「エルパソ (テキサス州)」の版間の差分

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'''エルパソ'''('''El Paso''' {{IPA-en|ɛl ˈpæsoʊ|}}、[[スペイン語]]で「[[峠]]」の意)は、[[アメリカ合衆国]][[テキサス州]]最西端に位置する都市。[[メキシコ]]との[[アメリカ=メキシコ国境|国境]]となっている[[リオ・グランデ川|リオグランデ川]]の北東岸、[[シウダー・フアレス]]の対岸に立地し、市の西と北は[[ニューメキシコ州]]との州境に接する。[[ヒューストン]]と[[ロサンゼルス]]のほぼ中間にあり、そのいずれからも1,100km前後の距離である。また、州都[[オースティン (テキサス州)|オースティン]]や[[ダラス]]・[[フォートワース]]よりも[[アルバカーキ]]や[[フェニックス (アリゾナ州)|フェニックス]]に近く、等時帯も[[山岳部標準時]]/[[山岳部夏時間|夏時間]]に属している。人口は649,121人([[2010年]][[国勢調査]])<ref name="FactFinder">[http://factfinder2.census.gov/main.html American FactFinder]. U.S. Census Bureau. 2011年2月4日.</ref>で、テキサス州ではヒューストン、[[サンアントニオ]]、ダラス、オースティン、フォートワースに次いで第6、全米では第19位である。市の人口の約8割が[[ヒスパニック]]またはラテン系である<ref name="FactFinder" />。エルパソに郡庁を置く[[エルパソ郡 (テキサス州)|エルパソ郡]]、および[[ハズペス郡 (テキサス州)|ハズペス郡]]の2郡にまたがる都市圏は804,123人、ニューメキシコ州[[ラスクルーセス]]、およびニューメキシコ州内の郊外都市を含む広域都市圏は1,013,356人の人口を抱えている(いずれも2010年国勢調査)<ref name="FactFinder" />。
'''エル・パソ'''({{lang-en}}{{lang-es|El Paso}})は、[[アメリカ合衆国]][[テキサス州]]最西端[[エルパソ郡 (テキサス州)|エルパソ郡]]にある都市。同郡の[[郡庁所在地]]である。


この地の歴史は古く、10,000年前には既に、古代の[[ネイティブ・アメリカン]]が住み着き、[[12世紀]]中盤には農耕も行われていたと考えられている。やがて[[16世紀]]に入ると[[スペイン]]人の入植が始まり、[[1680年]]にはスペイン人によってイズレタ伝道所が建てられた。[[南北戦争]]の終結後には、エルパソに相次いで鉄道が開通し、[[鉱業]]をはじめとする産業が発展し、人口が急増した。[[1930年代]]には[[世界恐慌]]の打撃を受けて人口が減少したものの、[[第二次世界大戦]]中およびその後の軍拡、および近隣地域での[[油田]]の発見によって、[[20世紀]]中盤に入ると再び成長した。今日では、エルパソはメキシコとの貿易の一大拠点として、またテキサス州西部およびニューメキシコ州南部の広い範囲にわたる地域の経済・医療・交通・教育・文化の中心地として発展を遂げている。
== 概要 ==


== 歴史 ==
[[メキシコ]]との[[国境]]に接し、メキシコ人が多く移住している。そのため、[[スペイン語]]と[[英語]]が事実上の公用語となっている。近くには[[銀]]や[[銅]]、[[原油]]などの鉱産資源が豊富で、銅精錬所や[[石油精製]]工場の立地が相次いでいる。また、[[食品]]加工のほか、近年は[[電子機器]]、[[電子工学|エレクトロニクス]]関連産業なども集積している。
今日のエルパソ市の北東にあるフエコ・タンクス州立公園・史跡で発掘された、 [[狩猟採集社会]]であった[[フォルサム文化]]の[[尖頭器]]に見られるように、この地にはヨーロッパ人が入植するはるか以前、およそ10,000年前には、人類が住み着いていたと考えられている。[[1150年]]頃には、フエコ・タンクスの水を利用して[[農耕]]が行われ、[[トウモロコシ]]、[[豆]]、[[カボチャ]]等の作物が生産されていた<ref>[https://tpwd.texas.gov/state-parks/hueco-tanks/park_history Hueco Tanks State Park & Historic Site: History]. Texas Parks and Wildlife. 2018年1月5日閲覧.</ref>。やがて[[16世紀]]に[[スペイン帝国|スペイン]]人の入植が始まった頃には、この地には[[マンソ族]]、[[スマ族]]、および[[ジュマノ族]]の[[ネイティブ・アメリカン]]が住み着いていた。やがてこれらの部族は、[[メキシコ]]中央部からの移民たち、[[コマンチェリア]]の捕虜たち、および''genízaro'' と呼ばれた様々な部族の[[奴隷]]たちと共に、[[メスティーソ]]の文化に組み入れられていった。また、「メスカレロアパッチ」と呼ばれる、[[アパッチ族|アパッチ]]の亜族も住み着いていた。


[[File:YsletaMission.JPG|left|thumb|250px|[[1680年]]にスペインによって建てられたイズレタ伝道所]]
また、[[リオ・グランデ川]]を挟んでメキシコの[[シウダー・フアレス]]と隣接するが、そのシウダー・フアレスとは対照的に治安は比較的良好である。


[[1550年]]([[1552年]]という説もある)に[[サカテカス]]で生まれ、[[1598年]]に[[ヌエバ・エスパーニャ]]の探検家として初めて、現在のエルパソ近くで[[リオ・グランデ川|リオグランデ川]]を測量したことで知られるスペイン人探検家[[フアン・デ・オニャーテ]]は<ref>Metz, Leon C. ''El Paso Chronicles: A Record of Historical Events in El Paso, Texas''. El Paso: Mangan Press. 1993年. ISBN 0-930208-32-3.</ref>、[[ピルグリム・ファーザーズ]]のそれよりも数十年早い同年4月30日、この地で[[感謝祭]]の[[ミサ]]を祝った。しかし、[[パンフィロ・デ・ナルバエス]]によるフロリダ遠征の生き残り4名([[アルバル・ヌニェス・カベサ・デ・バカ]]、アロンソ・デル・カスティーリョ・マルドナード、アンドレス・ドランテス・デ・カランサ、および[[エステバニコ]])は、それよりも早く、[[1530年代]]中盤にこの地を通過したとも考えられている<ref>Sumner, Mark. [http://www.dailykos.com/storyonly/2011/1/30/939933/-America,-the-artifact America, the artifact]. ''Daily KOS''. 2011年6月30日. 2018年1月5日閲覧.</ref>。[[1659年]]には、フレイ・ガルシア・デ・サンフランシスコがリオ・ブラボー・デ・ノルテ(リオグランデ川)の南岸にエルパソ・デル・ノルテ(現[[シウダー・フアレス]])を創設した。[[1680年]]、[[プエブロの反乱]]の結果、まだ小さな村であったエルパソに[[サンタフェ・デ・ヌエボ・メヒコ|スペイン領ニューメキシコ]]の臨時首都が置かれた。その後[[1692年]]にスペインが[[サンタフェ (ニューメキシコ州)|サンタフェ]]を再占領すると、ニューメキシコの首都はサンタフェに戻された。しかしその後も、[[1850年協定]]によってニューメキシコがアメリカ合衆国に編入され、この地がテキサス州に編入されるまで、エルパソはニューメキシコ最大の入植地であった。
== 歴史 ==
[[アステカ|アステカ帝国]]を滅ぼした[[スペイン]]の植民地時代の[[1659年]]、「エル・パソ・デル・ノルテ」(El Paso del Norte)という町が[[リオ・グランデ川]]対岸に作られる。(El paso は、スペイン語で「峠」を意味し、del norte は「北の」ということ。)エル・パソの領域は、スペインの植民地を経て[[1810年]]からの[[メキシコ独立革命]]に伴う独立宣言により、[[1821年]]に独立が承認されたメキシコ領土の内部にあった。そして、[[1827年]]に集落が作られた。


この地域におけるアメリカ人の割合が少なく、総人口の1割にも満たなかったため、[[1836年]]に勃発した[[テキサス革命|テキサス独立戦争]]では、エルパソはさほど影響は受けなかった。しかし、戦後に[[テキサス共和国]]がメキシコと交わした条約の一環として、テキサス共和国はこの地域の領有権を主張し、その主張を強化する試みが幾度もなされた。しかし、[[1846年]]にテキサスの統治が決定的になるまで、メキシコとテキサス共和国の間でこの地の統治をめぐる交渉が進められ、エルパソとその周辺はその間、基本的には自治領となっていた。
[[米墨戦争]]終結後の[[1848年]]の[[グアダルーペ・イダルゴ条約]]により、アメリカに編入されることとなり、アメリカ側から入植者が押し寄せた。[[1850年]]3月に「エル・パソ郡」(El Paso County)が創設される。[[1881年]]に鉄道が開通し、発展を遂げる。


1836-[[1848年|48年]]の自治領時代にも、この地へのアメリカ人の入植は続いた。[[1840年代]]中盤には、ランチョ・デ・フアン・マリア・ポンセ・デ・レオン等のスペイン系の入植地が古くから既にあったのに加えて、シメオン・ハートやヒュー・スティーブンソンら、[[アングロ・サクソン人|アングロサクソン]]系の入植者が、テキサスへの忠誠のためにこの地に入植してきた。地元のスペイン系貴族の娘と結婚したスティーブンソンは[[1844年]]、現代のエルパソ市域内では初のアングロサクソン系・スペイン系入植地の核となる、ランチョ・デ・サン・ホセ・デ・ラ・コンコルディアの入植地を創設した。テキサス共和国の開拓に相当な量のサンタフェ交易を要したことを考えれば、[[グアダルーペ・イダルゴ条約]]は、メキシコ側のオールド・エルパソ・デル・ノルテから切り離されたリオグランデ川北岸の入植地を、正式にアメリカ合衆国のものとするのに効果的であった<ref name="elpaso74-75">Timmons, Wilbert H. ''El Paso, A Borderlands History''. pp.74-75. University of Texas at El Paso. 1990年. ISBN 9780874042078.</ref>。やがて1850年協定によって、現代と同じ、エルパソをテキサス側に置くテキサス・ニューメキシコ州境が引かれた。
一方で、メキシコ側に残った「エル・パソ・デル・ノルテ」は、[[1888年]]にメキシコ初代大統領[[ベニート・フアレス]]に因んで「シウダー・フアレス」(Ciudad Juárez)と改名され、現在に至る。

[[File:El Paso Skyline.jpg|thumb|エルパソの全景。]]
[[1850年]]3月、[[エルパソ郡 (テキサス州)|エルパソ郡]]が創設され、その最初の郡庁が[[サンエリザリオ (テキサス州)|サンエリザリオ]]に置かれた。[[アメリカ合衆国上院|連邦上院]]はテキサス・ニューメキシコ州境を[[北緯32度線]]と定めたため、歴史や地形はほとんど考慮されなかった。[[1854年]]には、"The Post opposite El Paso" (エルパソ・デル・ノルテとリオグランデ川を挟んだ対岸、の意)という名の駐屯地が創設された。その西、クーンズ・ランチョに創られた、フランクリンという名の入植地は、後のエルパソ市の核となった。その翌年、開拓者アンソン・ミルズは町の計画を完成させ、エルパソと名付けた。しかし、この頃に創られた入植地を全部合わせても、ほぼ同数ずつのアングロサクソン系とスペイン系から成るその人口は数百人程度に過ぎなかった<ref name="handbook">[https://tshaonline.org/handbook/online/articles/hde01 El Paso, Texas]. ''Handbook of Texas''. Texas State Historical Association. 2018年1月11日閲覧.</ref>。

[[南北戦争]]が開戦すると、この地は[[アメリカ連合国|南軍]]の支配下に置かれた。しかし、[[1862年]]に[[北軍]]のカリフォルニア部隊がこの地を制圧すると、その後[[1864年]]12月に至るまで、この地にカリフォルニア第5志願兵歩兵連隊の本部が置かれた<ref>Orton, Richard H. ''Records of California Men in the War of the Rebellion 1861 to 1867''. p.672. Sacramento: Adjutant General's Office, State of California. 1890年.</ref>。

[[File:El Paso c1880.jpg|left|thumb|300px|エルパソ([[1880年]]頃)]]

南北戦争の終結後、アメリカ人が村に流入し続け、人口は増え始めた。エルパソ自体は[[1873年]]に法人化され、川沿いに発展していた周辺の小さな集落を包含した。やがて[[1881年]]に[[サザン・パシフィック鉄道]]、[[テキサス・アンド・パシフィック鉄道]]、および[[アッチソン・トピカ・アンド・サンタフェ鉄道]]が開通すると人口が一気に急増し、[[1890年]]の国勢調査時には古くからのスペイン系の入植者に加えて、新たに流入したメキシコ系やアングロサクソン系を合わせて10,000人を超えた。立地条件に加えて、新たに荒くれ者も流入したため、エルパソは無法地帯化し、''Six Shooter Capital'' (6人の狙撃者の都)と呼ばれ、暴力的で荒々しい、急成長途上の町として知られるようになった<ref name="handbook"/>。また、売春や賭博がはびこり、その状態は[[第一次世界大戦]]下で[[アメリカ合衆国陸軍省|陸軍省]]が市当局に圧力をかけるようになるまで続いた。こうした圧力と地理的条件から、市はやがて、[[アメリカ合衆国南西部]]における工業、交通、および小売業の中心地として発展するようになっていった。

[[1909年]]、[[ウィリアム・タフト]]と[[ポルフィリオ・ディアス]]は、エルパソとシウダー・フアレスでの首脳会談を計画した。この歴史的な会談はアメリカ・メキシコ両国の大統領による初めての会談であるとともに、アメリカ合衆国大統領が史上初めて国境を越えてメキシコを訪問するというものでもあった<ref>Harris (2009), p.1.</ref>。しかし、両国において緊張が高まり、暗殺予告までなされる事態となったため、[[テキサス・レンジャー]]、アメリカ・メキシコ両国軍4,000人、[[アメリカ合衆国シークレットサービス]]、[[連邦捜査局]]、および警察を全て動員して警護にあたらせた<ref>Harris (2009), p.15.</ref>。この時に警護にあたった者の中には、後に「[[ボーイスカウトアメリカ連盟|スカウティング]]の父」と呼ばれることになる[[フレデリック・ラッセル・バーナム]]もいた。この時のバーナムは、[[イェール大学]]時代からのタフトの親友で、メキシコに多額の投資をしていた[[ジョン・ヘイズ・ハモンド]]に雇われていた<ref>Hampton.</ref><ref>''Daily Mail'', p.7.</ref>。首脳会談当日の10月16日、バーナムおよびテキサス・レンジャーのC・R・ムーアは、小型の[[拳銃]]を隠し持っていた男が行列の進路上に建つエルパソ商業局庁舎前に立っているのを発見し<ref>Harris (2009), p.16.</ref><ref>Hammond, pp.565-566.</ref>、この男をタフトおよびディアスの数フィート手前で捕捉し、武装解除させ、逮捕した<ref>Harris (2009), p.213.</ref><ref>Harris (2004), p.26.</ref>。

[[1910年]]頃には、市の人口の大半はアメリカ人で占められていた。しかし、[[メキシコ革命]]が勃発した後、特に[[1913年|1913]]-[[1915年|15年]]にかけて、聖職者や知識人、実業家など、大量のメキシコ系難民が市に移入してきた。やがて市には、メキシコ系難民の[[中流階級|中間層]]によって、スペイン語の新聞、劇場、映画館や学校が建てられていった。

[[File:El Paso Downtown 1908.jpg|left|thumb|250px|エルパソのダウンタウン([[1908年]])]]

やがて、エルパソへと逃れた大量のメキシコ系[[ディアスポラ]]と共に、メキシコ革命の暴力はエルパソへも及んだ。[[1915年|1915]]、[[1916年|16]]、[[1917年|17年]]と立て続けに、様々なメキシコの革命派集団が、エルパソに住まう、アメリカ人とメキシコ人政敵の両方に対して、暴力的攻撃を計画・実行した。その最中、[[サンディエゴ計画]]の露見による騒乱で、21人の白人市民が殺害された。その後の地元[[民兵]]による報復は暴力に輪をかけ、300人(推定)ものメキシコ人およびメキシコ系アメリカ人が命を落とす事態となった。これら一連の騒乱はリオグランデバレー下流域の住民ほぼ全てに影響を及ぼし、何百万ドルにものぼる損害を出し、その後も長きにわたって、この地のアメリカ人とメキシコ人の間に禍根を残すことになった<ref>[https://www.tshaonline.org/handbook/online/articles/ngp04 Plan of San Diego]. ''Handbook of Texas''. Texas State Historical Association. 2018年1月17日閲覧.</ref>。

同時に、アメリカ人の市への流入も続き、[[1920年]]には[[アメリカ陸軍|陸軍]]の兵も含めた人口は100,000人を超え、再び白人が多数派となった。その一方で、市内におけるメキシコ人とアメリカ人・メキシコ系アメリカ人の人種隔離は進んだ。これに呼応して、[[カトリック教会]]は教育や、全米カトリック福祉基金などの政治・市民団体を通じて、メキシコ系アメリカ人コミュニティの忠誠を集めようとした<ref>Macías-González, Víctor M. ''Mexicans "of the better class": The elite culture and ideology of Porfirian Chihuahua and its influence on the Mexican American generation, 1876–1936''. University of Texas at El Paso. 1995年.</ref>。

この地では次第に鉱業やその他の産業が発展していった。[[1897年]]には[[エルパソ・アンド・ノースイースタン鉄道]]が開業し、周辺地域、特に[[ニューメキシコ準州]]南東部における天然資源の採掘に役立った。[[1920年代|1920]]-[[1930年代|30年代]]には、[[アメリカ合衆国における禁酒法|禁酒法]]時代の酒密造などにより、商業が発達した<ref name="handbook"/>。しかし、軍の解散や農業経済不況、そして続く[[世界恐慌]]により、エルパソの地域経済は大打撃を受け、[[第二次世界大戦]]の終戦まで、エルパソの人口は特に白人が流出して減り続けた。それでも[[1940年代]]まで、エルパソの人口構成においては白人が多数派を占めていた。

