ブラジルのスポーツ

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ブラジルのスポーツでは、ブラジルスポーツについて記述する。

球技[編集]

サッカー[編集]

世界最強とも称されるサッカーブラジル代表は、FIFAワールドカップにおいて大会史上最多である5度の優勝を誇り、優勝候補の常連国である。第1回大会以来、本大会に連続出場を続ける唯一の代表国である。またFIFAランキングの上位に常に位置するなど、世界最強国の一角として君臨している。クラブ選手権レベルでは、UEFAチャンピオンズリーグの優勝クラブを退けて過去3度トヨタカップ王者となったサンパウロFCの他、グレミオなどの世界有数の強豪が揃っている。

人材の面でも、アルツール・フリーデンライヒレオニダスザガロガリンシャペレトスタンジーコソクラテスロマーリオカフーリバウドロベルト・カルロスロナウドロナウジーニョカカなど、サッカーの歴史に残る選手を多数輩出しており、自他ともに認めるサッカー大国である。

エスタジオ・ド・マラカナン。ここで1950年の歴史的な決勝戦が行われた。

ブラジル代表のユニフォームはカナリアイエローを基調としており、ブラジル代表は「セレソン」もしくは「カナリア軍団」と呼ばれる。日本のメディアにおいては後者がしばしば用いられるが、ポルトガル語では「カナリア」という発音に似た単語「カナーリャ(カナージャ)」というものがある。これは「ばか者(集団)」という意味を指し、否定的な意味で捉えられる。そのため、ブラジル国内ではブラジル代表をこのような呼び方をしない。ブラジルにおいては、ブラジル代表に敬意を表するため前者を用いる。

ちなみに「セレソン」というのは「代表」という意味を持ち、サッカーが国技化しているブラジルにおいては「セレソン」という称号は栄誉そのものである。それを知ってかワールドカップドイツ大会が開幕した前後の日本の一部のマスメディアでは、ブラジル代表を「セレソン」という表記を使う所も現れている。詳細はブラジルのサッカーを参照。

またブラジル国民は世界有数の強豪であるブラジル代表に対して特別の感情を抱いており、負けると選手や監督に多くの批判を浴びせる。近年では1990年のFIFAワールドカップイタリア大会の決勝トーナメント初回戦で敗退した際に、帰国時に激怒した国民から襲われるという危険性があるために、監督を含めメンバー全員の帰国日時、ルートが極秘にさればらばらに帰国したケースがあるほか(実際に監督の親族の家が襲撃されたために親族は一時的に避難した)、「歴代最強チーム」と呼ばれ大きな期待がかけられた2006年のFIFAワールドカップドイツ大会において決勝トーナメントでフランスに敗れたことに国民が激怒し、帰国する選手達に空港でブーイングし、最も期待がかけられていた選手のロナウジーニョの像を燃やすほどである。これはブラジルチームが毎年優勝候補の一角となり大きな期待を背負うからでもある。

その国民のサッカーに対する情熱を語るエピソードが1950年に自国ブラジルで開催されたFIFAワールドカップブラジル大会の決勝戦だろう。引き分け以上で優勝が決まる最終戦で、20万人の観客を前にしてアウェイだったウルグアイにまさかの逆転負けを喫してしまい、ウルグアイ代表(ロス・チャルーアズ)が戦後初のワールドカップ王者に輝いた事件である。ブラジルサッカー史上過去最高の自殺者、ショック死(優勝したしないにかかわらず、ほぼ毎回発生すると報道されている)や失神する人が発生するほどの事態となった(詳細はマラカナンの悲劇を参照)。ビーチサッカーフットサルも世界トップクラスである。また近年はサッカーを引退した選手を中心にショーボールも盛んである。

バスケットボール[編集]

男女共に近年数多くのNBA選手やWNBA選手を輩出しており、男子の現役選手ではNBAでシックスマン賞を獲得したリアンドロ・バルボサや同国史上初のNBAファイナリストとなったアンダーソン・ヴァレジャオ、そしてネネイなどが有名。過去では世界的に伝説となったオスカー・シュミットが最も有名。彼はNBAドラフトで指名されたがNBAに行かなかったバスケットボール選手としては世界史上最高の選手とも言われている。

