デンマークのユーロビジョン・ソング・コンテスト
デンマーク | |
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加盟放送局 | DR |
国内選考大会 | Dansk Melodi Grand Prix |
出場 | |
出場回数 | 48 |
初出場 | 1957 |
最高順位 | 優勝:1963, 2000, 2013 |
最低順位 |
決勝最下位:2002 準決勝17位:2016 |
外部リンク | |
DR page | |
Eurovision.tvのデンマークのページ |
デンマークのユーロビジョン・ソング・コンテストでは、デンマークにおけるユーロビジョン・ソング・コンテストについて述べる。1957年から1966年、および1978年以降続くデンマークのユーロビジョン・ソング・コンテストの歴史の中で、トップ3に6回入賞し、3回の優勝を経験している。2000年代に入ってからも優勝をはじめ上位入賞を経験している。1967年から1977年までの間、デンマークはユーロビジョン・ソング・コンテストに参加していない。
デンマークは1980年代には複数の良い結果を出している。1984年大会、1986年大会、1987年大会、1988年大会、1989年大会でデンマークは上位に入っている。しかし、1982年大会と1983年大会はそれまでで最低の順位となった。1990年代の順位は低迷が続いた。1994年大会、1996年大会、1998年大会では前年までの順位が低いために参加できず、上位に入ることができたのは1990年大会、1995年大会、1999年大会のみであった。
2020年の時点で、デンマークの最後の優勝は2013年大会でのことであり、エメリー・デ・フォーレストが、楽曲「Only Teardrops」で優勝を果たした。281得点を集めてのフォーレストの優勝はまた、デンマークに与えられた得点としては過去最高であった。
2005年、デンマークは、ユーロビジョンの50周年を記念した企画「Congratulations」を主催した。
デンマーク代表を選ぶ国内選考はDansk Melodi Grand Prixである。
歴史[編集]
デンマークの大会デビュー[編集]
デンマークの大会初参加は、ドイツのフランクフルトで開催された1957年大会でのことであった。デンマークは第1回大会である1956年大会への参加を望んでいたが、同国からの参加申し込みは既に締め切り後であり、参加は認められなかった。デンマークは、ユーロビジョン・ソング・コンテストに参加した初のスカンディナヴィア諸国であり、スウェーデン、ノルウェー、フィンランドがこれに続いた。
デンマークの初参加はBirthe WilkeとGustav Wincklerによる楽曲「Skibet skal sejle i nat」(船は今夜旅立つ)であった。彼らは演技の最後に11秒間に及ぶキスをし、一部の国々で物議をかもした。しかし、彼らは3位入賞に輝いた。
デンマークの初優勝[編集]
デンマークは1963年大会で初めての優勝を果たした。このときデンマークを代表して歌ったのはGrethe IngmannとJørgen Ingmannであり、彼らは「Dansevise」を歌った。
しかしこのときもデンマークで論争が持ち上がった。ノルウェーが自国からの得点を発表した後、司会のKatie Boyleはノルウェーからの得点が聞こえないため、後ほど聞きなおすと述べた。しかし司会者以外の人々はノルウェーの得点発表が聞こえていた。Boyleが再度ノルウェーの得点を聞いたところ、ノルウェーからの得点は前回とは異なっており、この変更によって優勝はスイスからノルウェーのものとなった。実際には、ノルウェーからの得点発表の際、発音が悪いために、ノルウェーからの得点が正しく伝えられたかどうかは疑わしかった。
しかし、この2回目の得点発表が認められ、デンマークの優勝が確定した。これによって、翌年の1964年大会は初めてデンマークで開催されることになった。
長期の不参加と復帰[編集]
1966年大会で14位と順位が低迷した後、デンマークは期限を定めず大会から離脱することを決めた。デンマーク放送協会はユーロビジョンを質の高いエンターテイメントとはみなさなかった。国内大会のDansk Melodi Grand Prixも翌年からは開催されなくなった。
しかし、12年の欠場の後、1978年大会でデンマークは大会復帰を決定し、Mabelの楽曲「Boom Boom」をデンマーク代表として大会に送り込んだ。これ以降、デンマークは大会への参加を続けている。
成功[編集]
大会でデンマークが最も成功していたのは1984年大会から1990年大会までの間であった。この間、デンマークは4回のトップ5入り、うち2回の3位入賞を果たした。Kirsten SiggardとSøren Bundgaardのデュオは、Hot Eyesの名前で3回にわたって大会に参加した。1984年大会では「Det' lige det」を歌い4位となった。翌1985年には彼らは国内選考Dansk MGPに再度優勝し、はじめて2年連続でデンマーク代表となった。1985年大会では「Sku' du spørg' fra no'en?」を歌ったが、前年の成功を再現することはできず11位に終わった。
