セバスチャン・ローブ
セバスチャン・ローブ | |
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2014 WTCC鈴鹿 | |
基本情報 | |
国籍 | フランス |
生年月日 | 1974年2月26日(50歳) |
出身地 | フランス バ=ラン県 アグノー |
WRCでの経歴 | |
活動時期 | 1999年 - 2013年、2015年、2018年 - |
コ・ドライバー |
ダニエル・エレナ イザベラ・ガルミッシュ |
所属チーム | シトロエン、ヒュンダイ、Mスポーツ(フォード) |
出走回数 | 181 |
チャンピオン回数 | 9(2004年 - 2012年) |
優勝回数 | 80 |
表彰台回数 | 120 |
ステージ勝利数 | 931 |
通算獲得ポイント | 1753 |
初戦 | 1999 ラリー・カタルーニャ |
初勝利 | 2002 ラリー・ドイチュラント |
最終勝利 | 2022 ラリー・モンテカルロ |
最終戦 |
2022 ラリー・ド・ポルトガル |
基本情報 | |
世界ツーリングカー選手権での経歴 | |
活動時期 | 2014–2015 |
過去所属 | シトロエン・トタル WTCC |
出走回数 | 47 |
優勝回数 | 6 |
シリーズ最高順位 | 1位 (2014,2015) |
基本情報 | |
世界ラリークロス選手権での経歴 | |
活動時期 | 2016–2018 |
所属 | チーム・プジョーハンセン |
車番 | 9 |
出走回数 | 36 |
優勝回数 | 2 |
ル・マン24時間での経歴 | |
年 | 2005-06 |
チーム | ペスカロロ・スポール |
最高位 | 2位 (2006) |
クラス優勝 | 0回 |
セバスチャン・ローブ[1](Sébastien Loeb, 1974年2月26日 - )は、フランスバ=ラン県アグノー出身のラリー、レーシングドライバー。シトロエンのエースとして世界ラリー選手権(WRC)において前人未到の9連覇、通算80勝(勝率44%)という金字塔を打ち建てた。2006年の選手権では残り4戦を残し腕を折る怪我をしてしまうが、その前の全てのラリーで優勝か準優勝だったため、タイトルを防衛したという一幕もあった。勝率はもっとも勝率が高かった2008年は15戦中11勝の73%。一線を退いてからもしばしスポット参戦しており、最年長優勝記録(47歳331日)も達成している。
またオールラウンドレーサーとして、ツーリングカーレース、GTレース、耐久レース、ラリークロス、アンドロス・トロフィー、アンドロスeトロフィー、ラリーレイド、エクストリームEなどあらゆるカテゴリにも参戦している。WRC(ラリー)、WTCC(ツーリングカー)、WRX(ラリークロス)、W2RC(ラリーレイド)と合わせて4つものFIA世界選手権でイベント総合優勝を果たした経験のある、現状ただ1人のドライバーである。エクストリームE2021同一ポイント副チャンピオン。エクストリームE2022チャンピオン。他を全く寄せ付けない対応力から『史上最高のドライバー』とよく呼ばれる。
F1及びF2のテストドライブ経験もあり、F1のテストでは他の若手フォーミュラドライバーと変わらない走り(18人中8番手タイム)を見せた。2009年はレッドブルのジュニアチームのトロロッソからアブダビグランプリでのデビューの可能性が噂されたが、FIA(国際自動車連盟)がサーキットレースでの経験が少ないという理由でスーパーライセンスが発給しなかったこともあり、F1の実戦デビューは実現しなかった。
プロフィール
WRCの絶対王者
父が体操のチャンピオンだったこともあり、3歳から体操選手を目指していたという異色の経歴の持ち主である。アルザス地方では4度の総合優勝、国内選手権でも5位になったこともあるが、年齢的にピークとなる時期がオリンピックと合わないので体操競技を断念したと後に語っている。今でもラリーでチャンピオンを決めた時など節目節目でバック宙パフォーマンスをみせる。
高校を卒業後に配電工として働き始めると、ルノー・5ターボに給料の全てを突っ込み、走り屋のような生活をしていた。そして才能を試すべく1995年からFFSA(日本で言うJAF)が主催するラリードライバー育成プログラムの選考会である「ラリー・ジューヌ」へと参加[2]。ベストタイムを叩き出すも、なぜか選出してもらうことができなかった[3]。
そんなローブが地元のアンビジョン・スポーツオートの目に留まり、1997年に地域ラリーの1,300ccと1,600ccクラスでプジョーをドライブし優秀な成績を収めた。ダニエル・エレナともこの頃に知り合っている。1998年からサクソトロフィーに参加して、1999年にはタイトルを獲得。シトロエン・スポールのギ・フレクランに見出され、2001年にはWRCスーパー1600選手権で5勝してこれを制覇する一方、シトロエン・クサラ WRCでスポット参戦したWRCサンレモでは,トップのジル・パニッツィから11.4秒差の2位を獲得した。
2002年にはクサラWRCを駆って9戦に参戦。開幕戦のモンテカルロでいきなりトップフィニッシュをするが、チームがタイヤ交換禁止のサービスでタイヤを交換したことが発覚。ペナルティを受け2位となり、初優勝は幻となる。それでも、同年のラリー・ドイツでWRC初優勝を飾る。
