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南都七大寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

南都七大寺(なんとしちだいじ)は、奈良時代平城京(南都・奈良)およびその周辺に存在して朝廷の保護を受けた7つの官寺を指す[1]。初出は平安時代『扶桑略記延長4年(926年)12月9日条で、「七大寺、東大寺、興福寺、元興寺、大安寺、薬師寺、西大寺、法隆寺」とされた。2年後『延喜式』にも七大寺として寺院名と寺院配列も同一で表記された[2]

なお、江戸時代にも七大寺の制度が設けられたが、平安京京都)およびその周辺に存在した寺院を指し(東大寺・興福寺は重複している)、南都七大寺とは性格も異なるため、後述する。

七大寺一覧

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No.山号寺院名開基宗派所在地
1 無し 東大寺 聖武天皇 華厳宗 奈良県奈良市雑司町406-1
2 無し 興福寺 藤原不比等 法相宗 奈良県奈良市登大路町48番地
3 無し 元興寺 蘇我馬子 華厳宗

真言律宗

真言律宗

奈良県奈良市芝新屋町12

奈良県奈良市中院町11

奈良市西新屋町45

4 無し 大安寺 舒明天皇 高野山真言宗 奈良県奈良市大安寺2丁目18-1
5 勝宝山 西大寺 称徳天皇 真言律宗 奈良県奈良市西大寺芝町1-1-5
6 無し 薬師寺 天武天皇 法相宗 奈良県奈良市西ノ京町457
7 無し 法隆寺 聖徳太子 聖徳宗 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1

唐招提寺を法隆寺(奈良から離れた斑鳩に所在する)の代わりに入れる場合もある[3]

また、文武天皇以後に四大寺と通称され、元興寺、大安寺、川原寺(現在の弘福寺)、薬師寺が上げられていたが、聖武天皇の代に川原寺が興福寺に代えられた[1]

「七大寺」の用語自体は『続日本紀天平勝宝8歳(756年)5月4日条「於二七大寺一誦経焉」が初出だが、寺院名の当初の構成は藤原京から移した大安寺、薬師寺、元興寺に、興福寺、東大寺を加えた五大寺以外は不明である[4]

江戸時代の七大寺

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江戸時代の寛文3年(1663年霊元天皇の即位をきっかけに、当時院政を行っていた後水尾法皇内侍所御神楽を除く内裏における祈祷を停止し、新たに7つの寺院を七大寺として指定して必要な仏教形式の祈祷はそこで行わせた(同時に神道形式の祈祷も上七社と呼ばれる7つの神社を指定している→二十二社を参照)。これは朝儀再興の一環として、中世以来増え続ける祈祷を整理すると共に江戸幕府将軍家内部に関する祈祷まで朝廷に要請を行いそれが宮中で実施される現状に危機感を抱いたためとされている[5]

都が平安京(京都)に移って900年近く経ており、南都七大寺と比較をすると、東大寺と興福寺を除いては京都及びその近隣の寺院と入れ替わる形となっている。

  1. 東寺:真言宗(現・東寺真言宗)/京都府京都市南区九条町1
  2. 東大寺
  3. 興福寺
  4. 延暦寺:天台宗/滋賀県大津市坂本本町4220
  5. 仁和寺:真言宗(現・真言宗御室派)/京都府京都市右京区御室大内33
  6. 園城寺:天台宗(現・天台寺門宗)/滋賀県大津市園城寺町246
  7. 広隆寺:真言宗(現・古義真言宗単立)/京都府京都市右京区太秦蜂岡町32

脚注

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  1. 1 2 橋川正 1932, p. 144.
  2. 前田雅之『今昔物語集の世界構想』笠間書院、1999年、p.136
  3. 橋川正 1932, p. 145、七大寺通例
  4. 日本史広辞典編集委員会(編)『山川日本史小辞典 改訂新版』山川出版社 2016年、「七大寺」
  5. 間瀬久美子「近世朝廷と寺社の祈祷」『千葉経済論叢』第58号、2018年。/所収:間瀬久美子『近世朝廷の権威と寺社・民衆』吉川弘文館、2022年、162-194頁。ISBN 9784642043489

参考文献

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  • 橋川正『綜合日本仏教史』目黒書店、1932年。 2011年書肆心水から復刊された。

関連項目

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