Hot Eyesは1988年にも「Ka' du se hva' jeg sa'?」でDansk MGPに優勝し、アイルランドのダブリンで行われる1988年のデンマーク代表に選ばれた。大会では彼らはセリーヌ・ディオンに敗れたものの、過去2回の実績を上回る3位入賞を果たした。
デンマークの凋落[編集]
1989年ごろから、デンマークは80年代の好調から転落し、1990年代には順位は低迷した。1993年大会では、過去に1979年大会と1981年大会でデンマーク代表として参加経験のあるTommy Seebachが再度デンマーク代表として参加したものの、22位に終わり、これによって翌年はデンマークは大会への参加資格を失った。1995年大会ではAud Wilkenがデンマーク代表として「Fra Mols til Skagen」を歌って5位となった。しかし次の1996年大会では予選で敗退し、本選に参加することはできなかった。
デンマーク再度の優勝[編集]
1997年大会での再度の低順位によって、1998年もデンマークは大会への参加ができなかった。参加曲の歌詞は自国の公用語に限るという言語規定が廃止された後の1999年大会では、デンマークは復活を果たし、Michael TeschlとTrine Jepsenは楽曲「This Time I Mean It」を歌い8位となった。
デンマークは2000年大会では事前の予想に反してオールセン・ブラザーズが「Fly on the Wings of Love」で優勝を果たし、デンマークに再度の優勝をもたらした。この曲はヨーロッパ全域で大ヒットとなった。
前年の優勝によって、2001年大会はデンマークが主催権を持ち、コペンハーゲンにて開催された。大会では、Rollo & Kingが「Never Ever Let You Go」をうたった。しかし翌2002年大会では、事前の好評とは裏腹にマレン・モーテンセンの「Tell Me Who You Are」は最下位となった。これによってデンマークは2003年大会でも参加の道は閉ざされた。
参加者[編集]
1
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優勝 |
2
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2位 |
3
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3位 |
◁
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最下位 |
X
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出場曲を決定したが不参加 |
投票履歴(1975年 - 2015年)[編集]
デンマークに高得点を送った国々:
順位 | 国 | 得点 |
---|---|---|
1 | ![]() |
276 |
2 | ![]() |
161 |
3 | ![]() |
147 |
4 | ![]() |
132 |
![]() |
132 |
デンマークから高得点が送られた国々:
順位 | 国 | 得点 |
---|---|---|
1 | ![]() |
194 |
2 | ![]() |
190 |
3 | ![]() |
179 |
4 | ![]() |
125 |
5 | ![]() |
122 |
出典:[3]
得点の合計は決勝のときのもののみであり、準決勝のものは含まない。
主催[編集]
年 | 場所 | 会場 | 司会 |
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1964 | ![]() |
チボリ公園コンサートホール | ロッテ・ヴェーヴェル |
2001 | ![]() |
パルケン・スタディオン | ナターシャ・クローン・バック & セーレン・ピルマーク |
2014 | ![]() |
B&W Hallerne | リセ・ロネ、ニコライ・コッペル、ピルー・アスベック |
脚注[編集]
- ^ COVID-19の流行により2020年大会が中止された
参考文献[編集]
- ^ a b Kirkpatrick Green, Simon (2010年2月6日). “Chanée & N'evergreen to Oslo for Denmark!”. European Broadcasting Union. 2010年2月6日閲覧。
- ^ a b Klier, Marcus (2010年2月6日). “Denmark sends Chanée & Tomas N'evergreen to Eurovision”. ESCToday. 2010年2月6日閲覧。
- ^ “Points to and from Denmark (1978-2009)”. EurovisionRecords. 2009年5月16日閲覧。
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