第二次世界大戦中から戦後にかけてのこの地における軍拡、およびエルパソの東に広がるパーミアン盆地での[[油田]]の発見により、[[20世紀]]中盤のエルパソは再び急速に経済的発展を遂げていくようになった。[[銅]]の[[製錬]]、[[石油]]の[[石油精製|精製]]や、低賃金の工業(特に被服)の発展によって、市は成長していった。加えて、その多くが白人を占めていた、この地域の周縁部における人口が、エルパソのような都市部に流入し、資本と労働者が短期間で膨れ上がった。しかしそれと同時に、中流階級のアメリカ人は新しい、より高給の職を求めて、国内の他地域へと流出した。そのため、地元産業は安価なメキシコ人労働者を求めて、南へと目を向けた。加えて、ブラセロ・プログラムによって、[[1942年|1942]]-[[1956年|56年]]にかけて、メキシコ人労働者がエルパソの周縁部に流入し、流出した白人の穴を埋めた。やがて、そのメキシコ人労働者たちも、より高給の職を求めてエルパソ市内に流入した。[[1965年]]頃には、ヒスパニック系が人口構成における多数派を占めるようになった。その一方で、第二次世界大戦後の高成長は[[1960年代]]に入ると鈍化したものの、市は周辺地域の編入を繰り返し、またメキシコとの重要な経済関係もあって、成長し続けた。


== 地理 ==
== 地理 ==
[[File:El Paso Skyline.jpg|left|thumb|250px|フランクリン山地を背にしたエルパソのダウンタウン]]
エル・パソは[[アメリカ=メキシコ国境]]および[[ニューメキシコ州]]との州境付近の北緯31度47分25秒、西経106度25分24秒(31.790208, -106.423242){{GR|1}}に位置している。エル・パソの山の頂上は標高7,200フィート(2,200m)に達する。
[[File:ElPaso Merropolitan Area.png|right|thumb|200px|エルパソ都市圏]]


エルパソは{{ウィキ座標度分秒|31|45|35|N|106|29|19|W|}}に位置している。市は[[テキサス州]]最西端に位置し、北と西は[[ニューメキシコ州]]との州境に、また南西は[[メキシコ]]との[[アメリカ=メキシコ国境|国境]]となっている[[リオ・グランデ川|リオグランデ川]]をはさんで[[チワワ州]]に、それぞれ接している。テキサス州の都市ではあるものの、州の5大都市を全て含み、州の人口の約3/4が集中する[[テキサス・トライアングル]]<ref>[http://www.america2050.org/texas_triangle.html Texas Triangle]. ''America 2050''. 2018年1月21日閲覧.</ref>からは西へ遠く離れており、州都[[オースティン (テキサス州)|オースティン]](東南東へ約850km)や[[ダラス]]・[[フォートワース]](東北東へ約900km)よりもニューメキシコ州[[アルバカーキ]](北へ約380km)や[[アリゾナ州]][[フェニックス (アリゾナ州)|フェニックス]](西北西へ約560km)に近く、[[ヒューストン]](東へ1,080km)よりも[[サンディエゴ]](西へ約1,025km)に、また州最東端の[[オレンジ (テキサス州)|オレンジ]](東へ約1,225km)よりも[[ロサンゼルス]](西北西へ約1,130km)に近い。等時帯も州内の他地域が[[中部標準時]]/[[中部夏時間|夏時間]]に属するのに対し、エルパソ都市圏に属する[[エルパソ郡 (テキサス州)|エルパソ]]・[[ハズペス郡 (テキサス州)|ハズペス]]の2郡のみが、ニューメキシコ州と同様に[[山岳部標準時]]/[[山岳部夏時間|夏時間]]に属している。
[[アメリカ合衆国国勢調査局|アメリカ合衆国統計局]]によると、この都市は総面積663.7[[平方キロメートル|km<sup>2</sup>]](256.3[[平方マイル|mi<sup>2</sup>]])である。このうち661.1km<sup>2</sup>(255.3mi<sup>2</sup>)が陸地で2.6km<sup>2</sup>(1.0mi<sup>2</sup>)が水地域である。総面積の0.39%が水地域となっている。


[[アメリカ合衆国国勢調査局]]によると、エルパソ市は総面積663.7km<sup>2</sup>(256.3mi<sup>2</sup>)である。そのうち661.1km<sup>2</sup>(255.3mi<sup>2</sup>)が陸地で2.6km<sup>2</sup>(1.0mi<sup>2</sup>)が水域である。総面積の0.39%が水域となっている。市域は[[ベイスン・アンド・レンジ]]最東部の[[チワワ砂漠]]北部、リオグランデ川の北東岸に広がっている。市域を二分するようにフランクリン山地が連なり、ダウンタウンはその最南端に発展している。ダウンタウンの標高は1,135m、フランクリン山地の最高峰であり、市の最高点でもあるノースフランクリン山は標高2,192mである。
== 気候 ==

[[ケッペンの気候区分]]では[[砂漠気候]](BWh)に属する。年間を通して気温差が大きく、年間降水量は250mm程度と少ない。夏季は暑く多少の湿度があり、7月から9月にかけて降水量が集中する。一方、冬季は穏やかな寒さで乾燥した気候である。
エルパソ・ハズペス両郡をあわせた都市圏の面積は14,463km<sup>2</sup>(5,584mi<sup>2</sup>)である。エルパソ都市圏の郊外都市は、エルパソ市域南東端からリオグランデ川に沿って、ハズペス郡西端のフォートハンコックまで連なっている。なお、ニューメキシコ州[[ドニャアナ郡 (ニューメキシコ州)|ドニャアナ郡]]内にも、[[サンランドパーク]]やアンソニーなど、エルパソの北や西に隣接する郊外都市がいくつか形成されているが、これらは実態としてはエルパソの郊外都市ではあるものの、定義上はエルパソの北北西約70kmに位置するニューメキシコ州[[ラスクルーセス]]の都市圏に入っている。ラスクルーセス都市圏は、エルパソ都市圏とあわせてエルパソ・ラスクルーセス広域都市圏と定義されている<ref>[https://obamawhitehouse.archives.gov/sites/default/files/omb/bulletins/2015/15-01.pdf OMB BULLETIN NO. 15-01: Revised Delineations of Metropolitan Statistical Areas, Micropolitan Statistical Areas, and Combined Statistical Areas, and Guidance on Uses of the Delineations of These Areas]. Office of Management and Budget. 2015年7月15日.</ref>。
{{Weather box

|location = エル・パソ([[エルパソ国際空港]])
=== 気候 ===
|single line = Y
{{climate chart
|metric first = Y
| エルパソ
|Jan high F = 57.7
|Feb high F = 63.1
| -0.3 | 14.3 | 10.2
|Mar high F = 70.3
| 2.1 | 17.3 | 10.2
|Apr high F = 78.6
| 5.4 | 21.2 | 7.6
|May high F = 87.8
| 9.8 | 26.0 | 5.1
|Jun high F = 95.5
| 14.8 | 30.9 | 7.6
|Jul high F = 94.7
| 19.5 | 35.6 | 17.8
|Aug high F = 92.4
| 21.2 | 35.1 | 40.6
|Sep high F = 87.6
| 20.3 | 33.9 | 40.6
|Oct high F = 78.2
| 16.9 | 31.1 | 35.6
|Nov high F = 66.2
| 10.4 | 25.9 | 17.8
|Dec high F = 57.1
| 3.6 | 19.0 | 10.2
|year high F= 77.4
| -0.1 | 14.4 | 15.2
|Jan low F = 32.5
| float = right
|Feb low F = 37.1
| clear = both
| source = [http://www.weatherbase.com/weather/weather.php3?s=7227&refer= Weatherbase.com]
|Mar low F = 42.9
|Apr low F = 50.7
|May low F = 60.0
|Jun low F = 68.0
|Jul low F = 70.9
|Aug low F = 69.7
|Sep low F = 63.3
|Oct low F = 52.0
|Nov low F = 40.1
|Dec low F = 32.5
|year low F= 51.6
|Jan record high F = 80
|Feb record high F = 86
|Mar record high F = 93
|Apr record high F = 98
|May record high F = 105
|Jun record high F = 114
|Jul record high F = 112
|Aug record high F = 108
|Sep record high F = 104
|Oct record high F = 96
|Nov record high F = 87
|Dec record high F = 80
|year record high F= 114
|Jan record low F = −8
|Feb record low F = 1
|Mar record low F = 14
|Apr record low F = 23
|May record low F = 31
|Jun record low F = 46
|Jul record low F = 56
|Aug record low F = 52
|Sep record low F = 41
|Oct record low F = 25
|Nov record low F = 1
|Dec record low F = −5
|year record low F= −8
|precipitation colour = green
|Jan precipitation inch = 0.4
|Feb precipitation inch = 0.46
|Mar precipitation inch = 0.26
|Apr precipitation inch = 0.23
|May precipitation inch = 0.46
|Jun precipitation inch = 0.94
|Jul precipitation inch = 1.55
|Aug precipitation inch = 2.01
|Sep precipitation inch = 1.51
|Oct precipitation inch = 0.61
|Nov precipitation inch = 0.49
|Dec precipitation inch = 0.77
|Jan snow inch = 0.8
|Feb snow inch = 0.5
|Mar snow inch = 0.2
|Apr snow inch = 0.6
|May snow inch = 0
|Jun snow inch = 0
|Jul snow inch = 0
|Aug snow inch = 0
|Sep snow inch = 0
|Oct snow inch = 0
|Nov snow inch = 0.6
|Dec snow inch = 2.2
|unit precipitation days = 0.01 in
|Jan precipitation days = 3.8
|Feb precipitation days = 3.4
|Mar precipitation days = 2.4
|Apr precipitation days = 1.9
|May precipitation days = 2.7
|Jun precipitation days = 3.9
|Jul precipitation days = 8.3
|Aug precipitation days = 8.7
|Sep precipitation days = 6.3
|Oct precipitation days = 4.7
|Nov precipitation days = 3.0
|Dec precipitation days = 3.9
|unit snow days = 0.1 in
|Jan snow days = 0.6
|Feb snow days = 0.4
|Mar snow days = 0.1
|Apr snow days = 0.1
|May snow days = 0
|Jun snow days = 0
|Jul snow days = 0
|Aug snow days = 0
|Sep snow days = 0
|Oct snow days = 0.1
|Nov snow days = 0.2
|Dec snow days = 0.8
|Jan sun = 254.2
|Feb sun = 265.6
|Mar sun = 325.5
|Apr sun = 348.0
|May sun = 384.4
|Jun sun = 384.0
|Jul sun = 359.6
|Aug sun = 334.8
|Sep sun = 303.0
|Oct sun = 297.6
|Nov sun = 258.0
|Dec sun = 244.9
|source 1 = NOAA(extremes 1879–present)<ref name = NOAA >
{{cite web
|url = http://www.nws.noaa.gov/climate/xmacis.php?wfo=epz
|title = NowData – NOAA Online Weather Data
|publisher = National Oceanic and Atmospheric Administration
|accessdate = 2012-02-07}}</ref> The Weather Channel (extremes),<ref name= Weather.com >
{{cite web
| url = http://www.hko.gov.hk/wxinfo/climat/world/eng/n_america/us/el_paso_e.htm
| title = Monthly Averages for El Paso International Airport
| accessdate = 2011-10-04
| publisher = The Weather Channel}}</ref>
|source 2 = HKO(sun only, 1961–1990)<ref name= HKO >
{{cite web
| url = http://www.hko.gov.hk/wxinfo/climat/world/eng/n_america/us/el_paso_e.htm
| title = Climatological Normals of El Paso
| accessdate = 2010-05-13
| publisher = Hong Kong Observatory}}</ref>
|date = February 2012
}}
}}


{{Double image stack|left|East El Paso.jpg|Franklin Mountains and Austin High School, El Paso.jpg|250|市東部の[[ヤシ]]の並木道|雪に見舞われたエルパソ、フランクリン山東麓(2015年12月)}}
== 人口動勢 ==
[[2000年]]現在の[[国勢調査]]{{GR|2}}で、この都市は人口563,662人、182,063世帯および141,098家族が暮らしている。[[人口密度]]は873.7/km<sup>2</sup>(2,263.0/mi<sup>2</sup>)である。300.2/km<sup>2</sup>(777.5/mi<sup>2</sup>)の平均的な密度に193,663軒の住宅が建っている。この都市の人種的な構成は[[白人]]73.28%、[[アフリカ系アメリカ人|アフリカン・アメリカン]]3.12%、[[ネイティブ・アメリカン]]0.82%、アジア1.12%、太平洋諸島系0.10%、その他の人種18.15%および混血3.40%である。人口の76.62%は[[ヒスパニック]]またはラテン系である。


エルパソの気候は、1年を通じて乾燥し、日中は暑いが夜は涼しくなる夏と、日中は穏やかなものの夜は緯度の割には冷え込む冬に特徴付けられ、気温の年較差と日較差のともに大きい、砂漠性かつ高地性の気候となっている。最も暑い7月の最高気温の平均は約35℃に達するが、最低気温は平均21℃まで下がり、平均気温は約28℃である。最も寒い1月の平均気温は7℃、最低気温の平均は氷点下0.3℃まで下がるが、日中は暖かく、14℃程度まで上がる。降水量は夏季の7月から9月にかけては多く、月間35-40mm程度ではあるが、この3ヶ月だけで年間降水量の半分を超える。その他の月は月間5-15mm程度である。年間降水量は220mm程度である。また、冬季にはわずかながら降雪も見られる<ref name=weatherbase />。
この都市内の住民は31.0%が18歳未満の未成年、18歳以上24歳以下が10.0%、25歳以上44歳以下が29.1%、45歳以上64歳以下が19.2%および65歳以上が10.7%にわたっている。中央値年齢は31歳である。女性100人ごとに対して男性は90.4人である。18歳以上の女性100人ごとに対して男性は85.0人である。


[[アメリカ国立気象局|国立気象局]]によると、エルパソでは平年で年間302日の晴天日があり、このことから、''The Sun City'' (太陽の街)と呼ばれている<ref name=rincon>Rincón, Carlos A. "Solving Transboundary Air Quality Problems in the Paso Del Norte Region". ''Both Sides of the Border''. Ed. Linda Fernandez and Richard Carson. Springer. 2002年. ISBN 1-4020-7126-4.</ref>。乾燥していて風が強いため、エルパソは特に春季の3月から5月にかけて、[[砂嵐]]に見舞われやすい。
この都市の世帯ごとの平均的な収入は32,124米ドルであり、家族ごとの平均的な収入は35,432米ドルである。男性は28,989米ドルに対して女性は21,540米ドルの平均的な収入がある。この都市の一人当たりの収入([[w:per capita income|per capita income]])は14,388米ドルである。人口の22.2%および家族の19.0% は[[貧困線]]以下である。全人口のうち18歳未満の29.8%および65歳以上の17.7%は貧困線以下の生活を送っている。

[[ファイル:El paso city.jpg|thumb|center|600px|エル・パソ遠景]]
雨季にあたる7-9月の雨は主に[[北アメリカモンスーン]]によってもたらされる。例年この時期になると、南から南東寄りの風が[[太平洋]]、[[カリフォルニア湾]]、および[[メキシコ湾]]からエルパソや[[アメリカ合衆国南西部|南西部]]各地に湿気をもたらす。この湿った風が山の斜面を上り、また日中の熱気も相まって、強力な上昇気流を生み、[[積乱雲]]を発生させる。この積乱雲によって[[雷雨]]や降[[雹]]が発生し、[[洪水]]の原因ともなっている。例えば、[[2006年]]7月末から8月初頭にかけては、このモンスーンによって、平年の1年分の降水量を超える250mmの雨が1週間に降り、市全体に大洪水をもたらした<ref>Rogash, J., M. Hardiman, D. Novlan, T. Brice, and V. MacBlain. ''Meteorological Aspects of the 2006 El Paso Texas Metropolitan Area Floods''. Santa Teresa, New Mexico/El Paso, Texas: NOAA/National Weather Service, Weather Forecast Office.</ref>。この洪水の原因としては、自然的要因のほかにも、[[ワジ|アロヨ]]の開発や、あふれた雨水を処理する施設の不備が挙げられている。

[[ケッペンの気候区分]]では、エルパソは[[砂漠気候]](''BW'')に属する。

{| class="wikitable" style="width: 80%; text-align:center; margin: 0 auto 0 auto;"
|+ '''エルパソの気候'''<ref name=weatherbase>[http://www.weatherbase.com/weather/weather.php3?s=007227&refer= Historical Weather for El Paso, Texas, United States of America]. Weatherbase.com. 2018年1月22日閲覧.</ref>
|-
!
! [[1月]] !! [[2月]] !! [[3月]] !! [[4月]] !! [[5月]] !! [[6月]] !! [[7月]] !! [[8月]] !! [[9月]] !! [[10月]] !! [[11月]] !! [[12月]] !! 年
|-
! 平均気温([[セルシウス度|℃]])
| 7.1 || 9.7 || 13.3 || 17.9 || 22.8 || 27.5 || 28.2 || 27.1 || 23.9 || 18.2 || 11.3 || 7.2 || 17.8
|-
! 降水量([[ミリメートル|mm]])
| 10.2 || 10.2 || 7.6 || 5.1 || 7.6 || 17.8 || 40.6 || 40.6 || 35.6 || 17.8 || 10.2 || 15.2 || 218.5
|}

=== 都市概観と建築物 ===
{{Double image aside|right|Wells Fargo building1.jpeg|180|Plaza Hotel El Paso.jpg|180|左: ウェルズ・ファーゴ・プラザ / 右: プラザ・ホテル}}

