苅宿 (川崎市)

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苅宿
苅宿の位置(神奈川県内)
苅宿
苅宿
苅宿の位置
北緯35度33分44.5秒 東経139度39分41.9秒 / 北緯35.562361度 東経139.661639度 / 35.562361; 139.661639
日本の旗 日本
都道府県 Flag of Kanagawa Prefecture.svg 神奈川県
市町村 Flag of Kawasaki, Kanagawa.svg 川崎市
中原区
面積
 • 合計 0.275 km2
人口
2021年(令和3年)6月30日現在)[2]
 • 合計 5,328人
 • 密度 19,000人/km2
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
211-0022[3]
市外局番 044 (川崎MA)[4]
ナンバープレート 川崎

苅宿(かりやど)は、神奈川県川崎市中原区町名。丁番を持たない単独町名であり、2009年平成21年)11月2日住居表示が施行されている[5]郵便番号は211-0022[3]2010年国勢調査時点での面積は27.5 ha[1]

地理[編集]

中原区の南部、二ヶ領用水の右岸に位置する[6]。土地は多摩川沖積低地であり[6]、一帯は住宅地となっている[7]ほか、帝国通信工業や中小の工場が立ち並ぶ地帯でもある[8]。北部を東海道新幹線が、南端を東京都道・神奈川県道111号大田神奈川線(ガス橋通り)が通過している。

苅宿は北端で木月住吉町と、北東端で二ヶ領用水を挟んで市ノ坪と、東端で幸区鹿島田と、南端でガス橋通りを挟んで大倉町や幸区新川崎と、南西端で西加瀬や幸区北加瀬と接する(特記のない町域は中原区所属)。

地価[編集]

住宅地の地価は2021年令和3年)1月1日公示地価によれば苅宿4-39の地点で322,000円となっている[9]

歴史[編集]

中世以前[編集]

当地には古代に条里制が施行されたと見られており[10]、また平将門が当地に一泊したという伝承が『新編武蔵風土記稿』に残る[6][11]が、当地が文献に登場するのは1559年永禄2年)の『小田原衆所領役帳』であり、「稲毛鹿島田借宿」とあったことから、当地が鹿島田の一部であり、また「借宿」と表記していたことが読み取れる[6]

近世[編集]

江戸時代の当地は苅宿村として一村となった。領主は旗本の杉田家であったが[10]明和期に杉田家が断絶したことで収公され、天領となり幕末に至っている[12]。村は、正保年間の『武蔵田園簿』から『元禄郷帳』、『天保郷帳』、幕末の『旧高旧領取調帳』まで200と一定であった[10]。水利は苅宿の北端で二ヶ領用水から分流していたが、干害に襲われることもあった[6]。過重な助郷の負担で生活が困窮したこともあり、副業として紙すきが行われていた[13]。古紙を原料としてちり紙を作るもので[13]、最盛期には苅宿の42軒中35軒が手がけていた[14][注釈 1]

明治以降[編集]

明治維新以降、当地は神奈川県に属し、行政上は苅宿村→住吉村中原町川崎市と推移していった[12]。明治中期頃からの栽培が行われ、昭和期には野菜栽培も行われたが[12]1937年(昭和12年)に東京航空計器が進出して以降、多数の軍需工場が当地に作られ[15]、また川崎大空襲での被害も受けた[12]

工場建設に合わせて住宅も建設されたが、都心への利便性もあり、1956年(昭和31年)以降に住宅建設が加速していった[15]。その中には県や市、住宅公社などによるものも含まれ、また小学校も新設された[10]。結果、当地の農地は他地域より早いうちから姿を消していった[15]

地名の由来[編集]

当地に平将門が宿したことに由来すると伝わる[15]が、古代の鎌倉道が多摩川と交差する地点にも近いことから、正規の宿場でない宿があった地という見方もある[6]。いずれにしても、『小田原衆所領役帳』には「借宿」とあり、江戸時代には「苅宿」へと転じている[6][注釈 2]

沿革[編集]

世帯数と人口[編集]

2021年(令和3年)6月30日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]

町丁 世帯数 人口
苅宿 2,847世帯 5,328人

小・中学校の学区[編集]

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[16][17]

番地 小学校 中学校
全域 川崎市立苅宿小学校 川崎市立住吉中学校

交通[編集]

苅宿八幡境内を横切る新幹線

鉄道[編集]

当地を東海道新幹線が通過するが、駅はない(品川 - 新横浜間)。

道路[編集]

当地の南端を、東京都道・神奈川県道111号大田神奈川線(ガス橋通り)が通過している。

バス[編集]

川崎市交通局川崎鶴見臨港バスが、武蔵小杉駅川崎駅などへのバスを運行している。

施設[編集]

帝国通信工業

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 『新編武蔵風土記稿』における家数は20軒[11]
  2. ^ 『新編武蔵風土記稿』には「もとは大野村と呼へり」とある[11]

出典[編集]

  1. ^ a b 町丁別面積(総務省統計局「地図で見る統計(統計GIS)」の数値)”. 川崎市 (2015年10月26日). 2018年2月15日閲覧。
  2. ^ a b 町丁別世帯数・人口”. 川崎市 (2021年7月26日). 2021年8月21日閲覧。
  3. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2018年2月15日閲覧。
  4. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2018年2月15日閲覧。
  5. ^ 区別町名一覧表(中原区)”. 川崎市 (2016年2月16日). 2016年6月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年8月2日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g h 川崎地名辞典(上)』、p.217。
  7. ^ 川崎の町名』、p.152。
  8. ^ 川崎 新中原誌』、p.65。
  9. ^ 土地総合情報システム”. 国土交通省. 2021年10月9日閲覧。
  10. ^ a b c d e f 角川日本地名大辞典 14 神奈川県』、p.302。
  11. ^ a b c 新編武蔵風土記稿 苅宿村.
  12. ^ a b c d e f g 川崎地名辞典(上)』、p.218。
  13. ^ a b c 川崎 新中原誌』、p.247。
  14. ^ 川崎 新中原誌』、p.248。
  15. ^ a b c d e 川崎 新中原誌』、p.246。
  16. ^ 川崎市立小学校の通学区域”. 川崎市 (2015年4月1日). 2018年2月15日閲覧。
  17. ^ 川崎市立中学校の通学区域”. 川崎市 (2015年4月1日). 2018年2月15日閲覧。
  18. ^ 中原区内商店街一覧”. 川崎市. 2012年7月10日閲覧。[リンク切れ]
  19. ^ 川崎 新中原誌』、p.245。

参考文献[編集]

  • 「苅宿村」『新編武蔵風土記稿』巻ノ65橘樹郡ノ8、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763984/39
  • 『川崎の町名』日本地名研究所 編、川崎市、1995年。
  • 『川崎地名辞典(上)』日本地名研究所 編、川崎市、2004年。
  • 角川日本地名大辞典 14 神奈川県』角川書店、1984年。
  • 新中原誌刊行会『川崎 新中原誌』有隣堂、1977年。