菅 (川崎市)

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稲田堤駅 駅舎(2007年5月28日)
稲田堤駅 駅舎(2007年5月28日)
菅の位置(神奈川県内)
菅
菅の位置
北緯35度37分58.8秒 東経139度32分5.16秒 / 北緯35.633000度 東経139.5347667度 / 35.633000; 139.5347667
日本の旗 日本
都道府県 Flag of Kanagawa Prefecture.svg 神奈川県
市町村 Flag of Kawasaki, Kanagawa.svg 川崎市
多摩区
面積
 • 合計 0.76km2
人口
2017年(平成29年)12月31日現在)[2]
 • 合計 12,795人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
214-0001[3]
市外局番 044 (川崎MA)[4]
ナンバープレート 川崎

(すげ)は、神奈川県川崎市多摩区にある地名。現行行政地名は菅一丁目から菅六丁目で、住居表示は実施済み区域[5]。菅地区の中心。郵便番号は214-0001[3]菅村稲田村稲田町および分離する前の各地名の歴史についても記述する。

地理[編集]

川崎市多摩区の北西部に位置し、西側は稲城市と接する。中心を南武線が通り北側に五丁目と六丁目、西側に一丁目から四丁目がある。東側に京王相模原線が通る。また府中街道も中心を通り、通り沿いにファミリーレストランが多い。

「京王駅前通り」と呼ばれる商店街京王稲田堤駅から稲田堤駅に至るまで東西に走っている。乗り換え客などもあり、賑わっている。

東は菅馬場(すげばんば)、西は菅城下(すげしろした)・稲城市矢野口、南は菅北浦(すげきたうら)、北は菅野戸呂(すげのとろ)・菅稲田堤(すげいなだづつみ)に接する。矢野口を除いて菅から分離した地名である。

河川[編集]

地価[編集]

住宅地の地価は、2014年平成26年)1月1日公示地価によれば、菅5-12-16の地点で22万3000円/m2となっている。[6]

農業[編集]

江戸時代から稲毛米という品質の良い米を産出し、将軍や皇室へ献上していた(献上米)

また稲毛の田から「稲田」と言う地名が出来たと言われる。[7]

また菅地区・稲田地区は多摩川梨の生産地でも昭和初期には宮家に献上していた[8]

鎌倉時代から栽培されているのらぼう菜も特産品のひとつでブランド化されている[9]

歴史[編集]

地名の由来[編集]

スゲが多く生えていたことから[10][11]

江戸時代以前[編集]

菅遺跡からは縄文土器・土偶片・須恵器などが出土、西菅遺跡からは住居跡が発掘された[10]奈良時代末期から平安時代初期に建立された八角円堂という渡来人の仏教施設が発見されている[10][11]

平安時代末期小沢城稲毛重成によって築城される。1333年元弘3年)の元弘の乱1335年建武2年)の中先代の乱などで戦場となり、1351年観応2年)に足利直義方の小沢城を足利基氏方の高麗経澄が攻め落とす。

1530年享禄3年)小沢原の戦い北条氏康が小沢城に本陣を敷いたとされている[11]

江戸時代[編集]

大丸用水

小沢郷であった地域が村として分けられ菅村ができる[11]1690年元禄3年)までは武蔵国多摩郡に属し1690年から武蔵国橘樹郡に属した。1640年寛永17年)から1690年元禄3年)まで中根氏知行地となる。中根氏が上総国に知行が移されたあとは天領となる[11]

多摩川の洪水や用水がなく水不足だったため米作りには適さない土地であり村高は「武蔵田園簿」(1594年[12])では457石余、「元禄郷帳」(1702年)では1174石余、「天保郷帳」では1227石余[10]とあり大丸用水1604年慶長9年)に二ヶ領用水1611年(慶長16年)に開通したことにより新田開発が進んだことがわかる。

明治・大正時代[編集]

梨栽培や蚕業が盛んとなり1925年大正14年)には梨の共同出荷を実現させるために稲田信販購組合が設立される[10]。蚕業が衰退していくと製紙業が発展し安藤製紙工業が建設され桜花紙、紙幣用紙などが製造された。

昭和時代[編集]

梨栽培はもっとも盛んとなるが戦時中の統制により激減、川崎市が助成し一時復興するが宅地造成などにより減少、梨もぎができるなど観光果樹園化している[10][13]

菅の渡し[編集]

江戸時代ごろから下菅の渡し(上府田の渡し)があり二ヶ領上河原堰堤付近で農作業の人や農産物を運んでいたが稲城市矢野口と調布市多摩川をつなぐ多摩川原橋が完成したため1935年昭和10年)[14]下菅の渡しと上菅の渡し(矢野口の渡し)が廃止され京王相模原線鉄道橋付近に菅の渡しが設置され多摩川原駅(京王多摩川駅)と川崎市側を渡していたものの[10]1971年(昭和46年)4月1日に京王多摩川駅 - 京王よみうりランド駅間が開業すると多摩川で唯一となっていた菅の渡しも1973年(昭和48年)に廃止された。

沿革[編集]