エルパソのダウンタウンはフランクリン山地の南端、リオグランデ川との間に形成されており、市の人口の割にはその数は少ないものの、いくつかの高層建築物が建っている。エルパソで最も高いビルはノース・カンザス・ストリートとテキサス・ストリートの北西角に立地するウェルズ・ファーゴ・タワー(22階建て、高さ90.3m)である<ref>[https://www.emporis.com/buildings/119133/wells-fargo-plaza-el-paso-tx-usa Wells Fargo Plaza]. Emporis. 2018年2月3日閲覧.</ref>。この黒い高層ビルは、そのうちの13階層を利用した窓の灯り(東西面1段あたり各18個、南北面1段あたり各7個)で知られる。毎年7月4日の[[独立記念日 (アメリカ合衆国)|独立記念日]]には、この灯りで[[アメリカ合衆国の国旗|星条旗]]が描かれる。また、[[1980年]]の[[イランアメリカ大使館人質事件]]や、[[2011年]]9月11日の[[アメリカ同時多発テロ事件|同時多発テロ事件]]の際にも、このビルの灯りで星条旗が描かれた。他には、[[クリスマス]]の時季には[[クリスマスツリー]]が描かれたり、[[テキサス大学エルパソ校]]の応援として、同校の略称である ''UTEP'' の文字が描かれたりもする。

このウェルズ・ファーゴ・タワーに、チェース・タワー(20階建て、高さ85.3m)<ref>[https://www.emporis.com/buildings/119147/chase-tower-el-paso-tx-usa Chase Tower]. Emporis. 2018年2月3日閲覧.</ref>やケイザー・センター(スタントン・タワーとも、18階建て、高さ79.1m)<ref>[https://www.emporis.com/buildings/119134/stanton-tower-el-paso-tx-usa Stanton Tower]. Emporis. 2018年2月3日閲覧.</ref>といった高層ビル、そして[[1930年]]に建てられた[[アール・デコ]]様式の高層[[ホテル]]で、エルパソのランドマークでもあったプラザ・ホテル(19階建て、高さ72.9m)<ref>[https://www.emporis.com/buildings/119139/plaza-hotel-el-paso-tx-usa Plaza Hotel]. Emporis. 2018年2月3日閲覧.</ref>が次ぐ。プラザ・ホテルは、[[ヒルトン]]を創業した[[コンラッド・ヒルトン]]が初めて建てたホテルであった。プラザ・ホテルは、同じく1930年にダウンタウンに建てられたアール・デコの高層ビル、O・T・バセット・タワー(アロフト・エルパソ・ダウンタウンとも、17階建て、高さ65.5m)<ref>[https://www.emporis.com/buildings/119137/aloft-el-paso-downtown-el-paso-tx-usa Aloft El Paso Downtown]. Emporis. 2018年2月3日閲覧.</ref>と共に、[[1980年]]に[[アメリカ合衆国国家歴史登録財|国家歴史登録財]]に登録された<ref name="NRHP_ElPasoCountyTX">[http://www.nationalregisterofhistoricplaces.com/TX/el+paso/state.html TEXAS - El Paso County]. ''National Register of Historic Places''. 2018年2月3日閲覧.</ref>。

ダウンタウンのすぐ北西には、テキサス大学エルパソ校およびシンシナティ娯楽地区を中心としたウェスト・セントラル・エルパソが広がる。[[1890年代]]後半にから人が住み着き始めたサンセット・ハイツや、[[1910年代]]中盤に造られたカーン・プレースといった歴史地区も、ウェスト・セントラル・エルパソに含まれる。その北、フランクリン山地の西麓には、比較的裕福な層の住宅地が形成されているノースウェスト・エルパソ(ウェストサイド、アッパーバレーとも呼ばれる)が広がる。フランクリン山地の東麓には[[1950年代|1950]]-[[1960年代|60年代]]に開発された住宅地が広がり、ノースイースト・エルパソと呼ばれている。その東にある[[エルパソ国際空港]]以東、かつ[[州間高速道路10号線|I-10]]以北の地域はイースト・エルパソと呼ばれ、主に中間層の住宅地が広がる。イースト・エルパソの南(I-10以南)、市南東部を占めるミッション・バレーは、現在のエルパソ市域内で最も長い歴史を持つ地区で、スペイン人入植者によって建てられたイズレタ伝道所([[1680年]])、ソコロ伝道所([[1759年]])、サンエリザリオ伝道所([[1789年]])などが残る。これらの伝道所はいずれも、国家歴史登録財に登録されている<ref name="NRHP_ElPasoCountyTX" />。

{{wide image|El_paso_city.jpg|1500px|エルパソのパノラマ(北東-南)。ダウンタウンは南(画像右端)に望める。}}

== 政治 ==
[[File:El Paso City Hall.jpg|right|thumb|250px|エルパソ市庁舎([[2012年]])。[[2013年]]に市庁舎は移転し、この庁舎は取り壊され、跡地は野球場になった<ref name="FOX_Manning">Manning, Patrick. [http://www.foxnews.com/world/2013/04/15/el-pasos-city-hall-demolished-making-way-for-new-ballpark-as-downtown.html El Paso's City Hall Demolished, Making Way For New Ballpark, Revitalization]. ''FOX News''. 2013年4月15日. 2018年2月8日閲覧.</ref>。]]

[[2004年]]2月7日に承認・改正された市憲章の下、エルパソは[[シティー・マネージャー制]]を採っている。シティー・マネージャーは市の行政実務の最高責任者であり、市政府の人事、市政府事業の管理、市議会が採択した政策の実行、および予算案の作成に権限を有し、また責任を負う。一方、市議会はシティー・マネージャーの任命および指揮命令、条例および政策の制定、予算の承認、および税率の決定に権限を有し、また責任を負う<ref>[http://www.elpasotexas.gov/city-manager/form-of-government City Form of Government]. City of El Paso. 2018年2月8日閲覧.</ref>。市長は儀礼的な場で市の代表としての役割を果たし、また市議会にはその一員として出席し、その議決に対し調印する権限を有するが、行政実務に対しては権限を有さず、責任を負わない<ref>[http://www.elpasotexas.gov/mayor/powers-and-duties-of-the-mayor Powers and Duties of the Mayor]. City of El Paso. 2018年2月8日閲覧.</ref>。市議会は8人の議員から成っており、市を8つに分けた選挙区<ref>[http://gis.elpasotexas.gov/districting/index.html City of El Paso Representative Districts]. City of El Paso. 2018年2月8日閲覧.</ref>から1人ずつ選出される。市長は市議員とは別に、全市から選出される。市議員、市長とも、その任期は4年で、多選は2期までに制限されている<ref>[http://www.elpasotexas.gov/muni_clerk/_documents/2004_Charter_Election_Resolution.pdf Resolution Canvassing Results of the 2004 City Charter Amendment Election And Declaring Adoption To Amendments of City Charter]. p.2. City of El Paso. 2004年2月7日. 2018年2月8日閲覧.</ref>。

テキサス州は全米最大の[[共和党 (アメリカ)|共和党]]の票田であるが、[[メキシコ]]との[[アメリカ=メキシコ国境|国境]]沿いおよび都市部においては[[民主党 (アメリカ)|民主党]]が優勢である。エルパソ市、およびエルパソ郡はともに、その両方の特徴を有しており、例に漏れず民主党が非常に強い勢力を持っている<ref>Maxwell, William Earl, Ernest Crain, and Edwin S. Davis. ''Texas Politics Today''. Thomson Wadsworth. 2005年. ISBN 0-534-60211-8.</ref>。

== 治安 ==
エルパソの治安を守るエルパソ市警察はシティー・マネージャーの下に3人いる副シティー・マネージャーのうち、公共安全・サポートサービス担当副シティー・マネージャーの管轄下に置かれている<ref>[http://www.elpasotexas.gov/~/media/files/coep/city%20manager/city-of-elpaso-organizational-chart.ashx Organizational Chart]. City of El Paso. 2018年2月9日閲覧.</ref>。リオグランデ川対岸の[[シウダー・フアレス]]が[[2000年代]]以降、[[メキシコ麻薬戦争]]の中で治安が急激に悪化し、一時は「戦争地帯以外では世界で最も危険」とまで言われた<ref>Olsen, Lise. [http://www.chron.com/disp/story.mpl/breaking/6679334.html Ciudad Juárez passes 2,000 homicides in '09, setting record]. ''Houston Chronicle''. 2009年10月21日. 2018年2月9日閲覧.</ref>のとは対照的に、エルパソの治安は良好である。[[モーガン・クイットノー]](CQプレス傘下)による[[2018年]]の報告書([[2016年]]の[[連邦捜査局|FBI]]のデータを使用)では、エルパソにおける凶悪犯罪の発生率は全米平均より約3割低く、全米の人口50万人以上の都市の中では最も安全であると報じられた<ref>[http://data.sagepub.com/sagestats/document.php?id=6373 Crime Rate Rankings (City)]. CQ Press, SAGE Publications. 2018年. 2018年2月9日閲覧.</ref>。

== 経済 ==
[[File:Helen of Troy Limited corporate office.jpg|right|thumb|250px|ヘレン・オブ・トロイ・リミテッド在米本社]]

エルパソの地域経済は[[貿易]]、[[軍需産業|軍需]]、[[石油]]・[[天然ガス]]、医療、[[観光業|観光]]、[[サービス]]といった産業を核とし、多角化したものとなっている。また、[[2000年代]]以降、エルパソは[[コールセンター]]を置く重要拠点ともなってきている。加えて、製造業も発展してきており、[[石油製品]]、金属、[[医療機器]]、[[合成樹脂|プラスチック]]、機械、軍需品、および自動車部品等が生産されている。

エルパソには[[フォーチュン500]]に入っていた[[石油精製]]会社、ウェスタン・リファイニング([[2017年]]度ランキング: 349位<ref>[http://fortune.com/fortune500/western-refining/ Western Refining]. ''Fortune 500''. Fortune. 2017年. 2018年2月24日閲覧.</ref>)、およびその子会社であったウェスタン・リファイニング・ロジスティクスが本社を置いていた。このうち、親会社のウェスタン・リファイニングのほうは2017年6月、[[サンアントニオ]]に本社を置く石油精製会社、[[テソロ石油|テソロ]](現称: アンデバー)に買収され、ウェスタン・リファイニング・ロジスティクスについても、別途買収が検討された<ref>Gray, Robert. [http://www.elpasoinc.com/news/local_news/tesoro-completes-b-acquisition-of-western-refining/article_c5fb4ac0-494c-11e7-97dc-5b6b759aa8c5.html Tesoro completes $6B acquisition of Western Refining: El Paso loses publicly traded company headquarters]. ''El Paso Inc''. 2017年6月5日. 2018年2月24日閲覧.</ref>。家庭医療用品・美容用品・[[サプリメント|栄養補助食品]]メーカーのヘレン・オブ・トロイ・リミテッドも、エルパソに在米本社を置いている(ただし登記上の本社は[[タックス・ヘイヴン]]である[[バミューダ諸島]]の[[ハミルトン (バミューダ)|ハミルトン]]に置かれている)。地元電力会社エルパソ・エレクトリックは、本社を置くエルパソを中心に、テキサス州西部およびニューメキシコ州南部に電力を提供している。

この他にもフーバー、ユーレカ、[[ボーイング]]、[[デルファイ・コーポレーション|アプティブ]]等、エルパソにはフォーチュン500に入る企業70社以上が拠点を置いている<ref name="city-data_ElPasoExonomy">[http://www.city-data.com/us-cities/The-South/El-Paso-Economy.html El Paso: Economy – Major Industries and Commercial Activity]. City-Data.com. 2018年2月24日閲覧.</ref>。また、ヒスパニック・ビジネス誌によると、エルパソにはフレッド・ローヤ保険をはじめ、全米の大規模なヒスパニック系企業500社のランキングである「ヒスパニック500」に入る企業28社が本社を置いており、これは[[マイアミ]]の57社に次ぐ数である<ref>"El Paso's 28 companies second in nation for Hispanic Business 500". ''El Paso Times''. 2013年7月30日.</ref>。

エルパソには[[フォート・ブリス陸軍基地]]、ビッグス陸軍飛行場、およびウィリアム・ボーモント陸軍医療センターが置かれ、軍が地域経済に果たす役割は大きい。エルパソにおける防衛産業は41,000人以上を雇用し、年間60億[[アメリカ合衆国ドル|ドル]]にのぼる[[経済効果]]をもたらしている<ref>Ramirez, Cindy. "Fort Bliss, Beaumont infuse $6 billion into El Paso economy". ''El Paso Times''. 2013年3月8日.</ref>。[[2013年]]、フォート・ブリス陸軍基地は[[アメリカ空軍|アメリカ合衆国空軍]][[空軍警備隊|警備隊]]の訓練所に選定され、その翌々年、[[2015年]]から、年間8,000-10,000人の隊員が訓練を受けている<ref>Rodriguez, Ashlie. "U.S. Air Force chooses Ft. Bliss for training center". KVIA. 2013年6月27日.</ref>。

[[メキシコ]]との[[アメリカ=メキシコ国境|国境]]沿いという立地から、エルパソはこの地域特有の問題を扱う連邦政府機関がいくつか置かれている。エルパソに本部を置く機関としては、[[麻薬取締局]](DEA)国内第7地区、エルパソ情報センター、北部統合任務部隊、[[アメリカ国境警備隊|国境警備隊]]、および国境警備隊特別部隊が挙げられる。

コールセンターはエルパソに10,000人以上の雇用をもたらしている<ref name="city-data_ElPasoExonomy" />。晴天に恵まれた気候、自然美、豊かな文化・歴史、およびアウトドア活動の豊富さから、エルパソには毎年230万人が訪れ、観光業は15億ドルにのぼる経済効果をもたらしている<ref>[http://www.elpasotexas.gov/muni_clerk/meetings/sccm0718120900/CVB%20Final%207-19-12.pdf Convention and Tourism Highlights – City of El Paso FY2013 Manager's Proposed Budget]. ([https://web.archive.org/web/20140222234932/http://www.elpasotexas.gov/muni_clerk/meetings/sccm0718120900/CVB%20Final%207-19-12.pdf アーカイブ]) p.7. El Paso Convention & Visitor's Bureau. 2012年7月19日.</ref>。また、[[テキサス大学エルパソ校]]は、それ自体が6,500人以上を雇用する、エルパソでも五指に入る大雇用主であると共に、年間13億ドルにのぼる経済効果をエルパソにもたらしている<ref>[http://impact.utep.edu/impact.html $1.3 Billion Added to Local Economy Each Year]. University of Texas at El Paso. 2018年2月24日閲覧.</ref>。

== 医療 ==
[[File:El Paso Medical Center of the Americas.jpg|left|thumb|250px|アメリカズ医療センター]]

エルパソはテキサス州西部およびニューメキシコ州南部における医療の中心でもある。エルパソに立地する主要な病院としては、ウィリアム・ボーモント陸軍医療センター、シエラ医療センター、ラス・パルマス医療センター、デル・ソル医療センター、シエラ・プロビデンス東医療センター、エルパソ小児病院、プロビデンス記念病院等が挙げられる。ダウンタウンの東、ミッション・バレー地区の北西に立地するアメリカズ医療センターには、[[テキサス工科大学]]のポール・L・フォスター医学校、その[[大学病院]]である大学医療センター、同じくテキサス工科大学のゲイル・グリーブ・ハント看護学校、エルパソ精神医学センター、エルパソ小児病院、および[[2016年]]に開所したカードウェル協働生体医学研究所といった医療機関が集中している。大学医療センターは、この地域で唯一のレベルIトラウマ・センターでもある<ref>[https://www.umcelpaso.org/about-us About Us]. University Medical Center of El Paso. 2018年2月25日閲覧.</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20030721080801/http://www.kkh.go.th/trauma/chapter9.html Trauma Center Level]. American College of Sergeon. 1998年. Qtd by Khon Kaen Regional Hospital.<br />トラウマ・センターとは、外傷を負った患者に対して救急医療を施す施設のことであり、レベルIからIVまでの4段階に格付けがなされている。最高レベルであるレベルIのトラウマ・センターは、地域の外傷救急医療の中心となり、外傷の防止、治癒後のリハビリテーション、外傷救急医療の人材育成、外傷救急医療研究、外傷救急医療システムの構築・計画の拠点ともなる。</ref>。また、[[2017年]]1月には、ポール・L・フォスター医学校とも提携して、同校の大学病院としての役割も果たす、プロビデンス病院群のトランスマウンテン病院がウェスト・エルパソ地区に開院した<ref>[https://www.thehospitalsofprovidence.com/our-locations/transmountain-campus Transmountain Campus]. Hospitals of Providence. 2018年2月25位置閲覧.</ref><ref>Flores, Aileen B. [http://www.elpasotimes.com/story/news/health/2017/01/04/new-west-side-teaching-hospital-open-jan-17/96177208/ New West Side teaching hospital to open Jan. 17]. ''El Paso Times''. 2017年1月4日. 2018年2月25日閲覧.</ref>。


== 交通 ==
== 交通 ==
[[File:Elpasoaaf-28jan1996.jpg|thumb|right|エルパソ国際空港航空写真]]
[[File:ELP Front APT.JPG|right|thumb|450px|エルパソ国際空港]]

