リトアニアのユーロビジョン・ソング・コンテスト
リトアニア | |
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![]() (1994–2004) | |
![]() (2005–) | |
加盟放送局 | LRT |
国内選考大会 | Lietuvos Dainų Daina |
出場 | |
出場回数 | 20 |
初出場 | 1994 |
最高順位 | 6位: 2006 |
最低順位 |
決勝最下位: 1994 準決勝最下位: 2005 |
外部リンク | |
LRT page | |
Eurovision.tvのリトアニアのページ |
リトアニアのユーロビジョン・ソング・コンテストでは、リトアニアにおけるユーロビジョン・ソング・コンテストについて述べる。リトアニアは1994年大会で初めてユーロビジョン・ソング・コンテストに参加した。このときリトアニア代表のOvidijus Vyšniauskasは無得点で最下位となった後、リトアニアは翌年からの大会離脱を決定し、1999年大会でAistė Smilgevičiūtėが、リトアニア語のサモギティア方言で「Strazdas」を歌ったときまで不参加を続けていた。このときの低順位のため2000年大会では大会参加を認められず、翌2001年大会ではSkampの「You Got Style」で再び大会に参加した。この楽曲はリトアニア代表曲では初めての英語曲であった。このとき35得点を得て13位となったものの、翌年のAivarasはわずか12得点に留まり、ワースト2となった。
2004年大会で準決勝が導入されて以降には、2005年にLaura and the Loversの「Little by Little」が準決勝で最下位となった。翌年、リトアニアの放送局Lietuvos Nacionalinis Radijas ir Televizija(LRT)はLT Unitedによる、サッカーのチャントのような楽曲「We Are the Winners」を2006年の同国代表に選出した。これによってリトアニアは初めて準決勝を通過し、決勝で162得点を集めて6位と健闘した。
前年の高順位のためにリトアニアは2007年大会では準決勝を免除されたものの、リトアニア代表の4Funはリトアニアに再度の高順位をもたらすことはできず、28得点を得て21位に留まった。このときの28得点のうち12得点はアイルランドからのものである。2008年、Jeronimas Miliusは決勝に進出することはできず、準決勝の参加者19国のうち16位に終わった。
リトアニアは、モスクワで行われる2009年大会に関して、「もしロシアが武力の誇示と国際法の無視を続けるならば」、リトアニアは大会をボイコットすると表明した。この声明は南オセチア紛争に対して出されたものであった[1]。文化大臣のJonas Jucasは、大会のボイコットについて話すのは時期尚早であり、「直情的な決定は外交関係に悪影響を及ぼしかねず」、状況を悪化させるのみであるとした[2]。
参加者[編集]
1
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優勝 |
2
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2位 |
3
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3位 |
◁
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最下位 |
X
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出場曲を決定したが不参加 |
投票履歴(1994年 - 2015年)[編集]
リトアニアから高得点が送られた国々:
順位 | 国 | 得点 |
---|---|---|
1 | ![]() |
104 |
2 | ![]() |
72 |
3 | ![]() |
60 |
4 | ![]() |
59 |
5 | ![]() |
55 |
リトアニアに高得点を送った国々:
順位 | 国 | 得点 |
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1 | ![]() |
57 |
2 | ![]() |
56 |
3 | ![]() |
38 |
4 | ![]() |
28 |
5 | ![]() |
26 |
得点の合計は決勝のときのもののみであり、準決勝のものは含まない。
脚注[編集]
- ^ COVID-19の流行により2020年大会が中止された
参考文献[編集]
- ^ “Lithuanian Broadcaster Head supports his Estonian colleague in Eurovision boycott”. ESCKaz (2008年8月22日). 2008年8月22日閲覧。
- ^ Vaida, Petras (2008年8月25日). “Culture minister of Lithuania: too early to speak about boycott of Eurovision”. The Baltic Course. 2008年8月25日閲覧。
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