橘樹郡

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神奈川県橘樹郡の範囲

橘樹郡(たちばなぐん)は、神奈川県武蔵国)にあった

郡域[編集]

1878年明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、概ね下記の区域にあたる。

隣接していた郡[編集]

行政区画として発足した当時に隣接していた郡は以下の通り。

歴史[編集]

かつて郡衙が置かれたと推定される地域に建つ影向寺は、仏教伝来間近の7世紀頃まで遡る遺跡が見つかっている (2005年4月9日撮影)

郡名は、かつて橘樹郡内であった現在の川崎市高津区子母口富士見台に弟橘媛御陵とされる富士見台古墳があることによると伝えられる。その近くの高津区子母口には日本武尊・弟橘媛を祀る橘樹神社がある。

原始[編集]

縄文時代
弥生時代
  • 梶ヶ谷神明社上遺跡が形成される。
  • 影向寺・野川神明社周辺の遺跡が形成される。

古代[編集]

古墳時代
飛鳥奈良時代7世紀以降)
  • 大和政権の統治下、律令制の下で(評)・の行政区画が整備される。この地域は武蔵国橘樹郡となり、郡衙影向寺宮前区野川、橘樹郡の郡寺であった可能性が高い[2])もしくは高津区千年の付近に置かれたと推定されている。影向寺の東方400mには橘樹郡の正倉であることから郡衙の跡と見られる千年伊勢山台北遺跡(高津区千年)があり、この地域が古代橘樹郡の中心地であった[2]
  • 当初は4つの郷(橘樹(たちばな)郷:影向寺一帯、高田郷:横浜市港北区の高田町一帯、御宅(みやけ)郷:加瀬白山古墳のある北加瀬南加瀬一帯、県守(あがたもり)郷:津田山周辺)が置かれ、後に駅家郷(高津区末長周辺)が加わった[3](現在の地名への比定は高橋a2000, p.94-95)。
  • 7世紀頃に成立した武蔵国府(現在の府中市)へ繋がる府中街道が整備され、橘樹郡はそれに沿った最も近い穀倉地帯として、いち早く農業地帯として開発された[4]
  • 影向寺が創建され、馬絹古墳が建造される。
  • 奈良時代には都に通じる官道の東海道があり、郡内には小高駅が置かれた。小高駅から荏原郡の大井駅に向かう人々は丸子の渡しを使った[5]
  • 足柄道(後の矢倉沢往還・大山街道)が官道として利用されはじめる。
  • 中原街道が形成されはじめる。

中世[編集]

鎌倉時代
室町時代
  • 後北条氏による所領の記録「小田原衆所領役帳」に、星川(橘樹郡・都筑郡、かつては久良岐郡に属したとも言われる)、仏向、程ヶ谷(保土ヶ谷)など当郡内の地名が記載されており、当時の当郡内は後北条氏の家臣により分割統治されていたと推定されている。

近世[編集]

江戸時代

近代[編集]

行政の変遷については「沿革」で後述する。

近代以降の沿革[編集]

知行 村数 村名
幕府領 幕府領(神奈川奉行所) 5町
9村
芝生村、藤江新田、岡野新田、保土ヶ谷町、岩間町、●神戸町、帷子町、●神奈川村(神奈川宿のうち神奈川町を指す)、青木村(神奈川宿のうち青木町を指す)、新猟師町(神奈川宿のうち)、新宿村、生麦村、○子安村(実際には1872年まで東子安村・西子安村)、鶴見村
幕府領(松村支配所) 3町
58村
下星川村仏向村、坂本村、和田村、三枚橋村、片倉村、六角橋村神太寺村、○東寺尾村、西寺尾村、北寺尾村、白幡村、馬場村、●上末吉村、下末吉村、南綱島村、北綱島村、●大曽根村、樽村、小土呂町、砂子町、新宿町、久根崎村(久根崎町を指す)、中島村、●堀之内村、渡田村大島村、●池上新田、●川中島村、池上義村(詳細不明)、大師河原村田辺新田下新田村、潮田村、小野新田、菅沢村、南河原村上平間村苅宿村蟹ヶ谷村、藤田新田、溝ノ口村二子村久地村、諏訪河原村、北見方村、宮内村、●小杉村、●上丸子村、●子母口村、梶ヶ谷村平村長尾村、上作延村、天真寺新田、○上菅生村、○五段田村、●宿河原村堰村、●○菅村中野島村[8]
旗本領 25村 羽沢村岸之根村、●鳥山村、菊名村、獅子ヶ谷村、●箕輪村、●矢向村、江ヶ崎村、●小倉村、中平間村(中丸子村の誤記か)、●今井村木月村、●駒林村、久本村、新城村、●下小田中村、岩川村、久末村、清沢村、●新作村、○末長村土橋村、高石村、細山村、金程村
幕府領・旗本領 19村 下菅田村、●小机村、篠原村、大豆戸村、駒岡村、●太尾村、●小田村、市場村、○井田村南加瀬村矢上村、●駒ヶ橋村、下作延村、●上小田中村、●○野川村(上野川村・下野川村の増上寺領を除く区域と野川村新田の総称)、馬絹村有馬村、○下菅生村、●登戸村
その他 寺社領 15村 師岡村、小向村、稲荷新田、鹿島田村、塚越村、古川村戸手村明津村、今井村、市ノ坪村北加瀬村、下平間村、上野川村、下野川村、坂戸村