2003年には、開幕戦モンテカルロで前年の雪辱を果たす優勝を上げ、一躍タイトル争いに加わり、シーズン3勝を上げる。しかし第13戦カタルーニャでは終盤まで首位を守りながら,タイヤ選択のミスで最終ステージに31秒差を逆転され2位に終わる。最終戦ラリーGBではマニファクチャラーズタイトルを優先するチーム事情から限界まで攻められず、ペター・ソルベルグに逆転を許し、1ポイント差でドライバーズチャンピオンを逃した。
2004年にはディディエ・オリオールが持つシーズン最多勝記録タイとなる6勝を上げる一方、安定した走りで着実にポイントを獲得し、ソルベルグ以下を大きく引き離し、自身初となるドライバーズチャンピオンを獲得した。フランス人のWRCチャンピオンはオリオール以来2人目。
2005年は、当シーズン限りでWRCからの一時撤退が明らかにされていたチーム事情からマシン開発の停滞や戦闘力低下が懸念されたものの、シーズンが開幕すると,リピートステージでの走行に重点を置いて開発されたミシュランのニューグラベルタイヤが威力を発揮し、得意のターマックだけでなくグラベルでも他チーム/ドライバーを圧倒。新記録となる6連勝を含め、シーズン最多勝記録を塗り替える10勝を上げ、2年連続のドライバーズチャンピオンに輝いた。地元フランスで行われた第14戦ツール・ド・コルスではWRC史上初めて全てのスペシャル・ステージでトップタイムをマークする「完全優勝」を果たした。
2006年は、シトロエンがワークス活動を休止したが、プライベーターのクロノスチームから引続きクサラで参戦。苦戦を予想されたが、第9戦ドイツでは史上初の同一イベント5連勝を達成し、第11戦日本においてカルロス・サインツの持つ通算勝利記録26を更新する27勝目を達成した。第12戦キプロスで勝利しチャンピオンに王手をかけた2日後、マウンテンバイクを乗車中に転倒し右上腕を骨折。残り4戦の出場を断念し、タイトル防衛が危ぶまれた。しかし、第14戦オーストラリアにおいて、ドライバーズランキング2位のマーカス・グロンホルムが5位に終わったことで2006年シーズンのドライバーズチャンピオンが決定した。この時、ローブは自宅からインターネット中継で「不思議な気分だ」と語った。
2007年は、シトロエンワークスが新型マシンシトロエン・C4 WRCで復帰。第11戦ニュージーランドでは、グロンホルムと最終ステージのスーパーSSまで決着がもつれ込み、0.3秒差で優勝を逃した。グロンホルムの日本・アイルランドでの2戦連続リタイアもあり、最終戦ラリーGBでトミ・マキネン以来史上二人目となる4年連続チャンピオンを獲得した。
2008年は、フォードのミッコ・ヒルボネンと激しいチャンピオン争いを繰り広げたが、全15戦中11勝を記録し、自身の持っていたシーズン最多勝記録を更新。第14戦日本で史上初の5年連続チャンピオンを獲得した。
2009年も、フォードのヒルボネンとのチャンピオン争いは大接戦となった。1ポイントのリードを許して迎えた最終戦ラリーGB、ローブが優勝して逆に1ポイント差をつけて6年連続チャンピオンを獲得した。
2010年は、次世代の若手選手の挑戦を受けたが、フォードのヤリ=マティ・ラトバラとシーズン後半のグラベルでチームメイトとなったセバスチャン・オジェを引き離し、地元アルザス地方での初開催となった第11戦フランスで7年連続チャンピオンを達成した。
2011年は、新WRカー規定で開発されたシトロエン・DS3 WRCで参戦。この年はフォードのヒルボネンとチームメイトとなったオジェの急成長により、タイトル争いはさらに接戦となった。アクロポリスではチームオーダーを巡る一件によってオジェとの関係が悪化したが、ローブはシトロエン上層部と2年の契約延長を結び、オジェはフォルクスワーゲンへと移籍したため、チームの絶対的No.1に返り咲いた。シーズン後半はヒルボネンに8ポイント差まで迫られたが、最終戦ラリーGBでヒルボネンが先にリタイアしたため、8年連続のドライバーズチャンピオンが決定した。
2012年は、オジェに代わって加入したヒルボネンのサポートを受けた。9月27日、パリモーターショーで行われた記者会見の席上で、2013年は引き続きシトロエンチームには留まるものの、モンテカルロなど一部のイベントのみに出場する方針が発表され、事実上WRCの一線から退くことが明らかになった[4]。第11戦フランスにて9年連続の、自身最後となるドライバーズチャンピオンを獲得した[5]。
2013年は開幕戦モンテカルロ、第2戦スウェーデン、第5戦アルゼンチン、第11戦フランスのみ出場。フォルクスワーゲンのエースとなったオジェと最後の「セバスチャン対決」を演じ、モンテカルロとアルゼンチンで優勝して、通算勝利回数が78勝に達した。WRC引退の場として選んだ地元フランスでは、最終日に横転事故を起こしてリタイア。生地アグノーでのステージを迎える前の幕切れとなったが、ラリー終了後には偉大な英雄を讃えるセレモニーが行なわれた[6]。
WTCC転向後の2015年、モンテカルロにシトロエンからスポット参戦し、2年ぶりのWRC復帰を果たす。序盤からトップをキープするが、DAY2 SS8にて左リアをヒットし破損。[7] SSは完走するも、規定時間内にサービスへ戻ることが出来なかった為、DAYリタイアとなり順位を落とし、ラリー2規定にてDAY3に復帰し最終的に8位でフィニッシュした[8]。
2017年はシトロエン・C3 WRCのプライベートテストに参加し、2018年はシトロエンからWRC3戦にスポット参戦することが決定した[9]。3年ぶりのWRC出場となったメキシコではパンクで後退するまで一時総合首位を走行。3戦目のスペインでは最終日にタイヤ選択が的中してトップに浮上し、2013年のアルゼンチン以来5年半ぶりとなるWRC通算79勝目を記録した[10]。