国内にはNBBと呼ばれるプロバスケットボールリーグを持ち、リーガ・スダメリカーナにも参加している。代表はこれまでにオリンピック出場13回、世界選手権には大会が創設された1950年から現在に至るまで全大会に出場(15大会連続出場)を誇る南北アメリカ大陸の強豪として知られる。世界選手権では1959年1963年に2大会連続で金メダルを獲得。1970年には銀メダルを獲得。

バスケットボールアメリカ選手権(通称『FIBAアメリカズバスケット』)では、過去4度金メダル(1984年1988年2005年2009年)、銀メダル1度(2001年)、銅メダル4回(1989年1992年1995年1997年)を獲得している。

近年の代表チームの課題はNBA選手が多くなって来た為、主力が全員揃わない事が度々あり(NBAのチームの中には怪我を恐れて選手の代表活動への参加を許可しないチームもある)ネネイなどは近年自身の怪我とチームからの許可が降りない為代表チームには2001年以来参加していない。

女子は、オリンピックには1992年バルセロナ五輪から5大会連続で出場し、1996年アトランタ五輪では銀メダル、2000年シドニー五輪では銅メダルを獲得した。
世界選手権には14回の出場を誇り、1971年に銅メダル、そして、1994年には優勝を果たした。
バスケットボールアメリカ選手権(通称『FIBAアメリカズバスケット』)では、過去4度金メダル(1997年2001年2003年2009年)、銀メダル4度(1989年1993年1999年2005年)、銅メダル1回(2007年)を獲得している。

テニス[編集]

南米の国家では歴史・実力共に隣国アルゼンチンに次ぐテニス大国として知られており、男子シングルスでは1963年全米選手権シングルスベスト4、1964年全仏選手権シングルスベスト8に進出したロナルド・バーンズ英語版、1980年代後半から90年代後半にかけて活躍したルイス・マタール英語版1997年全仏オープンシングルスでブラジル人男子として初のグランドスラムシングルス優勝を果たし、ATPシングルス年間ランキング1位を記録するなど一時代を築いたグスタボ・クエルテン1996年アトランタ五輪男子シングルス4位入賞、1997年全仏オープンシングルスベスト4に進出したフェルナンド・メリジェニ、2000年代ではフラビオ・サレッタ英語版リカルド・メロ英語版トマス・ベルッチらがシングルストップ50に到達している。また1973年から開始したATPシングルス年間ランキングにおいてもトップ100選手が途絶えたのは2010年現在1973年[1]1977年[2]、クエルテンのツアー長期離脱と世代交代の遅れが重なりブラジルテニス界が一時停滞期に陥った2006年[3],2007年[4]の4度のみであり、その間数多くのトップ選手を連綿と輩出してきたテニス強国である。ダブルスの分野においても1975年全仏オープン混合ダブルス部門でウルグアイフィオレラ・ボニセジと組んで優勝したトマス・コッホ英語版1982年全仏オープン混合ダブルス部門で同じブラジルのクラウディオ・モンテイロポルトガル語版と組み準優勝し、1983年にダブルス最高4位を記録しカシオ・モッタ英語版、モッタのダブルスパートナーで同じく1983年にダブルス最高6位を記録したカルロス・カーマイヤー英語版2001年全仏オープン混合ダブルス部門でアルゼンチンパオラ・スアレスと組み準優勝したジャイミ・オンシンス英語版2009年全仏オープン混合ダブルスでアメリカバニア・キングと組み準優勝したマルセロ・メロ、そのメロと2000年代にダブルスを組んで活躍したアンドレ・サや、ブルーノ・ソアレス英語版らがこれまでにツアートップレベルで活躍している。またこの他にも日系ブラジル人選手で後に日本に帰化し、日本代表にも選出されるなど日本で活躍した古庄エドワルドのような選手も存在する。1932年から参戦を開始した男子国別対抗戦デビスカップにおけるブラジル代表英語版は2011年現在最上位カテゴリであるワールドグループに通算11回出場しており[5]、これは南米の国家としてはアルゼンチン代表英語版の19回に次ぐ記録である[6]。中でもマタール、モッタ、オンシンスらを擁した1992年英語版、クエルテン、メリジェニ、オンシンスらを擁した2000年英語版の2度ワールドグループ準決勝に進出しており、これが2011年現在のブラジル代表の最高成績となっている[5]