町村制以降の沿革[編集]

1.神奈川町 2.子安村 3.小机村 4.大綱村 5.旭村 6.生見尾村 7.川崎町 8.大師河原村 9.田島村 10.町田村 11.御幸村 12.住吉村 13.日吉村 14.高津村 15.中原村 16.橘村 17.向丘村 18.宮前村 19.生田村 20.稲田村 21.保土ケ谷町 22.宮川村 23.矢崎村(青:川崎市 紫:横浜市)
  • 1889年(明治22年)
    • 3月31日 - 下記の町村の統合が行われる。(3町20村)
      • 神奈川町 ← 青木町、神奈川町(現横浜市神奈川区)、芝生村(現横浜市西区)
      • 子安村 ← 子安村、白幡村、西寺尾村(現横浜市神奈川区)
      • 小机村 ← 岸根村、小机村、鳥山村(現横浜市港北区)、下菅田村、羽沢村、三枚橋村、片倉村、六角橋村、神代寺村(現横浜市神奈川区)
      • 大綱村 ← 大豆戸村、篠原村、菊名村、樽村、大曽根村、太尾村、南綱島村、北綱島村(現横浜市港北区)
      • 旭村 ← 獅子ヶ谷村、駒岡村、上末吉村、下末吉村、北寺尾村、馬場村、東寺尾村[一部]、西寺尾村[一部](現横浜市鶴見区)、師岡村(現横浜市港北区)
      • 生見尾村 ← 生麦村、鶴見村、東寺尾村、馬場村[一部](現横浜市鶴見区)
      • 川崎町 ← 久根崎町、新宿町、砂子町、小土呂町、堀之内村、大島村[一部]、南河原村[一部]、中島村[一部]、大師河原村[一部](現川崎市川崎区)
      • 大師河原村 ← 大師河原村、池上新田、新宿町[一部]、砂子町[一部]、中島村[一部](現川崎市川崎区)
      • 田島村 ← 渡田村、大島村、下新田村、小田村、中島村、田辺新田、新宿町[一部]、堀之内村[一部]、大師河原村[一部]、菅沢村[一部](現川崎市川崎区)
      • 町田村 ← 市場村、潮田村、小野新田、矢向村、江ヶ崎村、菅沢村、小田村[一部](現横浜市鶴見区)
      • 御幸村 ← 塚越村、古川村、戸手村、小向村、下平間村、南河原村、新宿町[一部]、砂子町[一部]、堀之内村[一部]、矢向村[一部](現川崎市幸区)、上平間村、中丸子村、小杉村[一部](現川崎市中原区)
      • 住吉村 ← 今井村、木月村、市ノ坪村、苅宿村、井田村(現川崎市中原区)、北加瀬村(現川崎市幸区、中原区)
      • 日吉村 ← 鹿島田村、小倉村、南加瀬村(現川崎市幸区)、駒林村、駒ケ橋村、矢上村、箕輪村(現横浜市港北区)
      • 高津村 ← 溝口村、二子村、久地村、下作延村、久本村、諏訪河原村、北見方村、坂戸村(現川崎市高津区)
      • 中原村 ← 上丸子村、小杉村、宮内村、上小田中村、下小田中村、新城村、中丸子村[一部](現川崎市中原区)
      • 橘村 ← 千歳村、新作村、子母口村、末長村、久末村、明津村、蟹ヶ谷村(現川崎市高津区)
      • 向丘村 ← 上作延村、下作延村[一部](現川崎市高津区)、長尾村(現川崎市多摩区)、平村、菅生村(現川崎市宮前区)
      • 宮前村 ← 馬絹村、土橋村、有馬村、溝口村[一部](現川崎市宮前区)、梶ヶ谷村、野川村(現川崎市宮前区、高津区)
      • 生田村 ← 金程村、高石村、細山村(現川崎市麻生区)、生田村(現川崎市多摩区、麻生区)
      • 稲田村 ← 登戸村、菅村、中野島村、宿河原村、堰村(現川崎市多摩区)
      • 保土ケ谷町 ← 保土ケ谷町、神戸町、岩間町、帷子町(現横浜市保土ケ谷区)、岡野新田(現横浜市西区)
