矢向

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矢向
矢向駅 駅舎(2009年6月14日)
矢向駅 駅舎(2009年6月14日)
矢向の位置(横浜市内)
矢向
矢向
矢向の位置
矢向の位置(神奈川県内)
矢向
矢向
矢向の位置
北緯35度32分16.8秒 東経139度40分48.6秒 / 北緯35.538000度 東経139.680167度 / 35.538000; 139.680167
日本の旗 日本
都道府県 Flag of Kanagawa Prefecture.svg 神奈川県
市町村 Flag of Yokohama, Kanagawa.svg 横浜市
鶴見区
面積
 • 合計 1.256km2
人口
2017年(平成29年)12月31日現在)[2]
 • 合計 21,469人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
230-0001[3]
市外局番 045 (横浜MA)[4]
ナンバープレート 横浜

矢向(やこう)は横浜市鶴見区町名である。現行行政地名は矢向一丁目から矢向六丁目。住居表示実施済み区域。郵便番号は230-0001[3]

地理[編集]

鶴見区の東北部、鶴見川の左岸地域に位置し、狭い川崎市域を挟んで多摩川にも近接する。鶴見区の北端であり、距離の上では区政の中心である鶴見駅周辺よりも、川崎市の川崎駅に近い。沖積層からなる平地であり、海抜は2メートルから3メートル。北西に江ケ崎町、西に鶴見川を挟んで上末吉下末吉、南に元宮尻手と接し、東側と北側は川崎市幸区である。区域南部の国道1号沿いの地域は比較的大規模な工場から中小の工場・事業所が並び、他はほぼ住宅地となっている。

南武線品鶴線(横須賀線)の線路が区域を縦断している。特に後者は新鶴見操車場の跡地を伴うもので、東側の矢向一丁目とその他の地域の間は陸橋を通らなければ往来できない。

16世紀末までは多摩川の河口は今より南にあり、矢向は多摩川の河畔に位置していた[5]。このことは、地質的に旧河道自然堤防が認められること[6]のほか、最願寺の観音像が多摩川を流れて「矢向の川岸」に漂着したものであると伝わることからも裏付けられる[7]

大正の頃はほとんど農地であった。鶴見川と多摩川に挟まれた良好な土地だったためである。

現在は町内に農地は存在しない。

面積[編集]

面積は以下の通りである[1]

丁目 面積(km2
矢向一丁目 0.421
矢向二丁目 0.135
矢向三丁目 0.240
矢向四丁目 0.184
矢向五丁目 0.132
矢向六丁目 0.144
1.256

歴史[編集]

平安時代の頃までは付近は東京湾に浮かぶ浮洲の一つであったらしいが、矢向で最も古い良忠寺の創建が1240年仁治元年)であり、その頃までには開拓が進められ、現在につながる農村が成立していたとみられる[8]。古くから武蔵国橘樹郡に属した[9]

江戸時代には川崎領矢向村と呼ばれ、時期や地域によって天領寺領旗本領のいずれかであった[10]二ヶ領用水の開通後は矢向村内にも水路が引かれて農業に利用された。

明治維新にあたっては、1868年(明治元年)のうちには神奈川県に編入されたと推定される[11]。その後の地方制度改革のもとで、矢向村の行政区域は以下のような変遷を経た。

  • 1873年(明治6年)5月13日 - 区画改正大略により4大区5番組に属する[12]
  • 1874年(明治7年)6月15日 - 大区小区制により4大区5小区に属する[12]
  • 1878年(明治11年)7月22日 - 郡区町村編制法により改めて橘樹郡矢向村となる[12]
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制により周辺の村と合併し橘樹郡町田村となる[12]。大字矢向[13]
  • 1923年(大正12年)4月1日 - 町田村が町制を施行し、潮田町となる。
  • 1925年(大正14年)4月1日 - 潮田町が橘樹郡鶴見町に編入。
  • 1927年(昭和2年)4月1日 - 鶴見町が横浜市に編入、大字矢向は矢向町に[13]。10月1日に横浜市が区制を施行し、鶴見区となる。

昭和になり京浜工業地帯日本鋼管旭硝子味の素東芝などの工場が出来、そこに勤める人たちが多く住むようになった。1927年に南武鉄道が開業したことで、矢向駅尻手駅を中心に住宅地が広がっていった。

1945年(昭和20年)4月15日の川崎・鶴見空襲では矢向駅(駅舎焼失)や隣接する矢向電車区(車両5両焼失)などに被害があった[14]。現在矢向駅前に立つクスノキの大木はその際に焼けた南武鉄道開通記念樹3本のうち1本だけが蘇生したものである。

1951年(昭和26年)に出版された林芙美子の小説『めし』では、当時の矢向が次のように描写されている。この小説は同年に映画化され、実際に矢向駅前などで撮影された映像が使われた。

三千代が、矢向駅へ降りたのは、九時ごろであった。

(中略)

