上野市駅
上野市駅* | |
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うえのし UENOSHI (忍者市) | |
◄西大手 (0.6 km) (0.5 km) 広小路► | |
北に上野公園(上野城などを併設)がある | |
所在地 | 三重県伊賀市上野丸之内61-2 |
所属事業者 | 伊賀鉄道 |
所属路線 | ■伊賀線 |
キロ程 | 3.9 km(伊賀上野起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面2線 |
乗車人員 -統計年度- |
838人/日(降車客含まず) -2019年- |
開業年月日 | 1916年(大正5年)8月8日[1] |
* 1941年に上野町駅から改称。 |
上野市駅(うえのしえき)は、三重県伊賀市上野丸之内にある、伊賀鉄道伊賀線の駅である。 駅が所在する伊賀市は伊賀流忍者の里として知られており、市内の主要駅である当駅は忍者市駅(にんじゃしえき、英: Ninja City Sta.)の愛称も持つ[2][3][4][5]。
駅構内に伊賀鉄道の本社が併設されており、伊賀鉄道の車両基地(上野市車庫)もある。
歴史
[編集]- 1916年(大正5年)8月8日:開業[1]。上野駅連絡所(現・伊賀上野駅) - 上野町駅間開通に伴う開業で、当時の駅名は上野町駅であった[6]。この時点の路線名は「伊賀軌道」であった。
- 1917年(大正6年)12月20日:社名変更により伊賀鉄道(旧)の駅となった。
- 1922年(大正11年)7月18日:伊賀鉄道の上野町駅 - 西名張駅間の開業により途中駅となった。
- 1926年(大正15年)12月19日:社名変更により伊賀電気鉄道の駅となった。
- 1929年(昭和4年)3月31日:会社合併により大阪電気軌道伊賀線の駅となった。
- 1931年(昭和6年)9月26日:路線譲渡により、当駅も参宮急行電鉄へ譲渡。
- 1941年(昭和16年)
- 1944年(昭和19年)6月1日:太平洋戦争下の戦時合併により関西急行鉄道が近畿日本鉄道に改組され、同社へ移管。
- 1973年(昭和48年)10月1日:貨物営業廃止。
- 2002年(平成14年):第4回中部の駅百選に選定された。
- 2007年(平成19年)10月1日:経営分離により伊賀鉄道(新)へ移管。
- 2017年(平成29年)4月1日:伊賀線の公有民営化により近鉄から伊賀市へ譲渡。
- 2019年(平成31年)
- 2020年(令和2年)7月17日:駅舎が国の登録有形文化財に答申される[9]。
- 2021年(令和3年)2月4日:駅舎が国の登録有形文化財に登録される[10][11][12]。
駅構造
[編集]島式ホーム1面2線を持つ、行違い可能な地上駅である。駅舎は開業から1年後の1917年9月に完成したものを使用しており、木造3階建てで洋風の腰折屋根を十字方向に重ねた特徴的な外観を持っている[9][11]。2020年7月17日に国の登録有形文化財に答申され[9]、翌年2月4日に登録された[11][12]。ホームへは構内踏切で連絡している。
トイレは改札内に設置されており[13]、男女別で水洗式である。
のりば
[編集]のりば | 路線 | 方向 | 行先 |
---|---|---|---|
1 | ■伊賀線 | 上り | 伊賀上野方面 |
2 | 下り | 伊賀神戸方面 |
- 付記事項
- 伊賀神戸方面の一部列車は1番のりば発着に変更となる(※1番のりばは両方向の到着・出発に対応している)。
- 上野市車庫との入出庫は2番のりば側しかできない(※駅ホームから入出庫することができないため、駅東側でスイッチバックを行って上野市車庫へ入出庫する)。
- 側線(1線)を有している(※こちらも駅ホームから入出線することができないため、駅西側でスイッチバックを行わないといけない)。
- 当駅を境に運転系統が分かれており、伊賀神戸方面と伊賀上野方面を通して乗る場合は、基本的に乗り換えを必要とするが、直通する列車も設定されている。
- 当駅は伊賀鉄道線で唯一の夜間滞泊設定駅となっている。
特徴
[編集]当駅乗降人員
[編集]近年における当駅の1日乗降人員の調査結果は以下の通りで、伊賀鉄道の駅では伊賀神戸駅に次いで利用者数は2番目に多い[17]。
- 2015年11月10日:1,718人(乗車:998人、降車:720人)
- 2015年11月10日:1,828人(乗車:1,018人、降車:810人)
- 2012年11月13日:1,760人(乗車:847人、降車:913人)
- 2010年11月9日:1,901人
- 2008年11月14日:2,065人
- 2005年11月8日:2,540人(当時近鉄伊賀線)
利用状況
[編集]主として通勤・通学に利用されるほか、伊賀市の中心駅として観光客も利用する。
上野市駅の利用状況の変遷を下表に示す。
- 輸送実績(乗車人員)の単位は人であり、年度での総計値を示す。年度間の比較に適したデータである。
- 乗降人員調査結果は任意の1日における値(単位:人)である。調査日の天候・行事等の要因によって変動が大きいので年度間の比較には注意を要する。
年度別利用状況(上野市駅) | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
年 度 | 当駅分輸送実績(乗車人員):人/年度 | 乗降人員調査結果 人/日 |