  • 1753年宝暦3年) - 大丸用水の分水を巡り長沼村と菅村で争いが起こる[15]
  • 1859年安政6年) - 天真堂(教育施設)開業。1870年(明治3年)まで
  • 1868年明治元年) - 神奈川県設置。引き続き橘樹郡に属する。
  • 1874年(明治7年) - 大区小区制の施行により、菅村が第5大区第9小区になる。
  • 1876年(明治9年) - 菅学校設立
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、登戸村、菅村、中野島村、宿河原村、堰村が合併して稲田村が成立。稲田村菅となる。
  • 1910年(明治43年) - 多摩川が氾濫。堤防完成、桜250本が植えられる[16]
  • 1927年(昭和2年) - 多摩川梨「早生赤」を天皇皇后両陛下に献上[8]。11月1日 - 南武鉄道(南武線)登戸 - 大丸間開業、稲田堤停留場開業。翌年駅に昇格。
  • 1932年(昭和7年)6月1日 - 稲田村が町制施行して稲田町となる。
  • 1933年(昭和8年)、1934年(昭和9年) - 多摩川梨「二十世紀」を朝香宮に献上。
  • 1938年(昭和13年)10月1日 - 川崎市に編入。同日稲田町廃止。
  • 1940年[16][注 1](昭和15年) - 食料増産のため梨生産に制限がかかり強制的に伐採される。
  • 1966年(昭和41年) - よみうりランド開園
  • 1970年(昭和45年) - 寺尾台団地完成、菅・生田の一部から寺尾台が分離。
  • 1971年(昭和46年)4月1日 - 京王多摩川駅 - 京王よみうりランド駅間(2.7km)開業、京王稲田堤駅営業開始。
  • 1972年(昭和47年)4月1日 - 川崎市が政令指定都市に指定され、旧町域が多摩区となる。西菅団地造成開始。
  • 1973年(昭和48年) - 菅の渡し廃止。

町名の変遷[編集]

[16]

実施後 実施年月日 実施前(各町名ともその一部)
寺尾台一・二丁目 1970年(昭和45年) 菅・生田

[16]

実施後 実施年月日 実施前
菅一丁目〜六丁目 1984年(昭和59年)
菅稲田堤一丁目〜三丁目
菅城下
菅野戸呂

[16]

実施後 実施年月日 実施前
菅仙谷一丁目〜六丁目 1985年(昭和60年)
菅北浦一丁目〜五丁目
菅馬場一丁目〜四丁目

なお頭に「菅」が付く町はすべて菅町会に属しており 菅町会は一説には日本最大の町会と言われている。

世帯数と人口[編集]

2017年(平成29年)12月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]

丁目 世帯数 人口
菅一丁目 930世帯 1,623人
菅二丁目 1,119世帯 2,145人
菅三丁目 946世帯 2,029人
菅四丁目 1,006世帯 1,958人
菅五丁目 1,404世帯 2,670人
菅六丁目 1,135世帯 2,370人
6,540世帯 12,795人

小・中学校の学区[編集]

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[17][18]

丁目 番地 小学校 中学校
菅一丁目 7~15番 川崎市立東菅小学校 川崎市立中野島中学校
その他 川崎市立菅小学校 川崎市立菅中学校
菅二丁目 全域
菅三丁目 全域
菅四丁目 全域
菅五丁目 全域
菅六丁目 全域

交通[編集]

鉄道
京王相模原線京王稲田堤駅

南武線稲田堤駅、南武線矢野口駅も菅の最寄り駅となっている。

バス

稲田堤駅にあるバス停も利用することもできる。

道路

施設[編集]

行政
  • 多摩区役所菅連絡所
  • 菅行政サービスコーナー
  • 菅閲覧所(図書館)
郵便局
  • 稲田堤郵便局
農業協同組合
教育
商業
公園
  • 菅芝間公園
  • 菅芝間こども公園
神社
  • 稲荷社
  • 八雲神社(江戸時代に廃寺になった福泉寺の跡地に建つ)

商店街[編集]

京王駅前通り
JR駅前通り

府中街道から南武線の踏切までの商店街を指す。

京王南口通り

その通りから京王稲田堤駅南口へ延びる商店街を指す。

郵便局通り

稲田堤郵便局がある中野島方向へ延びる商店街を指す。

踏切より北側の菅稲田堤にある多摩川通りも合わせて稲田堤商店街と呼称している。

出典[編集]

  1. ^ 町丁別面積(総務省統計局「地図で見る統計(統計GIS)」の数値)”. 川崎市 (2015年10月26日). 2018年2月15日閲覧。
  2. ^ a b 町丁別世帯数・人口”. 川崎市 (2018年1月25日). 2018年2月15日閲覧。
  3. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2018年2月15日閲覧。
  4. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2018年2月15日閲覧。
  5. ^ 区別町名一覧表”. 川崎市. 2018年2月15日閲覧。
  6. ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
  7. ^ いなだ子ども風土記編集委員会『いなだ子ども風土記 第1編 農業編』、1969年。
  8. ^ a b 多摩川梨セレサ川崎農業協同組合営農経済本部果樹部
  9. ^ 菅産のらぼう菜で新商品をタウンニュース 2010年2月26日号 2010年7月24日閲覧
  10. ^ a b c d e f g 「角川日本地名大辞典 14 神奈川県」角川書店 1984年6月、509ページ
  11. ^ a b c d e 「川崎地名辞典(下)」川崎市 119ページ
  12. ^ プラザ多摩・多摩探訪
  13. ^ 第8編 流域の経済と都市化/第3章 産業/第1節 農業/1.4 多摩川梨
  14. ^ 多摩川本川の歴史文化資産 多摩川の中流部の渡し多摩川流域リバーミュージアム
  15. ^ 京浜河川事務所|多摩川の名脇役|大丸用水
  16. ^ a b c d e 「川崎地名辞典(下)」川崎市 120ページ
  17. ^ 川崎市立小学校の通学区域”. 川崎市 (2015年4月1日). 2018年2月15日閲覧。
  18. ^ 川崎市立中学校の通学区域”. 川崎市 (2015年4月1日). 2018年2月15日閲覧。

脚注[編集]

  1. ^ 多摩川梨セレサ川崎農業協同組合営農経済本部果樹部によると1941年となっている

関連項目[編集]

外部リンク[編集]