エル・パソ市中心部から北東約12kmに位置する[[エルパソ国際空港]]がある。[[アメリカン航空]]、[[サウスウエスト航空]]などの各航空会社が、主に[[テキサス州]]周辺の空港との間で就航している。
エルパソの玄関口となる空港は、ダウンタウンの北東約7.5km<ref name="FAA_ELP">[http://www.gcr1.com/5010web/airport.cfm?Site=ELP El Paso Int'l]. ([http://www.gcr1.com/5010ReportRouter/ELP.pdf Form 5010]) ''Airport Master Record''. Federal Aviation Administration. 2018年2月1日. 2018年2月17日閲覧.</ref>に立地する[[エルパソ国際空港]]([[IATA空港コード|IATA]]: '''ELP''')である。同空港はエルパソのみならず、テキサス州西部、および[[ラスクルーセス]]や[[デミング (ニューメキシコ州)|デミング]]を含む[[ニューメキシコ州]]南部にわたる広い地域の玄関口としての役割も果たしている。同空港には[[デルタ航空]]([[ハーツフィールド・ジャクソン・アトランタ国際空港|アトランタ]])、[[ユナイテッド航空]]([[ジョージ・ブッシュ・インターコンチネンタル空港|ヒューストン・インターコンチネンタル]]、[[デンバー国際空港|デンバー]])、[[アメリカン航空]]([[ダラス・フォートワース国際空港|ダラス・フォートワース]]、[[シカゴ・オヘア国際空港|シカゴ・オヘア]]、[[ロサンゼルス国際空港|ロサンゼルス]]、[[フェニックス・スカイハーバー国際空港|フェニックス]])の3大航空会社のほか、[[サウスウエスト航空]]による7都市からの便、および[[アレジアント・エア]]による[[マッカラン国際空港|ラスベガス]]および[[サンディエゴ国際空港|サンディエゴ]]からの便、および[[フロンティア航空]]によるデンバーおよびシカゴ・オヘアからの便が就航している<ref>[http://www.elpasointernationalairport.com/airlines Airlines]. El Paso International Airport. 2018年2月17日閲覧.<br />なお、サウスウエスト航空のダラス便は[[ダラス・ラブフィールド空港|ラブフィールド]]、ヒューストン便は[[ウィリアム・P・ホビー空港|ホビー]]にそれぞれ発着する。</ref>。

[[メキシコ]]との[[アメリカ=メキシコ国境|国境]]になっている[[リオ・グランデ川|リオグランデ川]]には、[[18世紀]]中盤、[[ヌエバ・エスパーニャ]]の時代には、[[サンタフェ (ニューメキシコ州)|サンタフェ]]から運ばれた木材を用いた橋が既に架けられていた<ref>Horgan, Paul. ''Great River: The Rio Grande in North American History''. Volume 1, Indians and Spain. Vol. 2, Mexico and the United States. Wesleyan University Press. 4th Reprint. 1991年. ISBN 0-8195-6251-3.</ref> 。現在では、上流から順に、下記の4本の橋が架かっている。

* パソ・デル・ノルテ国際橋(サンタフェ・ストリート橋)
* グッド・ネイバー国際橋(スタントン・ストリート橋)
* アメリカズ橋(コルドバ橋)
* イズレタ=サラゴサ国際橋(サラゴサ橋)

[[File:Bridge of the Americas (El Paso–Ciudad Juárez), June 2016.jpg|left|thumb|250px|アメリカズ橋]]

[[州間高速道路]][[州間高速道路10号線|I-10]]はダウンタウンのすぐ北を通っている。I-10は[[アメリカ合衆国南西部|南西部]]・[[アメリカ合衆国南部|南東部]]を東西に貫いて[[ロサンゼルス]]と[[フロリダ州]][[ジャクソンビル (フロリダ州)|ジャクソンビル]]とを結び、大陸を横断する幹線で、テキサス州内においてもエルパソと[[サンアントニオ]]、[[ヒューストン]]方面とを結ぶ。また、ラスクルーセスの南で[[州間高速道路25号線|I-25]]と分岐し、I-10はデミング、[[ツーソン]]、[[フェニックス (アリゾナ州)|フェニックス]]方面へ、I-25は[[アルバカーキ]]、[[デンバー]]方面へとそれぞれ向かう。また、エルパソの東約270km、[[リーブス郡 (テキサス州)|リーブス郡]]内では[[州間高速道路20号線|I-20]]と分岐し、[[ミッドランド (テキサス州)|ミッドランド]]・[[オデッサ (テキサス州)|オデッサ]]、[[アビリーン (テキサス州)|アビリーン]]、[[ダラス]]・[[フォートワース]]方面へと通ずる。I-10の支線であるI-110は、ダウンタウンの東で本線から南へ分岐し、アメリカズ橋でメキシコ国道45号線に接続する。このほか、国道54号線はエルパソ市内で高速道路規格になっており、ノースイースト・エルパソを縦貫してI-10に合流/分岐する[[放射線・環状線|放射線]]となっている。また、州道375号線はダウンタウンの南からリオグランデ河岸を下流へと向かい、ミッション・バレー、イースト・エルパソ、ノースイースト・エルパソを通り、フランクリン山地を貫いてノースウェスト・エルパソでI-10に合流/分岐するコの字型のルートを描いており、エルパソの環状線としての役割を果たしている。

[[グレイハウンド (バス)|グレイハウンド]]のバスターミナルはダウンタウン<ref>[http://locations.greyhound.com/bus-stations/us/texas/el%20paso/bus-station-681021 El Paso Bus Station]. Greyhound. 2018年2月17日閲覧.</ref>と、パソ・デル・ノルテ国際橋北詰下<ref>[http://locations.greyhound.com/bus-stations/us/texas/el%20paso/bus-station-680115 El Paso Santa Fe Bus Station]. Greyhound. 2018年2月17日閲覧.</ref>の2ヶ所にあり、後者はエルパソ・サンタフェ・バスステーションと呼んで区別している。エルパソ・サンタフェ・バスステーションは、アルバカーキ、デンバー方面へのバスの起点/終点となっている。ダウンタウンのターミナルにはこのバスが停車するほか、ロサンゼルス、フェニックス方面とサンアントニオ方面、およびダラス・フォートワース方面とを結ぶバスが停車する。

[[File:El Paso Union Depot, September 2014.jpg|right|thumb|250px|ユニオン・ディーポ]]

ダウンタウンにあるユニオン・ディーポには、ロサンゼルスと[[ニューオーリンズ]]とを結ぶ[[アムトラック]]の長距離列車[[サンセット・リミテッド]]号、およびサンアントニオ以西ではこの列車に連結され、サンアントニオで切り離し、北進して[[シカゴ]]へと向かう[[テキサス・イーグル]]号がロサンゼルス方面、ニューオーリンズ・シカゴ方面とも週3便停車する<ref>[https://www.amtrak.com/content/dam/projects/dotcom/english/public/documents/timetables/Sunset-Limited-Schedule-110517.pdf Sunset Limited]. p.1. Amtrak. 2017年11月5日. 2018年2月17日閲覧.<br />なお、本来サンセット・リミテッド号はロサンゼルスと[[オーランド]]を結ぶ大陸横断列車であるが、[[2005年]]の[[ハリケーン・カトリーナ]]および[[ハリケーン・リタ]]の影響により、無期限でニューオーリンズ以西のみの区間運行となっている。ニューオーリンズ以東の復旧のめどは立っていない。</ref><ref>[https://www.amtrak.com/content/dam/projects/dotcom/english/public/documents/timetables/Texas-Eagle-Schedule-110517.pdf Texas Eagle]. p.1. Amtrak. 2017年11月5日. 2018年2月17日閲覧.<br />なお、テキサス・イーグル号はシカゴ・サンアントニオ間では毎日運行しており、サンセット・リミテッド号の運転日以外はサンアントニオを起点/終点とした単独運行となる。</ref>。ユニオン・ディーポは[[1906年]]に建てられた歴史的建築物でもあり、[[1975年]]には[[アメリカ合衆国国家歴史登録財|国家歴史登録財]]に登録されている<ref name="NRHP_ElPasoCountyTX" />。

市内の公共交通機関としては、サン・メトロによって[[路線バス]]が運行されている。同局の路線バス網は普通50系統、急行12系統を有し、市内およびエルパソ郡内に加えて、ニューメキシコ州[[サンランドパーク]]をカバーしている<ref>[http://www.sunmetro.net/routes/routes-and-schedules Routes and Schedules], [http://www.sunmetro.net/~/media/files/sunmetro/sysmap.ashx?la=en Bus System Map]. Sun Metro. 2018年2月17日閲覧</ref>。また、サン・メトロはテキサス州交通局より9,700万[[アメリカ合衆国ドル|ドル]]の建設費用を調達し、[[2018年]]半ばでの開業を目指して[[路面電車]]の建設を進めている<ref>[http://www.elpasoproud.com/news/local/el-paso-news/el-paso-streetcar-project-on-schedule-on-budget/592470390 El Paso streetcar project on schedule, on budget]. ''El Paso Proud''. 2016年10月6日. 2018年2月17日閲覧.</ref>。加えて、[[2009年]]には、ニューメキシコ州交通局により、エルパソとラスクルーセスを結ぶ通勤バスの運行が始まった<ref>[https://www.abqjournal.com/14386/updated-las-cruces-el-paso-commuter-bus-service-begins.html UPDATED: Las Cruces-El Paso Commuter Bus Service Begins]. ''Albuquerque Journal''. 2009年9月1日. 2018年2月17日閲覧</ref>。また、ニューメキシコ州南中部地域交通局は、州境の郊外都市アンソニーで連接して、エルパソとラスクルーセス、および両市郊外を結ぶ4路線のバスを[[2016年]]より運行している<ref>[https://www.donaanacounty.org/content/bus-service-linking-las-cruces-rural-areasel-paso-begins-feb-22 Bus Service Linking Las Cruces to Rural Areas/El Paso Begins Feb. 22]. Doña Ana County. 2016年2月17日. 2018年2月17日閲覧.</ref><ref>[http://scrtd.org/all-lines/ All Lines]. South Central Regional Transit. 2018年2月17日閲覧.</ref>ほか、両市を結ぶ通勤列車を提案し、その調査を進めている<ref>[http://scrtd.org/passenger-rail/ Passenger Rail]. South Central Regional Transit. 2018年2月17日閲覧.</ref>。

== 教育 ==
[[File:UTEP Centennial Plaza and Lhakhang Cultural Center.jpg|left|thumb|250px|テキサス大学エルパソ校]]

[[テキサス大学エルパソ校]](UTEP)はダウンタウンのすぐ北西に、[[ブータン]]の建築物を思わせる校舎が建ち並ぶ420[[エーカー]](1,700,000m<sup>2</sup>)のキャンパスを構えている。同校は[[1914年]]に創立した州立総合大学で、テキサス鉱山金属大学、テキサス・ウェスタン大学を経て、[[1967年]]にテキサス大学システムに組み入れられて現称に改められた。同校は教養、経営、教育、工学、保健科学、理学、看護、薬学の8学部を有し、学部72、大学院修士課程74、博士課程21の専攻プログラムを提供し、約24,000人の学生を抱えている<ref>[https://www.utep.edu/about/about-utep.html About UTEP]. University of Texas at El Paso. 2018年2月18日閲覧.</ref>。中でも工学部は、全米最多の[[ヒスパニック]]系修士・博士技術者を輩出している<ref>[http://www.utsystem.edu/blog/2013/04/03/utep-tops-national-rankings-producing-hispanic-engineers UTEP tops national rankings for producing Hispanic engineers]. The University of Texas System. 2013年4月3日. 2018年2月18日閲覧.</ref>。また、同校のスポーツチーム、マイナーズは、[[全米大学体育協会|NCAA]]ディビジョンI([[アメリカンフットボール|フットボール]]はFBSグループ5/旧I-A非BCS)に属する[[カンファレンスUSA]]に所属し、男子5種目、女子9種目で競っている<ref>[http://utepathletics.com/ UTEP Miners Home]. University of Texas at El Paso. 2018年2月18日閲覧.</ref>。[[1966年]]、同校の男子[[バスケットボール]]チームは、史上初めて先発5人全員[[アフリカ系アメリカ人|アフリカ系]]の選手を起用し、[[メリーランド州]][[カレッジパーク (メリーランド州)|カレッジパーク]]で行われた[[NCAA男子バスケットボールトーナメント|NCAAトーナメント]]決勝戦でランキング1位の[[ケンタッキー大学]]を72-65で下し、全米優勝した。この試合を契機に、[[アメリカ合衆国南部|南部]]の他大学も追随するようにアフリカ系の選手を積極的に起用し始め、この競技における人種隔離の時代は終わった<ref>[http://gloryroad.utep.edu/50th/main.aspx UTEP Celebrates 50th Anniversary of Historic 1966 NCAA Championship Win]. University of Texas at El Paso. 2018年2月18日閲覧.</ref>。この試合へと至るシーズンを綴った当時のヘッドコーチ、[[ドン・ハスキンズ]]の自叙伝は、後に[[2006年]]、[[ジェームズ・ガートナー]]監督、[[ジョシュ・ルーカス]]主演の「[[グローリー・ロード]]」として映画化された<ref>[http://www.history.com/this-day-in-history/texas-western-defeats-kentucky-in-ncaa-finals 1966: Texas Western defeats Kentucky in NCAA finals]. ''This Day in History Mar 19''. HISTORY. 2018年2月18日閲覧.</ref>。翌[[2007年]]には、このチームが[[バスケットボール殿堂]]入りした<ref>[http://www.hoophall.com/hall-of-famers/1966-texas-western/ 1966 Texas Western]. Naismith Memorial Basketball Hall of Fame. 2018年2月18日閲覧.</ref>。

[[File:Medical Sciences Building II.jpg|right|thumb|250px|テキサス工科大学保健科学センターエルパソ校のポール・L・フォスター医学校]]

[[テキサス工科大学]]システムはエルパソに保健科学センターエルパソ校を置いている<ref>[http://www.texastech.edu/ Home]. Texas Tech University System. 2018年2月18日閲覧.</ref>。また、[[ニューメキシコ州立大学]]は、[[ラスクルーセス]]の本部キャンパスから135マイル(217km)以内のテキサス州内に住む、[[アメリカ合衆国の市民権]]を有する学生に対して、ニューメキシコ州内生の授業料を適用しており<ref>[http://aces.nmsu.edu/academics/elpaso.html El Paso Resident Tuition]. New Mexico State University. 2018年2月18日閲覧.</ref>、これを利用して同学に進学するエルパソ出身の学生も多い。

エルパソにおける[[K-12]]課程は主にエルパソ独立学区をはじめ、イズレタ独立学区、ソコロ独立学区、およびカヌティーリョ独立学区の管轄下にある公立学校によって支えられている。エルパソ独立学区は小学校57校、中学校15校、高校11校を有し、約60,000人の児童・生徒を抱えている<ref>[https://www.episd.org/domain/224 Overview]. El Paso Independent School District. 2018年2月18日閲覧.</ref>。

エルパソ公立図書館はダウンタウンの本館の他、市内10ヶ所に支館を有している<ref>[http://www.elpasolibrary.org/locations/main-library Main Library]. El Paso Public Library. 2018年2月18日閲覧.</ref>。加えて、同館の[[移動図書館]]が週替りで2本のルートを設定し、市内を回っている<ref>[http://www.elpasolibrary.org/locations/bookmobile Bookmobile]. El Paso Public Library. 2018年2月18日閲覧.</ref>。また、エルパソ・コミュニティ・カレッジは、市内に5つあるキャンパスのうちの1つ、ノースウェスト・キャンパス内に立地する、[[ローラ・ブッシュ]]とその母ジェナ・ウェルチの名を冠した図書館を、一般にも公開している<ref>[http://www.epcc.edu/library/nw/Pages/default.aspx The Jenna Welch and Laura Bush Community Library]. El Paso Community College. 2018年2月18日閲覧.</ref>。

== 文化 ==
=== 博物館・美術館 ===
[[File:CuevaOlla.jpg|left|thumb|250px|メキシコ・[[チワワ州]]にある遺跡、クエバ・デ・ラ・オージャ。エルパソ考古学博物館にはこの遺跡のジオラマが展示されている。]]

エルパソ考古学博物館はノース・フランクリン山東麓、州道375号線沿いに立地している。同館は先史時代の[[アメリカ合衆国南西部]]や[[メキシコ]]北部の[[プエブロ]]諸族、[[アサバスカ諸語|アサバスカ諸族]]、および[[タラフマラ族]]による[[土器]]や[[籠]]等の出土物を主に収蔵・展示している<ref>[http://archaeology.elpasotexas.gov/about-us/collections Collections]. El Paso Museum of Archaeology. 2018年3月4日閲覧.</ref>。同館の展示物には、フエコ・タンクスやクエバ・デ・ラ・オージャ(Cueva de la Olla、土器の洞窟)など、この地域の地質や文化に関するものの[[ジオラマ]]もある<ref>Noble, John. ''Mexico''. p.365. Lonely Planet. 2008年. ISBN 9781741048049.</ref>。また、同館の15[[エーカー]](60,700m<sup>2</sup>)の敷地内には、チワワ砂漠の植物250種以上を栽培・展示する庭園と遊歩道が造られている<ref>[http://archaeology.elpasotexas.gov/exhibits/chihuahuan-desert-garden-and-nature-trails Chihuahuan Desert Garden and Nature Trails]. El Paso Museum of Archaeology. 2018年3月4日閲覧.</ref>。なお、このエルパソ考古学博物館の隣には、[[アメリカ国境警備隊|国境警備隊]]やその歴史に関する全米で唯一の博物館である、国境警備隊博物館が立地する<ref>[https://borderpatrolmuseum.com/ Home]. National Border Patrol Museum. 2018年3月4日閲覧.</ref>。

[[File:El Paso Museum of Art. El Paso, Texas.jpg|right|thumb|250px|エルパソ美術館]]

ダウンタウンに立地するエルパソ歴史博物館は、初期のエルパソに関する事物を常設展示している<ref>[http://history.elpasotexas.gov/exhibits Exhibits]. El Paso Museum of History. 2018年3月4日閲覧.</ref>。エルパソ歴史博物館の2ブロック北、I-10を挟んですぐ向かい側にはエルパソ・ホロコースト博物館・研究センターが立地する。同館は[[ホロコースト]]生存者の1人で、[[第二次世界大戦]]終結後にエルパソに移入した[[リトアニア]]・ユダヤ系移民のヘンリー・ケレンが、[[1980年代]]に[[ホロコースト否認]]論の存在を知り、それに対抗して収集したホロコーストに関する事物を展示し、平和教育の場とするために設立したものである<ref>[http://www.elpasoholocaustmuseum.org/about-the-founder-henry-kellen/ About the Founder, Henry Kellen]. El Paso Holocaust Museum and Study Center. 2018年3月4日閲覧.</ref>。また、エルパソ歴史博物館の2ブロック南にはエルパソ美術館が立地している。同館は[[13世紀|13]]-[[18世紀]]のヨーロッパ美術、[[17世紀|17]]-[[19世紀]]のメキシコ美術、19世紀のアメリカ美術、およびテキサス州や[[アメリカ=メキシコ国境]]沿い、南西部のものを中心とした[[20世紀]]後半以降の[[近代美術と現代美術|近現代美術]]の各作品を収蔵し、常設展示している<ref>[https://epma.art/art/collections Collections], [https://epma.art/art/collections/european European], [https://epma.art/art/collections/mexican Mexican], [https://epma.art/art/collections/american American], [https://epma.art/art/collections/contemporary Modern & Contemporary]. El Paso Museum of Art. 2018年3月4日閲覧.</ref>。