特 記 事 項 | ||||
通勤定期 | 通学定期 | 定期外 | 合 計 | 調査日 | 調査結果 | ||
1950年(昭和25年) | 663,330 | ←←←← | 390,608 | 1,053,938 | |||
1951年(昭和26年) | 718,950 | ←←←← | 443,219 | 1,162,169 | |||
1952年(昭和27年) | 699,510 | ←←←← | 493,771 | 1,193,281 | |||
1953年(昭和28年) | 681,810 | ←←←← | 403,142 | 1,084,952 | |||
1954年(昭和29年) | 611,940 | ←←←← | 432,667 | 1,044,607 | |||
1955年(昭和30年) | 612,720 | ←←←← | 469,801 | 1,082,521 | |||
1956年(昭和31年) | 615,330 | ←←←← | 434,596 | 1,049,926 | |||
1957年(昭和32年) | 584,700 | ←←←← | 409,109 | 993,809 | |||
1958年(昭和33年) | 591,810 | ←←←← | 415,629 | 1,007,439 | |||
1959年(昭和34年) | 536,550 | ←←←← | 386,395 | 922,945 | |||
1960年(昭和35年) | 580,320 | ←←←← | 366,168 | 946,488 | |||
1961年(昭和36年) | 573,180 | ←←←← | 335,227 | 908,407 | |||
1962年(昭和37年) | 648,600 | ←←←← | 351,511 | 1,000,111 | |||
1963年(昭和38年) | 709,380 | ←←←← | 389,605 | 1,098,985 | |||
1964年(昭和39年) | 802,650 | ←←←← | 443,068 | 1,245,718 | |||
1965年(昭和40年) | 867,750 | ←←←← | 443,145 | 1,310,895 | |||
1966年(昭和41年) | 938,670 | ←←←← | 419,995 | 1,358,665 | |||
1967年(昭和42年) | 918,150 | ←←←← | 414,296 | 1,332,446 | |||
1968年(昭和43年) | 897,120 | ←←←← | 394,690 | 1,291,810 | |||
1969年(昭和44年) | 1,022,490 | ←←←← | 392,853 | 1,415,343 | |||
1970年(昭和45年) | 880,230 | ←←←← | 402,614 | 1,282,844 | |||
1971年(昭和46年) | 846,510 | ←←←← | 397,823 | 1,244,333 | |||
1972年(昭和47年) | 811,680 | ←←←← | 450,654 | 1,262,334 | |||
1973年(昭和48年) | 833,490 | ←←←← | 450,657 | 1,284,147 | |||
1974年(昭和49年) | 811,530 | ←←←← | 441,451 | 1,252,981 | |||
1975年(昭和50年) | 748,410 | ←←←← | 442,561 | 1,190,971 | |||
1976年(昭和51年) | 718,500 | ←←←← | 382,600 | 1,101,100 | |||
1977年(昭和52年) | 701,970 | ←←←← | 368,879 | 1,070,849 | |||
1978年(昭和53年) | 699,600 | ←←←← | 373,585 | 1,073,185 | |||
1979年(昭和54年) | 703,860 | ←←←← | 348,754 | 1,052,614 | |||
1980年(昭和55年) | 699,900 | ←←←← | 347,476 | 1,017,376 | |||
1981年(昭和56年) | 613,980 | ←←←← | 321,002 | 934,982 | |||
1982年(昭和57年) | 583,020 | ←←←← | 323,163 | 906,183 | 11月16日 | 3,167 | |
1983年(昭和58年) | 579,180 | ←←←← | 316,775 | 895,955 | 11月8日 | 3,276 | |
1984年(昭和59年) | 548,460 | ←←←← | 300,267 | 848,727 | 11月6日 | 3,283 | |
1985年(昭和60年) | 525,600 | ←←←← | 293,072 | 818,672 | 11月12日 | 3,182 | |
1986年(昭和61年) | 505,770 | ←←←← | 300,675 | 806,445 | 11月11日 | 3,061 | |
1987年(昭和62年) | 514,830 | ←←←← | 281,865 | 796,695 | 11月10日 | 2,918 | |