2019年もスポット参戦が囁かれたが、2018年シーズン終了後にメインスポンサーのアブダビがスポンサーを降りたため、一転シトロエンからの参戦が困難になった。また同年主戦場であったラリーレイドやラリークロスからもプジョーが撤退したことにより、PSAでの居場所は事実上無くなった。2018年12月に韓国のヒュンダイとのパートタイム参戦契約を結び、17年間に渡るPSAとの蜜月の日々に別れを告げた。この年はシトロエン時代のチームメイトダニ・ソルドとシートを共有し6戦に参戦。固定ナンバー導入で「19」を選択した。第6戦チリではオジェと激しい2位争いを繰り広げたが、僅差で敗れ3位となった。第13戦スペインは初日首位に立ったが、その後はペースが上がらず4位に終わった。
2020年も引き続きヒュンダイから6戦に参戦。前年の固定ナンバーは「19」だったが、この年から自身のチャンピオン獲得数である「9」に変更した。第5戦トルコでは表彰台に上った。そして、エクストリームEに参戦するためにチームを離れることになった[11]。
2022年はMスポーツ・フォードからプーマ ラリー1でスポット参戦。コドライバーは長年の友人で普段は数学教師の女性であるイザベラ・ガルミッシュへと交代。固定ナンバーは再び「9」から「19」に変更した。同じくスポット参戦に切り替えたばかりのオジェと開幕戦モンテカルロでデッドヒートを繰り広げた末、初めて組んだコドライバーとのデビュー戦で47歳で通算80勝目、モンテカルロは8勝目という金字塔を打ち立てて、普段ラリーに興味のないレースファンたちの耳目をも集めた。さらに驚くべきことに、この時のローブは前週にダカール・ラリーを終えて2位表彰台を獲得したばかりで、累計19日間、39時間のタイムアタックの末の殊勲であった[12]また自身初のシトロエン以外のマニュファクチャラーでの勝利となった。その後もWRCにスポット参戦するが、サファリ以外はすべてで首位走行中、冷却系や電気系統のトラブルに悩まされリタイアしている。
WTCC、World RX
2014年、ローブは世界ツーリングカー選手権 (WTCC) に転向し、シトロエンワークスチームのC-エリゼWTCCに乗る。シトロエンはWTCC初参戦ながらシリーズを完全支配し、ローブは開幕戦モロッコのレース2で初優勝を飾る。最終的にチームメイトのイヴァン・ミュラーとホセ・マリア・ロペスに次ぐランキング3位で初年度を終えた。
2015年も同じ体制でWTCCに参戦。年間勝利数を前年の2勝から4勝に増やすが、ロペス、ミュラーに次ぐランキング3位は変わらず。2016年からダカールラリーへ挑戦するため、15年間栄光を共にしてきたシトロエンとの関係を終え、同じPSAグループに属するプジョー・スポールよりダカールラリーに参戦することを決めた[13]。
2016年はレギュラーシリーズとして世界ラリークロス選手権 (World RX) に参戦。プジョーが支援するハンセン・モータースポーツ (Hansen Motorsport) に所属し、プジョー・208 WRXをドライブ。WRC時代の好敵手ペター・ソルベルグ(2014・2015年World RX王者)と再び同じ場所で戦うことになる。第10戦ラトビアで初優勝し、フルウェットの路面でラリー経験が役立ったと語った[14]。この年の年間ランキングは5位。
2017年以降も継続参戦したがフォルクスワーゲンとヨハン・クリストファーソンが猛威を振るったため、2018年に1勝をもぎ取るのが限界であった(最高ランキング4位)。2018年を持ってプジョーは撤退したため、ローブのラリークロスのキャリアも一旦の幕が引かれた。World RXでは現在までで2勝と少ないが、表彰台に上る確率は5割を超える。
ラリーレイド
2016年からダカール・ラリーも挑戦。シトロエンと同一グループのプジョーより、2008 DKR Maxiをドライブする[15]。ナビゲーターはWRC時代のダニエル・エレナとのコンビを再結成した。4つのステージを制すなど総合首位を争うが、転倒の影響などがあり総合9位で完走した。
2017年はプジョー・3008 DKR Maxiにマシンをスイッチ。チームメイトの「ミスター・ダカール」ことステファン・ペテランセルと激しい優勝争いを展開したが、終盤のパンクなどで惜しくも5分遅れの2位となる[16]。
2018年も同じ体制でダカールに継続参戦。4日目はトップタイムであったが、5日目砂丘で他車を避けた際深みに転げ落ち、エレナが尾骨を骨折。リタイアを余儀なくされた[17]。
2019年はプジョーのワークスが撤退するが、フランスのプライベーターであるPHスポールから四輪駆動化した3008 DKRで参戦。4度のステージ優勝を記録し、総合3位でフィニッシュした。
2020年は欠場し、2021年は英国プロドライブがマシンを供給する、バーレーン・レイド・エクストリーム(BRX)よりハンターを駆りダカールへ復帰。しかしリタイアに終わる。この大会直後、プロドライブの意向によりダニエル・エレナとのコンビを解消させられてしまった。