[[File:Magoffin home 2009.jpg|left|thumb|250px|マゴフィン・ホームステッド]]

[[テキサス大学エルパソ校]]のキャンパス内には、その名が示す通り[[テキサス独立宣言|テキサス独立]]100周年を記念して建てられた、チワワ砂漠地域の文化史および自然史に関する事物を展示する100周年記念博物館・チワワ砂漠植物園が立地する<ref>[https://www.utep.edu/centennial-museum/ Centennial Museum and Chihuahuan Desert Gardens]. University of Texas at El Paso. 2018年3月4日閲覧.</ref>。ダウンタウンの北東には、20世紀初頭に当時の州上院議員のものであった[[ビクトリア建築]]様式の豪邸を、その死後に未亡人が市に寄付し、美術館として転用した国際美術館が立地する<ref>[http://internationalmuseumofart.net/ Home]. International Museum of Art. 2018年3月4日閲覧.</ref>。同館は地元エルパソが生んだウィリアム・コリカーの作品群や、他の南西部出身の芸術家による作品群をはじめ、アフリカ、アジア、およびメキシコの芸術作品を常設展示している<ref>[http://internationalmuseumofart.net/collections/ Collections]. International Museum of Art. 2018年3月4日閲覧.</ref>。同じくダウンタウンの北東に立地するマゴフィン・ホームステッド州定史跡は、[[1875年]]に建てられたスペイン植民地様式の家屋を保存し、博物館として一般に公開しているほか、一般のイベント用に貸し出しも行っている<ref>[http://www.thc.texas.gov/historic-sites/magoffin-home-state-historic-site Magoffin Home State Historic Site]. Texas Historical Commission. 2018年3月4日閲覧.</ref>。マゴフィン・ホームステッドは、[[1971年]]に[[アメリカ合衆国国家歴史登録財|国家歴史登録財]]に登録されている<ref name="NRHP_ElPasoCountyTX" />。

=== 舞台芸術 ===
[[File:The Plaza Theatre.JPG|right|thumb|180px|プラザ・シアター]]

プラザ・シアターはダウンタウン、エルパソ美術館の東隣に立地している。[[1930年]]に建てられ、[[2006年]]に改装された同館は、2,060席を有する主劇場と、200席の博愛劇場を有し<ref>[http://elpasolive.com/venues/plaza_theatre Plaza Theatre]. ''El Paso Live.com'' 2018年3月10日閲覧.</ref>、[[ブロードウェイ・シアター|ブロードウェイ]]の[[ミュージカル]]や、地元[[オーケストラ]]であるエルパソ交響楽団<ref>[http://www.epso.org/faqs.sstg Freuently Asked Questions]. El Paso Symphony Orchestra. 2018年3月10日閲覧.</ref>の公演も行われる。また、同館はエルパソの最も著名なランドマークの1つでもある<ref>Natividad, Maria Almeida. ''Famous Places in El Paso History: A Bilingual Picture and Activity Book''. p.33. El Paso, Texas: Galeria del Sol. 2015年. ISBN 9780986184307.</ref>。プラザ・シアターは、[[1987年]]に国家歴史登録財に登録されている<ref name="NRHP_ElPasoCountyTX" />。

エルパソ美術館の西隣、エルパソ・コンベンション・センターの南東隣には、[[ソンブレロ]]形の外観をした、2,500席を有するエイブラハム・チャベス・シアターが立地する<ref>[http://elpasolive.com/venues/abraham_chavez_theatre Abraham Chavez Theatre]. ''El Paso Live.com'' 2018年3月10日閲覧.</ref>。ダウンタウンの北東約3km、モンタナ・アベニュー沿いには、エルパソで最長の歴史を誇るエルパソ・プレイハウスが立地する<ref>[https://www.elpasoplayhouse.com/ Home]. El Paso Playhouse. 2018年3月10日閲覧.</ref>。同劇場は、子役のための劇場であるキッズ・ン・コとも提携している。また、テキサス大学エルパソ校のキャンパス内には、同学教養学部のディナー・シアターが立地する<ref>[https://www.utep.edu/liberalarts/udt/ UTEP Dinner Theatre]. University of Texas at El Paso. 2018年3月10日閲覧.</ref>。

フランクリン山中、3方向を岩壁に囲まれた谷間には、1,500席を有するマッケリゴン・キャニオン野外劇場が立地している<ref>[http://elpasolive.com/venues/mckelligon_canyon McKelligon Canyon Amphitheatre]. ''El Paso Live.com'' 2018年3月10日閲覧.</ref>。この野外劇場では、コンサート等のほか、毎年恒例となっている、エルパソ400年の歴史と文化を描いたミュージカル、「ビバ! エルパソ」の公演が行われる<ref>[https://vivaelpaso.org/ Home]. ''Viva! El Paso''. An El Paso Community Foundation Project. 2018年3月10日閲覧.</ref>。

音楽祭もいくつか開かれる。毎年3月半ばには、3日間にわたって、テキサス・ショーダウン・フェスティバルという、[[入れ墨|タトゥー]]と[[ロック (音楽)|ロック]]の祭典が開かれる。毎年5月の最終週末には、ダウンタウンでネオン砂漠音楽祭が開かれる<ref>[http://www.neondesertmusicfestival.com/ Home]. ''Neon Desert Music Festival''. Scoremore Shows. 2018年3月17日閲覧.</ref>。毎年6月の最終週末には、エルパソ・コンベンション・センターでエルパソ・ダウンタウン・ストリート・フェスティバルが開かれる<ref>[http://elpasodowntownstreetfestival.com/ Home]. ''El Paso Downtown Festival''. Townsquare Media. 2018年3月17日閲覧.</ref>。毎年6-7月には、かつて[[エルパソ・ディアブロズ]]の本拠地であったコーエン・スタジアムで、[[クラシック音楽|クラシック]]から[[カントリー・ミュージック|カントリー]]、[[テハノミュージック|テハノ]]、ロックに至るまで、幅広いジャンルの公演が行われる、ミュージック・アンダー・ザ・スターズという音楽祭が開かれる<ref>[http://elpasolive.com/calendar/1246-gecu-presents-music-under-the-stars GECU Presents Music Under the Stars]. ''El Paso Live.com'' 2018年3月18日閲覧.</ref>。そして毎年9月最初の週末には、サシシティ音楽祭という、[[電子音楽|電子]][[ダンス・ミュージック]]のイベントが開かれる<ref>[https://suncitymusicfestival.com/ Home]. ''Sun City Music Festival''. Disco Donnie Presents. 2018年3月17日閲覧.</ref>。

=== スポーツ ===
[[File:Southwest University Park.jpg|left|thumb|200px|サウスウェスト・ユニバーシティ・パークでのチワワズの試合]]

エルパソには[[北米4大プロスポーツリーグ]]こそ置かれていないものの、[[マイナーリーグ]]のチームは置かれている。[[エル・パソ・チワワズ|エルパソ・チワワズ]]は、[[2014年]]に[[アリゾナ州]][[ツーソン]]から移転してきた[[サンディエゴ・パドレス]]傘下のAAA級のチームで、[[パシフィック・コーストリーグ]]に所属している。エルパソでの歴史は浅いものの、チーム自体の起源は[[1903年]]に創設された[[ロサンゼルス・エンゼルス (パシフィック・コーストリーグ)|ロサンゼルス・エンゼルス]]に遡る。チワワズを誘致するにあたって、同球団の本拠地とするため、またダウンタウン再開発の一環として、市は市庁舎を取り壊し、その跡地に[[サウスウェスト・ユニバーシティ・パーク]]という野球場を建設した<ref name="FOX_Manning" />。それ以前には、[[1890年代]]から続いていた、[[エルパソ・ディアブロズ]]という[[独立リーグ]]の野球チームがあった。同球団は[[アメリカン・アソシエーション (独立リーグ)|アメリカン・アソシエーション]]に所属し、ノースイースト・エルパソに立地するコーエン・スタジアムを本拠地としていたが、[[2013年]]にチワワズと入れ替わりで消滅した<ref>Espinosa, Lizette. [http://elpaso411.com/2013/08/el-paso-diablos-close-out-era-tonight/ El Paso Diablos Close Out Era Tonight]. 2013年8月25日. 2018年3月17日閲覧.</ref>。

[[File:UTEP Sun Bowl Stadium Aerial View Sept 6 2009.jpg|right|thumb|250px|サンボウル・スタジアム]]

そして、エルパソは毎年、年末年始に全米各地で開催される[[ボウル・ゲーム]]の1つである、[[サンボウル]]が開催される地である。このボウル・ゲームは[[カレッジフットボール・プレーオフ]]システム下での ''New Year's Six'' (もしくは「6大ボウル」)と呼ばれるものではないが、[[オレンジボウル]]および[[シュガーボウル]]が初めて開催された[[1935年]]に、地元高校の試合として始まり<ref>[http://www.sunbowl.org/the_sun_bowl_game/legend/17 Legends of the Sun Bowl: Ken Heineman]. Sun Bowl. 2018年3月11日閲覧.</ref>、翌[[1936年]]から[[カレッジフットボール]]のボウル・ゲームとして行われるようになったという、ボウル・ゲームの中でも長い歴史を持っているものである。サンボウルが開催されるサンボウル・スタジアムはテキサス大学エルパソ校のキャンパス内にあり、同校マイナーズのフットボールチームの本拠地としても使われている。

[[File:El Paso's Upper Valley by the Rio Grande.jpg|left|thumb|250px|KLAQグレート・リバー・ラフト・レース]]

そして、[[アメリカ合衆国南西部|南西部]]や[[アメリカ合衆国山岳部|山岳部]]の他地域と同様、エルパソにおける伝統的なスポーツといえば[[ロデオ]]である。ダウンタウンの東、I-110と国道62号線のジャンクションの南東に立地するエルパソ郡コロシアムでは、毎年6月初頭に、サウスウェスタン・インターナショナルPRCAロデオという、ロデオの大会が開かれる。このプロロデオ・カウボーイ協会(PRCA)認可の大会は、全米でも17番目に長い歴史を誇り、同協会により全米トップ50に入るものとされている<ref>[http://rodeosusa.com/rodeos/southwestern-international-prca-rodeo/ Southwestern International Prca Rodeo]. ''Rodeos USA''. 2018年3月18日閲覧.</ref>。

また、地元[[超短波放送|FM]][[ラジオ放送局|ラジオ局]]KLAQは、毎年6月下旬に、[[リオ・グランデ川|リオグランデ川]]が北西郊を流れる約5kmの区間で、KLAQグレート・リバー・ラフト・レースという、[[カヤック]]、[[カヌー]]、および[[ラフティング]]のレースを主催している<ref>[http://klaq.com/events-el-paso/klaqs-great-river-raft-race/22-june-2013-rio-grande/ KLAQ’s Great River Raft Race]. KLAQ. 2013年6月22日. 2018年3月18日閲覧.</ref>。

=== イベント ===
毎年秋にビッグス陸軍飛行場で行われていた[[航空ショー]]、アミーゴ・エアショーは、エルパソを代表するイベントの1つであった。しかし、[[2013年]]に連邦予算の縮退を理由に中止を余儀なくされ、翌[[2014年]]には西郊の[[ニューメキシコ州]]サンタテレサにあるドニャアナ郡国際ジェットポートに場所を移し、規模を縮小して開催された。そしてさらにその翌年、[[2015年]]からは行われていない<ref>[https://www.elpasotimes.com/story/opinion/2015/08/12/editorial-amigo-airsho-future-is-very-much-doubt/71991590/ Editorial: Amigo Airsho future is very much in doubt]. ''El Paso Times''. 2015年8月12日. 2018年3月18日閲覧.</ref>。

エルパソ・ヒスパニック文化センターが主催するフィエスタ・デ・ラス・フローレスは、南西部で最も長い歴史を誇るヒスパニックの祭典である。毎年[[レイバー・デー (アメリカ合衆国)|レイバー・デイ]]の週末3日間に行われるこのイベントでは、パレードやダンスなどの催し物が行われ、80店以上の露店が並ぶ。このイベントはエルパソ郡内のみならず、テキサス州西部やニューメキシコ州南部、[[アルバカーキ]]、そして国境を越えて[[メキシコ]]の[[チワワ州]]からも客を集め、毎年20,000-30,000人を動員する<ref>[http://fiestadelasflores.org/annual-events/fiesta-de-las-flores/ Fiesta de las Flores]. El Paso: Hispanic Cultural Center. 2018年3月18日閲覧.</ref>。

毎年[[戦没将兵追悼記念日|メモリアル・デイ]]の週末には、KLAQエルパソ・バルーンフェスタという、[[熱気球]]のイベントが行われてきた。前述のグレート・リバー・ラフト・レースと同様、KLAQが主催するこのイベントでは、熱気球を飛ばす他に、地上ではロックコンサートが行われてきた。しかし、国境や[[連邦航空局]]の定める航空管制区域に近いこと、山がちな地形、また地表の[[サボテン]]の群生といった理由から開催が困難になり、[[2017年]]には中止された。KLAQは、[[2018年]]以降に開催日と場所を変更して、このイベントを復活させる意向を示している<ref>[http://klaq.com/klaq-balloonfest-likely-postponed-until-2018/ KLAQ Balloonfest Likely Postponed Until 2018]. KLAQ. 2017年4月10日. 2018年3月18日閲覧.</ref><ref>[http://www.kvia.com/news/el-paso/2017s-klaq-el-paso-ballloon-fest-canceled/449895642 2017's KLAQ El Paso BalloonFest canceled]. KVIA, ABC. 2017年4月13日. 2018年3月18日閲覧.</ref>。

=== 公園とレクリエーション ===
[[File:Wyler Aerial Tramway1.jpg|right|thumb|250px|ワイラー・エアリアル・トラムウェイ]]

市北部、市域を二分するように連なるフランクリン山地は州立公園に指定されている。フランクリン山地州立公園は広さ27,000エーカー(109km<sup>2</sup>)を有する、都市部の公園としては全米最大のものである<ref name="TPWD_Franklin">[https://tpwd.texas.gov/state-parks/franklin-mountains Franklin Mountains State Park]. Parks and Wildlife Department, State of Texas. 2018年3月20日閲覧.</ref><ref>[https://visitelpaso.com/places/franklin-mountains-state-park Things To Do: Franklin Mountains State Park]. ''Visit El Paso''. 2018年3月20日閲覧.</ref>。園内には[[ハイキング]]や[[マウンテンバイク]]のために総延長100マイル(161km)を超える遊歩道が整備されており、また[[テント]]や[[レクリエーショナル・ビークル|RV]]での[[キャンプ]]ができる場所も用意されている<ref name="TPWD_Franklin" />。また、園内南部の(つまり最もダウンタウンに近い)東斜面からは、ワイラー・エアリアル・トラムウェイが標高1,717mのレンジャー・ピーク山頂へ通じている。この[[索道|ロープウェイ]]は長さ792m、標高差287mで、山麓と山頂を4分で結ぶ<ref>[https://tpwd.texas.gov/state-parks/wyler-aerial-tramway Wyler Aerial Tramway]. Parks and Wildlife Department, State of Texas. 2018年3月20日閲覧.</ref>。

[[File:Hueco Tanks Bouldering.jpg|left|thumb|250px|フエコ・タンクス州立史跡のノース・マウンテンでのボルダリング]]

市の北東約50kmにはフエコ・タンクス州立史跡・公園が位置する。同園は[[野鳥観察|バードウォッチング]]や[[ボルダリング]]といったレクリエーションが盛んであるほか、10,000年以上前にこの地に住み着いていた、古代のネイティブ・アメリカンによって描かれた壁画に見られるように、ネイティブ・アメリカンにとっては文化的・精神的に重要な地である<ref>Mulvihill, K. [http://travel.nytimes.com/2008/09/19/travel/escapes/19Pict.html On Rock Walls, Painted Prayers to Rain Gods]. ''New York Times''. 2008年9月19日. 2018年3月20日閲覧.</ref>。また、ダウンタウンの東、I-110と国道62号線のジャンクションの南西には、広さ54.9エーカー(222,000m<sup>2</sup>)のチェミサル国立記念公園が立地する。同園は都市公園であると同時に、100年にわたる[[アメリカ=メキシコ国境]]の紛争の歴史を物語り、両国の文化を伝えるものでもある<ref>[https://www.nps.gov/cham/index.htm Chamizal: Where History and Culture Come to Life]. National Park Service. 2018年3月20日閲覧.</ref>。園内には国境の歴史を詳細に伝える博物館を併設したビジターセンターや、[[ギャラリー (美術)|アートギャラリー]]、劇場、および野外劇場がある。

I-110と国道62号線のジャンクションの北東にはエルパソ動物園が立地する。35エーカー(142,000m<sup>2</sup>)の園内は大きくアジア、アフリカ、南北アメリカの3ゾーンに分かれており、220種以上の動物が飼育されている<ref>[http://www.elpasozoo.org/misc/visit-the-zoo Visit the Zoo], [http://www.elpasozoo.org/misc/interactive-map Interactive Map]. El Paso Zoo. 2018年3月20日閲覧.</ref>。

この他、エルパソ市内には市政府の公園・レクリエーション局が管理する公園が250ヶ所以上にあり、その総面積は3,000エーカー(12km<sup>2</sup>)に迫る<ref>[https://www.elpasotexas.gov/parks-and-recreation/parks Parks]. City of El Paso. 2018年3月20日閲覧.</ref>。

== 人口動態 ==
{{Wikisource|テキサス州エルパソ市の人口統計データ}}

=== 都市圏人口 ===
エルパソの都市圏および広域都市圏を形成する各郡の人口は以下の通りである(2010年国勢調査)<ref name="FactFinder" />