1988年(昭和63年) | 529,770 | ←←←← | 274,884 | 804,654 | 11月8日 | 3,233 | |
1989年(平成元年) | 567,450 | ←←←← | 279,393 | 846,843 | 11月14日 | 3,161 | |
1990年(平成2年) | 575,250 | ←←←← | 281,923 | 857,173 | 11月6日 | 3,747 | |
1991年(平成3年) | 586,350 | ←←←← | 273,419 | 857,769 | |||
1992年(平成4年) | 546,630 | ←←←← | 260,787 | 807,417 | 11月10日 | 3,314 | |
1993年(平成5年) | 530,250 | ←←←← | 254,232 | 784,482 | |||
1994年(平成6年) | 520,920 | ←←←← | 201,367 | 722,287 | |||
1995年(平成7年) | 522,210 | ←←←← | 181,604 | 703,814 | 12月5日 | 2,951 | |
1996年(平成8年) | 513,240 | ←←←← | 162,972 | 676,212 | |||
1997年(平成9年) | 499,290 | ←←←← | 146,457 | 645,747 | |||
1998年(平成10年) | 491,910 | ←←←← | 139,473 | 631,383 | |||
1999年(平成11年) | 473,880 | ←←←← | 130,081 | 603,961 | |||
2000年(平成12年) | 447,330 | ←←←← | 121,885 | 569,215 | |||
2001年(平成13年) | 427,320 | ←←←← | 113,638 | 540,958 | |||
2002年(平成14年) | 420,120 | ←←←← | 108,655 | 528,775 | |||
2003年(平成15年) | 408,720 | ←←←← | 106,336 | 515,056 | |||
2004年(平成16年) | 405,540 | ←←←← | 104,877 | 510,417 | |||
2005年(平成17年) | 403,020 | ←←←← | 97,937 | 500,957 | 11月8日 | 2,540 | |
2006年(平成18年) | 383,640 | ←←←← | 95,470 | 479,110 | |||
2007年(平成19年) | 435,930 | ←←←← | 103,090 | 539,020 | |||
2008年(平成20年) | 365,130 | ←←←← | 114,510 | 479,640 | 11月14日 | 2,065 | |
2009年(平成21年) | 347,010 | ←←←← | 102,753 | 449,763 | |||
2010年(平成22年) | 347,370 | ←←←← | 94,660 | 442,030 | 11月9日 | 1,901 |
駅周辺
[編集]商業地の一角にあるが、民家が点在する。旧市役所や上野公園(上野城など)は駅北側、複合施設のビル(ハイトピア伊賀)や商店街は駅南側にある。なお、商業施設は駅南側に集中している。
バス路線
[編集]上野市駅から旧駅前広場を挟んだ場所にあった上野産業会館の前にのりばが並んでいため、停留所の名称は長らく「上野産業会館」だったが、駅前再開発により、上野産業会館が取り壊され、ハイトピア伊賀が完成した後、2013年3月4日に停留所を新駅前広場に移転し、同年4月1日に停留所名を「上野市駅」に改称した。同停留所には下記の各路線が乗り入れるが、各路線とも三重交通が運行する[注釈 2]。
上野市駅 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
乗り場 | 運行形態 | 運行事業者 | 系統 | 路線名 | 行先 | 備考 | 出典 |
1 | 高速バス | 三重交通 | 62 | 名古屋上野高速線 | 名鉄バスセンター | 昼行路線[22] | [23] |
路線バス | 60 | 上野山添線 | 国道山添 | ||||
2 | 27 | 柘植線 | 新堂駅南口 | ||||
29 | |||||||
32 | 諏訪・予野線 | 諏訪下出 | 平日のみ運行 | ||||
42 | 西山・島ヶ原線 | 西山 | |||||
中矢 | |||||||
52 | 月瀬線 | 桃香野口 | |||||
53 | |||||||
71 | 上野名張線 | 伊賀上野駅前 | |||||
3 | 10 | 阿波線 | 汁付 | 朝1便のみ。 | |||
12 | |||||||
16 | 友生線 | 上野市駅 | 日曜・祝日は運休 (上野市駅行きは片回り循環路線) | ||||
高山 | |||||||
26 | 玉滝線 | 阿山支所前 | |||||
32 | 諏訪・予野線 | 治田西口 | 平日のみ運行 | ||||
71 | 上野名張線 | 名張駅前 | |||||
74 | 岡波総合病院 | ||||||
4 | コミュニティバス | 上野コミュニティバス | にんまる | 内回り循環 | 上野市駅 | 各路線とも、片回り循環 (西コースと東コースを運行) |
