ウィリアム・P・ホビー空港

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ウイリアム・P・ホビー空港
ヒューストン・ホビー
William P. Hobby Airport
WilliamPHobbyAerial.jpg
IATA: HOUICAO: KHOUFAA: HOU
概要
所有者 ヒューストン市
運営者 ヒューストン・エアポート・システム
供給都市 ヒューストン・シュガーランド・ベイタウン
所在地 テキサス州ヒューストン
標高 46 ft / 14 m
座標 北緯29度38分44秒 西経95度16分44秒 / 北緯29.64556度 西経95.27889度 / 29.64556; -95.27889
ウェブサイト fly2houston.com/hobbyHome
滑走路
方向 全長 表面
ft m
04/22 7,602 2,317×46 舗装
12L/30R 5,148 1,569×30 舗装
12R/30L 7,602 2,317×46 舗装
17/35 6,000 1,829×46 舗装[1]
統計 (2006)
離発着数 236,637
定置機 292
定期便/チャーター便 154,621
ジェネラルアビエーション 81,791
出典:連邦航空局[2]

FAA diagram HOU.svg

ウィリアム・P・ホビー空港(ウィリアム・P・ホビーくうこう、: William P. Hobby Airport)は、アメリカ合衆国テキサス州ヒューストン市にある空港である。ヒューストン市中心部から南東へ8海里(約15km)のところにあり[2]、1,304エーカー(5.3平方キロメートル)の敷地面積に4本の滑走路を有する。ヒューストンでは最も古い空港であり、1969年にヒューストン・インターコンチネンタル空港が供用開始するまでは、ヒューストンの主要玄関口の役割を果たしていた。その後はヒューストンの第2空港として、国内線やビジネスジェットや自家用機などの発着に使用されている。1940年に建設された空港ターミナルは、「1940エアターミナル博物館」として使用されている。現在はサウスウエスト航空の主要拠点となっている。

歴史[編集]

1940年に建設されたターミナルビルを使用した1940エアターミナル博物館

ホビー空港の歴史は、1927年に2.4平方キロメートル(600エーカー)の牧草地に、W.T.カーターフィールドと呼ばれる個人用の離着陸場として開設されたことに端を発する。ブラニフ航空イースタン航空がこの飛行場を使用した。その後、ヒューストン市が用地を取得し、1937年からヒューストン市営空港と命名された[3]。その後、1938年にはハワード・ヒューズが責任者となって管制塔の設置などで設備を改良し[3]、同年ハワード・R・ヒューズ空港と改称した。しかし、当時ハワードヒューズが存命中であり、かつ実在の人物を命名した空港に対しては連邦政府からの補助金交付がされないという規則があったため、空港名は再びヒューストン市営空港に戻されている。

1940年、ヒューストン市は新しいターミナルビルと格納庫を新設し、供用を開始した。

1950年、パンアメリカン航空(パンナム)がヒューストンとメキシコシティを結ぶ路線を開設した。1954年には、53640の発着便と910,047人の利用者に対応可能な新しいターミナルビルが開設され[4]、同年にヒューストン国際空港と改称された。

1957年の公式ガイドによれば、平日の発着便の内訳は、イースタン航空が26便、ブラニフ航空が20便(そのほかに南アメリカ大陸への路線が週4便)、コンチネンタル航空デルタ航空トランステキサス航空(当時)が各社とも9便、ナショナル航空が4便、パンナムが2便、アメリカン航空が1便となっていた。各社ともニューヨークやワシントンには直行便を運航していたが、シカゴとデンバー、またはそれ以西の路線の開設はされていなかった。1957年には、KLMオランダ航空モントリオール経由でアムステルダムから乗り入れた。これらの各社は、その後ヒューストン・インターコンチネンタル空港(当時)に移転し、就航を続けている。

1967年、当時のテキサス州知事のウィリアム・P・ホビーの名前を冠した名称に改称した。

ホビー空港の拡張は困難だったため、民間航空当局は、ホビー空港が今後の航空旅行市場に不適であるとして、何年も前から移転を勧告していた[5]。これを受けて、1969年にヒューストン・インターコンチネンタル空港(当時)が開設され、すべての航空会社はインターコンチネンタル空港に移転した。

その後定期旅客便の発着はなかったが、1971年11月14日よりサウスウエスト航空がホビー空港発着で定期旅客便の運航を開始した[6]。1社しか発着しない空港の利用者がどれだけあるかは未知数であったが、実際に運航すると利用客が急増した[6]。この事象がサウスウエスト航空のその後の方針を決定付けるものになったと同時に、その後の格安航空会社の成功の法則の1つである「都市部に近い第二空港に発着する手法」を生み出すことになった[7]点で、本空港の歴史上特筆される事象である。

2008年の空港利用者は880万人であった[1]。発着便はアメリカ国内線と、出発地で米国入国審査を済ますことのできる国際便のみである。

運用[編集]

ホビー空港ターミナル

ホビー空港は、いくつかの格安航空会社を含む航空会社7社の旅客便のほか、テキサス州からメキシコへ向かうジェネラルアビエーションの発着が行なわれている。インターコンチネンタル空港を拠点としているコンチネンタル航空は乗り入れていない。2011年3月現在、サウスウエスト航空が17の搭乗口を使用し、30都市へ合計127便を運航している[8]

