宿河原

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
日本 > 神奈川県 > 川崎市 > 多摩区 > 宿河原
宿河原
—  町丁  —
宿河原駅
宿河原の位置(神奈川県内)
宿河原
宿河原
座標: 北緯35度36分54秒 東経139度34分44秒 / 北緯35.61500度 東経139.57889度 / 35.61500; 139.57889
Flag of Japan.svg 日本
都道府県 Flag of Kanagawa Prefecture.svg 神奈川県
市町村 Flag of Kawasaki.svg川崎市
多摩区
面積
 - 計 2.01km2 (0.8mi2)
人口 (2017年(平成29年)3月31日現在)[1]
 - 計 24,978人
等時帯 JST (UTC+9)
郵便番号 214-0021
市外局番 044 (川崎MA)
ナンバープレート 川崎

宿河原(しゅくがわら)は、神奈川県川崎市多摩区町名1987年昭和62年)11月23日住居表示が施行されている[2]郵便番号は214-0021。面積は全域の合計で2.01km²[3]2017年3月31日時点の人口は24,978人(12,997世帯)である[1]

地理[編集]

多摩区の北部にあり、域内を二ヶ領用水に合流する宿河原用水やJR南武線が貫通している。一帯は多摩川沖積地であり[4]、住宅地のほか畑などの農地も点在している。

宿河原は北端で多摩川を挟んで東京都世田谷区喜多見狛江市東和泉猪方駒井町と、東端でと、南東端で高津区上作延下作延久地と、南端では長尾と、西端では東生田登戸と接する(特記のない町域は神奈川県川崎市多摩区)。

地価[編集]

住宅地の地価は、2015年平成27年)1月1日公示地価によれば、宿河原3-17-13の地点で26万7000円/m²となっている。[5]

歴史[編集]

曽我物語徒然草にも「宿河原」という表記があり、当地であろうと考えられている[6][7]。戦国期の小田原衆所領役帳には、「駒井宿河原」という形で当地が登場しており、現在は多摩川の対岸となっている駒井村と当地が一体であったことがうかがえる[6][7]。その後、洪水により多摩川の流路が北へ移った[7]

江戸時代の当地は橘樹郡宿河原村となった[6]。幕府初期には天領であったが[6]、のちに村の半分が増上寺に寄進されている[7]。村慶安期の「武蔵田園簿」で276あまり(ほかに見取場の田畑があり)、「元禄郷帳」で502石あまり、「天保郷帳」や幕末の「旧高旧領取調帳」では546石あまりであった[7]。対岸とのつながりとしては、当村が駒井村の枝村であったとする見方もあるほか[7]甲州街道にある布田五宿助郷も務めていた[6]。対岸との間に「登戸の渡し」があったが、それがどこだったかは不明である[4]

多摩川に接していることもあり、水利はよかったが、洪水にも度々襲われる土地であった[6]。農地としては水田が多かったが、文化年間以降はの栽培が盛んとなったほか[6]、幕末には養蚕も行われ、当地の六代目関山五郎右衛門が養蚕の技術を「養蚕実験録」に書き残している[8]。農間には多摩川の釣りも行われた[6]

明治に入ると地租改正が行われたが、その際に一耕地・二耕地…十耕地・十一耕地甲・十一耕地乙という小字が、もとの地名とは無関係に付けられた[7]町村制の施行に伴い、宿河原村などが合併して稲田村が成立し、宿河原はその大字となった。明治末期には多摩川が大氾濫を起こし、流路が変化した結果対岸に飛び地を持つこととなったが、これは1912年(明治45年)に狛江村へ編入された[6]大正年代には当地で新明国上教が起こり、信者が荒地を開拓して宿坊を設置していった[4]昭和に入ると南武鉄道(現在の南武線)が開通したが、同鉄道はもともと多摩川の砂利採取を目的としたものであり、宿河原駅からもそのための支線が河原へと延びていた[6]

稲田町(1932年に町制を施行)は1938年(昭和13年)に川崎市へ編入されたが、それと前後して日本が戦時体制となっていったため、当地にも変化が訪れた。1935年(昭和10年)には宿河原駅前に帝国化学工業の工場が設置されたほか[6]1944年(昭和19年)には当地の果樹園を水田に転用するよう命令があり[7]、また南武鉄道も戦時買収されて国鉄線となった[7]

戦後には果樹栽培も復興していったが、は樹齢や連作の問題がありのちに衰退した[4]。昭和30年代頃には宅地開発が進行していき[4]、本来は農業のために行われた土地改良区による区画整理事業もこの傾向に拍車をかける結果となった[6]

地名の由来[編集]

新編武蔵風土記稿」では、もともとあった小名の「宿」と多摩川の「河原」から名がついたものではないかとしている[6]。「宿」について、当地に宿場が存在したことは確認できず、「徒然草」に書かれた「ぼろぼろ」を踊り念仏の集団と解釈して、そうしたものに対する呼称であった「」から転じたとする説、あるいは土地が「じゅくじゅく」しているという意味合いから来たとする説があるが、いずれにしても由来は定かではない[7]

沿革[編集]

交通[編集]

鉄道[編集]

JR南武線

当地に宿河原駅が所在するほか、国有化前には宿河原不動駅も存在した。なお、東部では久地駅が、西部では登戸駅が至近に所在する。

道路[編集]

バス[編集]

川崎市交通局が、登戸駅川崎市バス菅生営業所を結ぶバス(同営業所担当)や、当地(一部は菅生営業所)とカリタス学園を結ぶバス(菅生営業所担当)が、当地を経由して運行されている。

施設[編集]

川崎市立多摩病院

宗教施設[編集]

  • 新明国上教本部
  • 常照寺
  • 長福寺
  • 龍安寺
  • 船島稲荷社 - わらぐつに関する風習が残り、「くつ稲荷」とも呼ばれる[4]

教育施設[編集]

神奈川県立多摩高等学校

なお、公立の小学校の学区は以下のようになっている[10]。中学校は宿河原の全域が川崎市立稲田中学校の学区である[11]

町丁 番地 小学校
宿河原一丁目 全域 川崎市立宿河原小学校
宿河原二丁目
宿河原三丁目 全域 川崎市立稲田小学校
宿河原四丁目
宿河原五丁目
宿河原六丁目 以下にない地域
26番(23~26号) 川崎市立久地小学校
宿河原七丁目 全域 川崎市立稲田小学校

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ a b 町丁別世帯数と人口 多摩区(2017年3月末日現在) (Excel)”. 川崎市 (2017年4月25日). 2017年5月22日閲覧。
  2. ^ 区別町名一覧表(多摩区)”. 川崎市 (2016年2月16日). 2017年5月22日閲覧。
  3. ^ 町丁別面積(総務省統計局 統計GIS) (Excel)”. 川崎市 (2015年10月26日). 2017年5月22日閲覧。
  4. ^ a b c d e f 『川崎の町名』 日本地名研究所、川崎市、1991年、222-224頁。
  5. ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m 角川日本地名大辞典竹内理三角川書店1984年、475-476頁。
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『川崎地名辞典(下)』 日本地名研究所、川崎市、2004年、86-95頁。
  8. ^ 養蚕実験録”. 川崎市 (2006年). 2011年11月3日閲覧。
  9. ^ 住居表示新旧対照案内図 No.20 長尾1,2,3,4,5,6,7丁目(川崎市発行、昭和50年2月1日施行)
  10. ^ 多摩区の小学校”. 川崎市. 2011年11月3日閲覧。
  11. ^ 多摩区の中学校”. 川崎市. 2011年11月3日閲覧。