2022年はW2RC(世界ラリーレイド選手権)が発足した年であり、ローブは前年同様の体制の上この選手権にフル参戦となる。エレナに代わるナビゲーターは経験豊富なベルギー人のファビアン・ルルカンが就いた。新コンビのデビュー戦であり開幕戦のダカールではアウディ・MINI勢が脱落する中、BRXハンターに初のステージウィンをもたらしながらTOYOTA GAZOO Racingのナッサー・アル=アティヤにただ一人肉迫し、通算2度目となる総合2位でフィニッシュした。第4戦のラリーモロッコでは、初日は2度のパンクに見舞われながらも2日目ではその遅れを挽回。総合首位となっていた。しかし、その2日後の4日目は204キロ地点で機械のトラブルが発生、修復できずデイリタイアに。最終日の7日目、モロッコで2回目のステージウィン。ポイントロスを最小限に食い止めた。最終戦アンダルシアラリーではようやく運に恵まれ、3日目ステージはキャンセルとなったものの、初日から首位を守り抜き総合優勝を果たした。このイベントは彼にとってW2RC及びラリーレイドイベントでの初勝利となった。しかし年間ランキングでは運を味方につけたアル=アティヤに惜しくも敗れ、年間ランキング2位で終えた。
その他の活動
ローブはWRC王者時代より、スケジュールが重ならない範囲で他のカテゴリのレースに出場していた。プジョー・シトロエングループ (PSA) のモータースポーツの顔として活躍する一方、ル・マン参戦、F1テスト走行、プライベートチーム(次項)設立など個人としてもレースに情熱を注ぐ姿勢が伺える。
- 2003年
- 各カテゴリの一流ドライバーが対戦するレース・オブ・チャンピオンズ (RoC) で優勝。
- 2005年
- 世界三大レースのひとつであるル・マン24時間レースにペスカローロ・スポーツチームから参戦。結果はリタイアしたものの、深夜の走行ではトップクラスと遜色ない走りを見せた。
- RoCで2勝目。
- 2006年
- ペスカローロから2年連続でル・マンに参戦し、総合2位で表彰台に上った。
- 2007年
- ポール・リカール・サーキットにてF1マシンのルノー・R26をテストした。プジョー・シトロエングループとルノーはライバルメーカー同士だが、共通するスポンサーであるトタルの協力で実現した[18]。
- 2008年
- シトロエンのスポンサーであるレッドブルの計らいで、F1のレッドブル・RB4をドライブ。バルセロナ合同テストで8番手のタイムを記録した[19]。
- RoCで3勝目。
- 2009年
- F1最終戦アブダビGPにトロ・ロッソ(レッドブルの兄弟チーム)からエントリーする予定だったが、スーパーライセンスが取得できず実現しなかった[20]。また、2010年からF1参戦を予定していたUS F1と接触したことが報じられた[21]。
- 2012年
- ロサンゼルスで行なわれたエックスゲームズのラリークロス競技に出場し、圧勝して金メダルを獲得した[19]。
- 2013年
- パイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライムのアンリミテッドクラス(改造無制限)に初挑戦し、875馬力のプジョー・208T16パイクスピークを駆り、従来のコースレコードを1分半縮めるタイムで総合優勝した[22]。
- ヨーロッパラリークロス選手権のフランスラウンドにスポット参戦し9位。
- FIA GTシリーズ第5戦の決勝レースで優勝。予選レースでは年間3勝だった。
- 2021年
新生カテゴリエクストリームEに、7度のF1王者であるルイス・ハミルトンのチーム「X44」から参戦した。チームメイトは三菱・エクリプスクロスでのダカール参戦経験を持つクリスティーナ・グティエレス。初年度の5戦全てで予選を制覇したが、不運にも優勝が最終戦の一度のみであったため、1位と同点ながらランキング2位と甘んじている[23]。9月に行われたラリー・モンブランヌではエレナとともにプジョー・306 Maxiを駆り、最終ステージまで総合3位を走行した(最終ステージでメカニカルトラブルが発生し、総合6位でフィニッシュ)[24]。
- 2022年
RoC(レース・オブ・チャンピオンズ)8度目の参戦。史上初となる雪と氷に包まれたRoC(スウェーデン)となったが、ファイナルで元F1王者セバスチャン・ベッテルとのセバスチャン対決を制し、チャンピオンオブチャンピオン獲得数を歴代一位タイ(もう一人はディディエ・オリオール)の4度に伸ばした。またファイナル進出回数も自身の持つ最多記録を8回へ更新した。DTMでも開幕戦ポルトガルに、アルファタウリ・AFコルセから出走している。彼にとっては10年ぶりとなるGT3の公式イベントだったが、他のサーキット専門のレーシングドライバーと遜色ない走りをみせた。今シーズンのエクストリームEでも運がなく第4戦のチリでようやく優勝を掴み取った(マックスポイント)。今年もタイトル争いのライバルはやはり宿敵RXRで最終戦ウルグアイでは17ポイント差で追う厳しい展開となった。更にQ1でパートナーのグティエレスが横転しながら宙を舞う大クラッシュ。Q1はリタイアに追い込まれる。しかしRXRはQ1でナッサー・アル=アティヤにオーバーテイクされる際、接触されてしまい同じくリタイア。タイトルに限りなく近い2チームがまさかの最下位争いになってしまう。Q2ではクラッシュの影響が強く残り、最下位フィニッシュ。しかしエキサイトエナジーレーシングがスウィッチゾーンでペナルティを受けたことにより、4位でQ2を終えることになった。RXRでは今度はミカエラががドライブミスにより、クラッシュ。またもやリタイアへ。Q2で勝ち上がれなかった2台は敗者復活戦のクレイジーレースで激突。Q2をトラブルなく走り切ったX44が1コーナーで先行したことにより勝負は決した。RXRはこのクレイジーレースでも軽い接触がいくつかあり、その衝撃により完全にリタイアとなった。X44がタイトルを獲得するには2位以上または、3位+トラクションチャレンジに勝利することとなった。結果、X44は後者の3位獲得とトラクションチャレンジに勝利し、2ポイント差で劇的逆転タイトルを決め、昨年の同一ポイント副チャンピオンとなった雪辱を晴らした。