JDパワー主催の航空旅客満足度調査で、アメリカで顧客満足度1位の空港としてホビー空港が2006年[9]と2007年[10]に選定された。2008年には2位にランクされた[11]

サウスウエスト航空は、2005年時点で80パーセント以上の発着便を占めており、1つの搭乗口あたりの1日の発着便数は10便である。サウスウエスト航空では、ホビー空港を拠点として維持した上で、さらに新しい市場の開発を進めている[12]

2000年代、ホビー空港はサウスウエスト航空用の新しいコンコースの設置と、滑走路04/22のアップグレードを含めた改良工事に着手している。 2009年5月には、チケットカウンター、ロビー、手荷物引渡所の改良プロジェクトが発表された[13]

ヒューストンの航空路管制センターは空港の入出域管制も担当している[14]

空港施設[編集]

中央コンコース

ホビー空港の中央コンコースには26の搭乗口があり、7つを除いてすべてサウスウエスト航空が使用している。

ターミナル設備には異教徒のためのチャペルが設けられている[15]

発着航空会社[編集]

サウスウエスト航空 
アルバカーキオースティンボルチモアバーミングハムチャールストンシカゴ・ミッドウェーコーパスクリスティダラス・ラブフィールドデンバーエルパソフォートローダーデールグリーンビル・スパータンバーグハーリンジェン、ジャクソン、ジャクソンビルラスベガス、リトルロック、ロサンゼルスミッドランド・オデッサナッシュビルニューオーリンズニューアークオークランド、オクラホマシティ、オーランド、パナマシティ、フィラデルフィアフェニックスサンアントニオサンディエゴセントルイスタンパタルサ
エアトラン航空 
アトランタ、ブランソン
アメリカン・イーグル航空 
ダラス・フォートワース
デルタ・コネクション(アトランティック・サウスイースト航空またはピナクル航空による運航) 
アトランタ
フロンティア航空(リパブリック航空による運航を含む) 
デンバー
ジェットブルー航空 
ニューヨーク (JFK)
ビジョン航空 
ガルフポート・ビロキシー

アクセス交通機関[編集]

Hobby Airport Transit Center
路線バス 
カーブゾーン13番から、ハリス郡交通局(メトロ)のバスが発着する[16]
送迎バス 
ヒューストン地区のホテルとモーテルによって運用されており、手荷物受取場には無料の呼び出し用電話がある[16]
シャトルサービス 
相乗りシャトルサービスが利用可能。事前に予約することで、利用者の自宅や勤務先で乗車し、空港へ輸送する(逆もあり)。また、定期的に運行する空港連絡バスとシャトルサービスはさまざまな事業者が運行しており、ヒューストン中心部、ガルベストン、カレッジ駅からホビー空港を結んでいる。手荷物受取場でこれらのサービスを確認可能[16]
タクシー 
カーブゾーン3番から利用可能[16]

アートワーク[編集]

芸術家のポール・キトルソンとカーター・エルンストは、枝状の工業製品を材料に、 "Take-off" と題した、ステンレス製の鳥の巣のような作品を作成した。直径が30フィートあり、20フィートの高さで鉄製の幹によって支えられており、亜熱帯植物の庭園の中に浮いた状態になっている。製作目的は、海沿いにあるヒューストンにおける産業の力の精神を表現するためである。ブロードウェイストリートの入口に設置されている。

トラブル[編集]

発着便でのトラブルは以下の通り。

  • 1959年9月29日、ヒューストンからダラスに向かっていたブラニフ航空542便が、バッファロー上空で空中分解し、乗客29人と乗員5人が死亡した。事故機のロッキード・エレクトラ(登録記号:N9705C)は就航してからわずか11日目であった。主翼構造の欠陥が原因(当該記述も参照)。
  • 1968年5月3日、ブラニフ航空352便がヒューストンからダラスに向かう途中で、雷の直撃を受け空中分解した。

脚注[編集]

  1. ^ アスファルトとコンクリートの混在舗装(World Aero Dataによる 空港情報 (KHOU)
  2. ^ a b FAA Airport Master Record for HOU (Form 5010 PDF), effective 2007-08-30
  3. ^ a b "History of Hobby Airport," Houston Airport System
  4. ^ 1940 Air Terminal Museum - Houston Aviation History Timeline
  5. ^ "WILLIAM P. HOBBY AIRPORT." The Handbook of Texas
  6. ^ a b ケビン・フライバーグ・ジャッキー・フライバーグ 『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』 p.39
  7. ^ イカロス出版月刊エアライン』通巻331号 p.95
  8. ^ Moreno, Jenalia. "More to Luv?" Houston Chronicle. January 22, 2011. Retrieved on March 7, 2011.
  9. ^ "Hobby Airport rated number one in customer satisfaction." Houston Airport System
  10. ^ "A favorite among travelers again." Houston Airport System
  11. ^ "JD Power 2008 Survey." Retrieved 6/05/2009
  12. ^ "Program Overview William P. Hobby Airport," Houston Airport System
  13. ^ "Dramatic improvements to come at Hobby," Houston Airport System
  14. ^ "KHOU," Airnav.com
  15. ^ "Interfaith Chapel" of William P. Hobby Airport. Houston Airport System
  16. ^ a b c d "Ground Transportation." William P. Hobby Airport. Retrieved on November 22, 2008.

外部リンク[編集]