;エルパソ都市圏
{| class="wikitable" style="width: 80%; text-align:center; margin: 0 auto 0 auto;"
! 郡 !! 州 !! 人口
|-
| '''[[エルパソ郡 (テキサス州)|エルパソ郡]]''' || [[テキサス州]] || align="right" | 800,647人
|-
| [[ハズペス郡 (テキサス州)|ハズペス郡]] || テキサス州 || align="right" | 3,476人
|- style="background-color:#e0e0e0"
| colspan="2" | '''合計''' || align="right" | 804,123人
|}

;エルパソ・ラスクルーセス広域都市圏
{| class="wikitable" style="width: 80%; text-align:center; margin: 0 auto 0 auto;"
! 都市圏/小都市圏 !! 郡 !! 州 !! 人口
|-
| colspan="3" | '''エルパソ都市圏''' || align="right" | 804,123人
|-
| ラスクルーセス都市圏 || [[ドニャアナ郡 (ニューメキシコ州)|ドニャアナ郡]] || [[ニューメキシコ州]] || align="right" | 209,233人
|- style="background-color:#e0e0e0"
| colspan="3" | '''合計''' || align="right" | 1,013,356人
|}

=== 市域人口推移 ===
以下にエルパソ市における[[1880年]]から[[2010年]]までの人口推移をグラフおよび表で示す<ref>Gibson, Campbell. [http://www.census.gov/population/www/documentation/twps0027.html Population of the 100 Largest Cities and Other Urban Places in the United States: 1790 to 1990]. US Census Bureau. 2005年.</ref>。

{| class="wikitable" style="float:right; margin-left:3px; text-size:80%; text-align:right"
! 統計年 !! 人口 !! 順位
|-
| [[1880年]] || 736人 || -
|-
| [[1890年]] || 10,338人 || -
|-
| [[1900年]] || 15,906人 || -
|-
| [[1910年]] || 39,279人 || -
|-
| [[1920年]] || 77,560人 || 89位
|-
| [[1930年]] || 102,421人 || 86位
|-
| [[1940年]] || 96,810人 || 98位
|-
| [[1950年]] || 130,485人 || 76位
|-
| [[1960年]] || 276,687人 || 46位
|-
| [[1970年]] || 322,261人 || 45位
|-
| [[1980年]] || 425,259人 || 28位
|-
| [[1990年]] || 515,342人 || 22位
|-
| [[2000年]] || 563,662人 || 23位
|-
| [[2010年]] || 649,121人 || 19位
|}

<timeline>
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== 姉妹都市 ==
[[File:El Paso-Hadera Sister Cities Signing.jpg|right|thumb|250px|エルパソ・ハデラ姉妹都市提携調印式]]

エルパソは以下1都市と[[姉妹都市]]提携を結んでいる。

* {{Flagicon|ISR}} [[ハデラ]]([[イスラエル]])<ref>[http://www.itrade.gov.il/us-houston/2015/05/22/el-paso-texas-and-hadera-israel-sister-cities-and-a-new-economic-alliance/ El Paso Texas and Hadera Israel - Sister Cities and a New Economic Alliance]. Israel Trade and Economic Office. 2015年5月22日. 2018年1月22日閲覧.</ref>

== 参考文献 ==
* Hammond, John Hays. ''The Autobiography of John Hays Hammond''. New York: Farrar & Rinehart. 1935年. ISBN 978-0-405-05913-1.
* Hampton, Benjamin B. "The Vast Riches of Alaska". ''Hampton's Magazine''. Vol.24. Issue 1. 1910年4月1日.
* Harris, Charles H. III. and Louis R. Sadler. ''The Secret War in El Paso: Mexican Revolutionary Intrigue, 1906-1920''. Albuquerque, New Mexico: University of New Mexico Press. 2009年. ISBN 978-0-8263-4652-0.
* Harris, Charles H. III and Louis R. Sadler. ''The Texas Rangers And The Mexican Revolution: The Bloodiest Decade. 1910–1920''. Albuquerque, New Mexico: University of New Mexico Press. 2004年. ISBN 0-8263-3483-0.
* "Mr. Taft's Peril; Reported Plot to Kill Two Presidents". London: ''Daily Mail''. 1909年10月16日. ISSN 0307-7578.


== 脚注 ==
== ==
{{reflist}}
{{Reflist}}


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
{{Commons|El Paso|エル・パソ}}
{{Commonscat|El Paso, Texas}}
* [http://www.elpasotexas.gov/ City of El Paso Website]
; 公式
* [http://www.elpasotexas.gov/ エルパソ市公式サイト] {{en icon}}
* [http://www.elpaso.org/ Chamber of Commerce Website]
* [http://www.elpasodevnews.com// El Paso Developmental News]
* [http://www.city-data.com/city/El-Paso-Texas.html El Paso, Texas] - City-Data.com


{{coord|31.759722|-106.488611|display=title}}
; 観光
* [http://www.traveltex.co.jp/interior_345.html テキサス州観光局 - エルパソ] {{ja icon}}
* [http://www.visitelpaso.com/ エルパソ観光コンベンションビューロー] {{en icon}}{{es icon}}


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[[Category:エルパソ (テキサス州)|*]]
[[Category:テキサス州の都市]]
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2018年3月20日 (火) 15:08時点における版

エルパソ市
City of El Paso
エルパソ市の市旗 エルパソ市の市章
市旗 市章
愛称 : The Sun City(太陽の街), El Chuco
位置
右上: テキサス州におけるエルパソ郡の位置 左: エルパソ郡におけるエルパソの市域の位置図
右上: テキサス州におけるエルパソ郡の位置
左: エルパソ郡におけるエルパソの市域
座標 : 北緯31度45分35秒 西経106度29分19秒 / 北緯31.75972度 西経106.48861度 / 31.75972; -106.48861
歴史
創設 1680年
行政
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
 州 テキサス州
 郡 エルパソ郡
 市 エルパソ市
地理
面積  
  市域 663.7 km2 (256.3 mi2)
    陸上   661.1 km2 (255.3 mi2)
    水面   2.6 km2 (1.0 mi2)
標高 1,135 m (3,725 ft)
人口
人口 2010年現在)
  市域 649,121人
    人口密度   981.9人/km2(2,542.6人/mi2
  都市圏 804,123人
  備考 全米都市人口第19位
その他
等時帯 山岳部標準時 (UTC-7)
夏時間 山岳部夏時間 (UTC-6)
公式ウェブサイト : http://www.elpasotexas.gov

エルパソEl Paso [ɛl ˈpæsoʊ]スペイン語で「」の意)は、アメリカ合衆国テキサス州最西端に位置する都市。メキシコとの国境となっているリオグランデ川の北東岸、シウダー・フアレスの対岸に立地し、市の西と北はニューメキシコ州との州境に接する。ヒューストンロサンゼルスのほぼ中間にあり、そのいずれからも1,100km前後の距離である。また、州都オースティンダラスフォートワースよりもアルバカーキフェニックスに近く、等時帯も山岳部標準時/夏時間に属している。人口は649,121人(2010年国勢調査[1]で、テキサス州ではヒューストン、サンアントニオ、ダラス、オースティン、フォートワースに次いで第6、全米では第19位である。市の人口の約8割がヒスパニックまたはラテン系である[1]。エルパソに郡庁を置くエルパソ郡、およびハズペス郡の2郡にまたがる都市圏は804,123人、ニューメキシコ州ラスクルーセス、およびニューメキシコ州内の郊外都市を含む広域都市圏は1,013,356人の人口を抱えている(いずれも2010年国勢調査)[1]

この地の歴史は古く、10,000年前には既に、古代のネイティブ・アメリカンが住み着き、12世紀中盤には農耕も行われていたと考えられている。やがて16世紀に入るとスペイン人の入植が始まり、1680年にはスペイン人によってイズレタ伝道所が建てられた。南北戦争の終結後には、エルパソに相次いで鉄道が開通し、鉱業をはじめとする産業が発展し、人口が急増した。1930年代には世界恐慌の打撃を受けて人口が減少したものの、第二次世界大戦中およびその後の軍拡、および近隣地域での油田の発見によって、20世紀中盤に入ると再び成長した。今日では、エルパソはメキシコとの貿易の一大拠点として、またテキサス州西部およびニューメキシコ州南部の広い範囲にわたる地域の経済・医療・交通・教育・文化の中心地として発展を遂げている。

歴史

今日のエルパソ市の北東にあるフエコ・タンクス州立公園・史跡で発掘された、 狩猟採集社会であったフォルサム文化尖頭器に見られるように、この地にはヨーロッパ人が入植するはるか以前、およそ10,000年前には、人類が住み着いていたと考えられている。1150年頃には、フエコ・タンクスの水を利用して農耕が行われ、トウモロコシカボチャ等の作物が生産されていた[2]。やがて16世紀スペイン人の入植が始まった頃には、この地にはマンソ族スマ族、およびジュマノ族ネイティブ・アメリカンが住み着いていた。やがてこれらの部族は、メキシコ中央部からの移民たち、コマンチェリアの捕虜たち、およびgenízaro と呼ばれた様々な部族の奴隷たちと共に、メスティーソの文化に組み入れられていった。また、「メスカレロアパッチ」と呼ばれる、アパッチの亜族も住み着いていた。

1680年にスペインによって建てられたイズレタ伝道所

1550年1552年という説もある)にサカテカスで生まれ、1598年ヌエバ・エスパーニャの探検家として初めて、現在のエルパソ近くでリオグランデ川を測量したことで知られるスペイン人探検家フアン・デ・オニャーテ[3]ピルグリム・ファーザーズのそれよりも数十年早い同年4月30日、この地で感謝祭ミサを祝った。しかし、パンフィロ・デ・ナルバエスによるフロリダ遠征の生き残り4名(アルバル・ヌニェス・カベサ・デ・バカ、アロンソ・デル・カスティーリョ・マルドナード、アンドレス・ドランテス・デ・カランサ、およびエステバニコ)は、それよりも早く、1530年代中盤にこの地を通過したとも考えられている[4]1659年には、フレイ・ガルシア・デ・サンフランシスコがリオ・ブラボー・デ・ノルテ(リオグランデ川)の南岸にエルパソ・デル・ノルテ(現シウダー・フアレス)を創設した。1680年プエブロの反乱の結果、まだ小さな村であったエルパソにスペイン領ニューメキシコの臨時首都が置かれた。その後1692年にスペインがサンタフェを再占領すると、ニューメキシコの首都はサンタフェに戻された。しかしその後も、1850年協定によってニューメキシコがアメリカ合衆国に編入され、この地がテキサス州に編入されるまで、エルパソはニューメキシコ最大の入植地であった。

この地域におけるアメリカ人の割合が少なく、総人口の1割にも満たなかったため、1836年に勃発したテキサス独立戦争では、エルパソはさほど影響は受けなかった。しかし、戦後にテキサス共和国がメキシコと交わした条約の一環として、テキサス共和国はこの地域の領有権を主張し、その主張を強化する試みが幾度もなされた。しかし、1846年にテキサスの統治が決定的になるまで、メキシコとテキサス共和国の間でこの地の統治をめぐる交渉が進められ、エルパソとその周辺はその間、基本的には自治領となっていた。

1836-48年の自治領時代にも、この地へのアメリカ人の入植は続いた。1840年代中盤には、ランチョ・デ・フアン・マリア・ポンセ・デ・レオン等のスペイン系の入植地が古くから既にあったのに加えて、シメオン・ハートやヒュー・スティーブンソンら、アングロサクソン系の入植者が、テキサスへの忠誠のためにこの地に入植してきた。地元のスペイン系貴族の娘と結婚したスティーブンソンは1844年、現代のエルパソ市域内では初のアングロサクソン系・スペイン系入植地の核となる、ランチョ・デ・サン・ホセ・デ・ラ・コンコルディアの入植地を創設した。テキサス共和国の開拓に相当な量のサンタフェ交易を要したことを考えれば、グアダルーペ・イダルゴ条約は、メキシコ側のオールド・エルパソ・デル・ノルテから切り離されたリオグランデ川北岸の入植地を、正式にアメリカ合衆国のものとするのに効果的であった[5]。やがて1850年協定によって、現代と同じ、エルパソをテキサス側に置くテキサス・ニューメキシコ州境が引かれた。

1850年3月、エルパソ郡が創設され、その最初の郡庁がサンエリザリオに置かれた。連邦上院はテキサス・ニューメキシコ州境を北緯32度線と定めたため、歴史や地形はほとんど考慮されなかった。1854年には、"The Post opposite El Paso" (エルパソ・デル・ノルテとリオグランデ川を挟んだ対岸、の意)という名の駐屯地が創設された。その西、クーンズ・ランチョに創られた、フランクリンという名の入植地は、後のエルパソ市の核となった。その翌年、開拓者アンソン・ミルズは町の計画を完成させ、エルパソと名付けた。しかし、この頃に創られた入植地を全部合わせても、ほぼ同数ずつのアングロサクソン系とスペイン系から成るその人口は数百人程度に過ぎなかった[6]

南北戦争が開戦すると、この地は南軍の支配下に置かれた。しかし、1862年北軍のカリフォルニア部隊がこの地を制圧すると、その後1864年12月に至るまで、この地にカリフォルニア第5志願兵歩兵連隊の本部が置かれた[7]

エルパソ(1880年頃)

南北戦争の終結後、アメリカ人が村に流入し続け、人口は増え始めた。エルパソ自体は1873年に法人化され、川沿いに発展していた周辺の小さな集落を包含した。やがて1881年サザン・パシフィック鉄道テキサス・アンド・パシフィック鉄道、およびアッチソン・トピカ・アンド・サンタフェ鉄道が開通すると人口が一気に急増し、1890年の国勢調査時には古くからのスペイン系の入植者に加えて、新たに流入したメキシコ系やアングロサクソン系を合わせて10,000人を超えた。立地条件に加えて、新たに荒くれ者も流入したため、エルパソは無法地帯化し、Six Shooter Capital (6人の狙撃者の都)と呼ばれ、暴力的で荒々しい、急成長途上の町として知られるようになった[6]。また、売春や賭博がはびこり、その状態は第一次世界大戦下で陸軍省が市当局に圧力をかけるようになるまで続いた。こうした圧力と地理的条件から、市はやがて、アメリカ合衆国南西部における工業、交通、および小売業の中心地として発展するようになっていった。

1909年ウィリアム・タフトポルフィリオ・ディアスは、エルパソとシウダー・フアレスでの首脳会談を計画した。この歴史的な会談はアメリカ・メキシコ両国の大統領による初めての会談であるとともに、アメリカ合衆国大統領が史上初めて国境を越えてメキシコを訪問するというものでもあった[8]。しかし、両国において緊張が高まり、暗殺予告までなされる事態となったため、テキサス・レンジャー、アメリカ・メキシコ両国軍4,000人、アメリカ合衆国シークレットサービス連邦捜査局、および警察を全て動員して警護にあたらせた[9]。この時に警護にあたった者の中には、後に「スカウティングの父」と呼ばれることになるフレデリック・ラッセル・バーナムもいた。この時のバーナムは、イェール大学時代からのタフトの親友で、メキシコに多額の投資をしていたジョン・ヘイズ・ハモンドに雇われていた[10][11]。首脳会談当日の10月16日、バーナムおよびテキサス・レンジャーのC・R・ムーアは、小型の拳銃を隠し持っていた男が行列の進路上に建つエルパソ商業局庁舎前に立っているのを発見し[12][13]、この男をタフトおよびディアスの数フィート手前で捕捉し、武装解除させ、逮捕した[14][15]

1910年頃には、市の人口の大半はアメリカ人で占められていた。しかし、メキシコ革命が勃発した後、特に1913-15年にかけて、聖職者や知識人、実業家など、大量のメキシコ系難民が市に移入してきた。やがて市には、メキシコ系難民の中間層によって、スペイン語の新聞、劇場、映画館や学校が建てられていった。

エルパソのダウンタウン(1908年

やがて、エルパソへと逃れた大量のメキシコ系ディアスポラと共に、メキシコ革命の暴力はエルパソへも及んだ。19151617年と立て続けに、様々なメキシコの革命派集団が、エルパソに住まう、アメリカ人とメキシコ人政敵の両方に対して、暴力的攻撃を計画・実行した。その最中、サンディエゴ計画の露見による騒乱で、21人の白人市民が殺害された。その後の地元民兵による報復は暴力に輪をかけ、300人(推定)ものメキシコ人およびメキシコ系アメリカ人が命を落とす事態となった。これら一連の騒乱はリオグランデバレー下流域の住民ほぼ全てに影響を及ぼし、何百万ドルにものぼる損害を出し、その後も長きにわたって、この地のアメリカ人とメキシコ人の間に禍根を残すことになった[16]

同時に、アメリカ人の市への流入も続き、1920年には陸軍の兵も含めた人口は100,000人を超え、再び白人が多数派となった。その一方で、市内におけるメキシコ人とアメリカ人・メキシコ系アメリカ人の人種隔離は進んだ。これに呼応して、カトリック教会は教育や、全米カトリック福祉基金などの政治・市民団体を通じて、メキシコ系アメリカ人コミュニティの忠誠を集めようとした[17]

この地では次第に鉱業やその他の産業が発展していった。1897年にはエルパソ・アンド・ノースイースタン鉄道が開業し、周辺地域、特にニューメキシコ準州南東部における天然資源の採掘に役立った。1920-30年代には、禁酒法時代の酒密造などにより、商業が発達した[6]。しかし、軍の解散や農業経済不況、そして続く世界恐慌により、エルパソの地域経済は大打撃を受け、第二次世界大戦の終戦まで、エルパソの人口は特に白人が流出して減り続けた。それでも1940年代まで、エルパソの人口構成においては白人が多数派を占めていた。

