マリア・ブエノ

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この名前は、ポルトガル語圏の人名慣習に従っています。第一姓(母方の)はアンディオン第二姓(父方の)はブエノです。
マリア・ブエノ
Maria Bueno
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マリア・ブエノ
基本情報
フルネーム Maria Esther Andion Bueno
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
出身地 同・サンパウロ
生年月日 (1939-10-11) 1939年10月11日(78歳)
利き手
バックハンド 片手打ち
殿堂入り 1979年
4大大会最高成績・シングルス
全豪 準優勝(1965)
全仏 準優勝(1964)
全英 優勝(1959・60・64)
全米 優勝(1959・63・64・66)
優勝回数 7(英3・米4)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 優勝(1960)
全仏 優勝(1960)
全英 優勝(1958・60・63・65・66)
全米 優勝(1960・62・66・68)
優勝回数 11(豪1・仏1・英5・米4)
4大大会最高成績・混合ダブルス
全豪 ベスト4(1960)
全仏 優勝(1960)
全英 準優勝(1959・60・67)
全米 準優勝(1958・60)
優勝回数 1(仏1)

マリア・ブエノMaria Bueno, 1939年10月11日 - )は、ブラジルサンパウロ出身の元女子テニス選手。フルネームは Maria Esther Andion Bueno (マリア・エステル・アンディオン・ブエノ)という。主に1960年代に活躍し、ブラジル人のテニス選手として世界の頂点に立った最初の選手となった。彼女はウィンブルドンで3勝、全米選手権(現在の全米オープンテニス)で4勝し、4大大会女子シングルスで通算7勝を挙げた伝説的名選手である。ダブルスでの業績も多く、4大大会で女子ダブルス11勝・混合ダブルス1勝を記録した。

ブエノはコート上での優雅で素速い動きから、「サンパウロのつばめ」(São Paulo Swallow)という愛称で呼ばれた。アマチュアテニス選手として62大会で優勝し、プロ選手になってからは1974年の「ジャパン・オープン」で優勝がある。

来歴[編集]

1958年アメリカアリシア・ギブソンとペアを組み、ウィンブルドン選手権の女子ダブルスで初優勝。1959年ウィンブルドン全米選手権4大大会年間2冠を獲得。1960年、ブエノはウィンブルドン選手権で大会2連覇を達成し、女子ダブルスで「年間グランドスラム」を達成した。全豪選手権だけは、パートナーはクリスティン・トルーマンイギリス)であったが、全仏選手権から全米選手権までダーリーン・ハードアメリカ)と組んで女子ダブルス3連勝を成し遂げた。したがって、1960年度の4大大会女子ダブルスはブエノ1人について「年間グランドスラム」が成立する。

1963年、ブエノは全米選手権マーガレット・スミスを破り、4年ぶり2度目の優勝を飾った。1964年に再び、ウィンブルドン全米選手権の年間2冠を獲得する。最後の4大大会シングルス優勝は、1966年全米選手権であった。この頃、ブエノはアマチュアのテニス選手であった。4大大会にプロ選手の出場が解禁される「オープン化」措置は、1968年に実施された。ブエノもこの措置が実施された後、プロテニス選手になる。

マリア・ブエノのテニス経歴には、数々の苦難もあった。オープン化措置が実施された1968年、ブエノは自動車事故に遭い、生死の境をさまよう大怪我を負う。回復までに5度の大手術を克服し、長いブランクを乗り越えて1974年に現役復帰を果たした時、その強靭な精神力は同僚の選手たちやテニスの観客にも大きな感銘を与えた。この年にブエノは日本を訪れ、「ジャパン・オープン」で優勝を飾った。この時、準決勝で対戦した沢松和子を破りその国内連勝記録を192でストップした。これがブエノのプロテニス選手として最初の(そして唯一の)タイトルになる。1976年にブエノはウィンブルドンに戻り、その時はスー・バーカーとの4回戦まで勝ち進んだが、1977年の3回戦で全盛時代のライバル、ビリー・ジーン・キング夫人に 2-6, 5-7 で完敗した。この時キング夫人も「彼女のことを、昔のままの姿で覚えていたかった。今日の彼女を見るのはつらかった」ともらしたという。ブエノは1978年国際テニス殿堂入りを果たした。ブエノの全盛期から30年後、1997年からグスタボ・クエルテンがブラジルの男子選手として世界的な活躍を始めた。クエルテンは全仏オープンに3勝を挙げ、2000年には男子の年間最終ランキング1位に輝いた。

4大大会優勝[編集]

  • 全豪選手権 女子ダブルス:1勝(1960年) [女子シングルス準優勝1度:1965年]
  • 全仏選手権 女子ダブルス:1勝(1960年)/混合ダブルス:1勝(1960年) [女子シングルス準優勝1度:1964年]
  • ウィンブルドン選手権 女子シングルス:3勝(1959年&1960年・1964年)/女子ダブルス:5勝(1958年・1960年・1963年・1965年・1966年)
  • 全米選手権 女子シングルス:4勝(1959年・1963年・1964年・1966年)/女子ダブルス:4勝(1960年・1962年・1966年・1968年)
大会 対戦相手 試合結果
1959年 ウィンブルドン選手権 アメリカ合衆国の旗 ダーリーン・ハード 6-4, 6-3
1959年 全米選手権 イギリスの旗 クリスティン・トルーマン 6-1, 6-4
1960年 ウィンブルドン選手権 南アフリカ共和国の旗 サンドラ・レイノルズ 8-6, 6-0
1963年 全米選手権 オーストラリアの旗 マーガレット・スミス 7-5, 6-4
1964年 ウィンブルドン選手権 オーストラリアの旗 マーガレット・スミス 6-4, 7-9, 6-3
1964年 全米選手権 アメリカ合衆国の旗 キャロル・グレーブナー 6-1, 6-0
1966年 全米選手権 アメリカ合衆国の旗 ナンシー・リッチー 6-3, 6-1

4大大会シングルス成績[編集]

大会 1958 1959 1960 1961 1962 1963 1964 1965 1966 1967 1968 1976 1977 SR
全豪オープン A A QF A A A A F A A A A A A / A 0 / 2
全仏オープン SF QF SF QF A A F SF SF QF QF A 1R A 0 / 10
ウィンブルドン QF W W A SF QF W F F 4R QF A 4R 3R 3 / 12
全米オープン QF W F A SF W W SF W 2R SF A 3R 2R 4 / 12

外部リンク[編集]