女子では1950年代後半から1960年代にかけてグランドスラムシングルス7勝、同ダブルス10勝、同混合ダブルス1勝を挙げ同国のテニス選手として初めて国際テニス殿堂入りを果たすなど女子テニス界の一時代を築いた名選手マリア・ブエノや、1970年代後半から1980年代にかけてWTAツアーレベルで活躍したパトリシア・メドラードポルトガル語版、1982年全仏オープン混合ダブルス部門でカシオ・モッタと組み準優勝したクラウディオ・モンテイロポルトガル語版、1980年代後半に活躍したネージュ・ディアスフランス語版らが居るが、1990年代以降は単複ともツアーレベルに到達した選手はおらず、1993年全米オープンシングルスに出場したアンドレア・ヴィエラポルトガル語版を最後に2010年現在までグランドスラムシングルス部門に出場した選手も現れていないなど、男子と比してその選手層は薄い上に長期低落傾向にある。1965年に参戦を開始した女子国別対抗戦フェドカップにおけるブラジル代表英語版も1980年代までは最上位カテゴリのワールドグループに通算19回出場する常連国であり、1965年英語版1982年英語版の2度準々決勝進出を果たすなど強豪国の一角を占める存在であったが、1990年代に入ると前述の通りブラジル女子テニス界は衰退の一途を辿って行き、1991年英語版にワールドグループから陥落して以降2011年現在までトップグループへの復帰は果たせていない。

2011年現在ブラジルで開催されているATPツアー大会は、2001年から開始したブラジル・オープンである。同大会は当初WTAツアーとの共催大会として始まったが、2002年大会を最後に女子部門は終了、以降同国ではWTAツアー大会は開催されておらず、同国女子テニス界の一層のレベル低下に拍車を掛ける遠因となっている。またこの他では1984年サンパウロフェデレーションカップ英語版を開催した実績がある。

バレーボール[編集]

バレーボールも人気の競技である。男子は80年代に力を付け2000年代に入るとジバらを擁しワールドリーグ5連覇を達成するなど他国を圧倒している。女子は2008年の北京五輪で優勝している。

海岸が多いことを生かしたビーチバレーも盛んであり、男子・女子ともにオリンピックや世界選手権の上位を常に占めるなど、世界レベルの強さを誇る。

モータースポーツ[編集]

富裕層を中心に古くからモータースポーツが盛んで、南東部と南部を中心に国際規格を満たした規模の大きなレース用サーキットを多数持つ。それらのサーキットにおいては、シボレーゼネラルモーターズ)など大手自動車会社の後援で各種の選手権が行われており、加えてサンパウロ市郊外のインテルラゴス・サーキットでは毎年F1世界選手権が開催されている(以前はリオデジャネイロネルソン・ピケ・サーキットでも行われていた)。

レーシングドライバーではエマーソン・フィッティパルディネルソン・ピケアイルトン・セナら、3人のF1チャンピオンを輩出した他、北米におけるインディ500CARTIRLといったレース・選手権においても、上記のエマーソン・フィッティパルディ、ジル・ド・フェランクリスチアーノ・ダ・マッタら、多数のチャンピオンを生み出しており、著名なレーシングドライバーを幾人も輩出したイギリスイタリアドイツフランスと並ぶモータースポーツ大国である。

レーシングドライバー[編集]

その他のスポーツ[編集]

「カポエイラ、または戦争のダンス」(1835)

その他スポーツとして、ブラジリアン柔術柔道空手などの格闘技や、ウィンドサーフィンハンググライダーなど、多様な文化と広大な国土を背景に様々なスポーツが行われている。

都市部では競馬が行われている他、サンパウロなどの都市部では日系人を中心に野球も行われて松元ユウイチなどが日本の東京ヤクルトスワローズで活躍している。

ブラジルオリジナルのスポーツとしては格闘技とダンス、音楽がミックスされたカポエイラがある。

脚注[編集]

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  1. ^ ATP. “Tennis - ATP World Tour - Singles Rankings”. 2011年5月16日閲覧。
  2. ^ ATP. “Tennis - ATP World Tour - Singles Rankings”. 2011年5月16日閲覧。
  3. ^ ATP. “Tennis - ATP World Tour - Year End Rankings from 1990 to 2009”. 2011年5月16日閲覧。
  4. ^ ATP. “Tennis - ATP World Tour - Year End Rankings from 1990 to 2009”. 2011年5月16日閲覧。
  5. ^ a b ITF. “Davis Cup - Team - Brazil (BRA)”. 2011年5月16日閲覧。
  6. ^ ITF. “Davis Cup - Team - Argentina (ARG)”. 2011年5月16日閲覧。