第二次世界大戦中から戦後にかけてのこの地における軍拡、およびエルパソの東に広がるパーミアン盆地での油田の発見により、20世紀中盤のエルパソは再び急速に経済的発展を遂げていくようになった。製錬石油精製や、低賃金の工業(特に被服)の発展によって、市は成長していった。加えて、その多くが白人を占めていた、この地域の周縁部における人口が、エルパソのような都市部に流入し、資本と労働者が短期間で膨れ上がった。しかしそれと同時に、中流階級のアメリカ人は新しい、より高給の職を求めて、国内の他地域へと流出した。そのため、地元産業は安価なメキシコ人労働者を求めて、南へと目を向けた。加えて、ブラセロ・プログラムによって、1942-56年にかけて、メキシコ人労働者がエルパソの周縁部に流入し、流出した白人の穴を埋めた。やがて、そのメキシコ人労働者たちも、より高給の職を求めてエルパソ市内に流入した。1965年頃には、ヒスパニック系が人口構成における多数派を占めるようになった。その一方で、第二次世界大戦後の高成長は1960年代に入ると鈍化したものの、市は周辺地域の編入を繰り返し、またメキシコとの重要な経済関係もあって、成長し続けた。

地理

フランクリン山地を背にしたエルパソのダウンタウン
エルパソ都市圏

エルパソは北緯31度45分35秒 西経106度29分19秒 / 北緯31.75972度 西経106.48861度 / 31.75972; -106.48861に位置している。市はテキサス州最西端に位置し、北と西はニューメキシコ州との州境に、また南西はメキシコとの国境となっているリオグランデ川をはさんでチワワ州に、それぞれ接している。テキサス州の都市ではあるものの、州の5大都市を全て含み、州の人口の約3/4が集中するテキサス・トライアングル[18]からは西へ遠く離れており、州都オースティン(東南東へ約850km)やダラスフォートワース(東北東へ約900km)よりもニューメキシコ州アルバカーキ(北へ約380km)やアリゾナ州フェニックス(西北西へ約560km)に近く、ヒューストン(東へ1,080km)よりもサンディエゴ(西へ約1,025km)に、また州最東端のオレンジ(東へ約1,225km)よりもロサンゼルス(西北西へ約1,130km)に近い。等時帯も州内の他地域が中部標準時/夏時間に属するのに対し、エルパソ都市圏に属するエルパソハズペスの2郡のみが、ニューメキシコ州と同様に山岳部標準時/夏時間に属している。

アメリカ合衆国国勢調査局によると、エルパソ市は総面積663.7km2(256.3mi2)である。そのうち661.1km2(255.3mi2)が陸地で2.6km2(1.0mi2)が水域である。総面積の0.39%が水域となっている。市域はベイスン・アンド・レンジ最東部のチワワ砂漠北部、リオグランデ川の北東岸に広がっている。市域を二分するようにフランクリン山地が連なり、ダウンタウンはその最南端に発展している。ダウンタウンの標高は1,135m、フランクリン山地の最高峰であり、市の最高点でもあるノースフランクリン山は標高2,192mである。

エルパソ・ハズペス両郡をあわせた都市圏の面積は14,463km2(5,584mi2)である。エルパソ都市圏の郊外都市は、エルパソ市域南東端からリオグランデ川に沿って、ハズペス郡西端のフォートハンコックまで連なっている。なお、ニューメキシコ州ドニャアナ郡内にも、サンランドパークやアンソニーなど、エルパソの北や西に隣接する郊外都市がいくつか形成されているが、これらは実態としてはエルパソの郊外都市ではあるものの、定義上はエルパソの北北西約70kmに位置するニューメキシコ州ラスクルーセスの都市圏に入っている。ラスクルーセス都市圏は、エルパソ都市圏とあわせてエルパソ・ラスクルーセス広域都市圏と定義されている[19]

気候

エルパソ
雨温図説明
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出典:Weatherbase.com
インペリアル換算
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32
気温(°F
総降水量(in)
市東部のヤシの並木道
 
雪に見舞われたエルパソ、フランクリン山東麓(2015年12月)

エルパソの気候は、1年を通じて乾燥し、日中は暑いが夜は涼しくなる夏と、日中は穏やかなものの夜は緯度の割には冷え込む冬に特徴付けられ、気温の年較差と日較差のともに大きい、砂漠性かつ高地性の気候となっている。最も暑い7月の最高気温の平均は約35℃に達するが、最低気温は平均21℃まで下がり、平均気温は約28℃である。最も寒い1月の平均気温は7℃、最低気温の平均は氷点下0.3℃まで下がるが、日中は暖かく、14℃程度まで上がる。降水量は夏季の7月から9月にかけては多く、月間35-40mm程度ではあるが、この3ヶ月だけで年間降水量の半分を超える。その他の月は月間5-15mm程度である。年間降水量は220mm程度である。また、冬季にはわずかながら降雪も見られる[20]

国立気象局によると、エルパソでは平年で年間302日の晴天日があり、このことから、The Sun City (太陽の街)と呼ばれている[21]。乾燥していて風が強いため、エルパソは特に春季の3月から5月にかけて、砂嵐に見舞われやすい。

雨季にあたる7-9月の雨は主に北アメリカモンスーンによってもたらされる。例年この時期になると、南から南東寄りの風が太平洋カリフォルニア湾、およびメキシコ湾からエルパソや南西部各地に湿気をもたらす。この湿った風が山の斜面を上り、また日中の熱気も相まって、強力な上昇気流を生み、積乱雲を発生させる。この積乱雲によって雷雨や降が発生し、洪水の原因ともなっている。例えば、2006年7月末から8月初頭にかけては、このモンスーンによって、平年の1年分の降水量を超える250mmの雨が1週間に降り、市全体に大洪水をもたらした[22]。この洪水の原因としては、自然的要因のほかにも、アロヨの開発や、あふれた雨水を処理する施設の不備が挙げられている。

ケッペンの気候区分では、エルパソは砂漠気候BW)に属する。

エルパソの気候[20]
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
平均気温( 7.1 9.7 13.3 17.9 22.8 27.5 28.2 27.1 23.9 18.2 11.3 7.2 17.8
降水量(mm 10.2 10.2 7.6 5.1 7.6 17.8 40.6 40.6 35.6 17.8 10.2 15.2 218.5

都市概観と建築物

左: ウェルズ・ファーゴ・プラザ / 右: プラザ・ホテル 左: ウェルズ・ファーゴ・プラザ / 右: プラザ・ホテル
左: ウェルズ・ファーゴ・プラザ / 右: プラザ・ホテル

エルパソのダウンタウンはフランクリン山地の南端、リオグランデ川との間に形成されており、市の人口の割にはその数は少ないものの、いくつかの高層建築物が建っている。エルパソで最も高いビルはノース・カンザス・ストリートとテキサス・ストリートの北西角に立地するウェルズ・ファーゴ・タワー(22階建て、高さ90.3m)である[23]。この黒い高層ビルは、そのうちの13階層を利用した窓の灯り(東西面1段あたり各18個、南北面1段あたり各7個)で知られる。毎年7月4日の独立記念日には、この灯りで星条旗が描かれる。また、1980年イランアメリカ大使館人質事件や、2011年9月11日の同時多発テロ事件の際にも、このビルの灯りで星条旗が描かれた。他には、クリスマスの時季にはクリスマスツリーが描かれたり、テキサス大学エルパソ校の応援として、同校の略称である UTEP の文字が描かれたりもする。

このウェルズ・ファーゴ・タワーに、チェース・タワー(20階建て、高さ85.3m)[24]やケイザー・センター(スタントン・タワーとも、18階建て、高さ79.1m)[25]といった高層ビル、そして1930年に建てられたアール・デコ様式の高層ホテルで、エルパソのランドマークでもあったプラザ・ホテル(19階建て、高さ72.9m)[26]が次ぐ。プラザ・ホテルは、ヒルトンを創業したコンラッド・ヒルトンが初めて建てたホテルであった。プラザ・ホテルは、同じく1930年にダウンタウンに建てられたアール・デコの高層ビル、O・T・バセット・タワー(アロフト・エルパソ・ダウンタウンとも、17階建て、高さ65.5m)[27]と共に、1980年国家歴史登録財に登録された[28]

ダウンタウンのすぐ北西には、テキサス大学エルパソ校およびシンシナティ娯楽地区を中心としたウェスト・セントラル・エルパソが広がる。1890年代後半にから人が住み着き始めたサンセット・ハイツや、1910年代中盤に造られたカーン・プレースといった歴史地区も、ウェスト・セントラル・エルパソに含まれる。その北、フランクリン山地の西麓には、比較的裕福な層の住宅地が形成されているノースウェスト・エルパソ(ウェストサイド、アッパーバレーとも呼ばれる)が広がる。フランクリン山地の東麓には1950-60年代に開発された住宅地が広がり、ノースイースト・エルパソと呼ばれている。その東にあるエルパソ国際空港以東、かつI-10以北の地域はイースト・エルパソと呼ばれ、主に中間層の住宅地が広がる。イースト・エルパソの南(I-10以南)、市南東部を占めるミッション・バレーは、現在のエルパソ市域内で最も長い歴史を持つ地区で、スペイン人入植者によって建てられたイズレタ伝道所(1680年)、ソコロ伝道所(1759年)、サンエリザリオ伝道所(1789年)などが残る。これらの伝道所はいずれも、国家歴史登録財に登録されている[28]

エルパソのパノラマ(北東-南)。ダウンタウンは南(画像右端)に望める。

政治

エルパソ市庁舎(2012年)。2013年に市庁舎は移転し、この庁舎は取り壊され、跡地は野球場になった[29]

2004年2月7日に承認・改正された市憲章の下、エルパソはシティー・マネージャー制を採っている。シティー・マネージャーは市の行政実務の最高責任者であり、市政府の人事、市政府事業の管理、市議会が採択した政策の実行、および予算案の作成に権限を有し、また責任を負う。一方、市議会はシティー・マネージャーの任命および指揮命令、条例および政策の制定、予算の承認、および税率の決定に権限を有し、また責任を負う[30]。市長は儀礼的な場で市の代表としての役割を果たし、また市議会にはその一員として出席し、その議決に対し調印する権限を有するが、行政実務に対しては権限を有さず、責任を負わない[31]。市議会は8人の議員から成っており、市を8つに分けた選挙区[32]から1人ずつ選出される。市長は市議員とは別に、全市から選出される。市議員、市長とも、その任期は4年で、多選は2期までに制限されている[33]

テキサス州は全米最大の共和党の票田であるが、メキシコとの国境沿いおよび都市部においては民主党が優勢である。エルパソ市、およびエルパソ郡はともに、その両方の特徴を有しており、例に漏れず民主党が非常に強い勢力を持っている[34]

治安

エルパソの治安を守るエルパソ市警察はシティー・マネージャーの下に3人いる副シティー・マネージャーのうち、公共安全・サポートサービス担当副シティー・マネージャーの管轄下に置かれている[35]。リオグランデ川対岸のシウダー・フアレス2000年代以降、メキシコ麻薬戦争の中で治安が急激に悪化し、一時は「戦争地帯以外では世界で最も危険」とまで言われた[36]のとは対照的に、エルパソの治安は良好である。モーガン・クイットノー(CQプレス傘下)による2018年の報告書(2016年FBIのデータを使用)では、エルパソにおける凶悪犯罪の発生率は全米平均より約3割低く、全米の人口50万人以上の都市の中では最も安全であると報じられた[37]

経済

ヘレン・オブ・トロイ・リミテッド在米本社

エルパソの地域経済は貿易軍需石油天然ガス、医療、観光サービスといった産業を核とし、多角化したものとなっている。また、2000年代以降、エルパソはコールセンターを置く重要拠点ともなってきている。加えて、製造業も発展してきており、石油製品、金属、医療機器プラスチック、機械、軍需品、および自動車部品等が生産されている。

エルパソにはフォーチュン500に入っていた石油精製会社、ウェスタン・リファイニング(2017年度ランキング: 349位[38])、およびその子会社であったウェスタン・リファイニング・ロジスティクスが本社を置いていた。このうち、親会社のウェスタン・リファイニングのほうは2017年6月、サンアントニオに本社を置く石油精製会社、テソロ(現称: アンデバー)に買収され、ウェスタン・リファイニング・ロジスティクスについても、別途買収が検討された[39]。家庭医療用品・美容用品・栄養補助食品メーカーのヘレン・オブ・トロイ・リミテッドも、エルパソに在米本社を置いている(ただし登記上の本社はタックス・ヘイヴンであるバミューダ諸島ハミルトンに置かれている)。地元電力会社エルパソ・エレクトリックは、本社を置くエルパソを中心に、テキサス州西部およびニューメキシコ州南部に電力を提供している。

この他にもフーバー、ユーレカ、ボーイングアプティブ等、エルパソにはフォーチュン500に入る企業70社以上が拠点を置いている[40]。また、ヒスパニック・ビジネス誌によると、エルパソにはフレッド・ローヤ保険をはじめ、全米の大規模なヒスパニック系企業500社のランキングである「ヒスパニック500」に入る企業28社が本社を置いており、これはマイアミの57社に次ぐ数である[41]

エルパソにはフォート・ブリス陸軍基地、ビッグス陸軍飛行場、およびウィリアム・ボーモント陸軍医療センターが置かれ、軍が地域経済に果たす役割は大きい。エルパソにおける防衛産業は41,000人以上を雇用し、年間60億ドルにのぼる経済効果をもたらしている[42]2013年、フォート・ブリス陸軍基地はアメリカ合衆国空軍警備隊の訓練所に選定され、その翌々年、2015年から、年間8,000-10,000人の隊員が訓練を受けている[43]

メキシコとの国境沿いという立地から、エルパソはこの地域特有の問題を扱う連邦政府機関がいくつか置かれている。エルパソに本部を置く機関としては、麻薬取締局(DEA)国内第7地区、エルパソ情報センター、北部統合任務部隊、国境警備隊、および国境警備隊特別部隊が挙げられる。

コールセンターはエルパソに10,000人以上の雇用をもたらしている[40]。晴天に恵まれた気候、自然美、豊かな文化・歴史、およびアウトドア活動の豊富さから、エルパソには毎年230万人が訪れ、観光業は15億ドルにのぼる経済効果をもたらしている[44]。また、テキサス大学エルパソ校は、それ自体が6,500人以上を雇用する、エルパソでも五指に入る大雇用主であると共に、年間13億ドルにのぼる経済効果をエルパソにもたらしている[45]

医療

アメリカズ医療センター

エルパソはテキサス州西部およびニューメキシコ州南部における医療の中心でもある。エルパソに立地する主要な病院としては、ウィリアム・ボーモント陸軍医療センター、シエラ医療センター、ラス・パルマス医療センター、デル・ソル医療センター、シエラ・プロビデンス東医療センター、エルパソ小児病院、プロビデンス記念病院等が挙げられる。ダウンタウンの東、ミッション・バレー地区の北西に立地するアメリカズ医療センターには、テキサス工科大学のポール・L・フォスター医学校、その大学病院である大学医療センター、同じくテキサス工科大学のゲイル・グリーブ・ハント看護学校、エルパソ精神医学センター、エルパソ小児病院、および2016年に開所したカードウェル協働生体医学研究所といった医療機関が集中している。大学医療センターは、この地域で唯一のレベルIトラウマ・センターでもある[46][47]。また、2017年1月には、ポール・L・フォスター医学校とも提携して、同校の大学病院としての役割も果たす、プロビデンス病院群のトランスマウンテン病院がウェスト・エルパソ地区に開院した[48][49]

交通

エルパソ国際空港

エルパソの玄関口となる空港は、ダウンタウンの北東約7.5km[50]に立地するエルパソ国際空港IATA: ELP)である。同空港はエルパソのみならず、テキサス州西部、およびラスクルーセスデミングを含むニューメキシコ州南部にわたる広い地域の玄関口としての役割も果たしている。同空港にはデルタ航空アトランタ)、ユナイテッド航空ヒューストン・インターコンチネンタルデンバー)、アメリカン航空ダラス・フォートワースシカゴ・オヘアロサンゼルスフェニックス)の3大航空会社のほか、サウスウエスト航空による7都市からの便、およびアレジアント・エアによるラスベガスおよびサンディエゴからの便、およびフロンティア航空によるデンバーおよびシカゴ・オヘアからの便が就航している[51]

メキシコとの国境になっているリオグランデ川には、18世紀中盤、ヌエバ・エスパーニャの時代には、サンタフェから運ばれた木材を用いた橋が既に架けられていた[52] 。現在では、上流から順に、下記の4本の橋が架かっている。

  • パソ・デル・ノルテ国際橋(サンタフェ・ストリート橋)
  • グッド・ネイバー国際橋(スタントン・ストリート橋)
  • アメリカズ橋(コルドバ橋)
  • イズレタ=サラゴサ国際橋(サラゴサ橋)
アメリカズ橋

州間高速道路I-10はダウンタウンのすぐ北を通っている。I-10は南西部南東部を東西に貫いてロサンゼルスフロリダ州ジャクソンビルとを結び、大陸を横断する幹線で、テキサス州内においてもエルパソとサンアントニオヒューストン方面とを結ぶ。また、ラスクルーセスの南でI-25と分岐し、I-10はデミング、ツーソンフェニックス方面へ、I-25はアルバカーキデンバー方面へとそれぞれ向かう。また、エルパソの東約270km、リーブス郡内ではI-20と分岐し、ミッドランドオデッサアビリーンダラスフォートワース方面へと通ずる。I-10の支線であるI-110は、ダウンタウンの東で本線から南へ分岐し、アメリカズ橋でメキシコ国道45号線に接続する。このほか、国道54号線はエルパソ市内で高速道路規格になっており、ノースイースト・エルパソを縦貫してI-10に合流/分岐する放射線となっている。また、州道375号線はダウンタウンの南からリオグランデ河岸を下流へと向かい、ミッション・バレー、イースト・エルパソ、ノースイースト・エルパソを通り、フランクリン山地を貫いてノースウェスト・エルパソでI-10に合流/分岐するコの字型のルートを描いており、エルパソの環状線としての役割を果たしている。

