エストニアのユーロビジョン・ソング・コンテスト

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エストニア
Flag
加盟放送局 ERR
国内選考大会 Eurolaul, Eesti Laul
出場
出場回数 21
初出場 1994
最高順位 優勝: 2001
最低順位 準決勝22位: 2007
外部リンク
ETV page
Eurovision.tvのエストニアのページ

エストニアのユーロビジョン・ソング・コンテストでは、エストニアにおけるユーロビジョン・ソング・コンテストについて述べる。エストニアは1994年大会で初めてユーロビジョン・ソング・コンテストに参加した。エストニアは1993年に大会への参加を試みたものの、旧東側からの参加国に課された予選であるクヴァリフィカツィヤ・ザ・ミルストリートKvalifikacija za Millstreet)でエストニア代表のヤニカ・シッラマーJanika Sillamaa) の「Muretut meelt ja südametuld」は敗退し、本大会に出場することはできなかった。エストニアの最初の本大会出場となった1994年の成果は芳しくなく、最下位から2つめに終わった。そのため、1995年は大会への出場ができなかった。エストニアから2度目の参加となった1996年大会では、マーリヤ=リース・イルスイヴォ・リンアが「Kaelakee hääl」を歌い、94得点を集めて5位と健闘した。

1996年から2002年までの間、エストニアはほとんどの年で健闘を続け、ベスト10入りを逃したのは1回のみであった。2001年にはエストニアは初めての優勝を経験した。同大会では、エストニア代表としてタネル・パダルデイヴ・ベントン2XLが「Everybody」を歌い、198得点を集めた。翌年の2002年大会は、エストニアが主催国となり、首都のタリンで開催された。

2004年から2008年まで、エストニアは準決勝でわずかしか得点を得られず、決勝に参加できない年が続いた。この間で最も順位が高かったのは、2004年大会の準決勝12位であり、ネイオコソヴォロ語で「Tii」を歌った。ヴォロ語は数多くあるエストニアの方言のひとつである。

エストニアはロシアモスクワで行われる2009年大会について、南オセチア紛争への抗議として参加を取りやめる可能性があったものの、エストニア公共放送Eesti Rahvusringhääling, ERR)は大会への参加を望む世論に応えて、大会への参加を表明した[1][2]。それまでの大会の国内選考であるEurolaulにかわって新しい国内選考としてEesti Laulが行われ、アーバン・シンフォニーの「Rändajad」が2009年のエストニア代表に選ばれた[3]。視聴者投票ではラウラ・ポルドヴェレLaura Põldvere)が最多得点であったが、審査員投票によって覆された[4][5]。2009年の本大会では、アーバン・シンフォニーは準決勝で115得点を集め3位となり、2004年に準決勝が導入されて以来初めて、エストニア代表として決勝への進出を果たした。決勝では15番目に登場し、129得点を集めて25箇国中6位と健闘した。

参加者[編集]

