることを指示する勅令を得て即位した。
メアリー1世
イングランド・アイルランド女王 1553−1558年
ヘンリー8世の子。カスティーリャ女王イサベル1世アラゴンフェルナンド2世の孫。エリザベス1世の異母妹。エドワード6世の異母姉。
初めは「プリンセス・オブ・ウェールズ」の称号を与えられるものの、母キャサリンが婚姻無効とされ世継ぎの地位と王女の身位までももが剥奪されて庶子とされた(第一継承法)。さらに継母アンによって侍女の身分におとしめ、自身の叔母の監視の下、幽閉状態に置いた。父ヘンリー8世の和解条件はヘンリー8世がイングランド国教会の長であること、そして両親の結婚が無効であることを認めることであり、メアリーは渋々之を承諾。メアリーは宮廷に戻り、かつて王女として持っていた財産と侍女らも戻され、ボーリュー城などが住居として与えられた。
ヘンリー8世は晩年エドワード(メアリーの異母弟)がまだ幼くひ弱な体質であることを危惧して、1543年に王位継承法を改正しメアリーとエリザベス(メアリーの異母妹)にエドワードに次ぐ王位継承権を与えた(第三継承法)。エドワード6世は即位から6年後には、もう回復の見込みがないほど病床に伏す身となっており後継にはジェーン・グレイを指名した。エドワード6世が15歳で夭折すると、ジェーンの王位継承が公に宣言されたが、一方のメアリーも13日にノリッジで即位を宣言した。メアリーのもとには支持者が続々と集結し、民衆蜂起となってロンドンに進軍した。枢密院も一転メアリー支持を表明、ロンドンに入ったメアリーは改めて即位を宣言した。民衆がこのように蜂起したのは、ジェーンがノーサンバランド公ジョン・ダドリーの傀儡になることを危惧したためといわれている。
エリザベス1世
イングランド・アイルランド女王 1558−1603年 
ヘンリー8世の子。メアリー1世エドワード6世の異母姉。
王女として生まれるも母が処刑され庶子とされる(第二継承法)。異母弟エドワード6世の知世では王位継承権を無効とされる。のち第三継承法嫡子に戻るも異母姉メアリー1世の治世ではプロテスタントの反乱を計画したと疑われて1年近く投獄される。メアリー1世の死去後王位を継承。
メアリー2世
イングランド・スコットランド・アイルランド共同統治女王 1689−1694年
ジェームズ2世の子。
名誉革命により夫のオランダ総督ウィリアム3世とともに即位。
アン
イングランド・スコットランド・アイルランド女王 1702−1714年、最初のグレートブリテン王国君主
ジェームズ2世の子。メアリー2世の妹。
姉夫婦であるウィリアム3世メアリー2世に子ができなかったため即位。
ヴィクトリア
イギリスハノーヴァー朝の第6代女王(在位:1837年6月20日 - 1901年1月22日)、初代インド女帝(在位:1877年1月1日 - 1901年1月22日
ハノーヴァー朝第3代国王ジョージ3世の孫。エドワード7世ドイツ皇后ヴィクトリア、 ヘッセン大公アリスの母。
3人の伯父たちが嫡出子を残さなかったため、第4王子の子であるヴィクトリアが18歳で即位。
エリザベス2世
グレートブリテン及び北アイルランド連合王国(イギリス)を含む、16か国の主権国家イギリス連邦王国)の君主 1952年−
ジョージ6世の子。
エドワード8世が「王冠を賭けた恋」で退位したため、エドワードの弟でエリザベスの父のジョージに王位継承が回ってくる。父の死後即位。


オランダ[編集]

ウィルヘルミナ
在位:1890−1948年
ウィレム3世の長女。
ウィレム3世には3人の王子がいたが、次男は幼くして夭折。さらにウィルヘルミナの誕生の前年に、長男オラニエ公ウィレム王子が39歳で逝去し、三男のアレクサンダー王子がオラニエ公(王太子)となっていた。しかし、1884年にアレクサンダー王子も病死し、兄たちには嗣子がいなかったため、ウィルヘルミナ王女が4歳にして王位継承者となった。父が崩御後当時、まだ10歳で即位。
ユリアナ
在位:1948−1980年、メクレンブルク公女
ウィルヘルミナ女王の子。メクレンブルク=シュヴェリーン大公国フリードリヒ・フランツ2世の孫。
母の譲位で即位。
ベアトリクス
在位:1980年−2013年
ユリアナ女王の長女。リッペ侯国最後の君主レオポルト4世の大姪。
母の譲位を受け即位。

その他主な女王[編集]

古代エジプト
新羅
スペイン
ポルトガル
スウェーデン
ポーランド
  • ヤドヴィガ(在位:1384年 - 1399年)
  • アンナ(在位:1575年 - 1586年)
    • この2人はいずれも男王と同じ(「王妃」とは完全に区別される)称号を用いている。
シチリアナポリ
ハンガリー
グルジア
その他

派生的用法[編集]

女王様[編集]

  • SMの女王様についてはSM嬢、もしくはミストレスを参照。
  • 高飛車な性格の女性を指すこともある。
  • 渋谷などで見かける「ギャル」の小グループの中のリーダーのことをまれに言う。クイーンとも。

脚注[編集]

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参考文献[編集]

関連項目[編集]