      • 宮川村 ← 和田村、下星川村(現横浜市保土ケ谷区)
      • 矢崎村 ← 仏向村、坂本村(現横浜市保土ケ谷区)
    • 4月1日 - 上記3町20村が町村制を施行。
  • 1892年(明治25年)2月5日 - 小机村が改称して城郷村となる。(3町20村)
  • 1899年(明治32年)7月1日 - 郡制を施行。
  • 1901年(明治34年)4月1日 - 神奈川町が横浜市に編入。郡役所が川崎町に移転。(2町20村)
  • 1909年(明治42年)4月1日 - 宮川村・矢崎村が保土ケ谷町に編入。(2町18村)
  • 1911年(明治44年)4月1日 - 子安村の一部(子安)が横浜市、一部(白幡)が大綱村、残部(西寺尾)が旭村に分割編入。(2町17村)
  • 1912年(明治45年)4月1日 - 「東京府神奈川県境界変更に関する法律」の施行により東京府との境界を多摩川に画定して対岸飛地を解消。下記の区域の所属郡を変更[10]
  • 1921年大正10年)4月1日 - 生見尾村が町制施行・改称して鶴見町となる。(3町16村)
  • 1923年(大正12年)
    • 1月1日 - 大師河原村が町制施行して大師町となる。(4町15村)
    • 4月1日
      • 郡会が廃止。郡役所は存続。
      • 町田村が町制施行・改称して潮田町となる。(5町14村)
    • 6月1日 - 田島村が町制施行して田島町となる。(6町13村)
  • 1924年(大正13年)7月1日 - 川崎町・大師町・御幸村が合併して川崎市が発足し、郡より離脱。(4町12村)
  • 1925年(大正14年)
    • 4月1日 - 潮田町が鶴見町に編入。(3町12村)
    • 5月10日 - 住吉村の一部(北加瀬)が日吉村に編入。残部が中原村と合併して中原町が発足。(4町10村)
  • 1926年(大正15年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
  • 1927年昭和2年)
    • 4月1日(1町7村)
      • 田島町が川崎市に編入。
      • 横浜市の第3次市域拡張のため、鶴見町・旭村・大綱村・城郷村・保土ケ谷町が横浜市に編入。
    • 10月1日 - 横浜市が区制を施行し、旧橘樹郡域に以下の3区を設置。
      • 鶴見区 ← 旧鶴見町および旧旭村の一部(師岡を除く区域)
      • 神奈川区 ← 旧子安村、旧大綱村、城郷村および旧旭村の残部(師岡)、旧保土ケ谷町の一部(岡野新田)
      • 保土ケ谷区 ← 旧保土ケ谷町の残部(岡野新田を除く)
  • 1928年(昭和3年)4月17日 - 高津村が町制施行して高津町となる。(2町6村)
  • 1932年(昭和7年)6月1日 - 稲田村が町制施行して稲田町となる。(3町5村)
  • 1933年(昭和8年)8月1日 - 中原町が川崎市に編入。(2町5村)
  • 1937年(昭和12年)
    • 4月1日(1町4村)
      • 高津町が川崎市に編入。
      • 横浜市の第5次市域拡張により、日吉村の一部(下田・駒林・箕輪・日吉)が横浜市に編入され、神奈川区の一部となる。残部(鹿島田・小倉・南加瀬)は川崎市に編入。
    • 6月1日 - 橘村が川崎市に編入。(1町3村)
  • 1938年(昭和13年)10月1日 - 稲田町・向丘村・宮前村・生田村が川崎市に編入。同日橘樹郡消滅。

郡消滅後の沿革[編集]