セバスチャン・ローブ・レーシング
2012年にル・マン再参戦を視野に入れてセバスチャン・ローブ・レーシング (SLR) を設立[25]。SLRは初期はヨーロピアン・ル・マン・シリーズ (ELMS) LMP2クラスやポルシェ・カレラカップ・フランス、フランスGT選手権、FIA GT選手権に参戦し、カレラカップではトップコンテンダーとして現在も継続している。SLRに所属した主なドライバーに、ジャン=カール・ベルネイ(カレラカップ)や、ステファン・サラザン(LMP2)がいる。またローブ自身は同チームで2012年のル・マンのテストデイに参加した他、2013年にFIA GTシリーズ第5戦決勝で優勝を挙げている。決勝では運が味方しなかったものの予選レースでは年間3勝を挙げた。シリーズランキング5位。
2015年にSLRは、ローブ自身も一年早くシトロエンから参戦していたWTCCに、モロッコ人ドライバーのメディ・ベナーニを擁して参戦。マシンはローブと同じシトロエン・C-エリーゼ WTCC。インディペンデントチーム向けのWTCCトロフィーで年間2位の成績を収め、カタールのレース1では総合でも2位表彰台を獲得した。2016年はベナーニに加えトム・チルトン、グレゴリー・ドゥムースティエの3台体制。ベナーニがハンガリーとカタール、チルトンがアルゼンチンで総合優勝するなど、ワークスチームを脅かす存在となり、WTCCトロフィーではチーム・ドライバーの二冠を獲得した。2017年はドゥムースティエの代わりにジョン・フィリッピが加入。ワークスのシトロエン亡き後、ホンダとボルボの間に割って入り、チルトンとベナーニが総合優勝3回ずつでトロフィーを連覇した上、チルトンが総合でも年間3位に入った。
WTCCがWTCRに引き継がれた2018年も継続して参戦。マシンはフォルクスワーゲン・ゴルフ GTI TCR、ドライバーはロブ・ハフとベナーニを擁し、第2戦と第9戦のレース2でハフ、第8戦のレース2でベナーニが優勝している。また同年、ローブ自身も参戦する世界ラリークロス選手権にSLRも参戦することを表明。こちらのマシンはローブと同じプジョー・208RXスーパーカー、ドライバーはWTCC時代も加入していたドゥムースティエ[26]。
2019年にはEVで争われる氷上レースのアンドロスe-トロフィーではチームズチャンピオン、及びドライバーズチャンピオンも獲得している。
2021年はTCRヨーロッパでヒュンダイ・エラントラ N TCRを運用してチームズチャンピオンを獲得した。地元のラリー・モンブラン・モルジヌには、ローブとフランソワ・デルクールのプジョー・306 Maxiやアルピーヌ・A110 R-GT、ルノー・クリオRally5など4台をエントリーさせた。
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2012年ポルシェ・カレラカップ
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2013年FIA GT選手権
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2014年ル・マン24時間
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2016年WTCC
ドライビングスタイル
モータースポーツのトップカテゴリでは異例の9年連続チャンピオンという長期覇権を築き上げ、圧倒的な強さから「ラリー界のシューマッハ」とも呼ばれる[27]。同世代のよきライバルであるペター・ソルベルグと比較すると、ドライビングスタイルに派手さがなく、正確なグリップ走法はカメラマン泣かせといわれた[28]。WRCでは後輪を滑らすドリフト走行が主流派だったが、ローブの登場以後、タイヤのグリップ力を無駄なく使いきるドライビングスタイルでなければ勝てなくなったといわれる[29]。
また、攻め所と慎重さの判断に優れ、極めてミスが少ない上に、どのようなコンディションも苦手としない。元々はターマック(舗装路面)系のドライバーだったが、WRCでは路面を選ばないオールラウンダーとして才能を開花させた。中でも雪のラリー・スウェーデンを、史上初めて北欧系ドライバー以外で制したことは特筆される。ル・マン24時間での総合2位など、ラリーとは性質が異なるサーキットレースでもその才能を発揮している。
エピソード
物静かな甘いマスクにブルーの澄んだ瞳は人々を惹き付け、女性ファンも多いが、派手な言動は少なく真面目で控えめ。勝っても負けてもほとんど感情的にならず淡々としており、冷静かつ正確なドライビングと相まって「アイスクール・セブ」の異名がついた。一方プライベートではインタビューの日でもギリギリまで寝てることがあるなど、極めて自然体である。
2005年にガールフレンドのセブリーヌと結婚し、2007年には公式サイトで懐妊が報告された。セブリーヌとはペアを組んでローカルラリーに参加することがある。2009年にはフランス選手権最終戦ラリー・デュ・ヴァールにセブリーヌをコ・ドライバーとして出場。セブリーヌのナビゲートミスにより3分のペナルティを受けDAY2でトップから34秒遅れの2位。「明日はドライバーに頑張ってもらわなくちゃ」というセブリーヌのコメント通り、DAY3で2位に大差をつけて圧勝した。
