長尾 (川崎市)

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長尾
藤子・F・不二雄ミュージアム
長尾の位置(神奈川県内)
長尾
長尾
長尾の位置
北緯35度36分35.13秒 東経139度35分4.84秒 / 北緯35.6097583度 東経139.5846778度 / 35.6097583; 139.5846778
日本の旗 日本
都道府県 Flag of Kanagawa Prefecture.svg 神奈川県
市町村 Flag of Kawasaki, Kanagawa.svg 川崎市
多摩区
面積
 • 合計 1.146km2
標高
14m
人口
2017年(平成29年)12月31日現在)[2]
 • 合計 8,818人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
214-0023[3]
市外局番 044 (川崎MA)[4]
ナンバープレート 川崎

長尾(ながお)は、神奈川県川崎市多摩区町名。現行行政地名は長尾一丁目から長尾七丁目で、1975年(昭和50年)2月1日に全域で住居表示が施行されている[5]郵便番号は214-0023[3]。面積は全域で1.146km2[1]

地理[編集]

多摩区の南東部に位置する。二ヶ領用水(新川)と府中街道神奈川県道・東京都道9号川崎府中線)が域内を横断しており、これを境界として、北側の低地は「河内長尾」(こうちながお)と、南側の丘陵地帯は「谷長尾」(やとながお)という呼び名があり、新編武蔵風土記稿にも記された[6]ほか、平成に至ってもなお通称として使われている[7]。一帯は住宅地となっているが、観光目的の果樹園も残っている[7]。また、2丁目にはかつて向ヶ丘遊園が所在したが閉園となり、跡地に藤子・F・不二雄ミュージアムが開設されたほか、残る山林やばら苑は生田緑地に組み込まれる計画となっている。

長尾は北端で宿河原と、東端で高津区上作延と、南端では宮前区五所塚神木本町と、西端では東生田と接している(特記のない町域は多摩区)。

歴史[編集]

当地からは旧石器時代の石器や縄文弥生時代の遺跡が発掘される[8]など、古くから人が暮らしていた土地であり、平安時代の創建と伝わるほか、鎌倉時代には源頼朝の弟である全成が院主となった「威光寺」[9]も所在していた(現存する妙楽寺は、威光寺の塔頭であった[7])。ただし、これらはすべて丘陵地帯(谷長尾)の側にあり、のちの河内長尾は多摩川の流路となっていた[7]

戦国時代には、北条氏康による印判状が「長尾百姓中」宛に出された[10]ほか、「小田原衆所領役帳」にも「稲毛長尾村」の形で登場する[11]など、後北条氏の領地であった。その後、小田原征伐に先立ち、豊臣秀吉から「長尾村」などに禁制が出されている[11]

江戸時代の初期には旗本の村上氏・大河内氏・木造氏の三給の地となるが、のちに天領となっている[11]。多摩川の流れが北へ移ったことで河内長尾の地が生まれ、二ヶ領用水も作られて新田開発もなされたが、もともと多摩川であった土地のため、氾濫にたびたび襲われた[7]。農地としては田より畑が多かったが[10]、谷あいに棚田も作られた[7]。農産物としては穀物以外に、明和年間以降にサツマイモが作られ、幕末には養蚕が行われたが[10]寛永以降には貨幣経済に組み込まれ、農地の質入れや農間の余業として商工業に従事する農家も現れた[10]

明治時代にも当地は農地としてあり続けたが、都市化する東京の近郊として果樹栽培や酪農、都内向けの天然氷の生産、大正に入ってからは野菜作りも行われた[10]昭和に入り、小田急線の開通と共に向ヶ丘遊園も開設された。行政上は町村制の施行に合わせて向丘村の一部となり、のちに川崎市へと編入された。戦後には当地に宅地開発や東名高速道路の建設など、開発の波が押し寄せ、風景も一変していった。そんな中で遺跡も多数発見され、なかには東高根森林公園などのように保護される事例もあった。川崎市が政令指定都市に移行した際、当地はほかの旧向丘村域同様に高津区に所属したが、住民の希望により一部が多摩区へと編入され、同時に住居表示が施行された[11]。これが現在の長尾であり、高津区に残された側は宮前区へ分区されるのと同時に住居表示が行われ、「長尾」の名は消滅している。

主な遺跡[編集]

  • 下原(しもっぱら)遺跡 - 縄文時代中期・後期・晩期・弥生時代後期、古墳時代前期の集落跡。長尾7丁目、現在は東名高速道路となっている付近。
  • 長尾台遺跡 - 縄文時代前期、弥生時代後期、古墳時代の住居跡。長尾6丁目ふじやま遺跡公園内。
  • 五所塚と権現台遺跡 - 縄文時代中期・後期の集落跡と中世の信仰塚。現在は宮前区となった五所塚第1公園内。
  • 東高根遺跡 - 弥生時代から古墳時代にかけての集落跡。現在は宮前区となった東高根森林公園内。

地名の由来[編集]

詳しい由来は不明であるが、文字通り「長」い「尾」根に由来するものとも考えられている。「新編武蔵風土記稿」には「かつて『長岡村』と称した」、あるいは「長尾景虎が当地に来たことにちなむ」などが書かれている[6]が、これらを裏付ける根拠も存在しない[8]。 長岡村を長尾景虎にちなんで長尾村に改めたとの村人の言い伝えは、長尾景虎の行軍は永禄3年であり、永禄2年改訂の小田原御家人所領役帳に稲毛長尾村が登場するため、新編武蔵風土記稿の筆者も長尾景虎由来説は疑問と記述している[6]