新開地の、どぶっ川に沿った、商店街で、さびしい町並ではあったが、割合い住みいいところである。

東京にも、横浜にも近く、町の周囲には、工場が多かったので、終戦後、急速に、商店街がひらけた。

— 林芙美子、『めし』

戦後は、京浜工業地帯の発展と東京一極集中の進展にともなって人口も増え、中小の工場・事業所と住宅が密集する地域となった。児童数が急増した横浜市立矢向小学校は市内有数のマンモス校となり、1947年(昭和22年)から15年ほどの間、二部授業制をとった。また、児童生徒数が多いため、1962年(昭和37年)に創立した横浜市立矢向中学校は、一校の小学校に一校の中学校が対応した。1968年(昭和43年)に住居表示が実施され、矢向町は現在の矢向一丁目から六丁目となった[13]。1995年(平成7年)、JR横須賀線(品鶴線)の線路を挟んだ隣の江ヶ崎町に横浜市立新鶴見小学校が創立され、矢向小学校の学区が分かれた。この頃から、中小の工場が移転した場所に大規模マンションの建設が進み、人口はさらに大きく伸びた。

世帯数と人口[編集]

2017年(平成29年)12月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]

丁目 世帯数 人口
矢向一丁目 2,683世帯 6,388人
矢向二丁目 1,077世帯 1,831人
矢向三丁目 2,302世帯 4,386人
矢向四丁目 2,116世帯 3,671人
矢向五丁目 1,786世帯 3,293人
矢向六丁目 1,179世帯 1,900人
11,143世帯 21,469人

小・中学校の学区[編集]

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[15]

丁目 番地 小学校 中学校
矢向一丁目 全域 横浜市立新鶴見小学校 横浜市立矢向中学校
矢向二丁目 全域 横浜市立矢向小学校
矢向三丁目 全域
矢向四丁目 全域
矢向五丁目 全域
矢向六丁目 全域

主な交通[編集]

鉄道[編集]

道路[編集]

バス[編集]

が利用可能である。川崎鶴見臨港バスの矢向南町と横浜市営バスの矢向はほぼ同位置にあるが停留所の名称が異なる。

地区[編集]

矢向一丁目(矢向西町)
品鶴線の線路の西側。矢向中学校がある。矢向で唯一の新鶴見小学校校区。南半分は東洋製罐横浜工場で占められている。新鶴見操車場跡地には汐田総合病院がある。
矢向二丁目(矢向南町)
尻手駅の南西側地域。尻手駅前郵便局があるほか、品鶴線の線路に近い部分でJR東日本の施設が大きな面積を占める。現在でも「南町」で通用する。
矢向三丁目(矢向本町)
二丁目の北、四丁目の西側。矢向小学校鶴見警察署矢向交番、鶴見消防署矢向消防出張所がある。北寄りに貨物線(南武線と品鶴線を結ぶ「尻手短絡線」)があり、貨物列車が頻繁に通る。
矢向四丁目(矢向宮元町/矢向宮本町)
南武線の両側にわたる町。浄土宗の記主山然阿院良忠寺、浄土真宗本願寺派の最願寺、日枝神社という古い寺社がある。ミヤモト町の表記は「宮元町」と「宮本町」の二種類ある。
矢向五丁目(矢向泉町)
矢向駅の東側、北と東で川崎市に接する地域。商店街・矢向商栄会がある。四丁目との境は矢向駅と川崎河岸駅を結んだ貨物線(1972年廃止)の跡である。
矢向六丁目(矢向神田町)
矢向駅と矢向商店街、横浜矢向郵便局、鶴見警察署矢向駅前交番などがある。西側は品鶴線の線路に接し、その手前にはファミリーマート向けの弁当を製造するトオカツフーズの工場がある。東は南武線の線路である。

隣接する地区[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b 横浜市町区域要覧”. 横浜市 (2016年3月31日). 2018年1月24日閲覧。
  2. ^ a b 横浜の人口 - 登録者数(市・区・町・外国人) - 町丁別世帯と男女別人口”. 横浜市 (2017年12月31日). 2018年1月24日閲覧。
  3. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2018年1月23日閲覧。
  4. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2018年1月23日閲覧。
  5. ^ 『川崎市史』通史編I p.501
  6. ^ "tokyo_ws&size=100&rc=44 国土地理院1:25,000土地条件図『東京西南部』"
  7. ^ 『矢向のはなし』横浜市立矢向中学校郷土史編集委員会、横浜市立矢向中学校二十周年記念事業運営委員会、1985年、76頁。
  8. ^ 『矢向のはなし』 p.41
  9. ^ 『矢向のはなし』 p.40
  10. ^ 『矢向のはなし』 p.43
  11. ^ 『矢向のはなし』 p.45
  12. ^ a b c d 幸区地誌刊行会『川崎 幸区地誌』有隣堂、1989年、239頁。ISBN 4-89660-090-8
  13. ^ a b c 角川日本地名大辞典・神奈川県』角川書店、1984年。
  14. ^ 原田勝正『南武線いまむかし』多摩川新聞社、1999年、97頁。ISBN 4-924882-28-3
  15. ^ 小中学校等通学区域”. 横浜市 (2017年11月15日). 2018年1月24日閲覧。
  16. ^ 住居表示新旧対照案内図 東小倉 (PDF)”. 川崎市. 2017年7月7日閲覧。