2009年5月、5度の世界チャンピオンなどフランスに対する功績からレジオンドヌール勲章を授与された。[30]
プレイステーション3のドライビングシミュレーター「グランツーリスモ5」に本人役として出演。「セバスチャン・ローブ ラリーチャレンジ」と題したステージのオープニングで、グラベルステージの走り方などについて解説している。
2016年には、「セバスチャン・ローブ ラリー evo」というローブが監修、及び彼の経験に基づいて開発されたラリーゲームが、MILESTONE社より発売された 日本ではプレイステーション4用が日本語版として発売された。 「リチャード・バーンズラリー」でもあったように、林道など実際の道を最先端の画像能力で表現し、天候の変化などによる路面の変化も忠実に再現されている。
成績
WRCでの年度別成績
WRCでの優勝
# | 年 | 大会 | 開催国 | コ・ドライバー | 車 |
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1 | 2002 | ADAC Rallye Deutschland | ドイツ | ダニエル・エレナ | シトロエン・クサラ WRC |
2 | 2003 | Rallye Automobile Monte-Carlo | モナコ | ||
3 | ADAC Rallye Deutschland | ドイツ | |||
4 | Rallye Sanremo - Rallye d'Italia | イタリア | |||
5 | 2004 | Rallye Automobile Monte-Carlo | モナコ | ||
6 | Uddeholm Swedish Rally | スウェーデン | |||
7 | Cyprus Rally | キプロス | |||
8 | Rally of Turkey | トルコ | |||
9 | OMV ADAC Rallye Deutschland | ドイツ | |||
10 | Telstra Rally Australia | オーストラリア | |||
11 | 2005 | Rallye Automobile Monte-Carlo | モナコ | ||
12 | Propecia Rally New Zealand | ニュージーランド | |||
13 | Supermag Rally Italia Sardinia | イタリア | |||
14 | Cyprus Rally | キプロス | |||
15 | Rally of Turkey | トルコ | |||
16 | Acropolis Rally | ギリシア | |||
17 | Rally Argentina | アルゼンチン | |||
18 | OMV ADAC Rallye Deutschland | ドイツ | |||
19 | Tour de Corse - Rallye de France | フランス | |||
20 | Rally RACC Catalunya - Costa Daurada | スペイン | |||
21 | 2006 | Corona Rally Me'xico | メキシコ | ||
22 | Rally RACC Catalunya - Costa Daurada | スペイン | |||
23 | Tour de Corse - Rallye de France | フランス | |||
24 | Rally Argentina | アルゼンチン | |||
25 | Supermag Rally Italia Sardinia | イタリア | |||
26 | OMV ADAC Rallye Deutschland | ドイツ | |||
27 | Rally Japan | 日本 | |||
28 | Cyprus Rally | キプロス | |||
29 | 2007 | Rallye Automobile Monte-Carlo | モナコ | シトロエン・C4 WRC | |
30 | Rally MEXICO | メキシコ | |||
31 | Vodafone Rally de Portugal | ポルトガル | |||
32 | Rally Argentina | アルゼンチン | |||
33 | ADAC Rallye Deutschland | ドイツ | |||
34 | Rally RACC Catalunya - Costa Daurada | スペイン | |||
35 | Rally de France - Tour de Corse | フランス | |||
36 | Rally Ireland | アイルランド | |||
37 | 2008 | Rallye Automobile Monte-Carlo | モナコ | ||
38 | Rally MEXICO | メキシコ | |||
39 | Rallye Argentina | アルゼンチン | |||
40 | Rally d'Italia Sardegna | イタリア | |||
41 | BP Ultimate Acropolis Rally | ギリシャ | |||
42 | Neste Oil Rally Finland | フィンランド | |||
43 | ADAC Rallye Deutschland | ドイツ | |||