新編武蔵風土記稿に登場する長尾村内の地名[編集]

『新編武蔵風土記稿』「長尾村」には、以下の地名が記述されている。[6]

  • 神木長尾、村の南の方。「近き頃土俗改めて谷長尾と呼べり」
  • 河内長尾、村の北の方。

小名

  • 柳町、村の西 平村と地続き。
  • 兵庫谷、谷長尾の内 等覚院のあたり。
  • 下河原、村の北東 河内長尾の内。
  • 富士ヶ谷、村の中央。
  • 十三本原、村の東南 上作延村と地続。
  • 池田、村の北 宿河原村との境。

雪が坂、村の西。 狐坂、村の東にあり。 大師穴、谷長尾にあり。

沿革[編集]

町名の新旧対照[編集]

1975年(昭和50年)2月1日に住居表示が施行される前のは、次のようになっていた[16]。なお、特記のない場合、各丁目に含まれる施行前の字は、それぞれその一部である。

現町丁 施行前の町・字
長尾一丁目 長尾字新川、宿河原字参耕地
長尾二丁目 長尾字西高根、生田字鴛鴦沼、字高山、五所塚一丁目
長尾三丁目 長尾字西高根、長尾字東高根、五所塚一丁目
長尾四丁目 長尾字新川
長尾五丁目 長尾字新川
長尾六丁目 長尾字東高根
長尾七丁目 長尾字東高根、上作延字北原

なお、この住居表示の施行と同時に、長尾字新川の一部が宿河原字参耕地・字四耕地へ編入されている[16]

世帯数と人口[編集]

2017年(平成29年)12月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]

丁目 世帯数 人口
長尾一丁目 703世帯 1,360人
長尾二丁目 511世帯 935人
長尾三丁目 224世帯 442人
長尾四丁目 612世帯 1,297人
長尾五丁目 847世帯 1,739人
長尾六丁目 421世帯 1,007人
長尾七丁目 898世帯 2,038人
4,216世帯 8,818人

小・中学校の学区[編集]

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[17][18]

丁目 番地 小学校 中学校
長尾一丁目 全域 川崎市立宿河原小学校 川崎市立稲田中学校
長尾二丁目 全域
長尾三丁目 全域 川崎市立長尾小学校
長尾四丁目 全域 川崎市立稲田小学校
長尾五丁目 全域
長尾六丁目 全域 川崎市立長尾小学校
長尾七丁目 全域

交通[編集]

鉄道[編集]

当地にはかつて小田急電鉄向ヶ丘遊園モノレールがあり、向ヶ丘遊園正門駅が設置されていたが、2000年に休止、翌年には正式に廃止され、当地を通る鉄道は現存しない。なお、域外ではあるが、徒歩圏内に宿河原駅などが所在する。

バス[編集]

向ヶ丘遊園駅と、梶が谷駅二子玉川駅を結ぶバス(東急バス高津営業所担当)や、登戸駅川崎市バス菅生営業所を結ぶバス(同営業所担当)、同駅と藤子・F・不二雄ミュージアムを直行するバス(川崎市バス鷲ヶ峰営業所担当)、久地駅登戸駅とあじさい寺を結ぶ長尾台コミュニティバスあじさい号が、当地に乗り入れている。

道路[編集]

施設[編集]

長尾神社(2006年5月17日)

教育施設[編集]

研究施設[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ a b 町丁別面積(総務省統計局「地図で見る統計(統計GIS)」の数値)”. 川崎市 (2015年10月26日). 2018年2月15日閲覧。
  2. ^ a b 町丁別世帯数・人口”. 川崎市 (2018年1月25日). 2018年2月15日閲覧。
  3. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2018年2月15日閲覧。
  4. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2018年2月15日閲覧。
  5. ^ 区別町名一覧表(多摩区) 川崎市、2010年11月22日現在(2011年9月23日閲覧)。
  6. ^ a b c d 新編武蔵風土記稿 長尾村.
  7. ^ a b c d e f g 「川崎市の町名」 日本地名研究所編、川崎市発行、1991年、P219~220。
  8. ^ a b 川崎市(2004)、P66。
  9. ^ 川崎市(2004)、P66~67。
  10. ^ a b c d e 角川日本地名大辞典 14 神奈川県」 竹内理三編、角川書店、1984年、P638~639。
  11. ^ a b c d e 川崎市(2004)、P67。
  12. ^ 江戸名所図会. 第2 雪ヶ坂
  13. ^ 江戸名所図会. 第2 妙楽寺
  14. ^ 江戸名所図会. 第2 大師穴
  15. ^ 昭和36年川崎市告示第46号(同年5月10日発行「川崎市公報」第378号、P136~141所収。Wikisource-logo.svg 原文)。
  16. ^ a b c d 住居表示新旧対照案内図 No.20 長尾1,2,3,4,5,6,7丁目(川崎市発行、昭和50年2月1日施行)
  17. ^ 川崎市立小学校の通学区域”. 川崎市 (2015年4月1日). 2018年2月15日閲覧。
  18. ^ 川崎市立中学校の通学区域”. 川崎市 (2015年4月1日). 2018年2月15日閲覧。

参考文献[編集]