アーティスト 言語 決勝 得点 準決勝 得点
1993a ヤニカ・シッラマー
Janika Sillamaa
エストニア語 "Muretut meelt ja südametuld" 予選敗退 5 47
1994 シルヴィー・ヴライト
Silvi Vrait
エストニア語 "Nagu merelaine" 24 2 準決勝なし
1995 不出場
1996 マーリヤ=リース・イルス & イヴォ・リンア
Maarja-Liis Ilus & Ivo Linna
エストニア語 "Kaelakee hääl" 5 94 5 106
1997 マーリヤ=リース・イルス
Maarja-Liis Ilus
エストニア語 "Keelatud maa" 8 82 準決勝なし
1998 コイト・トーメ
Koit Toome
エストニア語 "Mere lapsed" 12 36
1999 エヴェリン・サムエル & カミーユ
Evelin Samuel & Camille Camille
英語 "Diamond of Night" 6 90
2000 エダ=イネス・エッティ
Ines
英語 "Et:Once in a Lifetime" 4 98
2001 タネル・パダル, デイヴ・ベントン & 2XL
Tanel Padar, Dave Benton & 2XL
英語 "Everybody" 1 198
2002 サーリーン
Sahlene
英語 "Runaway" 3 111
2003 ルーフス
Ruffus
英語 "Eighties Coming Back" 21 14
2004 ネイオコソ
Neiokõsõ
英語 "Tii" 準決勝敗退 11 57
2005 サントライブ
Suntribe
ヴォロ語 "Let's Get Loud" 20 31
2006 サンドラ・オクセンリド
Sandra Oxenryd
英語 "Through My Window" 18 28
2007 ゲルリ・パダル
Gerli Padar
英語 "Partners in Crime" 22 33
2008 クライシラーディオ
Kreisiraadio
セルビア語フィンランド語ドイツ語 "Leto svet" 18 8
2009 アーバン・シンフォニー
Urban Symphony
エストニア語 "Rändajad" 6 129 3 115
2010 マルコム・リンカーン & マンパワー4
Malcolm Lincoln & Manpower 4[6][7]
英語 "Siren"[6][7] 準決勝敗退 14 39
2011 ゲッテル・ヤーニ
Getter Jaani
英語 "Rockefeller Street" 24 44 9 60
2012 オット・レップランド
Ott Lepland
エストニア語 "Kuula" 6 120 4 100
2013 ビルギット・オイグメール
Birgit Õigemeel
エストニア語 "Et uus saaks alguse" 20 19 10 52
2014 ターニャ・ミハーイロヴァ
Tanja Mihhailova
英語 "Amazing" 準決勝敗退 12 36
2015 エリナ・ボルン & スティグ・ラスタ
Elina Born & Stig Rästa
英語 "Goodbye to Yesterday" 9 97 3 105
2016 ユーリ・ポーツマン
Jüri Pootsmann
英語 "Play"

投票履歴(1994年 - 2015年)[編集]

エストニアから高得点が送られた国々:

順位 得点
1 ロシアの旗 ロシア 151
2 スウェーデンの旗 スウェーデン 133
3 ノルウェーの旗 ノルウェー 75
4 ラトビアの旗 ラトビア 73
5 フィンランドの旗 フィンランド 67

エストニアに高得点を送った国々:

順位 得点
1 フィンランドの旗 フィンランド 87
2 ラトビアの旗 ラトビア 72
3 スウェーデンの旗 スウェーデン 71
4 アイルランドの旗 アイルランド 65
5 リトアニアの旗 リトアニア 56

得点の合計は決勝のときのもののみであり、準決勝のものは含まない。

主催[編集]

場所 会場 司会
2002 エストニアの旗タリン Saku Suurhall Annely Peebo and Marko Matvere

脚注[編集]

  1. ^ Floras, Stella (2008年8月22日). “Estonia: Minister discusses possible boycott of Eurovision in Moscow”. ESCToday. 2008年8月22日閲覧。
  2. ^ Floras, Stella (2008年9月17日). “Estonia will participate in 2009”. ESCToday. 2008年9月17日閲覧。
  3. ^ Estonia: Staging modern fairytale” (2009年4月26日). 2009年5月19日閲覧。
  4. ^ Calleja Bayliss, Marc (2009年3月7日). “Urban Symphony to represent Estonia in Moscow”. Oikotimes. 2009年3月7日閲覧。
  5. ^ Webb, Glen (2009年3月7日). “Urban Symphony win Eesti Laul in Estonia”. EBU. 2009年3月7日閲覧。
  6. ^ a b Grillhofer, Florian (2010年3月12日). “Estonia sends Malcolm Lincoln to the Eurovision Song Contest”. ESCToday. 2010年3月12日閲覧。
  7. ^ a b Webb, Glen (2010年3月12日). “Malcolm Lincoln & Manpower 4 to Oslo for Estonia”. European Broadcasting Union. 2010年3月12日閲覧。