  • 1939年(昭和14年)4月1日 - 横浜市神奈川区から港北区が分区。旧大綱村および旧旭村・日吉村のうち神奈川区に属する区域と、旧城郷村の一部(岸根・小机・鳥山)が港北区となる。
  • 1944年(昭和19年)4月1日 - 横浜市中区の戸部警察署管内が西区に分区。旧神奈川町の一部(芝生)、旧保土ケ谷町の一部(岡野新田)が西区となる。
  • 1972年(昭和47年)4月1日 - 川崎市が政令指定都市に指定され、旧橘樹郡域に以下の5区を設置。
    • 川崎区 ← 旧川崎町、大師町、田島町
    • 幸区 ← 旧御幸村の一部(塚越・古川・戸手・小向・下平間・南河原)、旧日吉村の一部(北加瀬の一部[現西加瀬・大倉町の一部]を除く)
    • 中原区 ← 旧中原村および旧御幸村の一部(塚越・古川・戸手・小向・下平間・南河原を除く)、旧日吉村の残部(北加瀬の一部[現西加瀬・大倉町の一部])
    • 高津区 ← 旧高津町、橘村、向丘村、宮前村
    • 多摩区 ← 旧稲田町、生田村
  • 1975年(昭和50年)2月1日 - 川崎市高津区のうち旧向丘村の一部(長尾のうち住居表示が実施された区域)を多摩区に編入。
  • 1982年(昭和57年)7月1日
    • 川崎市高津区から宮前区を分区。旧宮前村の大部分(梶ケ谷・野川の一部を除く)、旧向丘村の一部(平・菅生および長尾のうち1975年に多摩区に編入されなかった部分)が宮前区となる。
    • 川崎市多摩区から麻生区を分区。旧橘樹郡域では旧生田村の一部(生田以外の全域および生田のうち分区時の住居表示実施により東百合丘となった区域)が麻生区となる。

変遷表[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 同区域は発足時の横浜市域に同じ。横浜市#行政区域の変遷を参照。
  2. ^ a b 高橋a2000, p.73
  3. ^ 高橋a2000, p.94
  4. ^ 小川2003, p.17
  5. ^ 小林1995, p.166
  6. ^ 領主から年貢免除の特権を与えられた土地。
  7. ^ 中野島村を除き、村と記載されている神奈川町・青木町・久根崎町を町として数える。
  8. ^ 1875年明治8年)まで多摩郡に属していたが、「旧高旧領取調帳」では当郡として扱われている。
  9. ^ 同日、太政官第160号布告「神奈川県下武蔵国郡界更正並ニ村落組替」 - 国立国会図書館
  10. ^ このうち右岸地域には旧荏原郡・旧北多摩郡の地名が今も残っているが、左岸地域については大部分が田畑であり住民が少なかった、後に河川敷になった、住居表示施行の際などに町名が改められた、などの理由により現在は地名があまり残っていない。

参考文献[編集]

  • 角川日本地名大辞典 14 神奈川県
  • 旧高旧領取調帳データベース
  • 川崎市編『川崎市史』川崎市
  • 林述斎ほか『新編武蔵風土記稿江戸幕府 - 江戸時代に幕府によって編纂された武蔵国の地誌で、文政8年に完成。橘樹郡内については文化13年頃に記されている。村単位で詳細に記されており、地名の由来から社寺とその所蔵宝物、史跡、地形、隣接村などの位置関係、土地の利用状況や用水路などについても詳説しており、当時の地誌を知る上で貴重な文献になっている。なお本資料は歴史関係の書誌を扱う各社が出版しており、現在は ISBN 4-6390-0017-0 が出版されている。また川崎市地名資料室や市内の図書館等でも郷土資料として所蔵し開架されている。
  • 川崎市文化財団『川崎歴史ガイド 橘樹郡家と影向寺』2004年
  • 川崎市市民ミュージアム『弥生・古墳・飛鳥を考える—古墳の出現とその展開—』2006年
  • 佐保田五郎『菅散歩(一)菅の地名・自然』菅散歩出版事務局、1997年
  • 横浜市市民局『横浜の町名』1996年
  • 高橋嘉彦 『ふるさと川崎の自然と歴史(上)』 多摩川新聞社、2000年ISBN 4-924882-36-4
  • 小川一朗 『川崎の地誌 新しい郷土研究』 有隣堂、2003年ISBN 4-89660-180-7
  • 川崎地域史研究会 『かわさき民衆の歩み 明治・大正・昭和』 小林孝雄・編、多摩川新聞社、1995年ISBN 4-924882-12-7

外部リンク[編集]

関連項目[編集]