[24] |
外回り循環 |
(バス乗り場の出典:上野市駅(停留所案内図) - 三重交通)
上野市駅が登場する作品
[編集]隣の駅
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b 大西康裕「伊賀線まつり:開業99周年、記念乗車券を販売 3日」『毎日新聞』毎日新聞社、2015年5月1日、地方版/三重、22面。
- ^ 「上野市駅の愛称「忍者市駅」に 三重・伊賀のローカル線」『日本経済新聞』2018年12月24日。オリジナルの2021年11月9日時点におけるアーカイブ。2023年3月30日閲覧。
- ^ a b 「22日に「忍者市駅」お披露目 上野市駅、記念列車やショー」『中日新聞』2019年2月6日。オリジナルの2021年11月9日時点におけるアーカイブ。2023年3月30日閲覧。
- ^ a b 中田和宏「ニンニンニンの日に「忍者市駅」誕生 伊賀鉄道に新看板」『朝日新聞デジタル』2019年2月22日。オリジナルの2023年3月20日時点におけるアーカイブ。2023年3月30日閲覧。
- ^ a b c d e f g h “「忍者市」ってどこ!? 伊賀牛に舌鼓 三重県・伊賀市を訪ねて”. 朝日新聞デジタルマガジン & Travel. 朝日新聞社 (2021年4月1日). 2022年7月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月30日閲覧。
- ^ 大西康裕「そ〜なんだ!考えてみた:伊賀鉄道、新収支シミュレーション 「公有民営化」右肩上がり?」『毎日新聞』毎日新聞社、2015年4月18日、地方版/三重、25面。
- ^ 「「忍者線」「忍者市駅」と命名 伊賀鉄道の伊賀線と上野市駅」『中日新聞』2019年2月22日。オリジナルの2019年2月25日時点におけるアーカイブ。2023年3月30日閲覧。
- ^ “多言語対応の自動券売機について” (PDF). 伊賀鉄道 (2019年2月). 2019年11月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年9月29日閲覧。
- ^ a b c 『文化審議会の答申(登録有形文化財(建造物)の登録)について』(PDF)(プレスリリース)文化庁、2020年7月17日。オリジナルの2020年10月8日時点におけるアーカイブ 。2021年3月24日閲覧。
- ^ 伊賀鉄道上野市駅舎 - 文化遺産オンライン(文化庁)
- ^ a b c 『伊賀鉄道「上野市駅舎」などが「国登録有形文化財」に登録されたのを記念し、『記念入場券セット』および『記念乗車券付ペーパークラフトセット』を発売します!』(PDF)(プレスリリース)伊賀鉄道、2021年3月24日。オリジナルの2021年3月24日時点におけるアーカイブ 。2021年3月24日閲覧。
- ^ a b “駅舎が登録有形文化財 記念入場券セット販売 伊賀鉄道”. 朝日新聞デジタル. (2021年3月31日). オリジナルの2021年3月31日時点におけるアーカイブ。 2021年11月8日閲覧。
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- ^ 伊藤博康: “忍者列車が走る伊賀鉄道 〜そのユニークな忍者たち〜 2/2 (No.H182)”. 汽車旅ひろば - ひろやすの汽車旅コラム. 日本旅行. 2016年4月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月9日閲覧。
- ^ 伊藤 博康 『えきたの 駅を楽しむ(アート編)』 p.40 創元社 2017年12月20日発行 ISBN 978-4-422-24076-3
- ^ “第1章 新市のすがた(00概略年表)” (PDF). 伊賀市の合併の記録. 伊賀市. pp. 2-3 (2019年4月3日). 2021年5月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月1日閲覧。 “(市町村合併に至った経緯をまとめた概略年表)”
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- ^ “伊賀市 平成25年10月定例記者会見資料”. 伊賀市. 2022年4月8日閲覧。
- ^ “朝日新聞:三重 銀河鉄道999の鉄郎とメーテル、マスク姿で啓発”. 朝日新聞. 2022年4月8日閲覧。
- ^ “探訪シリーズ 万吉稲荷神社 (まんきちいなりじんじゃ)”. 上野せいぶ(上野西部地区住民自治協議会). 2022年4月6日閲覧。
- ^ a b “三重県伊賀市にある和菓子屋「桔梗屋織居」”. 桔梗屋織居. 2023年3月31日閲覧。
- ^ “名古屋上野高速線 時刻表”. 三重交通. 2023年3月9日閲覧。
- ^ “地区別路線図 名張管内” (PDF). 三重交通. 2023年11月10日閲覧。
- ^ “にんまる時刻表2020.4月現在” (PDF). 伊賀市 (2020年4月1日). 2022年8月16日閲覧。 “メモ:ファイル名は「にんまる時刻表2020.4月現在」であるが、資料には「2019(平成31)年1月1日改正」と書いてある。”
- ^ “"上野市" by 西岡たかし”. トラック・歌詞情報. AWA株式会社. 2023年12月1日閲覧。