44 | Repco Rally New Zealand | ニュージーランド | |||
45 | Rallye de Espana | スペイン | |||
46 | Rally de France - Tour de Corse | フランス | |||
47 | Wales Rally GB | イギリス | |||
48 | 2009 | Rally Ireland | アイルランド | ||
49 | Rally Norway | ノルウェー | |||
50 | Cyprus Rally | キプロス | |||
51 | Vodafone Rally de Portugal | ポルトガル | |||
52 | Rally Argentina | アルゼンチン | |||
53 | Rally RACC Catalunya - Costa Daurada | スペイン | |||
54 | Wales Rally of GB | イギリス | |||
55 | 2010 | Rally MEXICO | メキシコ | ||
56 | Jordan Rally | ヨルダン | |||
57 | Rally of Turkey | トルコ | |||
58 | Rally of Bulgaria | ブルガリア | |||
59 | ADAC Rallye Deutschland | ドイツ | |||
60 | Rally de France - Tour de Corse | フランス | |||
61 | RACC Rally de Espana | スペイン | |||
62 | Wales Rally GB | イギリス | |||
63 | 2011 | Rally MEXICO | メキシコ | シトロエン・DS3 WRC | |
64 | Rally d'Italia Sardegna | イタリア | |||
65 | Rally Argentina | アルゼンチン | |||
66 | Neste Oil Rally Finland | フィンランド | |||
67 | RACC Rally de Espana | スペイン | |||
68 | 2012 | Rallye Monte-Carlo | モナコ | ||
69 | Rally Guanajuato Mexico | メキシコ | |||
70 | Philips Rally Argentina | アルゼンチン | |||
71 | Acropolis Rally | ギリシャ | |||
72 | Brother Rally New Zealand | ニュージーランド | |||
73 | Neste Oil Rally Finland | フィンランド | |||
74 | ADAC Rallye Deutschland | ドイツ | |||
75 | Rallye de France Alsace | フランス | |||
76 | Rally RACC-Rally de Espana | スペイン | |||
77 | 2013 | Rallye Monte-Carlo | モナコ | ||
78 | Philips LED Rally Argentina | アルゼンチン | |||
79 | 2018 | RACC Rally de Espana | スペイン | シトロエン・C3 WRC | |
80 | 2022 | Rallye Monte-Carlo | モナコ | イサベル・ガルミッシュ | フォード・プーマ ラリー1 |
ル・マン24時間レース
年 | チーム | コ・ドライバー | 使用車両 | クラス | 周回 | 総合順位 | クラス順位 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
2005年 | ペスカロロ・スポール | ソエイル・アヤリ エリック・エラリー |
ペスカロロ・C60 ハイブリッド-ジャッド | LMP1 | 288 | DNF | DNF |
2006年 | エリック・エラリー フランク・モンタニー |
LMP1 | 376 | 2位 | 2位 |
エクストリームE
年 | チーム | 使用車両 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2021年 | チーム・X44 | Spark ODYSSEY 21 | DES Q 1 |
DES R 3 |
OCE Q 1 |
OCE R 4 |
ARC Q 1 |
ARC R 4 |
ISL Q 1 |
ISL R 5 |
JUR Q 1 |
JUR R 1 |
2位 | 121 |
2022年 | DES 3 |
ISL 4 |
OCE 2 |
COP 1 |
ENE 3 |
1位 | 86 |
世界ラリーレイド選手権
(key)
年 | チーム | 使用車両 | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2022 | BRX | BRX Hunter | T1 | DAK 2 |
ABU 8 |
MOR 22 |
AND 1 |
2位 | 144 |
ドイツツーリングカー選手権
年 | チーム | 車両 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2022年 | アルファタウリ・AFコルセ | フェラーリ・488 GT3 Evo 2020 | ALG 1 16 |