グレイハウンドのバスターミナルはダウンタウン[53]と、パソ・デル・ノルテ国際橋北詰下[54]の2ヶ所にあり、後者はエルパソ・サンタフェ・バスステーションと呼んで区別している。エルパソ・サンタフェ・バスステーションは、アルバカーキ、デンバー方面へのバスの起点/終点となっている。ダウンタウンのターミナルにはこのバスが停車するほか、ロサンゼルス、フェニックス方面とサンアントニオ方面、およびダラス・フォートワース方面とを結ぶバスが停車する。

ユニオン・ディーポ

ダウンタウンにあるユニオン・ディーポには、ロサンゼルスとニューオーリンズとを結ぶアムトラックの長距離列車サンセット・リミテッド号、およびサンアントニオ以西ではこの列車に連結され、サンアントニオで切り離し、北進してシカゴへと向かうテキサス・イーグル号がロサンゼルス方面、ニューオーリンズ・シカゴ方面とも週3便停車する[55][56]。ユニオン・ディーポは1906年に建てられた歴史的建築物でもあり、1975年には国家歴史登録財に登録されている[28]

市内の公共交通機関としては、サン・メトロによって路線バスが運行されている。同局の路線バス網は普通50系統、急行12系統を有し、市内およびエルパソ郡内に加えて、ニューメキシコ州サンランドパークをカバーしている[57]。また、サン・メトロはテキサス州交通局より9,700万ドルの建設費用を調達し、2018年半ばでの開業を目指して路面電車の建設を進めている[58]。加えて、2009年には、ニューメキシコ州交通局により、エルパソとラスクルーセスを結ぶ通勤バスの運行が始まった[59]。また、ニューメキシコ州南中部地域交通局は、州境の郊外都市アンソニーで連接して、エルパソとラスクルーセス、および両市郊外を結ぶ4路線のバスを2016年より運行している[60][61]ほか、両市を結ぶ通勤列車を提案し、その調査を進めている[62]

教育

テキサス大学エルパソ校

テキサス大学エルパソ校(UTEP)はダウンタウンのすぐ北西に、ブータンの建築物を思わせる校舎が建ち並ぶ420エーカー(1,700,000m2)のキャンパスを構えている。同校は1914年に創立した州立総合大学で、テキサス鉱山金属大学、テキサス・ウェスタン大学を経て、1967年にテキサス大学システムに組み入れられて現称に改められた。同校は教養、経営、教育、工学、保健科学、理学、看護、薬学の8学部を有し、学部72、大学院修士課程74、博士課程21の専攻プログラムを提供し、約24,000人の学生を抱えている[63]。中でも工学部は、全米最多のヒスパニック系修士・博士技術者を輩出している[64]。また、同校のスポーツチーム、マイナーズは、NCAAディビジョンI(フットボールはFBSグループ5/旧I-A非BCS)に属するカンファレンスUSAに所属し、男子5種目、女子9種目で競っている[65]1966年、同校の男子バスケットボールチームは、史上初めて先発5人全員アフリカ系の選手を起用し、メリーランド州カレッジパークで行われたNCAAトーナメント決勝戦でランキング1位のケンタッキー大学を72-65で下し、全米優勝した。この試合を契機に、南部の他大学も追随するようにアフリカ系の選手を積極的に起用し始め、この競技における人種隔離の時代は終わった[66]。この試合へと至るシーズンを綴った当時のヘッドコーチ、ドン・ハスキンズの自叙伝は、後に2006年ジェームズ・ガートナー監督、ジョシュ・ルーカス主演の「グローリー・ロード」として映画化された[67]。翌2007年には、このチームがバスケットボール殿堂入りした[68]

テキサス工科大学保健科学センターエルパソ校のポール・L・フォスター医学校

テキサス工科大学システムはエルパソに保健科学センターエルパソ校を置いている[69]。また、ニューメキシコ州立大学は、ラスクルーセスの本部キャンパスから135マイル(217km)以内のテキサス州内に住む、アメリカ合衆国の市民権を有する学生に対して、ニューメキシコ州内生の授業料を適用しており[70]、これを利用して同学に進学するエルパソ出身の学生も多い。

エルパソにおけるK-12課程は主にエルパソ独立学区をはじめ、イズレタ独立学区、ソコロ独立学区、およびカヌティーリョ独立学区の管轄下にある公立学校によって支えられている。エルパソ独立学区は小学校57校、中学校15校、高校11校を有し、約60,000人の児童・生徒を抱えている[71]

エルパソ公立図書館はダウンタウンの本館の他、市内10ヶ所に支館を有している[72]。加えて、同館の移動図書館が週替りで2本のルートを設定し、市内を回っている[73]。また、エルパソ・コミュニティ・カレッジは、市内に5つあるキャンパスのうちの1つ、ノースウェスト・キャンパス内に立地する、ローラ・ブッシュとその母ジェナ・ウェルチの名を冠した図書館を、一般にも公開している[74]

文化

博物館・美術館

メキシコ・チワワ州にある遺跡、クエバ・デ・ラ・オージャ。エルパソ考古学博物館にはこの遺跡のジオラマが展示されている。

エルパソ考古学博物館はノース・フランクリン山東麓、州道375号線沿いに立地している。同館は先史時代のアメリカ合衆国南西部メキシコ北部のプエブロ諸族、アサバスカ諸族、およびタラフマラ族による土器等の出土物を主に収蔵・展示している[75]。同館の展示物には、フエコ・タンクスやクエバ・デ・ラ・オージャ(Cueva de la Olla、土器の洞窟)など、この地域の地質や文化に関するもののジオラマもある[76]。また、同館の15エーカー(60,700m2)の敷地内には、チワワ砂漠の植物250種以上を栽培・展示する庭園と遊歩道が造られている[77]。なお、このエルパソ考古学博物館の隣には、国境警備隊やその歴史に関する全米で唯一の博物館である、国境警備隊博物館が立地する[78]

エルパソ美術館

ダウンタウンに立地するエルパソ歴史博物館は、初期のエルパソに関する事物を常設展示している[79]。エルパソ歴史博物館の2ブロック北、I-10を挟んですぐ向かい側にはエルパソ・ホロコースト博物館・研究センターが立地する。同館はホロコースト生存者の1人で、第二次世界大戦終結後にエルパソに移入したリトアニア・ユダヤ系移民のヘンリー・ケレンが、1980年代ホロコースト否認論の存在を知り、それに対抗して収集したホロコーストに関する事物を展示し、平和教育の場とするために設立したものである[80]。また、エルパソ歴史博物館の2ブロック南にはエルパソ美術館が立地している。同館は13-18世紀のヨーロッパ美術、17-19世紀のメキシコ美術、19世紀のアメリカ美術、およびテキサス州やアメリカ=メキシコ国境沿い、南西部のものを中心とした20世紀後半以降の近現代美術の各作品を収蔵し、常設展示している[81]

マゴフィン・ホームステッド

テキサス大学エルパソ校のキャンパス内には、その名が示す通りテキサス独立100周年を記念して建てられた、チワワ砂漠地域の文化史および自然史に関する事物を展示する100周年記念博物館・チワワ砂漠植物園が立地する[82]。ダウンタウンの北東には、20世紀初頭に当時の州上院議員のものであったビクトリア建築様式の豪邸を、その死後に未亡人が市に寄付し、美術館として転用した国際美術館が立地する[83]。同館は地元エルパソが生んだウィリアム・コリカーの作品群や、他の南西部出身の芸術家による作品群をはじめ、アフリカ、アジア、およびメキシコの芸術作品を常設展示している[84]。同じくダウンタウンの北東に立地するマゴフィン・ホームステッド州定史跡は、1875年に建てられたスペイン植民地様式の家屋を保存し、博物館として一般に公開しているほか、一般のイベント用に貸し出しも行っている[85]。マゴフィン・ホームステッドは、1971年国家歴史登録財に登録されている[28]

舞台芸術

プラザ・シアター

プラザ・シアターはダウンタウン、エルパソ美術館の東隣に立地している。1930年に建てられ、2006年に改装された同館は、2,060席を有する主劇場と、200席の博愛劇場を有し[86]ブロードウェイミュージカルや、地元オーケストラであるエルパソ交響楽団[87]の公演も行われる。また、同館はエルパソの最も著名なランドマークの1つでもある[88]。プラザ・シアターは、1987年に国家歴史登録財に登録されている[28]

エルパソ美術館の西隣、エルパソ・コンベンション・センターの南東隣には、ソンブレロ形の外観をした、2,500席を有するエイブラハム・チャベス・シアターが立地する[89]。ダウンタウンの北東約3km、モンタナ・アベニュー沿いには、エルパソで最長の歴史を誇るエルパソ・プレイハウスが立地する[90]。同劇場は、子役のための劇場であるキッズ・ン・コとも提携している。また、テキサス大学エルパソ校のキャンパス内には、同学教養学部のディナー・シアターが立地する[91]

フランクリン山中、3方向を岩壁に囲まれた谷間には、1,500席を有するマッケリゴン・キャニオン野外劇場が立地している[92]。この野外劇場では、コンサート等のほか、毎年恒例となっている、エルパソ400年の歴史と文化を描いたミュージカル、「ビバ! エルパソ」の公演が行われる[93]

音楽祭もいくつか開かれる。毎年3月半ばには、3日間にわたって、テキサス・ショーダウン・フェスティバルという、タトゥーロックの祭典が開かれる。毎年5月の最終週末には、ダウンタウンでネオン砂漠音楽祭が開かれる[94]。毎年6月の最終週末には、エルパソ・コンベンション・センターでエルパソ・ダウンタウン・ストリート・フェスティバルが開かれる[95]。毎年6-7月には、かつてエルパソ・ディアブロズの本拠地であったコーエン・スタジアムで、クラシックからカントリーテハノ、ロックに至るまで、幅広いジャンルの公演が行われる、ミュージック・アンダー・ザ・スターズという音楽祭が開かれる[96]。そして毎年9月最初の週末には、サシシティ音楽祭という、電子ダンス・ミュージックのイベントが開かれる[97]

スポーツ

サウスウェスト・ユニバーシティ・パークでのチワワズの試合

エルパソには北米4大プロスポーツリーグこそ置かれていないものの、マイナーリーグのチームは置かれている。エルパソ・チワワズは、2014年アリゾナ州ツーソンから移転してきたサンディエゴ・パドレス傘下のAAA級のチームで、パシフィック・コーストリーグに所属している。エルパソでの歴史は浅いものの、チーム自体の起源は1903年に創設されたロサンゼルス・エンゼルスに遡る。チワワズを誘致するにあたって、同球団の本拠地とするため、またダウンタウン再開発の一環として、市は市庁舎を取り壊し、その跡地にサウスウェスト・ユニバーシティ・パークという野球場を建設した[29]。それ以前には、1890年代から続いていた、エルパソ・ディアブロズという独立リーグの野球チームがあった。同球団はアメリカン・アソシエーションに所属し、ノースイースト・エルパソに立地するコーエン・スタジアムを本拠地としていたが、2013年にチワワズと入れ替わりで消滅した[98]

サンボウル・スタジアム

そして、エルパソは毎年、年末年始に全米各地で開催されるボウル・ゲームの1つである、サンボウルが開催される地である。このボウル・ゲームはカレッジフットボール・プレーオフシステム下での New Year's Six (もしくは「6大ボウル」)と呼ばれるものではないが、オレンジボウルおよびシュガーボウルが初めて開催された1935年に、地元高校の試合として始まり[99]、翌1936年からカレッジフットボールのボウル・ゲームとして行われるようになったという、ボウル・ゲームの中でも長い歴史を持っているものである。サンボウルが開催されるサンボウル・スタジアムはテキサス大学エルパソ校のキャンパス内にあり、同校マイナーズのフットボールチームの本拠地としても使われている。

KLAQグレート・リバー・ラフト・レース

そして、南西部山岳部の他地域と同様、エルパソにおける伝統的なスポーツといえばロデオである。ダウンタウンの東、I-110と国道62号線のジャンクションの南東に立地するエルパソ郡コロシアムでは、毎年6月初頭に、サウスウェスタン・インターナショナルPRCAロデオという、ロデオの大会が開かれる。このプロロデオ・カウボーイ協会(PRCA)認可の大会は、全米でも17番目に長い歴史を誇り、同協会により全米トップ50に入るものとされている[100]

また、地元FMラジオ局KLAQは、毎年6月下旬に、リオグランデ川が北西郊を流れる約5kmの区間で、KLAQグレート・リバー・ラフト・レースという、カヤックカヌー、およびラフティングのレースを主催している[101]

イベント

毎年秋にビッグス陸軍飛行場で行われていた航空ショー、アミーゴ・エアショーは、エルパソを代表するイベントの1つであった。しかし、2013年に連邦予算の縮退を理由に中止を余儀なくされ、翌2014年には西郊のニューメキシコ州サンタテレサにあるドニャアナ郡国際ジェットポートに場所を移し、規模を縮小して開催された。そしてさらにその翌年、2015年からは行われていない[102]

エルパソ・ヒスパニック文化センターが主催するフィエスタ・デ・ラス・フローレスは、南西部で最も長い歴史を誇るヒスパニックの祭典である。毎年レイバー・デイの週末3日間に行われるこのイベントでは、パレードやダンスなどの催し物が行われ、80店以上の露店が並ぶ。このイベントはエルパソ郡内のみならず、テキサス州西部やニューメキシコ州南部、アルバカーキ、そして国境を越えてメキシコチワワ州からも客を集め、毎年20,000-30,000人を動員する[103]

毎年メモリアル・デイの週末には、KLAQエルパソ・バルーンフェスタという、熱気球のイベントが行われてきた。前述のグレート・リバー・ラフト・レースと同様、KLAQが主催するこのイベントでは、熱気球を飛ばす他に、地上ではロックコンサートが行われてきた。しかし、国境や連邦航空局の定める航空管制区域に近いこと、山がちな地形、また地表のサボテンの群生といった理由から開催が困難になり、2017年には中止された。KLAQは、2018年以降に開催日と場所を変更して、このイベントを復活させる意向を示している[104][105]

公園とレクリエーション

ワイラー・エアリアル・トラムウェイ

市北部、市域を二分するように連なるフランクリン山地は州立公園に指定されている。フランクリン山地州立公園は広さ27,000エーカー(109km2)を有する、都市部の公園としては全米最大のものである[106][107]。園内にはハイキングマウンテンバイクのために総延長100マイル(161km)を超える遊歩道が整備されており、またテントRVでのキャンプができる場所も用意されている[106]。また、園内南部の(つまり最もダウンタウンに近い)東斜面からは、ワイラー・エアリアル・トラムウェイが標高1,717mのレンジャー・ピーク山頂へ通じている。このロープウェイは長さ792m、標高差287mで、山麓と山頂を4分で結ぶ[108]

フエコ・タンクス州立史跡のノース・マウンテンでのボルダリング

市の北東約50kmにはフエコ・タンクス州立史跡・公園が位置する。同園はバードウォッチングボルダリングといったレクリエーションが盛んであるほか、10,000年以上前にこの地に住み着いていた、古代のネイティブ・アメリカンによって描かれた壁画に見られるように、ネイティブ・アメリカンにとっては文化的・精神的に重要な地である[109]。また、ダウンタウンの東、I-110と国道62号線のジャンクションの南西には、広さ54.9エーカー(222,000m2)のチェミサル国立記念公園が立地する。同園は都市公園であると同時に、100年にわたるアメリカ=メキシコ国境の紛争の歴史を物語り、両国の文化を伝えるものでもある[110]。園内には国境の歴史を詳細に伝える博物館を併設したビジターセンターや、アートギャラリー、劇場、および野外劇場がある。

I-110と国道62号線のジャンクションの北東にはエルパソ動物園が立地する。35エーカー(142,000m2)の園内は大きくアジア、アフリカ、南北アメリカの3ゾーンに分かれており、220種以上の動物が飼育されている[111]

この他、エルパソ市内には市政府の公園・レクリエーション局が管理する公園が250ヶ所以上にあり、その総面積は3,000エーカー(12km2)に迫る[112]

人口動態

都市圏人口

エルパソの都市圏および広域都市圏を形成する各郡の人口は以下の通りである(2010年国勢調査)[1]

エルパソ都市圏
人口
エルパソ郡 テキサス州 800,647人
ハズペス郡 テキサス州 3,476人
合計 804,123人
エルパソ・ラスクルーセス広域都市圏
都市圏/小都市圏 人口
エルパソ都市圏 804,123人
ラスクルーセス都市圏 ドニャアナ郡 ニューメキシコ州 209,233人
合計 1,013,356人

市域人口推移

以下にエルパソ市における1880年から2010年までの人口推移をグラフおよび表で示す[113]

統計年 人口 順位
1880年 736人 -
1890年 10,338人 -
1900年 15,906人 -
1910年 39,279人 -
1920年 77,560人 89位
1930年 102,421人 86位
1940年 96,810人 98位
1950年 130,485人 76位
1960年 276,687人 46位
1970年 322,261人 45位
1980年 425,259人 28位
1990年 515,342人 22位
2000年 563,662人 23位
2010年 649,121人 19位

姉妹都市

エルパソ・ハデラ姉妹都市提携調印式

エルパソは以下1都市と姉妹都市提携を結んでいる。

参考文献

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    トラウマ・センターとは、外傷を負った患者に対して救急医療を施す施設のことであり、レベルIからIVまでの4段階に格付けがなされている。最高レベルであるレベルIのトラウマ・センターは、地域の外傷救急医療の中心となり、外傷の防止、治癒後のリハビリテーション、外傷救急医療の人材育成、外傷救急医療研究、外傷救急医療システムの構築・計画の拠点ともなる。
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    なお、本来サンセット・リミテッド号はロサンゼルスとオーランドを結ぶ大陸横断列車であるが、2005年ハリケーン・カトリーナおよびハリケーン・リタの影響により、無期限でニューオーリンズ以西のみの区間運行となっている。ニューオーリンズ以東の復旧のめどは立っていない。
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    なお、テキサス・イーグル号はシカゴ・サンアントニオ間では毎日運行しており、サンセット・リミテッド号の運転日以外はサンアントニオを起点/終点とした単独運行となる。
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外部リンク

座標: 北緯31度45分35秒 西経106度29分19秒 / 北緯31.759722度 西経106.488611度 / 31.759722; -106.488611