ALG 2 18 |
LAU 1 |
LAU 2 |
IMO 1 |
IMO 2 |
NOR 1 |
NOR 2 |
NÜR 1 |
NÜR 2 |
SPA 1 |
SPA 2 |
RBR 1 |
RBR 2 |
HOC 1 |
HOC 2 |
32位 | 0 |
関連項目
脚注
- ^ 日本ではセバスティアン・ローブや、セバスチャン・ロエブと書くメディアもある。
- ^ BIOGRAPHY Slices of life, Sébastien Loeb’s career
- ^ SÉBASTIEN LOEB RACING, UNE AVENTURE HUMAINE
- ^ ローブ、2013年はスポット参戦 - RALLYPLUS.NET・2012年9月28日
- ^ "大記録達成! セバスチャン・ローブ、9年連続WRCチャンピオンを獲得! シトロエンも5年連続・通算8回目のマニュファクチャラーズタイトルを決める". 日本ミシュランタイヤ.(2012年10月10日)2013年12月16日閲覧。
- ^ "世界ラリー選手権(WRC)ラリー ド フランス ~セバスチャン・ローブ、輝かしい歴史に幕~". シトロエン.(2013年10月7日)2013年12月16日閲覧。
- ^ "Citroen team boss Yves Matton is taking plenty of positives from Sebastien Loeb’s performance on the opening two days of Rallye Monte-Carlo." wrc.com
- ^ "Final Results Rallye Monte-Carlo." wrc.com
- ^ ”セバスチャン・ローブ、2018年のWRCスポット参戦が決定”. Rally+.net (2017年12月20日). 2018年10月28日閲覧。
- ^ ”ローブが逆転優勝、通算79勝を達成”. J SPORTS. (2018年10月28日) 2018年10月28日閲覧。
- ^ エクストリームE:WRC9冠王者セバスチャン・ローブ見参。ルイス・ハミルトンのX44から参戦決定 - auto sport. (2020年12月11日) 2020年12月11日閲覧
- ^ [https://www.redbull.com/jp-ja/sebastien-loeb-dakar-podium-rallye-monte-carlo-win-compared 【ダカール表彰台&WRC開幕戦優勝】セバスチャン・ローブが振り返る1月の偉業 2022年1月、セバスチャン・ローブはダカール・ラリー2022総合2位獲得からわずか9日後に通算8回目のWRCモンテカルロ・ラリー優勝を成し遂げた。信じがたい偉業が生まれた1カ月を振り返る。]
- ^ “ローブ、シトロエンとの15年に渡る関係に終止符”. AUTOSPORT.web. (2015年11月21日) 2017年3月24日閲覧。
- ^ “ローブ、雨のラトビアで世界RX初優勝を達成”. ラリーXモバイル. (2016年10月3日) 2017年3月24日閲覧。
- ^ “WRC王者ローブ、プジョーからダカールラリー挑戦”. AUTOSPORT.web. (2015年9月20日) 2017年3月24日閲覧。
- ^ “【ダカール】2位のローブ「ラリー中不運が続いたが良い経験になった」”. Motorsport.com. (2017年1月16日) 2017年3月24日閲覧。
- ^ 深い砂の餌食になったローブ「ダカールで勝つ最後のチャンスを失った」 Motorsports.com 2018年1月12日
- ^ "WRC王者ローブが、F1マシンを全開ドライブ!". Web CG.(2007年12月9日)2013年12月17日閲覧。
- ^ a b “セバスチャン・ローブ:YouTube映像 ベスト7!”. Redbull.com (201). 2017年3月24日閲覧。
- ^ "セバスチャン・ローブ 「F1参戦のチャンスはもうないだろう」". F1-Gate.com.(2009年10月22日)2013年12月17日閲覧。
- ^ "ローブ、来季F1出場に関し、USF1にコンタクト". オートスポーツweb.(2009年8月26日)2013年12月17日閲覧。
- ^ "2013年パイクスピークはローブ&プジョーが圧倒的なコースレコードを樹立【動画】". clicccar.(20年月日)2013年7月11日閲覧。
- ^ ハミルトン率いるX44が初優勝、初代王座はロズベルグ代表のRXRが獲得/エクストリームE最終戦
- ^ ラリーモンブラン・モルジヌに参戦のセバスチャン・ローブがプジョー306マキシで6位フィニッシュ
- ^ "ローブ、2年後に転身!? 自身のレースチームを組織". .(2011年10月31日)2013年12月17日閲覧。
- ^ セバスチャン・ローブ・レーシング、世界ラリークロスにも参戦。ライバルもテスト開始
- ^ "セバスチャン・ローブ". WRC JAPAN.
- ^ "[エキゾーストNOTE] “パーシャル引退”のローブ、ラリー王者の新たな挑戦は 4/6". MSN産経ニュース.(2012年10月14日)2013年12月18日閲覧。
- ^ 古賀敬介 "Perfectionist セバスチャン・ロウブ". ahead magazine archives.(2013年8月)2014年1月27日閲覧。
- ^ Loeb receives French knighthood